the Sinner






大きな音を立てて機械が崩れ落ちる。ガラガラガシャン、と、転がる頭を踏み付けた。
鼻の奥まで刺激するアクマの瘴気。風に掻き消されても、苛立ちを加速させる。
アクマを破壊した日は、私は私で居られなくなる。
アクマを破壊した日だけは、私は私で居られる。
朽ちかけた躯よりも、心が叫んでいる。貴方を、欲している。
アクマを破壊した日は、如何しても貴方を必要としてしまう。
心が泣き喚き、それに附随するように躯が動いた。
こんな私に、生きる資格は無い。元より、もうこの世界に未練なんて無い。
けれど貴方は私に生きる資格を与え、貴方は私に生きる目的を与えた。
貴方が私に生きる資格を与え、貴方が私に生きる目的を与えたのよ。
だから私は貴方を恨むの。私をこの世界に繋ぎ留めている貴方を。私に生を与えた貴方を。
私は貴方を恨むの。安らかに眠らせてくれない貴方を。そっと殺してくれない貴方を。
だから私は貴方を欲するの。私に生を与えたその手で死を与えてもらう為に。
優しく安らかに、殺してもらうその為だけに。

「マリアン。」
『……なんだ。』
機械越しの貴方の声は落ち着いていて、けれど震えている。
「近くに居るんでしょう?」
『……ああ。』

私のその言葉が合図となり、今宵も貴方は私と肌を重ねる。
貴方は私に逆らえないもの。――私に生を与えてしまったから。
貴方は私に優しいもの。――――私を愛してしまったから。
「マリアン。」
……。」
そして私は貴方に抱かれ、アクマの断末魔を自身の声で掻き消すの。アクマの瘴気を、貴方の汗のにおいで掻き消すの。
…………」
そして私は貴方に抱かれ、貴方は私の名を紡ぎ、私は愛しい人の名を紡ぐ。二度と響かないと知りながら。
甘い痛みに身を捩り、生理的な涙を流し、嬌声を上げる。甘美な魔法に、身を沈め。
アクマを破壊した日は、私は貴方を欲しているのよマリアン。血沸き肉躍る程。内蔵が引っ繰り返る程。涙が出る程、貴方を欲しているの。
この躯に傷を附けて。二目と見られぬような傷を。
この躯に跡を残して。貴方が私を愛したと云う跡を。
この躯の熱を奪って。私が生きている証を。
早く私をあの場所へ導いて。愛しい人が待っているあの場所へ。愛しい人に、逢わせてお願い。お願いマリアン。
「…………」
アクマを破壊する度、私は貴方と肌を重ね合わせてきた。
アクマを破壊する度、私は貴方の心を壊してきた。
アクマを破壊する度、私は私の心を壊してきた、埋めてきた、置き去りにしてきた。
アクマを破壊する度、私は愛しい人の最期を繰り返し見ている。繰り返し見る聖夜の夢。
私の心は、もう疾うの昔に壊れてしまったのよマリアン。そんな私を救う手立てなんてひとつしか無いのよ。
だからお願い
これ以上私に貴方を傷付けさせないで。これ以上私に貴方の哀しい優しさに触れさせないで。
早く私をそっと殺して。誰にも気付かれぬ程、そっと。
これ以上私に生への執着を与えないで。早く殺して。優しくそっと。それだけが私を救うたったひとつの手立てなのを、貴方も識っているでしょうマリアン。

