熱が出た。
日本に着いたその夜遅くに、熱を出してしまった。
長く窮屈な船旅のせいなのかは定かじゃないけど、今、熱が出ている事は確か。
師匠には『修行が足りん』とか云われてティム・キャンピーをけしかけられたりもしたけど。
否、普通、熱出してる病人に対してそんな事……って、あの人に普通を求めた時点で間違ってるのか。
はぁ。
そんな訳で僕は現在一人、隔離され布団の中で寝ている訳で。
足手まといが、とか云っていた師匠の顔は、それでもどこか嬉しそうだった。きっと、さんと一緒に居られる口実が出来たからだろう。つまり僕は………―――考えるの止めよう、うん。


シンと静まり返った部屋。
首を横に動かすと見える暗い夜の世界。
チラチラと揺らぐ蝋燭の灯り。
そのどれもが、一人だと、僕は独りなんだと主張しているみたいだ。
じとりじとりと、あの夜の出来事が蘇ってくる。

マナを失った、マナを壊したあの夜の……。

ああ、ダメだダメだ。
いくら熱が出てるからって、こんなマイナス思考じゃダメだ。
師匠に殴られるし、マナにも、笑われてしまう。――きっと。
それに、誓ったじゃないか。マナの墓前に。

「 アレン君、起きてるかな?」
布団のかすれる音だけが惨めに響く静寂が破られた。
「 えっ……あ、はいっ!?」
そんな、まさか。僕の空耳?
だって、師匠と一緒に居る筈じゃ……
「 熱はどうかな?」
スラリとドアが開いて、月の光を後ろから浴びて、多分微笑んでいるであろう女性が、膝を折って座っていた。
その人の顔は逆光で能く見えないけど、雰囲気と香りで判る。
けど。
……さん……?」
信じられない。聞かずにはいられない。
だって、さんは師匠と一緒に居る筈。師匠が放す筈無いのに。
「 ああ、駄目駄目アレン君寝てなきゃ。」
スッとドアを閉めたかと思うと、慌てた様に僕へと歩み寄ってくるさん。
寝てなきゃって……ああ、そうか、さんの声が聞こえて飛び起きたんだっけ。
「 いえ、大丈夫ですよこれくらい。」
「 駄目、駄目よ、横になってないと。未だ熱だって下がってないでしょう?」
ヒヤリと、柔らかい感触と共に。
笑って手をヒラヒラさせてそう云うと、さんは怒った様な心配した様な声で返してきた。
と、同時にさっきの感触が、僕の額に伝わる。
「 ほら、未だこんなに熱い。無理して起き上がらなくて良いから、横になって。ね?」
至近距離で見るさんはやっぱり綺麗過ぎる程、綺麗で。
熱とは別の理由で顔が熱くなる。
「 いえっ!……本当に大丈夫ですから。
 あの、すみませんいきなりこんな、事に……――」
「 何云ってるの。アレン君が謝る事なんてなにも無いわ。
 マリアンに酷い生活を強いられてたのでしょ?その無理が祟ったんだわ。」
申し訳ない気持ちでいっぱいだった僕に、さんは少し怒った口調でそう師匠をたしなめていた。

あ、そう云えば。
「 あの、師匠は……?」
恐いけど、聞いておかなければならない事を思い出した。
僕は座ったまま、さんは僕の横に膝を折って座っている。
「 酔い潰れて寝てるわ。全く、本当に仕方が無い人よね。
 アレン君が熱で寝込んでると云うのに、自分はお酒飲んで挙句眠りこけるんですもの。
 師匠の務めを何一つ果たしてないわ。」
「 あはははは、そんな……。」
「 あら、遠慮しなくて良いのよアレン君。思った事は素直に云わなくちゃ。
 大丈夫、何云われても私が守りきってあげるから。ね。」
「 ……はい、全くもってその通りです。」
にこりと微笑むさんにつられて、僕も苦笑いではない笑みをもらした。

本当に、不思議な人だな。
近くに居てくれるだけで、微笑んでくれるだけで、こんなに安らげるなんて。
綺麗で、美しくて、それでいて可愛らしくて。
一緒に居る時間が、足りないくらい速く過ぎてしまう。


「 それでね……って、ごめんなさい私ったら!アレン君には休息が必要なのに長々とお話しちゃって……。」
不意にそんな事をさんが口にした。
「 いえ、とても楽しかったですし、柚子茶もとても美味しかったですから。」
僕としては、もっと話していたかったくらいだ。
「 そう、ありがとう。でも、ごめんなさいね。
 それじゃあ、私はそろそろ。隣に人を於いているから、何かあったらすぐに呼んで頂戴ね?」
「 はい。お心遣い、ありがとうございます。」
「 ふふ、アレン君はとても良い子ね。
 それじゃあ、慣れないでしょうけれど、ゆっくりと休んでね。おやすみなさい。」
そう云ってスッと立ち上がりドアに手をかけるさん。
「 あっ、さん!」
そう口にしてから気付いた。
うわっ、どうしよう、何を云うつもりだったんだろう僕は。
「 どうしたの?」
さんは急に呼び止められて、少し驚いている。
そりゃそうだ。
どうしよう、どうしよう。
「 あの……その……。」
未だ傍に居て下さい、なんてとてもじゃないけど云えないし。

ドキドキと胸は高鳴る。
五月蝿いよ、僕の心臓!

「 あの……。
 ――、ありがとうございました。」
顔を上げて、にっこりと笑って。
「 良いのよ、気にしないで。
 おやすみなさい、アレン君。良い夢を。」
そうすれば、さんも微笑んでくれるから。
「 おやすみなさい、さん――。」

ずっと傍に居てもらう事なんて、無理だと知ってる。
せめて、瞼に、さんの笑顔を焼き付けて眠りたいから。

おやすみなさい、さん。    






ほのかな願望











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