長雨の続く梅雨の合間のカラリと晴れた珍しい日。
太陽は眩しく、光を優しく降り注ぐ。

「 こーたーろっ!!」
「 !か、なんだ。」
「 お蕎麦食べに行こうお蕎麦。」
人々がごった返す街中。
その中で人に埋もれる桂を見つけたは声を上げながら背後から抱きつき、にっこりと笑う。腰に衝撃を覚えた桂は振り返り、笑顔のを見て安堵したかのようにふと息を吐き出した。こんな人混みの中で毎度毎度能く見つけられるものだと感嘆しつつ、ふわりと優しく目を細め髪を撫でやる。
「 もうそんな時刻か。そうだな、幾松殿の――」
顔を上げから晴れ渡った暮れなずむ空へと視線を移した桂がそこまで言葉にすると、何故か途切れてしまった。
「 美味しいお店見つけたからそこ行こう、ね!」
「 そうだな。」
桂の腰に抱きついていたは桂の腕を取り、花を散らしたように微笑む。
引き摺られるように腕を引っ張られ歩く桂は頭から血を流している。けれど当の本人はそれを気にする素振りも見せず、自分を殴ったの後ろを大人しくついて歩くのだった。

「 ヘイ、タクシー!!」
交通量の多い大きな道に出た2人。片手を元気良く上げは楽しそうにそう叫ぶ。一度こう言ってみたかったんだと。その隣に立つ桂はやれやれと溜め息を吐く。
、もう少し落ち着いたらどうだ。」
「 はいはい、乗って乗って。」
停まった一台のタクシーのドアがパクリと口を開けるように開かれると、は自分を優しく窘める桂の腰をぐいぐいと押しタクシーへと押し込む。
「 日本の夜明けまで。」
「 取り敢えず真っ直ぐで。」
乗り込んだその足で桂を蹴り飛ばしたは崩れなく綺麗に微笑む。車の窓ガラスに痛い音と共にぶつかった桂を他所に、タクシーは何事も無かったかのようにドアを閉め静かに車の流れに乗った。けれど運転士の顔色は、若干宜しくない。静かな沈黙が流れる中、窓ガラスからやっと剥がれた桂はきちんと座り直してシートベルトを締め、血が流れる口を開いた。
、直ぐに手が出るのは褒められた事ではないぞ。」
「 そうだね。」
「 解っているなら直」
「 そこ、左に曲がって下さい。」
身を乗り出し、指を差して説明すると運転士からはいと返事が上がる。
言葉を遮られ話の腰を折られた桂は瞬間呆気に取られるが、ゴホンとひとつ咳払いをして腕を組む。
「 直すべきだ。」
「 そうだね、次右でお願いします。」
桂の横に深々と腰を沈めるは桂の言葉など何処吹く風で、にこにこと行き先を指示するばかり。話をスルーされる事が多いマイペースな桂と言えど、それに慣れる事など無く、頭にくる事だってある。少しムッとした表情で窓の外を眺める桂が溜め息を吐くとタクシーは右折した。
「 ……幾松殿のように女性らしく振舞ったらどうだ。」
「 おっとごめん、カーブで身体が傾いちゃった。」
ベシゴンッ。
そんな、肌を叩く音と硬い物がぶつかる音が静かな車内に響き渡る。
「 ………… 」
盛大に窓に頭を打ち付けた桂の顎にはの平手が添えられていた。
「 遠心力の働きは逆だと思うが。」
「 あら、そうだったかしら?可笑しいわねぇ。」
「 シートベルトが食い込んでいるぞ。苦しいだろう、大人しく座ってろ。」
「 私は普通に座ってるだけよ。」
するりと手を膝の上に添えるはにこにこと微笑みを絶やさない。頭と口から血を流す桂は懐から手拭いを取り出すと赤く染まった窓ガラスを綺麗に拭き取る。そしてすまないと運転士に謝罪すると共に自身の顔も拭い始めた。

