を持つ意味






「 ……報告してくるから。」
呆れたような諦めたような、そんな声音で一言残してからリナリーは無線ゴーレムを引き連れて静かにドアを閉めて出て行った。
ごろごろと悪戯に寝返りを打ったところで目に入ってくるのは殺風景な安宿のインテリアだけ。ふと窓に目をやれば、総てを焼き尽くしてしまう紅蓮の炎のように燃えている太陽も、その姿の殆どを山へと隠してしまってる。
今頃コムイはリナリーからの電話を貰って喜んでる―――でしょうねぇ。ああ、やだやだ。枕で耳を塞いでもその声が聞こえてきそう。
本当に、もう少し遊んでおけば良かったかも。あー、私としたことが失敗だわ。せめてあと半日。そう半日よ。
嗚呼もう悔しい。ああもう、くう……なんて柔らかいのこの枕。気持ち良過ぎ、宿のレベルに似合わず。
ふあーあぁ、ああ、―――もう、コムイは喜んでるのかしら。仕事も放っぽり出して両手揃えて万歳なんかしちゃったり。それでリーバーに仕事してくださいよとか怒られるんだけどそんなのお構い無しに大喜び。
あ、そうよ。
主にコムイの事ですっかり忘れてたけど私もリーバーに電話、してこようかしら。任務に出てから一度も掛けてなかったし。
リナリーがコムイと電話してる間だったら、リーバーもちょっかい出されないだろうしなんの気兼ねも無く話せるだろうし。
……うん。そうしよう。
「 ゴーレムとー、雷斬も一応要るわよね。」
気持ちの良い枕から顔を離し、私は雷斬へと手を伸ばしながらゴーレムを呼びつけ立ち上がる。
ふと視界の端に、ベッドの上に放り投げた団服が見えたけど……団服は要らないか。10分もかからないものね。
さー、リナリーが帰ってくる前に戻ってくる為にも、さっさと行きますか。
――――――――ォオン
「 ?」
なに、今の。
明らかに、安宿のドアを開けた事によって上がる音じゃないわよね。……って、なんて説明臭い台詞。
私の、気のせい?
今はもう何も聞こえないし、何も感じられない。
私の、
――――ォオンン オオオオオオン――――
思い過ごしなんかじゃない、これは。
職業柄鋭利になった感覚、特にイノセンス・雷斬を手にした事によって大気の微細な変化までいつの間にか判るようになってた。その私の総てが告げる。これは作為的な感覚だって。自然のそれではないって。
「 ……リナリーが戻ってくるまでに、片付けば良いけど。大丈夫かしら。」
視界の端で、ベッドの上に放り投げた団服を捉え。私はドアを静かに閉める。

「 わあおう、これは凄い。」
リナリーに気取られまいと宿の窓から屋上へと出てみれば。開いた口が塞がらないってヤツね。
西の空が、太陽とは別のモノで焼かれている。
ピリピリと張り詰めた空気がこんなに離れていても感じられるなんて、異常よね。ほんの少し前まで気持ちの良い冷たい風が吹き抜けていたのに、この生温かさ。それに僅かにかおる、人間の血の香。
アクマにしろそうでないにしろ、前者であれば特にエクソシストとして放ってはおけないもの、行くしかないわよね気付いた以上。うん。それもリナリーの電話が終わる前に。
あぁあ、折角終わったと思ったのに。
否、でも待てよ。
これが長引けばコムイの誕生日には間に合わないんじゃ……?うん、そうよそうよ、そうじゃない。
私にとっては嬉しいトラブルね。まぁアクマが産まれるのは決して喜ばしい事なんかじゃないけど。
さてさて。どっちにしても、取り合えずこの大気の居心地の悪さだけは直してもらわないとねぇ。どうせ眠るなら気持ち良く眠りたいし。

