魔王の住む城。
そう喩えられる事もしばしばあったりする、京の山奥の質素な小屋。
其処には新進陶芸家の新津覚之進が一人で何年も前から住んでいた。
「 んん、……。」
珍しくそう甘えた声を出すのは、新津覚之進こと比古清十郎。この小屋の主である。
「 はいはい。」
楽しそうに返す女性は比古の恋人の。ちょこんと、大きな比古の膝の上に背中を預け座っている。
なにかの間違いではないのか、と云いたくなる光景が広がっているが、此処は間違いなく比古の居城である。
普段はむすりとして威厳のある顔をしている比古。愛しい恋人が遠路遥々やって来ようがそれは変わらず、俺が世界だ俺様がルールだと尊大な態度をとっている。そんな比古に多少の苛立ちを覚えていたではあったが、それこそが比古清十郎なのだからと自分に云い聞かせていた。
だがそれでも心の何処かで、少し位私に弱いところを見せてくれても、私に甘えてくれても良いのにと思っていたりもした。
いつもいつも自分の弱いところばかり曝け出させ愚痴を云わせ甘えさせてくれる比古に、例えば同じ程の事は出来ないにしろ少し位は……と思っていた折、運良くなのかは仕事の関係で大量の日本酒を入手していた。
比古は腕っ節も強ければ酒にも強い。ザルと云えば良いのか蟒蛇と云えば良いのか。兎も角、大のつく程の酒豪である。
何時も一緒に飲んでいても先に潰れるのはで、比古がしこたま飲んだ後にが飲み出してもやはり先に潰れるのはで。それでもが特別酒に弱いのではなく、どちらかと云えばも酒には強い方である。にも係わらず何時も何時も先に自分が潰れてしまい、それも少し悔しかった。
話を戻すと、仕事の関係で手に入れた酒の中に、どんな酒豪であろうとコレを半分飲めば潰れてしまう、と声高に謳われている代物、その名も『大吟醸 魔王』があった。
その酒を見た時に、この計画は練られ発動されたのだった。
一度位、酔った清十郎を見てみたい。
そんなほのかな、の大それた願い。
それが今、トントン拍子で躓く事無く進められていた。
「 ……。」
甘えた声で名を呼び、その小さな身体をすっぽりと包み込んでいる。
比古は、相当に酔っているようである。
「 ふふ。」
比古にきゅっと包まれているは、至極嬉しそうに微笑み上機嫌だ。
休日に大量の酒を持って乗り込んだは、朝だというのも問わず取り敢えず酒を飲もうと比古に持ちかけた。
酒好きの比古がそれを断る理由も無く、二つ返事で快く了解し2人だけの酒盛りが始まった。
飲めや呑めやと何時もの調子で酒を勧める自身は、飲むフリをするだけで殆ど飲んでおらず、それでもと比古にばれまいと酔った演技もしていた。
宴もタケナワ、そんな頃合を見計らいは例の酒を比古へと勧める。当然比古はそれをなんの疑いも持たず、飲んだ。
飲み始めて暫くして、比古に小さな変化が生まれる。何時もは鋭いその眼光が、力なく鈍りとろりとしだしたのだ。それを見逃さずしっかりと見ていたはもう少しと比古に酌をする。
そうなれば後はもう時間の問題で。
酒を注いだ手を不意に握られ、何事かと顔を見上げてみれば身体を引き寄せられた。おお、これはと思うのも束の間、は比古の膝の上に座らされていた。
実に、の計算通りというやつだろう。
子供のように甘えてくる比古にくすぐったさを覚えつつも、は勝利の美酒に酔いしれている。
酔っている。清十郎は酔っている。
「 清十郎。」
こう、名を呼べば。
「 ……。」
甘えた声が返され、抱きすくめる腕に若干の力が篭る。
そんな何時もとは異なる、望みに望んだ状況にの心は舞い上がっている。
「 清十郎、好きよ。」
ふと振り返り目を見つめてはにかむ。
何時もは好きだのなんだのと言葉をくれはしない。けれど今ならばもらえるのでは。
「 ああ、俺もだ。」
そう思って云ってみた。
けれど返されたのはこの言葉で、少し物足りない。もう少しモーションをかければ云ってもらえるのでは無いか、そう思い言葉を発しようと口を開くと瞬時に何かで塞がれた。
と、口の中に何かが侵入してくる。
「 ―――っっ!」
必死にそれを喰い止めようとしても上から上から攻められて。
ごくん。
気付けばそれを受け入れさせられてしまった。
「 せ……いゅ………」
目の前では、不敵に笑う男が居る。の口は呂律が廻っていない。
それは比古による深い口付けのせいではなく。
「 俺を出し抜こうなんざ、10万年早ぇんだよ。」
口移しで飲まされた、どんな酒豪でも半分飲めば潰れてしまうと謳われている大吟醸魔王のせいだと気付くのは、比古に押し倒されてからで。
「 良い夢は見れたか?」
「 な……んれ……。」
惚とした口と頭とでは、如何抗いてみたところで勝ち目など無い、訳で。
「 俺は酒ぐれぇじゃ酔わねぇよ、残念だったな。
で、今度はが俺を愉しませてくれるんだろう?俺を極上に導けよ。」
京の山奥に住む魔王には、どんな魔王も勝てないのだと、夢は泡沫なのだと悟るのだった。
夢見心地