厚い雲が拡がり、外はシトシトと雨がメロディーを奏でている。 町のガス燈も灯が弱く見え、窓から漏れる灯もどこかさみしげ。 大きな出窓の縁に腰掛け、冷えた窓ガラスに頭を預けて雨粒の微弱な振動を感じながら暗い空に捜すように見上げているは、不満気に言葉を綴る。 「 雨は嫌い。」 シトシトと窓を叩く雨。 少し離れた木製の簡素な椅子に足を組んで座り手酌でワインを飲んでいたクロスは、吐き捨てるように綴られた言葉にそれでも耳を傾け、逆さに置かれていたワイングラスにワインを半分程注ぐとのっそりと腰を上げ、両手にワイン入りのグラスを持ち窓辺で外を睨みつけているへと歩く。 「 オレは好きだがな。」 対面する位置まで歩くとワイングラスをの眼の高さに差し出し、少し笑ってクロスは言う。 「 ナニが出来るし。」 チラリと、窓の外にやっていた視線を笑うクロスの隻眼へと一瞬移したはワイングラスへ直ぐに視線の先を移動させ、無言の儘受け取るとナニって何よとブスッと小さく呟きゆっくりとグラスに口を付け咽喉を潤す。 咽喉を鳴らし笑うクロスもワインを一口飲むと、長い髪を揺らしながら覗き込むように上体を前へ傾け、窓の外を睨むへと顔を近づける。 「 雨だとお洋服が濡れる。」 「 お洋服ったって、結局団服だろ。」 クロスは舞踏会で男にしな垂れ掛かって踊る御婦人かと鼻で笑うが、は窓の外を憎たらしげに睨んだ儘ワインを飲み、短い溜め息を吐いた。 「 団服が濡れると臭くなるから嫌なの。」 ズルリと頭をスライドさせ、ゴンと硬い音と共に窓ガラスに着地させる。視線はしっかりと暗雲を捉えた儘、厳しい。 「 オレはお前の匂い好きだぜ。」 グラスを持つ逆の手での髪に触れ、頭頂部に唇を寄せながらクロスは軽く笑う。が。 「 臭いのはアンタのタバコの臭いよ。」 棘を含ませた声音でそう告げるは長い赤毛を一束乱暴に掴むと力を籠め下方へと引っ張った。 音も無くクロスの高い鼻は無様に潰れ、グラスの中のワインが大きく揺れる。 数秒、の髪に鼻を埋めていたクロスだが、壁に手を付きゆっくりと上体を起こすと鼻の形を整え、大きく揺れたワインを飲み干した。 「 ソレ込みでオレの芳しい匂いだろ。」 「 臭い。」 「 そうかよ。」 外は雨。 厚い雲は幾重にもなり、雨はメロディーを奏でるどころか激しさを増して窓を強く殴りつけている。 床を転がるうっすらと赤い色の着いたワイングラス。 の座る縁に手を掛け、クロスは覆い被さるような体勢で細い首筋へと唇を寄せる。 「 雨だと月が見えない。」 唇が触れる数ミリ手前、首が僅かに動き空気が震動した。グッと顔を歪めるクロスは細い首を恨めしげに見詰め、の肩口に不本意ながら頭を預けた。酷く、残念そうに、悔しげに。 「 月なんて如何でもイイだろ。」 蛇の生殺しだと言わんばかりの声で細い腰へ腕を回せば、遠雷が鳴り響き窓の外が一瞬昼のように明るくなる。 の顎が微かに動く。 「 アンタは太陽よりも月って感じ。でも雨だとその月も見えなくなる。」 太陽でも夕陽だけは似てるかも。小さいけれど強い光を秘めた瞳を外へ向けた儘、無感動にそう告げた。 窓の外は大粒の雨が走り落ち、遠雷が小さく咆えている。 ふと、クロスは開きかけた口を閉ざした。 テーブルとサイドボードの上に置かれた燭台の炎が燃え蝋が溶ける音さえ聞こえる静寂に包まれた部屋を、勢い良く殴りつける微かな雨音が包み込んでいる。 こんな雨音でも、ピアノ曲にしてしまう人は居るのだろうか? 耳障りな雨音が長く続くと、それを調和するように異音が奏でられる。 スッと頭を持ち上げたクロスは両手での腰を掴むと、その儘後方へ倒れ込むかの如く座った。の持つワイングラスの中身が大きな波を打つが、持て余す程に長い足の片方にを乗せるともう一方を投げ出し、いやらしく弧を描く唇をゆっくりと開いた。 「 そんなにオレを見てたいのか。」 疑問では無く、断定。 窓の外を睨んでいたは不敵に笑うクロスと視線を重ねると残りのワインを一気に飲み干し、空になったワイングラスをクロスの右手に押し付け、右手で赤毛の根元近くを鷲掴むと顔を近付け眼鏡の奥の隻眼を睨みつける。 「 己惚れるな。」 言うが早いか、左手も同様にクロスの髪を鷲掴んで顔を引き寄せ、噛み付くようにワインで濡れた唇を重ねた。 ドン――と地震のような雷が近くに落ち、薄暗い部屋に一つの長い影が作られる。 床を転がるうっすらと赤い色の着いたワイングラス、二つ。 雨音とは別の水音が狭い部屋と口内に響く。銀の糸を引いて、角度を変え再びが噛み付いた刹那に眩い紫色の閃光と轟音と共に別の窓が派手に破られ、狂気と凶器を携えたアクマが侵入して来た。が、獣のように噛み付く二人の視界に入る事無く二人に瞬殺され、質素な部屋の簡素なインテリアを雨とオイルで汚しただけだった。 窓を殴り、遠慮無く部屋に浸入する雨。 妖艶な水音が止むと荒い息が三つ四つ落とされ、強い風に燭台の蝋燭の灯も消されていた。 「 お前は太陽だよな、。」 「 ……雨は嫌いだ。」 「 雨はイイだろ、自分の香も足跡も何もかも綺麗に掻き消し洗い流してくれる。」 「 アンタと違って私に逃走癖は無い。」 どうだかと、クロスは意味深長に笑いながら強い光を宿したの眼を見詰め、笑みを消すと少々乱れたの髪を手櫛で梳かす。濡れた唇を自身の唇で拭き取ると、は腕に籠めていた力をゆっくりと抜き鮮やかな赤毛から一本二本と指を離し、重力に従うようにクロスの肩に手を掛ける。 「 」 「 太陽と月が逢えんのは雨が降ってる日だけなんだよ。」 が小さく口を開き息を吸い込んだ瞬間に息と共に尤もらしい口調で適当を言い放つクロスはの顎に手を掛け、引き寄せると右手に持っていた 「 ねぇ。」 「 喋る暇があるならオレの舌に噛み付け。」 「 誕生日おめでとう。プレゼント用意してないけど私で良いよね?」 「 新鮮味に欠ける。」 「 その舌、黙らせてやる。」 「 楽しみだな。」 笑い合い額をつき合わせた後、どちらからとも無く噛み付いた。 |
太陽と月と雨