「 はぁ……クソが。」
あの後、もう一度廊下の同じ場所から外を見てみたが、見えたのは雨に打たれる紫陽花だけだった。
厨房にはカーテンが引かれていて中が見えなかった。

『なんだかんだ云ってやっぱり神田くんはちゃんが好きなんだね』

コムイのこの言葉と、最後に見たあの顔が頭にチラついて。ひたすら気分が悪い。
他にも色々と見て廻ったが、行くアテも失くした俺は、酷くもう総てが如何でも良くなり自室へと戻ってきていた。
団服コートを脱ぐのも忘れ、ベッドへと倒れ込む。

「 如何でも良い訳ねぇだろ。今日は何の日だよ……クソッ。」
苛苛を殺す様に寝返りを打つ。窓の外には、雨粒の付いた紫陽花が見えた。雨に打たれ、小さく揺れている紫陽花が。
「 お前は……俺の事なんか見てないのか……。」
虚しく言葉だけが広がっていく中……俺は眼を閉じた。



同じアジア人で、同じ時期に入団した俺達。
そりゃ、大した口もきいてねぇが。
いつからか俺は、お前の事ばかり見てた。そうと気付いた時にはもう、互いが違う場所で任務をこなすようになっていて。大抵いつも怪我して帰ってくるお前を見て、何度心臓が壊れそうになったか。
幾度か同じ任務をした時も、無茶な戦闘方法をしていて。危ないから、そんな闘い方はして欲しくないから、つい怒鳴ってしまったら、必死に涙を堪えてたっけ。
女に泣かれるなんて、しかも惚れた女だぜ、如何対処したらいいか判んねぇし。なのに泣き止んでくれねぇから、自分の不甲斐無さに苛苛して。そしたらなんか余計怯えだすし。
やっぱり俺のことなんか、見てねぇのかな……。
俺はお前から、たった一言欲しくて、探していたのに。
今日、その一言がどうしても欲しくて――――



コンコンコン
  ――ん?
 コンコンコン
――何だ、今何時――21時!?冗談だろ、いつの間にか眠り込んじまったとでも云うのか!?
クソが、予定が狂っちまったじゃねぇか。
コンコンコ――
「 うるせぇ、誰だ!」
音のする方に向かって怒鳴りつけた。
さっきから何度も人の部屋のドア叩きやがって。
「 あ、か・神田君。だけど、起きてる?そ、それとも起こしちゃったかな?」
控えめな小さい声が、ドア越しに寄越される。

そう、その声の主は、確かに今日俺が探して気になっていた人物だと名乗った。
いかん、俺とした事が冷静さを欠いている。先程から微塵も身動きがとれていない。
そういや返事も出来て無い様な……
「 か、神田君?起きてる?それとももう寝るとこかな?邪魔なら私、今日はもう帰るね?」
――帰る?
は?まてまて、今来たばっかじゃねぇか。しかも未だ顔見てねぇし。

ガン ガチャ
「 なんの用だ。」
寝起きと混乱が同居する頭で、出来うる限りの冷静さを装う。
眼の前には、ずっと思考を支配していた人物が、居る。
「 あ、えっと、その……。」
俺がドアを開けたのがそんなに予想外だったのか、酷く慌てている。
ふと左右を見渡すと、遠くに人が。もし亦なんかの拍子に泣かれでもしたら……アレだよな。

「 立ち話もなんだ、取り敢えず上がれ。」
そう云って中へと招き入れる。
「 あ……うん、それじゃ、お邪魔、します……。」
は俺の横を通り抜け、部屋の中へと入った。
「 ああ。」
云いながら、カタンと音を立てて椅子を持ち上げ、の前に置き、自分はベッドに腰掛けた。
「 わざわざ、ありがとう……。」
胸元まである髪をさらりと揺らして会釈をし、椅子に座る。

「 で。用件はなんだ。」
間がもたず、つい本題に入ってしまった。本当は少しでも長く同じ時間を過ごしたいと思っているのに。
「 あ、うん……。」
は言葉を濁し、持っている小さな紙袋へ視線を落とす。
下を向いているので、こちらからは表情が読み取れない。

が。
今日に限って、わざわざ俺に会いにくるなんて。しかも俺の部屋に訪ねてきてまで。
朝は朝で、厨房に篭って『何か』をしていた。俺がコイツを見間違える筈は無いから。
コムイやジェリーは、『は居ない』と云っていたが。何かを必死に隠している感じだったな。
特にジェリーが。
そして手に持っている、紙袋。
これは、少し、期待しても良いのだろうか?否、期待するなと云う方が可笑しいんじゃねぇのか。
どうなんだよ。