――――ォオオオォオオンン――――
「 っと。」
近づくたびに、この雄叫びみたいな不快音が大きくなる、のは当たり前なんだけど。
そうなんだけど、この音は異様ね。耳を(つんざ)くというよりも、直接脳に入り込もうとしているような。悲鳴ともとれる、耳障りな音。
アクマでなければ良いのに。
ん?
なんか路地をやたらと急いで動いているのは、人?この薄暗さで屋根の上からだと判りにくいけど、人よね。微かに呼吸音も聞こえるし。
何処行くのかしら。流石に今、あそこに行かれると危ないわよね。未だアクマかそうでないかも判っていない訳だし。
……仕方無い、か。
「 こんばんは。」
「 うわあっ!?」
「 ああ、ごめんなさい驚かせるつもりは無かったの。あと怪しい者でも無いですから。」
と云っても、いきなり目の前に人が降りてきたら驚くわよね。怪しさ爆発よね。
「 なっなんでエ――ッ!」
「 すみません落ち着いて下さい。決して怪しい者ではありません。」
本当に、と云ってもすぐに判断出来る程人間ってデキてないのよね。
このおじさんもパクパクとしてる口に手を当てて目ン玉引ん剥いてるわ。なにもそこまで驚かなくたって良いと思うんだけど。
先を急いでいたところに急に人が現れたら、誰だってこんな感じ、かしら?
取り敢えず、話だけでもしないと。
「 突然ですが、どちらへ?」
「 なっ、どちらへって、それはワタシの自由だろうが!」
いや、ええまぁはい、そうなのですけれども。なにもそんなに警戒して頂かなくても宜しいのじゃなくて?
「 そう、なんですけどね。
 あの、今、あちらへは向かわれない方が良いと思いますよ。」
と云って指を差す。
……駄目だ、疑いの眼差しを向けられてる。って、それもそうよね怪しいわよね。いきなり現れていきなり云い出して。
やっぱり名乗るべきだったかしら。
「 ……何故だ。」
そうでうよね、普通はそう返しちゃいますよねー。
でも今説明してる暇も余りないし、説明したところで信じてくれるかどうか、それも問題だわ。
ガリッガリのインテリ系っぽいし。どうしたものかしら。
「 ええと、ですね。
 この先、この先少し行ったところからただならぬ気配を感じまして……ですね。」
「 !
 ――ああ、それならワタシも感じてましたよ。」
あれ、今?
私の、気のせいかしら?今確かに……でも……違ったの、かしら。
「 その気配がなんなのか、判らないうちは近づかない方が賢明かと思われますが……。」
「 ええ、ええ、そうですね。すぐ近くにワタシの知人が住んでおりまして、それを知らせに行こうとしとったんですよ。」
「 あ、あ、そうだったのですね。それは、ご苦労様です、お気を付けて。」
「 いえいえ貴女こそ。危険なものには近づかん方が良いですぞ。」
なんだろう、この違和感。
なにか変だ、違う。でもそのなにかが判らない。
「 そうですね。けれど、それを調べるのが私の仕事でして。」
このおじさんだって、私に気を遣って笑ってくれているのだろうし。
「 おお、そうでしたな。それでは、ワタシはこれで。」
「 ええ、お気を付けて。」
と云ったところで、アクマと出くわしてしまえば如何しようも、防ぎようも無いのだけれど。
「 そうなる前に、私になんとかしろと神は仰るのよね。」

ピリピリと突き刺さるような空気。
会釈をして通り過ぎて行ったおじさん。大丈夫かしら。
私の事を、私の言葉を信じてくれたみたいだけれど。
―― あの笑顔、言葉、態度 ――
……駄目だ、考えれば考える程ドツボに嵌って仕舞うわ。それに考えたところで答えが出そうにも無いし。
取り敢えずあのおじさんの事は保留にしておいて、今はこの居心地の悪い大気を作っている原因を突き止めるのが先決よね。そしてその原因を取り除くのも、ね。
アクマでなければ良い。
けど、アクマ以外の者がこんな空気を作り出すのもそれはそれで問題よね。
どうしてこう世界はなかなかにしてカオスが満ち満ちているのかしら。神様が居るのなら、その原因を取り除いて楽園を創りたもうたら良いのに。そうすれば小さなイザコザも大きなイザコザも、無くなるのに、きっと。
それでもヒトは、そうなってでもカオスを創り出してしまのかしら。
今の世界も、ヒトの欺瞞が創り出してしまった賜物なのかしら。

