「 北見先生、明後日のオペの件でお聞きしたい事があるのですが今お時間宜しいですか?」
「 ……なんだ?」
「 はい、この――」
「 もー、テル先生ってば駄目過ぎー!」
「 全く、キミはいつまで経っても優柔不断だね。それじゃ綾乃さんがかわいそうだ。」
「 ガーッ!!うっせーよ四宮!それに水島先生も!!」
「 ―――この事なのですが。」
日勤の就業時間が終わり、私は外科部長であり指導医でもある北見先生に明後日のオペの最後の詰め確認をする為にお伺いを立てた。
同じ部屋で大声を上げているのは先輩医師方。一人の医師、真東先生が矢面に立たされているご様子。
別に、就業時間を終えたのだから私語があっても良いと思うけど、大声なのはどうなのよ。私一応未だ、大切な仕事の話を隣でしている訳ですし、私と対話をして下さっている方はそういったプライベートな話題がお好きでは無いようですし。
ほら、私の質問に丁寧に答えて下さりながらも、眉間の皺は少しずつ深くなってますよ?休火山が活火山になるのもこのままだと時間の問題だと思われますよ?

「 ―――というので良いだろう。」
「 成程、有難う御座いました。これで」
「 だーからもう放っといてくれってば!!」
ゴン。
そんな硬くて重たい音が、私の後頭部から上がった。
「 ……っこれで心置きなく集中出来ると思います。」
鋭い痛みが走ったかと思うと、後から後からジンジンと鈍い痛みが産み出されている。
目から火が出るかと思う程の衝撃の犯人は
「 だああっ!?ごめんさん!!本っっ当にごめん、大丈夫!?」
私の両肩をがっしりと掴んで強引に正面を向かせ、真正面から謝ってきている。眉根を寄せて、慌てた様子で。
「 本当にキミはそそっかしいな。大丈夫かい先生?」
「 テル先生、ノートパソコンで殴るなんて酷い……。」
「 水島先生、殴りつけたんじゃないから。」
「 皆がしつこいからノートパソコンがすっぽ抜けたんだよ!」
「 なんだよその物言いは。ボクらのせいだとでも云うのか?」
「 そーだよっ!」
それを囃し立てる周りの先生方に、律儀にも反応する真東先生は好い加減学習するべきだと思います。そして囃し立てる先生方も、面白いからとからかっているとそろそろ雷が落ちると思うのですが良いのですか?
「 好い加減にしろテル!四宮達もだ!」
ガン、という重い音が今度は真東先生の頭頂部から上がり、同時に雷が一本落とされた。だから云わんこっちゃ無い。
苦笑いと溜め息の交錯する雰囲気も、そろそろ慣れてきたけれど。4ヶ月前の桜の季節に初めて見た時は凄く吃驚したな。私が怒られてる訳じゃないのに涙出そうな位怖かったし。まぁ、今でも充分怖いですけどね。
殴られた箇所を押さえながら涙目でごめんと謝られる真東先生は、どうしようもない程憐れに見えてしまう。真東先生だけが悪い訳では無いのに……切ないです、真東先生。
「 大丈夫です。」
鈍い痛みが生まれいずる部分を恐る恐る確かめながらそう云うと、もう一度ごめんと返された。
うん、正直そんな言葉よりも外科医であるのならば氷かなにか冷やす物を戴けませんか真東先生(・・)
それでも、そう云い出せないのは私の性格なのかそれとも赴任して間もない新米医師という弱い立場だからなのか。はたまたそのどちらともなのか。後でアイシングしておこう。こぶが出来たら泣いてしまいそうだ。

「 大丈夫か?」
「 きっ、北見先生?あの――――!?」
「 診せてみろ。」
アイシングする為に一人冷凍庫を漁っていると急に上から声が降ってきた。
痛みで放心していたのか油断していたのか、吃驚して振り返ると真後ろに北見先生が白衣を着たまま陣取られていて、余計吃驚して声が若干裏返ってしまった。今日って北見先生、当直じゃ無かったよね?
傷具合を確かめる為に置かれたであろう北見先生の左手が肩に触れて、思わず身体が強張ってしまい。これはきっと北見先生と真東先生のやり取りを目の当たりにしてきた事による条件反射だ。
だから北見先生。
私が思わずびくついてしまったからといって思いきり不機嫌そうに眉間に皺を寄せないで下さいませんか。恐怖以外のなにものでもありません。
「 あ、の……大丈夫ですから……。」
「 診せてみろ。」
「 ―――――――――お願い致します。」
恐る恐る見上げた先にはブリザード吹き荒いでいました。お母さん、これは私が悪いのですか?私が何かしましたか?
未だに北見先生の怜悧な眼差しは、オペ中以外では慣れません。
「 座って。」
「 はい。」
仰せの儘に、閣下  と口を吐きそうだった。
背を向けて椅子に座ると、すぐに北見先生の手が私の髪に触れた。
細くて長くて綺麗で、それでも相当だと触れると直ぐに判る一流メッサーの指が、優しく私の後頭部を診察している。

