マスターはお姉ちゃん






最近、私の生活が変わった。
私の、だけじゃない。私とお姉ちゃんの生活が変わったんだ。

大学生のお姉ちゃんと2人暮らしを始めて1年と2ヶ月経って、ある日突然、私達の生活ががらりと音を立てて変わった。


「 おはよう、。」
このおとぎの国の王子様のような美青年の登場によって。
「 お、おは、よう、KAITO……。」
「 !おはようございます、マスター。」
「 おはよう、KAITO。」
「 っおはよう、お姉ちゃん。」

彼の名前はKAITO。私たち姉妹のもとへ来たのは数日前。
にこりと綺麗に微笑む姿はそこらに居る男子とは格段に違い、モデルや俳優に負けないくらい遜色が無い。
もしかしたら、それ以上に恰好良くて画になるかも。
その上紳士で知的で、物腰柔らかで人当たりも良く(それを紳士って言うの?)、笑顔がとても似合っちゃう。なのにそれを鼻にもかけず、兎に角優しくてふんわりしていて、傍に居ると安心出来ると言うか、こっちまで優しい気分になる。
でも何処か抜けててかなりの天然で、アイスが大好きって言う可愛らしい一面も持っていたり、と。
まるで人間とは思えない程、完璧に近い王子様。

「 マスター、コーヒーにしますか?紅茶にしますか?」
「 うーん、紅茶で良いや。も紅茶で良い?」
「 う、うん!」
「 解りました。」
尚且つ執事のように従順。――――それはお姉ちゃんにだけ、だけど。

彼の名前はKAITO。
日本人でなければイギリス人でもない。信じられないけど、人間じゃない。人間ですらない。
でもここまで完璧な王子様なら、いっそ人間じゃないって方が納得出来るかもしれないけど。
彼は、VOC@LOIDという音声合成ソフトの一つのキャラクタ。
そう、キャラクタなんだ。
人間じゃなくて、歌う事を義務付けられた、歌う為だけに創られたボーカル+アンドロイド、ボーカロイドなんだ。
しかも本当はPCに入れる音楽ソフトなのに、現実には存在しない筈なのに、何をまかり間違ったのか彼はPCの中から出て来て私達の世界で生活し、確かに存在してしまっている。触れればまるで人間のようにあたたかで柔らかく、独特の爽やかな香りまでする。
0と1で創られたプログラムのくせに。
そんな彼が突然現れたせいで、私の生活はもうめちゃくちゃよ!
お姉ちゃんは始めこそ驚いていたものの、すぐに慣れたようで今ではもう当たり前のように彼を受け入れて普通に生活してる。信じられないよ。私は今でも彼の存在が信じられなくて誰かが仕掛けた大掛かりなドッキリか何かだと思ってるのに、お姉ちゃんは「それはそれで良いんじゃない?」と言うだけで慌てる様子も無く、のほほんとしている。もし本当に彼が、誰かが仕掛けた大掛かりなドッキリの仕掛人だったら、彼は人間で、男性で、――つまり、そうなのに!どうしてお姉ちゃんは危機意識を持たないの!?怖いと思わないの!?

「 私はもう行くけど、も遅れないようにね。」
そう言ってお姉ちゃんに新聞で頭を軽く叩かれて我に返った。
KAITOは立ち上がりお姉ちゃんに付き従い玄関へと消えて行く。
「 ……あ、いってらっしゃい!」
お姉ちゃんのいってきますと言う声の後に彼のお気を付けていってらっしゃいませマスターと言う、機械じみていて、何処か少し寂しげな声が聞こえた。
もうすぐに、彼が戻って来てしまう。
私は思い出したように、目の前の白いお皿に盛られているベーグルを口に詰め込む。少しでも早く、と。
、紅茶のおかわりはいる?」
少しでも早く、彼と2人きりになる時間を無くさなくちゃ。
そう思ったのに、彼は私の目の前でティーポットを手に微笑んでいる。
その姿を眼に映してしまい、私の心臓は不整脈を打つの。相手はアイドルでも歌手でもモデルでも俳優でも無く、歌う為に人間の手によって創り出された0と1の集合体なのに。
唯のPC用ソフトなのに。
「 いっ、良いよ、だいじょぶ、ありがとう……。」
鏡を見なくても解る、私の頬は茹蛸のように茹っている。首から上だけ、サウナに居るみたいに熱いもん。
チラッと視界の端に映った彼は唯微笑んで、ティーポットにティーコージーを被せた。
動くたびにサラサラと揺れる髪はサファイアのように青くて、見る者の目を惹く。
だからきっと、私もその内の1人なのよ。その内の1人に過ぎないのよ。
胸が早鐘を打つのも顔が熱いのも、綺麗なものを見て惚けているだけに過ぎないのよ。
相手は人間じゃなくて0と1の集積体なんだから!!

「 っごちそうさま、いってきます!」
「 あ、ちょっと待って。」
せわしなく口を動かしてベーグルを紅茶で咽喉の奥に押し込んで手を合わせ、隣に置いたカバンを引っ掴んで立ち上がると、背中に彼の声が掛かる。
唯それだけなのに、見つめられているだろう背中が熱くなるなんて、断じて認めないんだから!!
「 糸屑が付いてるよ。」
ふわりと柔らかい感触が頭に触れる。
「 いってらっしゃい、気を付けてね。」
光を纏った王子様が、私の髪を一束梳いて微笑むの。お手をどうぞと言わんばかりに手を出して、私のカバンをそっと取って。玄関まで行って振り返り、微笑むの。プログラムされたその優しい表情で。
「 …………いってきます。」

解ってるのに恥ずかしくて、俯いたままカバンを受け取って靴を履く。ドアを閉めて猛ダッシュ。この胸の高鳴りは激しい運動のせいだと誤魔化す為に。この胸をくすぐる甘くて苦い感情は恋なんかじゃない、断じて違う。認めてなるものか。人間がロボットに恋したって結果は散々、火を見るより明らかよ、報われないんだから。私があのKAITOに惚れてるなんて信じない、認めない、許さない!ましてやあのKAITOはお姉ちゃんが買ってきてお姉ちゃんがインストールしたお姉ちゃんのボーカロイド、私のじゃない。お姉ちゃんをマスターと呼び慕い、お姉ちゃんの命令だけを聞くの。
私は唯、お姉ちゃんの妹だから優しくしてくれるだけ。
解ってる、勘違いなんてしてないし自惚れてもない。
私は人間で、彼は唯の0と1のプログラムなのよ。