「 あらあら、まあまあ。」
眼下に拡がるのは廃墟と化した家の残骸とボール型のアクマが一体。
不穏な大気の元を辿って街外れまで来てみれば、出会っちゃったわねぇ。
……でもどうしてこの子は今になって出てきたのか。しかもボール型(レベル1)
周りに統べるべき高レベルのアクマの姿は確認出来ないし気配も特に感じない。
となると、この子はたった今産み出された?
「 千年伯爵……。」
呟いてみても、風がそれを運ぶだけで何も起こらない。……それもそうよね。いつまでも、自分が造り出したモノの近くに居る訳無い、わよね。玩具に出来るような人間もこの近くには居ないし。
タイミングが良かったのか悪かったのか。
もう少し早く伯爵が来ていれば、アクマ達と戦闘中の私達と出会っていた。そうなれば必然的に伯爵と直接対決。
実力の未知数な相手と闘うには、しかもあの伯爵―――うまくすれば仕留められただろうけど、まぁ先ずそれは無理よね。
レベル2が7体にレベル1が19体。そこに伯爵が加わればアクマの数は更に増える。とてもエクソシスト2人で、それも女の子のリナリーとで相手出来たとは思えない。
悔しいけれど、今回はタイミングが良かったのよね。そう思う他無いわ。
「 !」
こんな時間にこんな場所に人が来るなんて。
まずい、真っ直ぐアクマの許に近づいてるわ。ああもう、さっきのおじさんと云いあの男性と云い。
それともあの男性もアクマかしら?少し様子を見ておくべき。かもね。
「 おー、いたいた。
 うわ、しかももう家壊してやがるし。なんだよもー。これじゃじっくり人間を狩ってく事も出来ねぇじゃん。面白くねぇ。」
アクマ決定。
しかもあの口ぶりからするとレベル2か、それとも―――
「 伯爵様もその事考えてくれたって良いのに。」
―――アクマでも、あんな風に複雑に笑うのね。まぁ、笑ってる内容が内容だけど。
伯爵に呼び出されたのか。差し詰めお傅役ってところかしら。
これからどんどん人間を殺させて、進化させて。
千年伯爵の望む終焉の向こうには何が待っているの?絶望?悲哀?混沌?でもそれらを感じるのは我々人間よ、ヒトだわ。千年伯爵自身は感じない筈。ではその後に自らの望む世界を創るの?総てが自分に従い自分の思いのまま意のままに廻る世界を。何故?なんのために?世界を手に入れたのならばもう自分自身が居ればそれだけで済む筈。下等生物だと蔑む私達ヒトは居なくなるのだから。それだけで遂げられる筈じゃないの?未だ望むの?神になったところで、謀反を企てる者達は必ず現れる筈よ。ならば初めからモノなんて創らなければ良いのに。それとも、自ら創り出したモノを壊す為に創るの?
千年伯爵は、唯壊したいだけなの?壊している過程を楽しんでいるの?
「 じゃあ取り敢えず、進化でもさせますか。」
理すらも壊して楽しんでいるの?こんなに、こんなに凄い力を持っているのに。
「 ……直接あってみれば、判るのかしら……」
神なんて、創造主なんて。
「 吼えろ、雷斬。」
いつだって、最後は壊してしまうだけじゃない。それが唯直接的か間接的かだけの違いであって、どちらも同じよ。
命を生み出すモノは命を壊す。
そして私達エクソシストは、アクマを滅す。
アクマの元は悲劇とそれに巻き込まれたヒトが2人。ネコでもイヌでもトリでもなく、ヒト2人。
壊す事で、壊さなければ決して救えはしない悲劇で喜劇。
ヒトビトを守る筈のエクソシストが、ヒトビトを壊していく。
神様は何を思ってイノセンスをお創りになったのだろうか。何を思ってエクソシストを選び出すのだろうか。こんな混沌とした矛盾を、どうして放置しているのだろうか。どうして神様自らやってきて、手を下さないのだろうか。
何故ヒトビトに血を流させるのだろうか。
神様も、唯つまらないからヒトを創り出して、つまらないからヒトを壊していくのだろうか。
ならば何故、神様は咎められないのだろう。していることは千年伯爵と同じじゃない。
それは神様だから許されているの?神様ならば何をしても許され咎められはしないの?
「 眠れ、安らかに―――」
こんな感情を抱く事は、神への冒涜かしら。
大元帥やコムイに知られれば、きっと怒られるのね。兵に感情は要らないもの。
  パリッ ピシャーン
「 なんだっ!?」
リナリーの電話が終わる前に、片付くかしら。
「 コンバンハ、アクマ。私はエクソシスト。
 ハジメマシテ、そして、サヨウナラ。」
「 エクソシスト……!
 上等だ、久々に遊んでやるよ。俺はレベル3、こんなレベル1(ザコ)とは訳が違うぜ。」
屋根を蹴って、私は地に降り立つ。アクマは被っていた人間の皮を脱ぎ捨て、メタリックなボディを露にする。
今日もこうして私達は闘う。
終わりの見えないいたちごっこを、命を懸けて遂行する。一方は千年伯爵の命を受け、一方は神の命を受け。
2人の創造主によって生み出された2つの命が、ぶつかり合いせめぎ合う。どちらかの命が尽きるまで。
火花が散る。此処でも、何処でも。
血が流れる。此処でも、何処でも。
神様が居るなら、それは非常に残酷なモノだと私は思う。自分の手は一切汚さず、欠陥や汚れをなくそうとするのだから。無責任で、傲慢で、冷血で、尊大で。孤独で飽きっぽいのだろう。
私達はきっと、暇潰しの一環でしかない。それ以上でも、以下でも。
まぁ私は、神様なんて信じてないけれど。

