Pillow talk
-cool&dry taste-
揺蕩う紫煙。 枕を背に当て、ベッドの上で葉巻をゆったりとふかす。 「 マリアン。」 「 なんだ、起きたのか。」 その隣で、クロスに背を向け横たわるが薄く唇を動かし彼の名を呼んだ。 大小様々な傷痕の残るの背にクロスはそっと手を伸ばす。 「 何時までこんな関係で居るのかしら。」 力無く閉じていた目を開け、しっかりとした音声で紡ぎ出す言の葉。その言の葉に反応したクロスの手はの肌に触れる前に止められ、ゆっくりと行き先を髪へとシフトチェンジする。一束掬えば、サラリと手からこぼれ落ちる。 交わされる無音。 「 …… 」 「 ああ、いえ、私と貴方との、じゃなくてね。――――否、それも少しはあるけれど……。」 寄越されぬ返事に苦笑をもらし、は言葉を続けた。 遠くでは、賑わうパブでの大人達の酔った笑い声が上がっている。 対照的に静かな部屋には2人の呼吸音と、クロスが吐き出す煙の音、葉巻が燃える小さな音だけがある。 ひとつ、天井に煙を吹き掛け皿に灰を落とすと、紫煙がくゆる空気を肺に吸い込む。 「 ……アクマの、とか。」 「 ええ。」 くすりと声をもらしては哂い、目を伏せる。掬ってはサラリと指の間からすり抜ける細い髪を見るでもなく見つめるクロスは、葉巻をふかしさあなと吐き捨てる。 「 殲滅させるまで、だろ。あのデブ諸共。」 「 ……ふふ、そうよね。」 皿に葉巻を置いたクロスは近くにある酒瓶に手を伸ばすが、少々考え込んだ後に珍しく手離し、グラスに置き水を注ぎ咽喉を鳴らして飲み干した。首筋を伝う水を手の甲で拭き取るともう一度グラスに水を注ぎ、腕を伸ばしての顔の前に差し出す。そしてそっと、額に押し付けた。 「 いきなりなんだ。」 薄く瞼を開き水の注がれたグラスとクロスの指を確認したはグラスを受け取る。 しっかりとがグラスを持ったのを見届け、クロスは皿から葉巻を取り銜える。 ジリジリと、赤く燃え少しずつ短くなる葉巻。それに比例して、長くなる灰。 の髪を弄る口実も見つけられずに手持ち無沙汰な左手をどうしてくれようとぼんやり考える。そして聞こえる、小さな笑い声。 「 いえ、少し――――感傷的になっているだけよ。」 そう言って、クロスが見るでもなく見つめる先の細く綺麗な髪がサラリと動く。 上体を起こしたは声をもらし小さく哂い、ゆっくりとグラスに口付け水を飲む。 サラリと、揺れる髪。 薄い色の後ろ姿を見つめクロスは紫煙を吐き出す。 大小様々な傷痕が残るか細い背中。触れれば簡単に音を上げ折れてしまいそうな腰。 その透き通るような白磁の肌に浮かぶ、赤い花弁。それは傷痕を隠すように、傷痕を彩るように、散らされている。 「 そうか?」 言葉と共に吐き出した煙はフィルターとなりの傷痕を掻き消す。 けれどすぐに、煙は撒かれ赤い花弁が顔を覗かせる。 「 ええ。……それに………… 」 「 ……それに?」 間を取るはそっとグラスに口付け、残っていた水を飲み干した。 遠くにはパブの馬鹿騒ぎが五月蠅く続いている。 灯りの落とされた暗い部屋には、窓から入り込む月明かりだけが色をもたらす。 月明かりを浴び黄金色に輝く髪がサラリと小さな音を上げて揺らされる。 「 ……いつまでも、貴方に甘えていてもいけないと思って……。」 掛け布団で胸元を隠したは振り返り、クロスへと空のグラスを差し出した。 月明かりを受け鈍く輝くグラス。そのグラス越しに見える、辛そうな笑顔。 葉巻を銜えたままゆっくりとグラスを受け取るクロスは言葉を探す。彼女の心を、過去を知るからこそ、言葉を探す。 