と、じぃっと見ていると、不意に顔を上げたと眼が合った。
そろそろ、じっと待っているのも。

『その手に持っている物、なんだ?』
そう聞こうと口を開きかけた時。
「 かっ、神田君!!」
が手に力を入れ、声を張った。
珍しい事だったから、少し驚いた。
「 あ、いや、その、あの……。コ、団服(コート)着てるけど、もしかして何処か行くところだったの?」
ぎこちなく、間の抜けた事を聞いてくる。
予想していた言葉と随分違っていたので、答えるまでに少々時間がかかってしまった。
「 ……別に。」
それでも、こう返すのに一杯一杯なんだよ。悪かったな。
「 そ、そっか。……良かった。」
安心したのか、入れていた力を抜いて、ぎこちなかった笑顔を自然なソレへと変えた。

ああ、やっぱり。
いつか見た、この表情。この笑顔に俺は、多分毒されているんだろう。変な意味でなく。
綺麗だとか可愛いだとかそんな事より、この顔を見ると、心が鎮まる気がする。穏やかな心境に、なるんだと思う。
この顔が忘れられず、いつからか気付けば眼で追っていた。

「 あ、あの、それで、ね。」
もう一度、躯全体に力を入れ、姿勢を正し、俺に向き直る。
「 今日、神田君のおた・お誕生日だよ、ね。」
おもむろに椅子から立ち上がり、こちらへと向いている。
「 それで、ね。ジェリーちゃんに指導してもらって、2日前から、というか、今朝からも、その、ちょっと……。」
云い辛そうに言葉を濁す。
「 あーえっと、だから、その……。」
心なしか、の頬が赤くなっている気がするんだが……。

「 神田君、お誕生日、おめでとう。」
そう云って、一歩、こちらへ近づいた。多少顔が赤いが、俺の見たいと思うあの笑顔がソコにはあって。

ああ、やっと、聞けた。

朝、モヤシに今日が誕生日だと聞かされてからずっと聞きたかった。から、この一言を。
幾千の人間に祝われようが、お前に祝って貰えなければ仕方が無い。まさか俺がそんな風に思うなんてな。

「 それでね、これ。」
持っていた紙袋を、前に差し出しながら続ける。
「 少し前に、良い緑茶が手に入ったってジェリーちゃんが云ってたから、その……。
 神田君、緑茶嫌いじゃないよね?好き……とまでは、いかなくても……。
最後の方、声、掠れてんぞ。
安心しろよ、緑茶は好んで飲んでるから。
「 ああ、嫌いじゃないな。」
そう口にすると、
「 だよね!?良かった、何度か神田君が緑茶らしきもの飲んでるの見て、もしかしたらって思ってただけだから――。
 本当に良かった。」
嬉しそうに、顔をほころばせて笑う。

「 なにが良いんだよ。」
ジェリーが手に入れた緑茶を、まさかそのまま俺に渡そうとか思ってんじゃねぇだろうな。それはちょっといくら俺でも。
厭だ。
「 あああ、ごめ・ごめん、1人で安心しちゃって。」
慌てた様子で、俺の前まで詰め寄る。
「 それでね、今朝、昔母に教えてもらった洋菓子を焼いたの。
 洋菓子って云っても、緑茶のパウンドケーキでね。あ、中にはあんこが入ってて。」
ガサガサと紙袋の中に手を入れ、小さな包みを取り出した。
そのまま、俺の眼の前にすいと、差し出され。
「 良かったら、貰ってくれないかな?あ、味見もしたし、ジェリーちゃんも美味しいって云ってくれたから。
 緑茶だからさっぱりしててちょっと苦味があるかもしれないけど、
 中にあるあんこと一緒に食べたら、丁度良い甘さになるから。
 その、あの、神田君への、私からの、た、誕生日プレゼントと云うか……。
 あ、いや、別に要らなかったらそれでも良いよ、うん。」
あはは、と苦笑を漏らしながら、多分必死に、言葉を綴ってくれたんだろう。
断る理由なんて、俺には欠片も無いだろう?