「 ちょっと、あまり派手に暴れないで頂戴。」
「 ならちょこまか動くなよ人間風情が。さっさと殺されろ。」
「 いやよ、未だ死ぬ訳にはいかないんだから。」
「 ほお、そりゃまたどうして。伯爵様をころすまではってヤツか?」
「 そんな事。」
如何でも良いと、云いたいけれど云い切れもしない。
取り敢えずヒトを殺すのもましてやヒトを使ってそれをするのも、死者の魂を悪戯に引き留めておくのも私の倫理観にそぐわない。本音を云えばそれだけの事よ。世界終焉とかそれを阻止するとか、正直如何でも良い。
けれど私は残念な事に強制的にと云うか半強制的にと云うか自ら望んでと云うか、兵になったのだから。
所詮兵などただの駒よ。感情なんて不必要なの。邪魔なだけなのよ。
「 ただ逢いたい人が居るだけ、よ。」
「 そりゃ良い!お前を殺せばアクマが増える訳だな。」
莫迦な事を。
私はエクソシストよ。例え私が死んだって、私を地獄から呼び戻す者なんて居ないわ。リーバーは、そんなに弱くない、強いもの。
ヒャヒャヒャとか耳障りな声で笑うなっての。
「 生憎、それは間に合ってるわ。」
「 どうだかな。」
私のイノセンスと、アクマのダークマターが反発する。
お互いに、体力はもうそろそろ切れそう。次の一撃で、きっと決まる。
いいえ、決めなくては。リナリーがやって来そうで、怖い。一人で何やてるのって、怒られるに決まってるわ。
!?」
「 リナ、リー?」
上から、霧風が降り注いだ。
あああ、タイミング悪すぎる。
「 チッ!此処でエクソシスト2人を相手にするのは分が悪い。面白くねぇが退かせてもらうぜ。」
「 待てっ!!」
雷を出したけれど、遅かった。もう少しで壊せたのに。
追おうとしたけれど、リナリーに引き止められた。構わず手を振り払おうかとも思ったけれど、私は人間の涙に弱い。男女問わず。
「 お願いだからムチャしないで!」
「 でも、今なら未だ追いかけられるわ。もう少しなのよ?」
だってボロボロじゃない!なら私が追いかけるわ!!」
そして私も亦、親しい人間を失う事を恐れている。リナリーや、他のヒト達ときっと同様に。
少し違うのかもしれないけれど、きっとそうなのだろう。
「 ……判った。一度、私も帰るわ。ごめんなさいリナリー。」
のバカ!もう二度とこんな事しないで!」
血で汚れるわと云ったのに、構わないと云ってリナリーは私の胸で泣く。
誰よりも教団の皆の事を想う心優しい子。
この子を失う訳には未だいかない、コムイに申し訳立たないもの。
リナリーが眠った後にでも亦、来れば良い。早く、早く。これ以上、アイツにヒトを殺させてたまるか。
「 病院に行きましょう。」
私の腕を引っ張り、リナリーは赤い目で訴える。
「 大丈夫よリナリー、宿に戻りましょう。」
けれど、そんな暇は無いのよリナリー。
「 でも。」
「 大丈夫。宿に戻れば医療班が作ってくれた薬があるから。」
そっちの方が能く効くでしょうと笑うと、渋々了解してくれた。