「 とうちゃーっく!」
「 ……此処は………。」
支払いを済ませ元気良くタクシーから飛び出すにエスコートされ、桂はゆったりと降りる。
2人が確実に降りた事をしっかりと目視で確認した運転士は、まるで幽霊か強盗でも降ろしたかのように素早くドアを閉め灰色の煙を上げながら転がるように走り去って行った。
硬い地面を踏みしめる2人の前に広がるは、いかにも老舗ですと言う料亭だ。その大きさに、桂はあんぐりと口を開け言葉を忘れてしまったようだ。その桂の手を取り、跳ねるように嬉しげに微笑むは踵を鳴らす。
「 じゃあ入ろっか。」
佇まいに見惚れていた桂はその言葉にはっと我に返り、小さく首を振って店の門をくぐろうとするの手を引っ張る。
「 待て、。此処は一見お断りの店だろう。」
けれどはそんな桂の言葉など何処吹く風で、にこにこと微笑み桂の手を取る手に優しく力を籠める。
「 だーいじょーうぶ、小太郎は何の心配も要らないから。」
「 しかし――!」
自分を安心させるように微笑むの奥から人の気配を感じ取った桂は、と繋がっている手にグッと力を籠め、力任せにを抱き寄せるようにそばへと引き寄せた。それはほぼ抱きしめるという形になり、肩に手を回されたは突然の出来事にうっすらと頬を染め、慌てたようにこたろっと桂を呼ぶ。けれど呼ばれた桂はそんなの態度も胸中もお構い無しに、存分に警戒心を発揮している。
「 っ小太郎!?」
「 しっ、静かに。」
じたばたと桂の腕の中でもがけば、そっと口を手で塞がれる。一体全体どうしたのだと心配するは、それでも真選組の気配も対立する攘夷の気配も感じないのにと頭を捻るばかり。しかし桂がここまで警戒するのだ、只事では無いのだろうと、固唾を呑み抗う事を止め大人しく桂の胸元に手を添えた。
そこに現れる、2つの気配。
「 いらっしゃいませ。」
凛とした声でそう発するのは、深々と頭を下げる着物を召したこの老舗料亭の女将。と、その後ろで深々と腰を折る若女将だ。顔を上げ、にこりと綺麗に微笑む2人に、それでも桂は鋭い眼差しを送りつける。
「 っです。」
が、肘鉄とアッパーを繰り出すによって吹っ飛ばされてしまった。
「 はい、御予約承って御座います。様、御2人様で御座いますね。」
「 はい。」
頭からダラダラと血を流しながら起き上がってみれば、は頬を染めながらもにこやかに受け答えしているではないか。小首を傾げていると、目が合った奥の若い女性に微笑まれる。それから手前の凛とした綺麗に齢を重ねた女性に手拭いと手を差し出されたが、慌ててが間に入ってきて大丈夫ですと頭を下げた。
この遣り取りを見て、ふと、桂は思いつく。この2人は刺客や幕府の犬では無く、
「 さっさと立って!小太郎のせいで恥掻いたじゃない、バカ!」
自分で吹き飛ばしておきながらさっさと立ても無いものだが、それでも律儀に手を差し伸ばしてくれるの手を取り立ち上がる。そして押し付けられたハンカチで流れ落ちる血を綺麗に拭き取り、先程から気になっている事柄をへと耳打ちする。
「 この2人はこの料亭の女将と若女将か?」
「 そうよ。刺客や犬じゃないのよ小太郎さん。」
微笑みながらも小声で強められた語気に桂は息を呑み、素直にすまないと謝罪した。
そんな2人の遣り取りを物見遊山のように眺めていた女将が柔らかに微笑み、すっと手を動かし案内する。
「 此方、離れにどうぞ。」
「 ありがとうございます。」
きゃるんと微笑み桂の手を引く
その頬は未だ少し、薄紅色をしている。

「 予約だと?」
離れの個室に通され、出された抹茶を一口飲んだ後、桂が大きく訊ねる。
そう、つい先刻街中で偶々と出会い夕飯にと蕎麦屋へと赴いた筈。それが何故か笑顔で殴られタクシーに押し込められ笑顔で蹴られ笑顔で流され笑顔で殴られ行き着いた先が此処、一見様お断りの老舗料亭。こんなところは宜しくない話で接待される時にだけ使われるのだろうと思い描く桂はぐるりと部屋を見渡してから、正面に座り苦いと舌を出して抹茶を横に退かすへと視線をやる。
ぱちりと合った視線にふんわりと顔を崩すは、楽しげに首を縦に動かす。
「 ふふ、今日の為に取っちゃった。」
「 今日の?」
その肯定の言葉に、今日という日が一体何の日なのかと記憶を辿る。
エリザベスと出会った日?否違う。それに今此処にエリザベスは居ない。では、今此処に居るのは――だ。に関係する日だろうか。となると先ず思い浮かぶのは誕生日だが、彼女の誕生日は今日では無い。2人が出会った日?生憎だがそんな昔の、乱戦の中の記憶は定かでは無いが、あれは梅雨時では無かった筈。では他に、では何だろう。考えても考えても明確な答えは出ず、じとりと汗ばかりが滲み出る。
けれど正面に座るは屈託無く笑い、目の前には豪華な料理と共に蕎麦が並べられた。
その蕎麦が、あまりにも美味しそうで思考が一瞬にして弾ける。
「 どうぞ、食べよう。」
「 ああ、そうだな。冷めぬうちに食べてしまおう。」
パン、と手を合わせていただきます。
前菜から、未だ湯気くゆる天麩羅へと箸を進め、そして好物の蕎麦へと伸ばす。つるりと口の中に流れる蕎麦は見た目通り、否、それ以上に美味しく、薫り高く鼻から抜ける。すると思わず、表情が緩む。
はたと、と視線がぶつかる。
ズズズと蕎麦を啜る桂に、これまで以上に表情を緩めたは仕合わせそうに口を開き次の言葉を紡ぐのだ。
桂が蕎麦を噛み締めるように。
「 誕生日おめでとう、小太郎。」

暴力

愛情