レイチェル――愛しのレイラ――
「……セージ………?」
何処か幼さの残る少女が、眠たそうに右目を擦りながらそう口を開く。
「あ……起きた?その――右腕は、大丈夫?」
少し、ギクシャクした感じで、青年は少女の許に歩み寄る。
「……アクタ、セージは?」
少女は青年に向かって問う。
どうやら青年は"アクタ"と呼ばれており、もう一人の黒髪の綺麗な青年は"セージ"と呼ばれているようだ。
「レイラ……その――セージは、水を、汲みに行ったんだ。
もう少ししたら、すぐに帰ってくるよ。」
にっこりと優しく笑いながら、少女と目線を合わす様座り込む。
つい先程の事だ。
姫―レイラ―と呼ばれる少女の傷口を清潔に保つ為に、黒髪の綺麗な青年・セージは近くに流れる川に水を汲みに行ったところであった。
「そっか……。」
ふっ、と息を吐き、目蓋を軽く閉じる。
「………。」
どちらからとなく、無言になる。
重苦しい雰囲気だけが無情にも其処にこだまする。
風はさらさらと優しく吹き流れ、空はその深紅に染まった躯を闇へと横たえる。
会話のきっかけを探すように、アクタはちらちらとレイラの顔を見る。
が、当のレイラはと云うと、心此処に在らず・といった感じで、伏せ目がちにぼうっと遠くを見つめている。
なんだか居心地が悪く感じ、煙草を――と胸元に手を入れたが、レイラが煙草を嫌っている事を思い出し、目的を失い空を刈った右手をどうしようかと考える。
「ごめんね。」
静まり返ったこの空気を先に破ったのは、レイラの謝罪だった。
「え?……やー……なんで――謝んの?」
何故。自分が謝罪されるのか、全く見当のつかないアクタは、意表をつかれたと云わんばかりの声で返してしまった。
我ながら、なんだかなさけないと思いつつ。
「だって、さ。」
はぁっ、と大きく息を吐き、両足を前に投げ出しレイラは体を崩す。
「私……なんにも出来ないくせにさ、こう……亦こうやって………。」
あはは、と苦笑いをこぼしながら言葉を濁す。
「勝手にでしゃばって、一人で……莫迦みたくケガして――。」
自分の左手で、軽く処置を施された右腕をさする。
「後の処理はいつも二人に任せっきりで……。今回も、手当てしてもらっちゃってさ。」
申し訳ないといった感じで、苦笑しながら髪をかきあげる。
「いつも、迷惑かけてる。ごめん。」
真っ直ぐに、レイラはアクタを見据える。
絶句した。
何故この子は、こんなにも素直に謝る事ができるのか。何故、こんなにも簡単に己の非を認める事が出来るのか。
誰かに追い詰められないと自分とも、自分の非とも向き合わず、謝る事をしない俺。
俺と彼女はどうしてこうも違うのか。どこが違うのか。
「――アクタ?」
目を少し見開き、黙りこくっているアクタを不思議に思い、レイラが声を掛ける。
「あ……や……」
「レイラが後先考えずに行動するのなんか、今に始まった事じゃないだろ?」
何処からともなく声が降りそそぐ。
「セージ!?」
ガサガサと草をへし折る音が少しずつ此方へと近づいてくる。
レイラはその音のする方へと顔を向け、声の持ち主であろう人の名前を叫ぶ。
「やーーっとお目覚めか?オ姫サマ。」
上から声が降ってくる。聞きなれたあの声が。
「お前は……どっから現れんだよ。」
「違う、私は姫じゃない!私が姫だったらアクタは王子でセージは騎士様だよ!」
片や呆れ、片や怒気を含みつつ、声の主・セージへと声を掛ける。
「いやー、ちょーっと帰り道に迷ってな。此処の林、矢鱈と入り組んでるもんでさぁ。
ま!無事にこうして帰ってきたんだから、登場の仕方にまで突っ込むなって。」
ははは、と笑いながらレイラの言葉を軽く流す。
「……なんでも良い、さっさと下りて来い。」
アクタが投げ遣り気味に吐き捨てる。
『下りて来い』
この言葉が意図するように、セージはアクタ達よりも少しばかり高い場所に居る。
レイラがもたれ掛かっていた、岩肌がむき出しになっている崖の様な感じになっている所だ。
崖の様な、と云っても高さは3mにも満たない。下りようと思えば飛び下りられる高さである。
「いやだ、アクタちゃん。なんだかご機嫌ナナメ?」
クックッ、と笑いながら、セージは足を進めアクタ達の許へと降りる。
「気持ち悪い話し方するな。トリハダが立つ。」
肩をすくめ、両手で両腕をさする。"寒い"と云いたいらしい。
「はっはっはっ!」
セージは笑って誤魔化す。
そのまま、レイラの側へ行き、軽く処置を施した右腕を掴み、結んでいたハンケチをほどく。先程汲んできた水で傷口を洗い流す為だ。
「"こういう事"も、今に始まった訳じゃないだろ?
それをすぐに直すのが難しいからって、謝る必要は無い。
俺も其処に突っ立ってる強面の……王子か?王子様も、別に迷惑だなんて思ってないからな。微塵も。」
傷口を水で洗い流し、再びハンケチを巻きつける動作と同様、ハキハキと言葉を並べていく。
アクタは唯黙って、小さく頷く。
「でも……。」
「でもじゃない。
こんな事でお前が変に気にする事の方が、云ってしまえば迷惑だ。
何をうじうじ悩んでいるのか知らんが、そんな事気にするな。」
「ギャーーーーーーーーーッッ!!!!」
ギチギチとハンケチをきつく縛る。当然、レイラはその痛みに声をもらす。絹を引き裂く様な声とは程遠い声を。
目にはうっすらと涙をためて。
「身体の傷はいつか必ず治る。
あのな、俺達は好きでお前の傍に居るんだよ。同情とかそんな感情じゃない。
厭になれば、お前が幾ら引き止めたって自然と離れていくさ。判ったか?」
「わかっ……判ったから傷口の真上で団子結びするのだけは勘弁して下さい!!
もう変な事云わないし、思わないから!あと、お前って云うなーー!!」
一人、アクタは目を細めて笑った。