宿までは手を繋いで並んで帰った。
月は、怖い程綺麗に紅く輝いていた。まるで何かを暗示しているかのように、紅く、紅く。私の胸も比例するかのように、鼓動が高まっていた。
「 ごめんね、リナリー。」
「 え?」
部屋に戻って、リナリーに手刀を入れた。
床へと崩れ落ちる身体を支え、ベッドへと運ぶ。
本当に、ごめんなさいね。貴女の綺麗な手と首と団服に、私の血が着いてしまっているわ。後で必ず落とすから、暫くその儘で我慢してて頂戴ね。
「 さて、と。」
第2ラウンドに向けての、準備は万端にしておかないと。
どうせ向こうだって幾らかの回復はしてくるでしょうから、此方もそれなりの事はしないと。けどあまり時間を掛けられないから急がないと。
シャワーを浴びて血を洗い流して、薬を塗って止血して。それからリナリーの手と首の血も落として。
風が啼いてる。まるでアクマの咆哮のよう。
「 起きたら亦怒るんでしょうね。でも、これが私の仕事だから。」
綺麗な長い髪を梳いて、切ったままの無線ゴーレムをポケットに詰め込んで。
私なら大丈夫だから心配しないで。出来ればこのまま、コムイの元へ帰って欲しいわ。
そう思いながら、ドアを閉めて私は走り出す。アクマ狩りの為。
ああ、雨が降り出しそう。



瓦礫の山の上に寝そべって、力なく辛うじて開いている眼で見ている空は、西の方から雨雲が波のように押し寄せてきている。少し前までは、月も星も明々と輝いていたのに。
月は昨夜の紅い光を消し去り、暗く輝いている。
いや、この場合は私の眼が霞んでいるだけかしら。
どちらでも構わないわね、もう。酷く眠い。碌に眠らずというか一睡もせず貫徹で闘い続けたせいかしら。きっとそうよね。それしか考えられないわ。
月も星も、良い具合に眩しくなくて、余計に眠りを誘うし。もう、此処で寝てしまおうかしら。団服着てるから風邪もひかないわよね。団服ボロボロで穴開いてたり短くなってたりするけど、大丈夫よねきっと。
動けそうだけど、動けばリナリーに見つかりそう……あ、そろそろリナリーが目を覚ます頃ね。多分。
今から帰ればギリギリ間に合うわね、コムイの誕生日に。リナリーなら、間に合うわね。多分。
連絡、しないと。リナリーに。
その後一度寝て、起きたら病院に行こう、うん。大丈夫よ、こんな瓦礫に近づく物好きも居ないでしょうから。
「 ……お疲れ雷斬。暫く、眠ってて良いわよ。能く、耐えてくれたわね、ありがとう。」
持ち上げた雷斬には、私の血がベッタリとついていて光っている。後で落としておかないと、だわね。
大気も穏やかになって、やっと静かに眠れる。
まさかあれから丸1日も費やすとは思わなかったけど。

