「 もう少し、居てくれたって良いじゃない。」
霧雨の降る夜の路地裏。
「 悪ィな、居たいのは山々なんだが、ちぃーっとばかしやんなきゃなんねぇ事があってよ。」
月は薄い雲に覆われ、柔らかな光を消している。
「 そんな事云って他の女性のとこに行くんでしょ。」
「 ははは、かもな。」
霧の雨が降り注ぐ夜の路地裏で、一組の男女が抱き合っている。
短い沈黙。
「 ンなわけねーだろ。」
ふと口をついた軽いジョークを打ち消し、悟浄はを強く抱き寄せる。
月は薄い雲に覆われその姿を隠している。
「 別にどうでも良いけど。」
謳うように呟いた言葉は必死の強がり。女性慣れしている悟浄への、せめてもの抗い。
本心はといえば、今にも泣き出しそうな程の不安が止め処無く押し寄せ、それに潰されてしまいそうになっている。
けれどそれを、それを素直に伝えてしまうのは、少し釈然としない。そんな葛藤が、可愛くない自分を創り出してしまう。
「 。」
名を呼ばれ、力を籠められれば心も体もどきりとする。
心臓は飛び跳ね、顔は名を呼ばれた事への緊張かそれとも可愛げの無い意地を張った事からの恥ずかしさからか、自然紅く染まった。
「 なによ。」
こんなに密着していれば、心臓の鼓動なんて伝わってしまっているだろうけれど、それでもとクールな装いをしてしまう。
そんなの心の中をも見抜いているのか、悟浄の口は嬉しそうに弛んでいる。の躯を抱き寄せる腕に、力が入るのも自然の流れだろう。愛しい人を抱きしめるのに、理由など要るだろうか?
「 すぐに戻ってくるからよ。」
「 ……どうだか。」
「 借りは返す主義だぜ、俺。」
そう云って、の額にひとつ口付けを落とす。
ぼすりと顔を悟浄の胸に埋め、口の中でもう返してもらったと殺しながら、背中に回した腕に強く強く力を籠める。
「 待てない。待ってられなくて、他の人に走ったら?」
自分でも卑怯で情けない事を云っているのだと、痛い程に判っている。けれど、不安に押し潰されそうで我慢出来ずに口に出してしまった。
なんでも良い、例え嘘でも良いから、信じて待っていられる確証が欲しかった。今この手を離してしまえばもう二度と触れる事が叶わなくなってしまうと、心の隙間に生まれいずる感情を、例え偽りの言葉であろうとも排斥できる言葉が欲しいのだ。
そう思うのは、霧の雨が降り注ぐせいだろうか。
「 ぶぁーか。俺の事そんなカンタンに忘れられんのかよ?」
「 でも―――」
「 良い女が泣くのは卑怯だぜ。」
強引に躯を引き剥がされて上を向かされたかと思うと、それ以上喋る事は出来なくなった。
長い口付けのあと、の髪を撫で悟浄は伝える。
「 夜になればいつでも逢えんよ。」
「 ……どうやって、よ。」
「 夜になればカラダが俺の事思い出すだろ?」
「 バカ。」
「 そう、良い女は笑ってるもんだ。」
零れ落ちた涙を指先で拭い取り、悟浄は微笑む。
その手を掴みふと影を落とすには、もう少し、もう少しなにかが足りないようで。
「 疼いた躯は誰が満たしてくれるのよ。」
柄にも無く、心根そのまま呟いた。
刹那、の躯が揺れる。
霧雨に濡れた悟浄の胸に、頬が当たる。其処は少しひんやりとして、水滴が肌に吸い付いた。
「 ごじょ――」
「 そういう事云うなよ。俺だって我慢してンだからよ。」
辛いのは俺も同じだ。そう、云っているように聞こえたのは悟浄の抱き締める腕が震えているからか、声がそうだからかなのか。
その一言を聞いて、入っていた力がふっと抜けて消えてゆくのが判った。
ああ、そうなのだと。不安なのは、私だけでは無いのだと。
「 旅先には女性だって居るんでしょ?」
こう問い質すのは、少しの意地悪。
嬉しくて、嬉しくて、押し寄せていた不安も姿を消していて。
躯に降りかかる霧の雨も気にならない程満ち足りてしまって仕方が無いから。私を惚れさせたお返しだと、意地悪をしたくなる。
「 満足出来るかよ、以外で。」
「 あら、夜になればいつだって逢えるんでしょ?違うの?」
「 うるせぇ、夢で逢えたって本能は満たされねぇよ。」
「 すけべえ。」
「 そのスケベエに惚れたのは誰だよ。」
「 そのすけべえに惚れた奴に惚れたのは誰よ。」
「 ――――沙悟浄様だ。」
見詰め合って、霧の雨の中、それをも気にせず口付ける。
深く長い口付けの後、もう一度抱きしめ合って、悟浄はの額に唇を寄せた。
「 毎晩出てやるからな。他の男の事なんか考える余裕も与えねぇくらい。」
「 楽しみにしてる。」
「 んで、すぐ帰ってくっから。」
「 ……信じてる。」
空を覆っていた薄い雲はいつの間にか消え、月は柔らかい光を落としている。
夢で逢えるから