紫陽花の向こう側





鼻をくすぐるのは自然の匂いだけ。

「 一雨きそうだな。」
此処はエクソシスト総本部『黒の教団』が所有する森の中。
何時もの様に修練を終えた俺は、朝食を済ませる為に教団内部へと足を運ぶ。
足の裏に、朝露の冷たさを感じながら。

「 ――?緑茶の香り……?」
微かにその香りが鼻をくすぐった。
まさか。
教団内で緑茶を好んで飲むといえば、俺とアイツくらい。
しかしこの時間だ。アイツは多分未だ寝ている。十中八九な。
否、そもそもこの2,3日、アイツの姿を見かけていないから任務にでも出てるんだろう。

 ポツッ
「 チッ、もうきやがったか。」  
右肩に一滴、落ちたソレを睨んで。若干歩調を速め、教団入り口の屋根の下に入り込んだ次の瞬間。
 ザアアァァァァ―――
後ろから、上から、豪快な雨音が鳴り出した。
何時の間にか鼻をくすぐっていた緑茶の香りも掻き消されていて。


「 ユーウ〜!」
ノシッ。
着替えを済まし朝食をとるため食堂へ向かっていると、突然後ろからの圧力と共に間の抜けた声が。
「 ……重い……。」
相手にするのも面倒臭い。構わずそのまま歩みを進める。
「 冷たー!ヒドイさ、ユウ。久しぶりに逢えたっていうのに。旧友に対する熱烈歓迎っていう考えはないんか!?」
全く、と云いながら俺の背中から降りて文句を並べ立てる。
「 なら歓迎してやるよ。久しぶりに遭えて感激だな。あと、ファーストネームで呼ぶなって何度言えば分かるんだよ。」
振り向き、首に右手を押し当て上へと力を加える。
「 ぐっ……ユ、ユウ……ジョーダン、さ……。」
「 まだ言うか。」
両手で俺の右手を引き剥がそうとする。

「 フンッ。相変わらずの軽いノリだな。」
そう吐き捨て、俺は亦歩みを進めた。
「 ゲホッ 神田こゴホゴホッ こそ、相変わらずのノリの悪さじゃん。」
むせながら、オレンジの頭をした男が俺の左横に並び歩く。
頬を膨らませているようだ。
「 お前に構ってる暇など無い。」
本当に。少し苛苛してきた。
「 神田……ユウちゃんがそんな薄情者だったとは思わんかったさ。」
はぁぁ、と隣のオレンジは盛大に溜め息を吐いた。
五月蠅い、溜め息を吐きたいのはこっちだ。

「 ラビ……貴様、そもそもこんな所で何してんだ?」
ふと、疑問に思った事を口に出した。
瞬間。
「 神田!!やぁ〜っぱり気になってるんさね?それでこそ俺の神田さぁ!」
ゴン。
横から思い切り飛びつかれ、バランスを失った俺はそのまま窓ガラスに頭をぶつけた。
「 ――ラビ。
 そのまま動くな、今すぐ刀のサビにしてやる。なに、苦痛など感じる暇は与えてやらんから安心しろ。」
六幻に手を掛けた。
「 ギャ―――!!すす、すまん、悪かったさ――!!!」
「 テメッ、逃げんじゃねぇっ!!」


クソッ、腹が立つ。何考えてやがる、ラビの奴……。猛ダッシュで逃げやがって。次にあったらブチノメス。
全く……それにしてもアイツ、何の用でこんな所に来たんだ?
ブックマンの仕事はどうし――――
……なんで俺がラビの心配なんかしてんだ。阿呆くさ。
さっさと飯でも喰って修練の続き―――……

「 ……は?」
自分でも、酷く間の抜けた声を出したもんだと思った。
何気なく見た窓の外。
紫陽花が一面に咲いていて、雨が降っている事によってより一層綺麗に咲き誇っていて。
その紫陽花の群れの向こう側には、ジェリーがやってる食堂があって。
普段ならジェリーと調理担当者が居るだけの筈の厨房に、見慣れた顔が、ある。
「 なに……やってんだ、アイツ……。」
チョコマカとハムスターの様にせわしく動いて。
でもその姿が妙に可愛くて、一歩も動けなかった。

「 神田?なにしてるんですか?」
不意に、後ろから声を掛けられた。
一瞬、心臓が止まりそうだった事を悟られない様、ゆっくりと振り返る。
「 ?」
頭の上にクエスチョンマークを飛ばしながら微笑んでいる。
モヤシだ。
「 なんでもねぇよ。」
タイミングの良い奴。
もう少し窓の外を見て居たかったが、再び食堂へと向かい歩き出す。
「 なんでもって……あ、もしかしてアジサイに見惚れてた、とかですか?」
後ろから声が続いているが、無視だ。いちいち相手なんかしてられるか。
「 綺麗ですよね。」
横から声がした。コイツも忙しい奴だな。

「 ……神田、眉間に皺、寄ってま――」
「 うるせぇ。」
自分の眉間を右手でトントンと軽く叩きながら云うモヤシの言葉を遮った。
どいつもこいつも、放っておけ。
「 ……いつもなら、如何でも良いんですけどね。今日くらい、もっと楽しそうな顔したらどうですか?」
「 関係ねぇだろ、今日だろうが、いつだろうが。」
云っている意味が判んねぇ。
「 神田……もしかして、今日が何の日か覚えて無いんですか?」
モヤシが急に俺の腕を掴んで制止させた。
「 は?今日が何の日か、だと?別にいつもと変わんねぇ平日だろうが。」
そう云ったら、モヤシは呆然として。
「 ――いや、確かにそうなんですけど。違いますよ。」
行き成り力説しやがりだした。面倒臭ぇ。
「 じゃあなんなんだよ。」
面倒臭ぇ。好い加減、腹も減ってきたし。
なのになんで俺は、律儀に相手してんだか。

「 今日は誕生日じゃないですか、神田の。」
掴んでいた腕をゆっくりと下ろしながら。
「 誕生日、おめでとうございます。神田。」
にっこりと微笑んで、ゆっくりとそう云った。

ああ、そう云えば。
今日は6月6日、俺の誕生日か。
ならラビも、その事で俺の元に来た、のか?

「 神田?」
眼の前でモヤシが手をヒラヒラさせている。
ああ、そうだったのか。
「 ッフン、知った事か。」
俺はモヤシの腕を退かせ、食堂へと向かった。
口元が心なしか緩んでいるのは、きっと気のせいだ。    






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