!」
飛んでいた意識が急激に呼び戻される。
目の前には、涙顔のリナリー。
「 嗚呼、見つかっちゃった。」
「 バカッ!」
引っ叩かれるかと思えば、泣き縋られた。どうしよう、コムイに怒られるわ。
ああ、そうだ。
「 リナリー、今、何時?」
「 そんな事今関係無いじゃない!何をしたか判ってるの!?」
泣きながら怒ってる。ごめんねリナリー。でも貴女の安全を考えるとこの方法しか思い浮かばなくて。それに私なら大丈夫だから。
「 今、何時?」
もうすぐ、雨が降り出してくるし。
その前に、なんとか汽車に乗ってもらわないと。風邪でもひいたら大変じゃない。
「 20時、ちょっと過ぎよ。」
「 ……そう。」
本当に、ギリギリってところね。でも、リナリーなら大丈夫よね。
「それじゃ、帰りましょうか。コムイの誕生日に間に合わなくなっちゃうわ。」
激痛に耐えながら、笑顔で上体を起こす。リナリーは慌てるけど。
「 そんな、ムチャだわそんな身体で!」
「 うん。だから、リナリー1人で帰るのよ。」
頭を撫でてあげたいけれど、掌にも血がベッタリとついている事を思い出したから諦めた。
ああもう、もっと巧くやれば良かった。まだまだ駄目ね、私も。
を1人残してなんて行けない!病院に行くわよ!」
どこまでまっすぐで優しくて、可愛いリナリー。抱きしめられるものなら抱きしめたいわ。今すぐ。
「 駄目よ、リナリー。今すぐ此処を出ないと間に合わなくなっちゃうもの。」
「 でもっ」
「 私なら大丈夫だから。ちゃんと病院にも行くし安心して。
 お願い、私リナリーなら間に合うって信じてるの。リナリーのダークブーツなら。」
「 でも……。」
「 お兄さんの、たった一人のお兄さんの誕生日なのよ。一言だけでも直接伝えないと。
 コムイも悲しむし、私も悲しいわ。昨日コムイに帰れるって電話したのよね?」
「 ええ、でも――」
「 お願いよ。」
リナリーは、本当に良い子だわ。
素直で、優しくて、可愛くて。
守ってあげないとと思ってしまう。