……」
「シャワーを浴びてくるわ。」
朝、目が覚めて私の隣に居るのは愛しい人じゃなくて、貴方。
私は今日も朝を迎えてしまったのね。
欝血した赤黒い肌が涙を流しているようよ。早く愛しい人の許へ逝きたいと。
愛しい人が好きだと云ってくれた、雪のように白い肌ももう傷だらけ。こんな姿じゃ恥ずかしくて逢えないわ。
シャワーの水が薄皮を突き破って、私の躯は真紅の鮮血を流すの。涙のように。
シャワーの音に掻き消される流血。このクリムゾンレッドを見る度に、白い肌がクリムゾンレッドに寝食される度に、私は後悔するの。未だ惨めに生きているのだ、と。私は悲観するの。未だ愛しい人に逢えないのだと。私は辛苦するの。貴方と今宵も肌を重ねあうのだと。
指を伝う紅い珠。シャワーの水に押し流され、脚へタイルへと色を拡げる。
その紅い珠を見る度、赤い床を見る度、あの日の惨劇がフラッシュバックする。瞼に焼き尽いて離れない、あの聖夜が。
引き裂かれる肉の音。私に降り注いだ、あの生暖かい真紅の鮮血。愛しい人の私を呼ぶかすれた声。耳を劈く下品な笑声。
そのどれもが、今も忘れられない。その総てを、今でも鮮明に憶えている。
忘れる筈が無い。忘れられる筈が無い。
忘れるものですか。忘れて、堪るものですか。
「血が出てる。」
「……マリアン……。」
紅いラインが流れる躯を見て、貴方は哀しげに顔を歪める。そうね、貴方は誰よりも痛みを知っているから。貴方は誰よりも優しいから。
壊れ物を扱うように私にそっと触れる指先は、シャワーの水を弾き紅い色に侵される。
ねぇ、お願い
その儘その指を私の首に宛がって。その儘そっと、私をあの場所へ導いて。
愛しい人が待っているあの場所へ、お願いマリアン。
今私に触れているように優しくそっと、私の首を絞めてお願い。
そんなに恐れず、私に触れて頂戴。お願いよ。
「……無茶な闘い方は止めろ。女が傷付いて良いのは失恋した時だけだ。」
「あら、それじゃあ戦闘スタイルは変えずに済むわね。」
私は喪ったのよ、あの聖夜に総てを。繰り返し見る、あの聖夜に。
…………。」
そんな顔、しないで。貴方は私に生を与えたのよ。私の総てを見ていなさいよ。それが貴方の悔悛となるでしょう?目を背けずに、総てを見ていなさい。その双眸に、焼き尽けなさい。
私に生を与えたあの聖夜のように。
「指が汚れたわよ。」
その紅く染まった手で、私を手折るなんて容易い事でしょう?お願いだから、これ以上焦らさないで。狂ってしまいそうよ。
早くそっと、私を殺してマリアン。
「……構うもんか。」
「……今度は唇が汚れたわよ。」
「…………構うもんか。」
紅いラインがひとつ、消える。
シャワーの水音が耳障りで、貴方が私に触れる音がまるで聞こえないの。
傷痕に優しく口付ける貴方の涙の音が、私の耳には届かないのよ。
貴方の優しさが、私には真っ直ぐ届かないの。
シャワーで冷めた筈の躯が、再び甘美な熱を帯びるわ。
貴方はその責任も取ってくれるのよね?ねぇ、
「マリアン。」
貴方の手首をそっと掴み、私の鮮血に侵された貴方の指を口に含む私は、未だ貴方が救いたいと思う人間かしら?
未だ私は、貴方の心を掴んで放しはしないのかしら?
……。」
貴方の唇が触れるその肩も、貴方の手が触れるその腰も、貴方のものじゃないのに、ね。
愛しい人だけのものなのに、貴方はそれでも受け入れてくれるのね。私の望むものを与えてくれるのね。
たったひとつだけを除いて。
私が心の底から切望しているそれだけを除いて。
甘美な痛みも、悲愴の涙も、断末魔という名の嬌声も。
今日は、シャワーの音が総て消し去ってしまうわ、マリアン。
肌のぶつかる音も、粘着質な水音も。血の伝い流れる音も。

「……次の任務、オレと組むか?」
水面に揺蕩う紅い色。肌がヒリヒリと痛いのは、貴方のせいではなくて、私が死ぬ為の事。
後ろから優しく包み込む貴方の優しさが、哀しい強さが、脱力した今の私には何故だか心地良くて。この儘ずっと、こうしていたいなんて狂愚が頭をもたげてしまうの。馬鹿よね。貴方の肌の温もりが心地良いなんて、初めて感じたわ。
「いいえ、それでは私が私でなくなってしまうもの。」
貴方とバスタブの微温湯に身を任せ、天を仰ぎ見る。
其処には神様は居なくて、唯私の血飛沫が黒く変色していた。あの繰り返し見る聖夜の、愛しい人のように。
「……オレの傍に居ろ、。」
その悲痛な叫びが。私をあの聖夜へと連れ戻す。繰り返し見る、あの聖夜へと。
「……貴方が私の側に居れば良いのよ、マリアン。」
繰り返し見る、聖夜の悪夢。いいえ、夢なんかじゃない。
「貴方が私をこの儘そっと殺してくれれば、総て終わるのよマリアン。」
。」
貴方がそんな事出来ないと知っていて、私は云うの。勿論、私の為。そして、貴方の為に。
私が愛しているのはたった一人。そしてその人は、もうこの世界に居ないの。
繰り返し見るあの聖夜に生きている。今でも私の名前を、優しく紡いでいるの。
「それでも貴方は、未だ続けると云うのね?マリアン。」
「ああ、そうだ。」
そして私は今日も生かされるの。神様とマリアン、貴方にね。
私は早く、愛しい人が待っているあの場所へと行きたいのに、貴方がそれを邪魔するのよ。
だから私は貴方を恨むの。そして、貴方を求め欲するの。
私に生を与えたその手で死を与えてもらうその日まで。
私に安らかな眠りを与えられるのは、貴方だけなのよマリアン。