信頼
コムイの誕生日から一週間が過ぎた朝。
「 全治5週間ですって。」
「 ……雷の女王が良い様だな。」
盛大な溜め息を吐いた神田の視線の先には、身体中に白い包帯を纏い幾つもの様々な管に繋がれ病院のベッドの中で子供のように無邪気に笑うが居た。
は未だに教団に帰らずに、というか帰れずに居たのだ。
「 それにしてもお迎えに来たのはユウか〜。」
「 着たくて着た訳じゃない。着てやったんだ。」
「 判ってる判ってる、コムイに云われたんでしょ。この近くで任務だったの?」
あははと笑いながらは見るからに痛そうな身体を持ち上げベッドの上に座った。それに片眉を上げながら、まぁなと返す神田は壁に立て掛けられているパイプ椅子を引き寄せ深く腰掛ける。
神田は、とリナリーが任務に出た三日後に別の任務に就いていた。
その任務が終わったのが15日の夕方で、報告に電話を入れたところ何の説明もにべも無く、この病院へ行くようにとコムイに云われたのだった。
次の任務だとも誰かと合流しろだとも、本当に何も伝えられず一体全体なんなんだと不思議に思いながらも、逆らったところで二度手間になるだけだろうと考えた神田は、今居る任務先から汽車を乗り継ぎ五日間かけてこの辺鄙な病院へとやって来ていた。
病院のドアを開けたところ、すぐに看護師達にこの部屋へと通され、自分の於かれた状況を把握したのはつい今し方だ。
それでも一言愚痴を漏らしただけでそれ以上口を開こうとしないのは相手がだからなのか、怪我人だからなのか、はたまたそのどちらともだからなのか。
看護師の手によって開けられたであろう窓には、薄いレースのカーテンが踊っている。
外は、気持ちの良い程晴れ渡った空が何処までも続いていた。
「 最後に任務に出たのっていつ?」
沈黙が響いていた個室で、頭を掻きながらは居心地悪そうに重く口を開いた。
それに暫く無言を返していた神田であるが、一つ小さな溜め息を落とし六幻を壁へと立て掛けうやうやしく口を薄く開ける。
「 九日。」
「 それが終わったのはいつ?」
「 ……別にいつだっていいだろ。」
の云わんとしている事に気付いた神田は心の中で舌打ちをし目を伏せる。
「 教えて。」
「 関係無い。」
「 あるわ、云って。」
それでも問いただそうとするをかわしてみても、ふと上げた視線の先には真剣な眼差しで苦虫を潰したような表情が待っている。
根競べ。
それを見取ってしまえば、今更視線は外せない。外してしまえばそれは肯定する事とイコールするから。
神田はを睨み付ける。
睨み付ける―――けれど、勝てそうに無い、と云うか勝てない。
例え此処でしらを切り通しても、はイノセンスを発動させてでも云わそうとする。そうなる事を知っている神田は、薄く過去の事例を思い返しながら折れるのである。
盛大に一つ、舌打ちをするのは神田なりの最後の抗い。
「 十五日、これで満足か?」
「 ……そう。ごめんなさいねユウ。」
が神田の予測通りの反応をしたので、神田はもう一度舌打ちをした。
移動に五日間も掛かるようなところは、『この近くで任務だった』という言葉を虚偽のものにしてしまう。つまりそう、神田の言葉通り神田はのもとへわざわざ遣わされたのだ。
今のところ、それが神田の意志でなのか否かという事は判っていないが、それも時間の問題である。
「 謝られる覚えは無い。これも任務だからな。」
「 あはは、コムイに云われたから?でも任務内容は聞いてなかったんじゃないの?」
「 聞いてた。」
「 嘘。だってユウの私を見る目、本当に驚いてたもの。
コムイから任務内容聞いていればあんなに驚かない筈よ。コムイには―――――話してあるから。」
苦く笑いながらは謳うように話す。
神田の優しい嘘を鮮やかに見破り、総てを聞きだそうとし、聞き出し。
反して、自分の事は何も話さないくせに。
「 関係無いな。」
面白くないと云った声音で神田は返す。
けれどすぐに、関係有るのよと否定されてしまうのだった。
「 ユウの意思で着たのか、それとも無理矢理遣わされたのか。この違いは、大きいわよ。」
本当にごめんなさいと、心底申し訳無いと云った表情で謝るからは、とても雷の女王の冠は伺え知れない。
それを察知している神田は、非常に厳しい表情で眉間に深く皺を刻んでいる。
自分の事は話さないくせに、自分の事は蔑ろにするくせに他人の事を酷く心配する。例え今のように自身の躯がボロボロになっていようと、それはなんら変わりなく。
他人に心配を迷惑を掛ける事を、極端に嫌っているけらいがある。
なんと言葉を掛ければ良いのか、迷っているのだ。
「 如何でも良い。」
暫く、考え口を閉ざしていた神田は意を決したように言葉を放った。