「 ……やっぱり降ってきたわね。」
リナリーが発ってからどのくらいかしら。とうとう雨が降り出してきてしまった。
折角此処で眠れると思っていたのに、流石に雨の中血を流しながら寝る勇気は無いわ。面倒臭いけれど仕方が無いから、病院まで歩きましょうか。リナリーとも約束した事だし。―――約束破ったら、流石に嫌われてしまうものね。ヒトから嫌われるのはもう慣れたけど、こんな理由では嫌だわ。
頬に、額に落ちる雨粒が冷たくて痛いと感じるから、私は未だ生きてるのよね。
こんなナリになっても、こんな、ナリになっても。
今の私を見たら、やっぱりリーバーも怒るのかしら?リナリーみたいに。それとも――――
「 ……なんてザマだ。」
風が冷たくて、雨も冷たくて。
背中に当たる感触はゴツゴツとして痛い瓦礫の山。
夜も更けてきて、雨の降る中屋外をうろつく人間なんてそんな物好き居ないと思っていた。居たとしても街中を歩くのだろうと、こんな街外れにある瓦礫の山に近づく人間なんて居ないんだって。
だから、私の空耳だろうと思ったのに、瓦礫の上を歩く人間の覚束無い足音は、私へと近づいてきている。
この人間も、アクマなのかしら。そうだとすれば、私は間違い無く殺されるわ。
もう雷斬を握る右手に力は入ってくれないんだもの。
「 !――――貴方は……」
「 こんばんは、お嬢さん。」
そう云って私を見下ろすのは、確かそう、昨日の夜路地で会った、ガリッガリのインテリ系っぽいおじさん。
顔は――もう殆ど霞んで見えないけど、香りと温和な声。多分、笑われているのね私。
「 随分と涼しそうな恰好をされていますな。」
でも、そんな私を見て驚きもせず笑ってるってどうなのよ。このおじさんお医者かなにか?
「 ええ、知人と派手にやり合いまして……起き上がる事すら満足に出来ないんですよ。」
「 それは大変だ。さ、ワタシの手に掴まりなさい。」
―――――嗚呼。
「 ありがとうございます。」
そうよ、この笑顔。この、声音。
最初に会った時に覚えた、違和感。
私は、以前にも感じた事があったじゃない。
「 このパルチザンは貴女の?」
「 ええ、私の、ですわ。」
頭が、回る。
フラフラと、クラクラと、視界が霞んで焦点も定まらない。血を流しすぎたのね。本当に駄目ね、私は。
「 送りますよ。パルチザンは私が持っておきますから。」
私達に近づいてくる者は、なにも敵意だけを向けてくる訳じゃないのに。
アクマですら、繕う為に笑顔を花のようにそえてやって来ると云うのに。それが餞だとでも云いたげに自慢げに。
一般人が
「 よくもワタシの邪魔をしてくれたな。やっとの思いで手に入れた悲劇を千年伯爵様に渡したところだったというのに!」
大出血している人間に疑問も恐怖も持たない筈が無いじゃない。
「 まぁ、そんな物騒な物。」
冷たい鉄の塊を、怪我人に向ける筈が無いじゃない。
「 今此処で、貴様等が崇め奉る神様の下へ送ってやるわ!!
 そしてこのイノセンスは千年伯爵様に送る。アクマの元の悲劇よりもさぞお喜びになって、謝礼も弾んでくださるだろう。」
この人間は、ブローカーだわ。
「 残念だったな。貴様のイノセンスはワタシの手の内だ。貴様は今此処で、反撃の術も持たずワタシに殺されるのだ!」
ヒャヒャヒャと、誰かさんみたく耳障りな声で笑う、ブローカーだわ。
「 大、丈夫よ。」
悲しい事に、アクマではない。
「 なにが大丈夫なんだ。この銃が目に入らんのか?それとも出血の多さに頭がヤラレたか?」
悲しい事に、人間なのよね、ブローカーは。
「 貴方に、私は殺せない。壊せない。」
頭が、回る。
フラフラと、クラクラと。
雨が、いつの間にか月も星も隠してしまった。どうしてかしら、こんな夜は笑わずには居られない。顔の筋肉が、弛む。
「 何を云う、何が可笑しい!ならば望み通り貴様を神の下へ送り届けてやるわ!!」
ドン
硝煙の、臭い。
随分と久しぶりに嗅いだ気がする。
立ち昇る煙が、雨にかき消された。
「 私を座らせたのが貴方の運の尽き。寝かせたままなら、未だ勝機はあったかもしれないのに。」
頬が、私の頬が濡れているのは雨のせい。
「 それに、イノセンスじゃ人間は殺せないわ。イノセンスはアクマを壊す為にあるのですもの。
 アクマを、救う為に。」
イーグルを仕舞いながら雷斬を握った。
「 神への祈りは―――要らないわよね。悪魔に金で買われたのだから。」
私の顔には雨が当たっている。
早く、病院に行こう。
彼の傘を借りずに行くのは、死人に鞭を打つのは趣味じゃないから。せめてもの餞よ。
今日は、何日だったっけ。ああもう、それすら思い出せないわ。11日?コムイの誕生日は13日よね。
病院に行って、それから少し寝て……リナリーが着く頃には起きてコムイに電話しておかないといけないわよね。それから報告書を作って、なるべく早く教団に帰って、ジェリーちゃんの美味しい手料理お腹いっぱい食べて―――、それから、それから………
「 ……取り敢えずは、病院よね。」
流れ落ちる血と雨は、随分と私を痛めつけてくれる。




。」
「 ……なに?」
転寝をしていたのか、ユウが私の顔の前で手をヒラヒラさせている。
着いたと云われ何がと思ったけれど、窓の外を見て合点がいった。とても懐かしい景色だわ。たった2週間しか経っていないのに。
2週間、そう2週間。たった2週間の、というかたった2日の出来事だったのよね。あれもこれも。
傷はこんなにも尾を引くというのに、時間とはなんとも非情なものね。
2週間と云えば、リーバーは元気にしているかしら。
あんな電話別れしたままだけれど。
逢いたい気持ち半分、逢えない気持ち半分、てところね。きっとユウは無理矢理にでも逢わそうとするんでしょうけど。
リーバー……
私にリーバーがつり合わないんじゃなくて、リーバーに私がつり合わないのよ。
私は、ヒトを好きになってはいけなかったの、そんな感情を持ってはいけなかったのに。
幾ら仕事とは云え私はヒトを、殺めた。その事実は決して消えない。寧ろこれからも増えていく。
こんな汚れきった手で、リーバーに甘えられる筈が無い。
私は、私は
ヒトを殺めたのだから。

私は、存在していて良いのだろうか。






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