彼女の心を此処に留まらせる為、彼女を生に執着させる為。くらくらとくゆる紫煙のフィルター越しに彼女を見つめ。 グラスをサイドボードに置き、大きく紫煙を吐き出す。 「 」 「 甘えてと言うか、なんだか依存しているみたいで。」 「 良い女に依存されるのは男冥利に尽きる。」 「 マリアン。」 「 なんだ。」 不敵に笑うクロスは、睨みつけるように見つめてくる今にも涙を流しそうなの揺れる瞳を見つめる。 しんと静まり返る部屋には遠くのパブの軽い喧騒が能く響く。 首筋にも残る赤い花弁。布団で身体を隠すが、月の光のせいか妖艶に映る。もう一度その身体に触れたいと、掻き抱きたいと思わせる表情に、少し前の情事の残像が脳裏を過ぎった。哀しみに顔を歪ませた、の泣きそうな表情が。 今もクロスの目の前にあった。 きつく唇を真一文字に結び、眉間に皺を寄せ眉根を下げた、哀しみを噛み殺し気丈に振舞う女性の美しき姿が。 「 ……解っているくせに。」 小さく揺れるその双眸から今にも涙が溢れ出しそうで。いっそ溢れ出してくれれば抱きしめられるのにとクロスは心の中で舌を鳴らす。 「 解らんな。解りたくも無い。」 その憤りを吐き出すように、そっと紫煙を吐き出した。 「 ……ずるいわ。」 その言葉に"解っているくせに"と込めは力強くクロスを睨みつける。小鳥がそっと羽ばたいただけでこぼれ落ちてしまいそうな程涙を溜めて。瞬きをすれば堰を切ったかのように流れ出しそうな瞳をして。 その涙を見てみたいとも、その涙を見たくないとも思う。 自分にだけ見せられる弱さとその証の涙。それを独占しているのはオレだという充足感と優越感。 けれど女性の悲しみの涙などオレの前では1ミリたりとも流させやしないという信念と焦燥感。 そして、流される涙の原因が、オレでは無い男だと知っている劣等感と歯痒さに似た苛立ち。 紫煙を吐き出し葉巻を乱暴に皿に押し消したクロスはへと腕を伸ばす。 「 ずるいのはどっちだ。」 「 …………そうね。」 布団を落とし白磁に散る赤い花弁が露になったの華奢な身体を強引に抱き寄せるクロスはそっと愛でる。小さく揺れる瞳に自身が大きく映る。の視界には、鮮やかな赤毛の悲哀に歪んだ顔だけがある。 ふと、揺れる赤毛。 肩を愛でながら近付く顔に拒絶の色を示すは首を動かし横を向いた。 クロスの顔に、更に悲愴感が漂う。生まれる。 口吸いを拒んだは、それでもクロスの愛撫に応えるようにゆっくりと瞼を閉じた。音も無くそっと閉じられたその双眸から一粒の涙がこぼれ、頬を伝う。それを掬い上げるように頬に唇を寄せるクロスの目にも、うっすらと光るものが見えた。 遠くのパブの喧騒すら掻き消す静寂。 簡単に手折れてしまいそうな薄い身体。優しく強く抱きしめ、哀しみに拍車が掛かると理解しつつもその薄い肩に唇を落とす。頬伝う涙が止まぬは倒れるようにクロスの肩口に頭を乗せた。 「 ……ごめんなさい………。」 自分が何をしているのか、血が噴き出すよりも痛い程理解している。自分の行為がどれ程相手を、クロスを傷つけているか、誰に進言されずとも自分が一番理解している。残酷な女だと、狡猾な女だと、悪辣非道な女だと、嫌な程理解している。 それでも止められぬのは自分が弱いから。クロスが、触れればすぐに壊れてしまうガラス細工のように優しいから。 その優しさを識りつつ、求め甘えているから。 総ては自分の情けなさが招いた悲劇だと、識りながらも自分を律する事が出来ない葛藤。 の閉じられた双眸から、更に涙が溢れ落ちる。 熱くなる目頭。 の細い指に唇を寄せるクロスは濡れた頬にそっと指を滑らせ、首筋を強く吸い上げた。