ずっと変わり続ける事無く保たれているスタンスも、それを良しとしていた自分も、変えさせる事が出来なかった無力な自分も、今此処で変えねばと、今此処で変わらなければ永遠にこのままなのではないかと、そう感じていたから。
神田は、総てを壊す覚悟で臨んでいる。
「 ユウ……。」
そんな神田の決意を知る由も無いは、そんな事云わないでと云いたげな顔を神田に寄せる。
自分が怪我を、身体の自由が利かない程の怪我をしただけでも他のエクソシストの迷惑や負担になる。その上更に神田はコムイに命ぜられ自分を迎えに遣わされたのだから、しかも他の任務が終わった直後にわざわざ。心底申し訳無く思うのは自然な感情だろう。例え怪我や死と常に隣り合わせの仕事に就いているとは云え、身体の自由が利かない程の怪我を負ったのは他でも無い自分自身の未熟さ故なのだから。
恥ずかしくて、情けなくて、申し訳無くて、悔しくて。
他人に、甘えてはならないのだと、己の中から叫ぶのだ。
「 だけど……。」
見詰め合う二人には、相容れない雰囲気が纏わりついている。
どちらの考えも、決して間違っているものではないのだろうから。相手を思えばこその気持ちなのだから、仕方が無い。
「 知るか。着た以上は仕事をする。それだけだ。」
苛苛とした仏頂面で云う。
「 それに俺が必要無いと判断していれば直ぐに帰った。」
云いながら、おもむろに立ち上がった神田は壁に掛けられているの団服へと手を伸ばした。
そしてゆっくりと丁寧に、肩からに掛けてやっている。
「 ユウ―――」
「 これは俺の意思でしてんだよ。コムイに云われたからじゃねえ。
……未だは使えるから必要だしな。」
そう云う神田は何処か優しくて、それでも強く厳かでいる。
云われた意味を反芻し理解したのか、切なげに眉根を寄せていたはぎこちなく、ありがとうと頷いた。
「 外すぞ。」
「 あ、ええ。」
ぽんと子供をあやすようにの頭を撫でてから、神田にしては珍しく断りの言葉を一言入れの身体に繋がる管を丁寧に抜き捨てた。
多分に相手がでなければ、決して断りの言葉など入れなかっただろう。
ベッドの上に投げ出された針からは液が漏れている。
それに気付いたは神田に止めるように云い、面倒臭ぇと舌打ちをしつつも神田はその言葉に従う。
輸血用の針を抜いた時に看護師がやって来てこっ酷く叱られるも両名共に特に気にする素振りも見せず、は唯すみません仕事なんですと笑った。
身体中包帯だらけのを団服に袖を通させ前のボタンを幾つか留め、腰に六幻を下げた神田はを背負う。
右手にはのイノセンスと荷物を持ち、律儀にも治療代は此処に請求しろと教団の住所と電話番号を記した紙を医師に押し付け、手負いのを背負ったまま正面玄関を突破し神田は病院を後にした。
「 お腹空かない?」
「 怪我人が何ぬかしやがる。」
「 あ、や、私じゃなくて、ユウが。」
青空が拡がる下、神田はを背負い駅へと歩いている。
普段なら一刻も早く帰る為走るのであろうが、の怪我の具合を考慮してか神田は歩いていた。
そんな神田の背中に全身を預けるは、それでもらしく神田の心配をしている。
「 必要無い。」
「 そう?―――あ、荷物くらい私持てるから。遠慮しないで、ね?」
「 誰も遠慮なんかしてねぇよ。」
「 すみませーん、お水とクロワッサンと――」
「 勝手に買おうとしてんじゃねえよ!!」
背負われているは神田の言葉を無視し、近くに居る売り子に手を挙げて注文する。
それに対して口調荒く抗議する神田だが、結局に流されるままにそれを買ってしまうのであった。勿論、買った物は進んで神田自らが持っている。は異議申し立てをしてみるが、怪我人は黙って背負われてろとのお達しが下ったので渋々従っていた。
駅に着いた二人は駅員に一室用意してもらい、腰を下ろす。
汽車が走り出した頃、先程買った水を飲ませてもらっているはそうだと口を開いた。
「 ユウにさ、」
「 。」
と、それを遮り神田も口を開く。
何と聞き返すの目を真っ直ぐに見つめ、神田は続ける。
「 怪我の事、知ってるのはコムイだけか?」
「 …………ユウも、知ってる。」
「 茶化すな。」
神田の云わんとする意図を読み取ったは息を呑みユウもと云ってみたものの直ぐに斬り返され。
無言は肯定だとは能く云ったもので。どう云ってもどうせこの二人きりの密室、しかも私は身動き一つ取れない状況なのだから無駄なんだろうけど、けどそれを認めるのは釈然としない。そんな事がの思考を支配し言葉を奪っていた。
それを肯定だと受け取ったのだろう、神田はやはりなと溜め息を一つ落としてを睨み付ける。
「 リナリーは一緒じゃなかったのかよ。」