そんな無言不思議ワールドが恐ろしく長く感じられた。
時間にしてみればほんの1分程だったのだろうけど、私には5時間程にも感じられた。人体って不思議だね。
君は―――」
「 はい!?」
後頭部が北見先生の繊細な手の温もりとは違うひやりとした感覚に襲われたと思った次の瞬間、ぽつりと私の名を呼ばれた。
不意打ち過ぎる、亦身体が要らぬ反応を起こしてしまったではないですか。北見先生に至っては、さぞかし不愉快極まりないと云うお顔をしていらっしゃるのでしょうね。申し訳御座いません、悪意は微塵も無いのですが、人間恐怖にはそうそう敵いっこありません。
こんな背中を向けた無防備丸出しも良い体勢で密室に北見先生と2人きりというのは、いささか恐怖で満ち満ちております嗚呼文法が可笑しくなってるわ。
「 ああいう会話には参加しないのか?」
お母さん。質問の意図がまるっきり見えません。これはなんという誘導尋問ですか。否、抜け出す事は不可能な拷問ですか?
ああいう会話というのはつまり。
「 先程の、真東先生方の、ですか?」
「 ああ。」
センセー、質問の意図が判りませーん。
いつもはそんな会話してないで仕事しろ無駄口叩いてる暇があるなら練習しろと雷とブリザードを巻き起こしていらっしゃるのは何処の何方ですか。
と、そう云えればどれ程良いか。
「 北見先生はああいう会話がお好き、なのですか?」
なんて、判りきった事を聞いてしまう自分が怖い。返事は勿論の如くノーだ。
「 いや、俺は好きじゃない。」
「 ですよね。」
それならば、何故。
この続く無言は怒りですかなんですか、私に何を云えと仰るのですか北見先生様。好い加減もう私を解放して頂けませんか。そしていつまでアイシングして下さるのですかこれ位自分で出来ますわお願いしますから代って下さいませ。
「 しかし、その、君くらいの年頃の女性はそういうのが好きなんじゃないのか?」
そういうのとはつまり、恋愛であって色恋沙汰であって、誰が誰を好きだとかそういった会話をさしていらっしゃるのですよね。
確かに、そうですよ。女性は年齢に関係無く何故かそういったスイタハレタの話題がスイーツと同等に大好物でございますよ。
ですが何故今このタイミングでそれですか。考えれば考える程北見先生様のお考えが読めません。
でも。
「 私もそういった類のものは好きではありませんので。」
ご期待に沿えず非常に申し訳ありませんが、私の興味の範疇外なのですよね。
「 ……そう、なのか?」
「 はい。」
「 何故……。」
「 何故と、申されましても……。」
どれだけシュールな状況なんだこれは。
しかも今の北見先生の"何故"、明らかにいつもとトーンが違ってませんか。ついつい口からぽろっとこぼれてしまったといった雰囲気満々じゃありませんか。
一体全体、如何されたのですか北見先生。

「 ……元々そういった話は好きではありませんでしたし、それに今の私にはそんな余裕もありません。」
大学出てからの方が日々勉強勉強で、本当に。
そんな時間があるのなら少しでも技術を、少しでも知識を。その方がよっぽど有益だ。ずっとずっと、そうしてきたように。
大人になるにつれて、頓にそう感じ考えるようになった節はあるけれど、根本は幼い頃から変わっていないと思う。
それに、
君は、恋人は居るのか?」
「 ――――え?」
いつまでも、幼いままでは居られない。
そう考えていると不意にこの質問。思わず聞き返してしまったのは致し方無いですよね。本当に、如何されたのですか北見先生様。
働き詰めで熱でもおありになられるのではないですか。
後頭部には、未だひんやりとした感覚。
それが余計に私を尖らせるようだ。
「 いつまでも、夢見る少女じゃ居られませんよ北見先生。今は仕事で手一杯です。」
そう、自嘲気味に口を動かしたら何故だか笑えた。
アイシングを続ける北見先生は、唯そうかと一言呟いただけでそれ以上何も聞いてこられなかった。

というかこれ、いつまでこの状態キープし続けるんですか!?
早くおうちに帰りたいよママン!!



夢見る少女じゃいられない