「 貰ってやるよ。」
なんて、口をついた言葉はそれだった。もう少し、考えられねぇのかよと自分でも思ったが。
舞い上がった気持ちを悟られない様必死で、それどころじゃねぇんだよ。
「 うん、ありがとう。」
やわらかに、あの笑顔で、嬉しそうにそう答えたの手から包みを受け取る。

さて、如何するべきか。
「 あ、それでももし、不味かったらその時は、ごめん……ね……」
心配なのか、そう漏らすの顔はどんな顔をしているのか、俺は知らない。
下を向いて、包みをほどき、食べやすいようにと丁寧に切り揃えられている緑茶のパウンドケーキを一片、手にとって口へと運んでいたから。
……美味いな。
「 あ、えっと、ど、どう、かな。口に合う?」
美味しい?と聞いてこないのが、らしい。
「 不味くはない。」
出る言葉は、いつもこうだ。
それでもは、嬉しそうに笑ってありがとうと呟いた。
礼を云うべきは俺の方なのに。


「 それじゃあ、私そろそろ帰るね。こんな時間になっちゃって、ごめんね。
 もう一回、お誕生日、おめでとう。あと、食べてくれて、ありがとう。」
やわらかにもう一度笑うと、浅くお辞儀をした。

云うならば、もう今しか無い、よな。
でもなんて云えば。
ああ、クソ、考えても答えなんか出てくるかよ。

「 おい。」
考えたって、仕方ないだろう。もういい、どうにでもなりやがれ。
「 ……ありがとな。」
振り向いたの顔は、驚いているソレに近かった。
「 ――そんな顔するほど意外かよ。」
「 あ、いや、そんなつもりじゃ……。」
すまなさそうな顔になる。そんな顔が見たい訳じゃ、ない。
「 まぁ良い。俺が云いたいのは、つまり。」
そこまできて、言葉に詰まった。なんて云おう。
こんな、互いに見つめ合ったような状態で。
「 わざわざ、今日、会いに来てくれて……ありがと……な。」
なんかすげぇ、照れてきた。
「 そんなっ、唯、私が神田君にっ……!」
不意にの眼から、涙がこぼれた。
「 ――そんなに厭だったのか?そんなに酷い事、俺、云った――」
「 違う!違うよ、大丈夫!こ、これは嬉しくて泣いただけだから。
 その、神田君に『ありがとう』とか云って貰えて、それ・それに……。」
手で涙を拭い、上げた顔は、俺が見たいと思っていた笑顔だった。


自然と俺も笑っていたんだと思う。
去り際にが『神田くんも笑えるんだね。神田君が笑ったところ、初めて見たよ。』って云ってたから。




―――――おまけ―――――

バターン
「おい。」
ガサガサガサガサ――
「神田くーん、ドアはもっと静かに丁寧に開けてくれないと〜。」
「なにが『ちゃんなら、2日前から任務についてもらってる。ココには居ないよ。』だ。居たじゃねーか。」
「やだなー、任務にはちゃんとついてもらってたよ?『神田くんの誕生日プレゼントを作る』という任務にね。
 それに、『ココ』には居ないでしょ(下を指差し)。」
「テメ……。」
「早合点した神田くんの、負・け!」
「……チッ!」
「そ・れ・よ・り〜。
 どうだった、ちゃんの手作りケーキ。美味しかったかい?」
「フンッ、邪魔したな。」
「待ちなさい!ふっふーん、逃がさないよ神田くーん。」
「なっ、放せ、コムイ!!」
「だーめ、ちゃあんと事の経緯を話してくれるまで帰しません(眼鏡キラリーン)。」
「なっ……!?リッリーバー!コムイが仕事サボってんぞ!!」
「へっへーん、リーバーくんを呼んだって無駄だよ〜。」
「はぁ?」
コツコツコツコツ
コンコン
「室長、仕事サボってるんですかー?」
「リーバーくん、良いところに来た!ささ、其処に掛けたまえ。
 今から神田くんが、昨日のちゃんとのラヴラヴっぷりを話してくれるって!」
「なっ、何デタラメ云ってやがる!!リーバー、コイツさっきから仕事放棄してこんな事ほざいてやがるんだ。どうにかしろ!」
「いやー、室長。貴方も偶には良い事をする。――という訳で、神田。昨日のとの話聞かせてくれ。」
「は!?リーバー、貴様までなにを云い出す……」
「神田くーん、好い加減諦めて白状しちゃいなよ〜。リーバーくんも聞きたがってるじゃないか〜。」
「待て!コイツ(コムイを指差し)は兎も角、リーバー、アンタはそんな野暮な人間じゃないだろ!」
「……神田、男にはな、時には何を捨てても知らなければならない事があるんだ。
 それが、今なだけだ(神田の肩をがっちり掴む)。」
「ふ……ふざけるなっ!テメェら其処に直れ!その捻じ曲がった根性、六幻で叩き直してやる!」
「ギャーッ!!かか神田くんおちおち落ち着いてー!」
「すまっすまん神田、つい興味本位丸出しで……ギャアッ!!」
「リッリナリー!!いや、寧ろちゃん助けてー!」
「黙れ、斬り刻んでやる!」


―――――教訓  野暮は駄目―――――

 お仕舞い。
   






紫陽花の向こう側











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