まるで、彼女が涙を流しているのは赤い花弁が散る痛みに因るものだと言わんばかりに、強く強く吸い赤い痕を残す。 その甘くも哀しい痛みにも声を出さぬは唯静かに胸を震わせ涙を流す。 ハラハラと音も無く頬を伝う涙はクロスの髪をそっと湿らせ滲んだ。 絹を撫でるように優しくの身体の曲線に触れるクロスの指先。その触れられた箇所が後から後から熱を帯びる。 息苦しさに、甘美な痛みに、声がもれそうになる。 「 ……。」 クロスの太腿の上に置いた手に力が入り始めた頃、自分の名を呼ぶ低い声に気付く。ぽたりと落ちたひとしずくの涙はクロスの赤い髪に染み入り、甘い紫煙の香りを振り撒く唇がの名を紡ぐ。 その低い声に、けれど求めている声とは違うと脳も躯も刹那に理解する。 私が求めている声は、心地の良い低音で、柔らかく、温かな愛に満ちていて、名前を呼ばれるだけで仕合わせを感じられた。名前を紡がれるだけで、心も身体も軽くなり、求めるように芯が疼いた。 「 。」 「 ………いで……… 」 力無い鈍い光を辛うじて宿らせている瞳は大粒の涙に潤み、熱を帯びた躯を冷ます。 「 ……?」 「 ……私の、名前を呼ばないで…………。」 頭を下げ首を横に振るの瞳からは熱い涙が流れ落ち、シーツに大きなシミを作る。 ――嗚呼、言ってしまった―― そうどこかで冷静に把握する自分が居る一方で、感情の大波に攫われている自分を見失う。 どうしたいのか、目の前に居る彼に、どうして欲しいのか。 「 私の名前を呼んで良いのは、ソールだけ…………。」 祈るように両手を組み、小さな身体を震わせ、サラサラと髪を揺らす。 そんなの姿が、クロスの庇護欲を煽情する。 「 …………すまん……」 壊れ物を扱うようそっと抱きしめるクロスは髪に唇を落とし、自身の額に強く押し当てているの両手を優しく握りしめた。 涙と共に、初めてもらされる嗚咽。 「 ……オレの前でくらい堪えるな。」 耳元でゆっくりと、優しく低く囁くクロスは言葉裏腹に苦しげな表情をしているが、それを見せはしない。震えるの肩をそっと撫で、手を握り、自身の肩口にの頭を落とし、優しく囁く。 「 オレが受け止めてやる、お前の総てを。」 熱い涙を溢れさせるは、声を出して崩れるように泣いた。 言葉無く泣きじゃくるを、クロスは哀しくも、嬉しげに抱きしめる。 「 ……ごめんなさい。…………私は、貴方に―― 」 「 。」 遠くのパブの喧騒が止んだ頃、静けさを取り戻した暗い部屋の中でがポツリと口を開く。けれど総ての言葉が紡がれる前に、クロスの彼女を呼ぶ低い声によって遮られてしまった。名を呼ばれたはゆっくりと身体に力を入れ、簡単に手折れてしまいそうな薄い肩を動かしてクロスの顔を見上げる。 サラリと、揺れる髪。 止まり消えたの涙。頬に残る未だ乾ききらぬ涙の跡。赤く燃え尽きた双眸。 そのどれもが、庇護欲と独占欲と、そして劣情に火を点ける。 「 …………こういう時は謝罪ではない謝意を表すべきだ。」 けれどそれを総て呑み込み、クロスは哂う。 優しく、不敵に。 彼女を助けた時から、彼女に触れた時から守ると誓った。彼女を死から守ると、誓った。 その為なら手段は選ばないと、背徳の徒と神に蔑まれようと構うものかと心に決めた。 彼女に生きる運命を与えてしまったから、彼女の大切な存在を守ってやれなかったから。 に、心奪われてしまったから。 彼女の求めには、不本意であっても総て応えよう。 「 ……マリアン……。」 彼女をすくえるその日まで。 例え四肢が四散しようと 「 …………あり、がとう……?」 例え五臓六腑が消失しようと 「 そうだ。」 例え心の臓が、止まろうとも。 |