「 先に帰したのよ。コムイの誕生日に間に合うように。ギリギリ間に合ったって。」
「 なに考えてんだ。」
「 だってぇ。」
怒る神田に怒らないでと懇願するかの如く眉を寄せ、は口を尖らす。リナリーだけだったら間に合うと思ったからと加え。
その様子を食い入るように睨み付けながら、神田はなにがあったんだと問う。
歯切れ悪く、ちょっと色々ありましてと云えば話してみろと返され、話せば長くなるとそれに返すとそれでも良いからと云われる。
それは……と、は押し黙ってしまった。
今更、こんな姿を見せておきながら心配も何もあったものじゃないのだろうけど、話したところで如何なる訳でもない、寧ろもっと怒られてしまうのでは、呆れられてしまうのではと考えているのだ。
早く云えと急かしてみるも、は口を噤んだまま俯いてしまっっている。こうなってしまっては、もう梃子でも口は動かない事を神田は知っていた。仕方無いともう一つ溜め息を落としてから、別の角度から攻めてみる事にした。
「 任務中、教団に連絡入れたか?」
「 ……いいえ、入れてないわ。」
「 終わってからは。」
「 リナリーが、コムイに入れてた、筈。」
「 ……筈?」
「 直接は見てないから。でも――――――――って、なにを云いたいの?」
ついつい話の流れでもらしてしまいそうになったものを慌てて噛み殺し、は神田に訊ねる。
質問の意図が判りませんと云いたげに。
眉間に皺を寄せたままの神田は、怪訝な顔をしている。
「 コムイには、話したって云ったよな。電話したのか?」
「 ええ、任務が終わって、治療も一段落ついた頃。」
「 電話したのか?掛かってきたんじゃなく?」
「 電話したのよ。リナリーが無事着けたかも気になっていたし。……だから、なにを云いたいのよユウは。」
珍しく何度もしつこく、回りくどく云う神田に少し引っ掛かりを持ちつつも、は質問の意図を未だ掴めないで居た。
神田はそれでも真っ直ぐに目を見つめてきている。一度も逸らす事無く、力強く。
それに対し多少の、と云うか大いなる居心地の悪さを感じつつも、も神田の目を見つめ返す。そう云えば前にもこれに似た事があったような気がすると頭の片隅で思いながら。
「 リーバーには電話してねぇのか。」
嗚呼、それですか。
は心の中で嘆きつつ、そうだ前にも同じ事があったじゃないのと、神田に背中を押された日の事を思い出していた。
そう、リーバーが熱風邪をひいていたあの日の事を。
あの時も、ユウは私がリーバーに想いを寄せている事を知っていた。そんな事一言も誰にも云っていなかったのに。あの時も思ったじゃない、妙なところに鋭い子だって。捨て置けない奴だって。
そんなことを考えているに、神田はもう一度盛大に溜め息を吐き出しそして目を伏せた。
「 でも掛かってきたのよ、コムイに電話したその少し後に。リーバーから。」
だから少しは話せたのよと云うは必死だ。
「 けど掛けたんじゃねぇんだろから。電話してやれよ。少し位時間あんだろ、任務中ったって。」
「 しようとはしたのよ、しようと思った、一度任務が終わったその後。でも、でも……。」
力いっぱい抗議するも、その後の言葉が続かない。
不穏な空気を察知した神田は、これはチャンスとばかりにその攻撃の手を休めない。
「 でもなんだよ。結局してねぇんだろ?」
「 い、色々あったのよ、その後。」
「 ……その怪我と関係あんのか?」
「 ……。」
不意に言葉を飲み込む。
「 その怪我の事、リーバーには話したのか?」
「 ……話してない。途中で、―――切れちゃったし。」
「 あのな。」
俯くに、呆れた声音で続ける。
「 話せ、ちゃんと。俺には良いからせめてリーバーには。アイツはの恋人なんだろ?違うか?」
「 ……恋人、です。」
「 だったら、きちんと全部話せ。」
「 でも。」
「 それが誠意だろ。」
顔を上げ異議を唱えるの反撃を許さず、神田は真剣な顔付きで続ける。
強く、の目を見つめたまま。
「 心配掛けたくないとか迷惑掛けたくないとか、そんな事はのエゴだ。だってリーバーに何かあれば心配くらいするだろ?
俺達は、の心配をする事すら許されないのか?心配されたら迷惑かにとって。」
「 そんな、事は……でも、私は、誰の負担にも、なりたくないの……。」
「 俺達が信じられないか。」
「 そんな事!それは違うわ!」
声を立てて、は否定する。そんな事はありえないと。ありえてはならないと云わんばかりに。
「 なら信じろ。負担なんかじゃねぇから。もっとは甘えて良いんだよ。」
ふわりと笑って、神田は云う。
そしてそれとは対照に、は言葉を飲み目を伏せた。
じわりと拡がる、沈黙。
それでも汽車は不規則に音を上げ、目的地へと着実に近づいている。