イノセンス保護の為に訪れた、少し大きめの町。 アクマを破壊した日は素面で居たくない私は今回のパートナーを連れてパブのドアを開けた。 これはもう、ほぼ日課と言っても良い行動。 厭な事も何もかもを忘れさせてくれる喧騒が心地良い。 カウンターへと歩く私の目を惹いたのは、上物のお酒でも度数の高いお酒でも無く、私達よりも黒く光るもの。 |
Stinger
「 あら、ピアノがあるのね、珍しい。」 「 本当だ。」 酔った男がその誰よりも黒く美しく光る大きなカラダにぶつかり、ジャーンと耳障りな声で鳴いた。 賑わう喧騒の中、耳聡くそれを捕まえる今回のパートナーは柔らかく頬を、ゆるめる。 何もかもを忘れさせてくれる喧騒の中で、唯ひとつ私を苛ませる、――黒。 弾きたそうに、慈しむ優しい眼差し。 慈愛に満ちた貴方が何故闘う必要があるのか。笑えない冗談のようね。 「 ……何か、弾いてみせてよ。」 「 え?」 「 元ピアニスト、なのでしょ?」 「 ……だが、」 言いよどむ彼の背を押すように、私は滑らかに口を動かす。 「 少しの余裕を持つ事すら赦さない神様は、なんて心が狭い事か。」 口を閉じる彼は困ったように笑い、くすりと、眉を顰める。 「 ……わかった。」 人を器用に避けピアノへと向かう彼の後を追う私は、パブのマスターにアルコールをオーダーするのを忘れている。 そして誰かに向けて、こう呟く。 「 尤も、今はその指先でアクマを破壊しているのだけれど。」 静かに椅子に座った彼は私の方を見ると、唯優しく、哀しげに微笑んで、そっと白と黒の鍵盤に指を滑らす。 わかってる。 解ってるわ、貴方のせいでは無いと。だから今の言葉は、貴方に向けたものでは無い。 だけど仕方無いじゃない。アクマを破壊した日は素面じゃ居られないの。 文句の一つや二つや億千万、出たって仕方無いでしょう?それ位、神様なら目を瞑って赦すべきよ。 瞑りたくも無い目を瞑っている、彼のようにね。 「 ――見事なものね。」 チャン、と弾き終えた彼の隣に立ち、繊細なメロディーを作り出した指先に触れ、ポーンと白い鍵盤を押す。 私の顔を見上げる彼は、照れた様に笑い、そっと指を引っ込める。 メロディーを奏で、アクマを壊すその指を。 「 ありがとう。だが、少し気恥ずかしいな。」 「 視力を失って尚弾けるなんて……」 今はもう、壊す事にほぼ従事しているその指で。 神様という名の操り糸を絡められたその指で。 したくも無い破壊活動に弄ばれる、その細い指で。 笑えない冗談でしかないわ。 「 身体が、指が覚えているんだな。……ピアノなんて、何年ぶりに弾いただろう。」 自分の指先を見つめるその目に、力が無いなんて。 神様は如何してこうも底意地が悪いのかしら。必要なものを取り上げ、不必要なものを押し付ける。 自分の後始末は自分でしなさいよ。盤上で駒を動かすだけでなく、その綺麗な手を紅く黒く染めなさいよ。 「 ……五感のうち、どれか一つかそれ以上を失うと他の感覚が常人よりも発達すると言われているけれど、」 「 わたしの場合は、聴力、だな。」 ヘッドフォンを指先で叩くその笑顔が痛々しくて、目障りなのよ。 厭な事も何もかもを忘れにパブに来たと言うのに、これじゃあ意味が、無いじゃない。 だから嫌いなのよ、黒は。 私を其処に留め、縛りつけ、従わせようとするから。 私を、押し潰そうと迫ってくるから。 「 …………皮肉なものね。」 「 ……そうか……?」 力無くポロンと鳴くピアノが、煩く私の胸を締め付ける。 泣きながら、腕が動かなくなるまで鍵盤を叩いていたのはもう遙か昔、なのに。昨日の事の様に思い出される。 如何してこう、タイミングが良いのかしら。笑えるわね。 「 それを戦争に利用されるなんて。 ま、ナントカと戦争に於いてはあらゆるものがナントヤラと言うけれど。」 「 ……そうだな。」 苦笑する彼が、隣に居なければ良かったのに。 今も世界の何処かで仕合わせそうにピアノを弾いていてくれれば良かったのに。 そうすればきっと、救われたのよ。 ――――私が?誰が? 面白くも無い冗談ね。馬鹿らしい。 椅子に座った儘の彼に背を向け、私はカウンターへと歩きオーダーをする。とびきり度数の高いお酒を。 アクマを破壊した日は素面で居たくないの、居られないの、素面じゃ耐え切れないのよ。 ジンを手酌する私からグラスを奪う彼は唯優しく微笑んで、身体に障ると窘める。 けれどそんなもの、今更過ぎるわ。 こんなオイルと瘴気塗れのボロボロの身体、何時壊れたって構わないもの。 もう聴きたいものも、観たいものも、触れたいものも何も無いのよ。 いいえ、私の世界なんて、初めから何処にも存在しなかったの。 笑っちゃうわね。 「 ――、ねえ。戦争が終わったら、私の為にピアノを弾いてよ。」 「 え?」 戦争中に先の事を考えるなんてバカも良いところだけれど、きっと貴方はこうでも言わないと、 二度とピアノに触れないでしょう? 「 盲目のピアニスト・戦場より帰還なんて、話題性充分じゃない。注目度は高いわ。」 「 ……それは」 破壊した指先で人の心を動かすメロディーなど作れないと、自分にはその資格が無いのだと。 貴方は義と理を通す人だから。 「 世界中を巡ってガッポリ稼ぐわよ。」 「 ……。」 勿体無いのよ、私は無駄が嫌いなだけ。他意なんて無いわ。だからそうよ、馬鹿にしたように笑いなさい。 貴方が痛ましい顔をするなんて10年早いのよ。 「 なによ。私の懐を潤す為に弾きなさい。マネジメント他雑務は仕方無いから私がしてあげるわ。」 「 そうだな、考えておこう。」 「 ピアノを弾くしか能が無い貴方は黙って弾いていれば良いのよ。考える必要なんて無いわ。 私の為に弾けば良いだけよ。」 何も考えず、唯楽しく弾けば良いのよ。 破壊するしかない指先なんて要らないでしょ?創り出してこそ人間よ。 たとえ哀しいメロディーでも、オイルに塗れた動きの鈍い指でも、破壊した指でも。 私は誰より貴方のピアノが好きなの。 貴方が居てくれたから、私は私を保てたの。 だから貴方を誰にも与えやしない。 アクマにだって、千年伯爵にだって、黒の教団にだって、神様、貴方にだって。 私は救うのよ、私を、私の為に。 誰にも邪魔なんてさせない。 ねぇ、生きる事を神様は、赦して下さいますよね? |
Stinger
皮肉屋