のようなあなた






   
屋上へと続く階段をのぼる。
今は四限目の真っ只中。

私はサボり常連の不良―――とは正反対で、授業をサボったりした事なんて無かった云うなれば優等生。
けどそんな"良い子"に疲れた私はいつしか始業のチャイムが鳴るのも構わず、何かに誘われるように屋上へと続く階段を一歩一歩のぼっていた。
そう、今みたいにね。
そしてあの人と出逢った。

誰も居ないだろうと思って開けた扉の向こうには先客が居て。
広い屋上のその真ん中で胡坐をかいてるあの人は、逆光の中、それでもそうと判る程大きく笑ってこう云った。

「 天気のエエ日は太陽の下で寝るモンやんな。」

「 こんにちは。」
扉を開けるとあの人――シゲさんはやっぱり今日も居て、あの日と同じ言葉と共に笑って私を受け入れてくれた。
ペコリと小さく会釈しながら声を掛けると、まだおはようの時間やと真顔で返された。


シゲさんは、変わってる。
風貌や口調もそうだけど、そんな上っ面じゃなくて、良くも悪くも変わってる。

あの日、私が初めて授業をサボった日も、シゲさんは何をするでもなく唯眩しく光る太陽を仰ぎながら寝転がって寝てただけだった。
例えば普通は、それこそ授業をサボった理由とか、学年とかクラスとか、名前とかを聞くものなのに、シゲさんはそれをしなかった。
唯猫のように丸まって、気持ちエエなと一言もらしただけで。
先生にチクられるとか怒られるかもとか構えてた私の心を壊すには充分で、私は暫く扉を開けたまま立ち尽くした後、取り敢えず座れば?と云うシゲさんの言葉にビクつきながら従った。
シゲさんの隣、数メートル空けて私は屋上のコンクリートの上直に、体育座りをした。

横目で盗み見たシゲさんは、猫のように本当に気持ち良さそうに目を瞑って日光浴をしてたから。
太陽の光に反射したその校則違反な金糸の髪が眩しくて綺麗だったから。
何故か胸が一杯になって泣けた。



「 今日は昼過ぎから雨やって。」
「 らしいですね。今日はこの時間が最後のお昼寝タイムかな。」
「 ちゃうでちゃん。お昼寝っちゅーんは午後のまったりとした時間に寝る事や。」
「 ……そうなんですか?」
そうやねん、覚えときや。
そう云うシゲさんは真面目な顔で力説する。
こんな事を真剣に云うシゲさんに、私はきっと惹かれたんだろう。如何でも良い事は何一つとして聞いてこないシゲさんに。
真面目な顔だったかと思えば、雨とかやってられんわと拗ねてみせたりと、シゲさんはシゲさんらしく相変わらず、そう、猫みたいだ。
自由気ままで、クルクルと表情を変える、クールな。
太陽の下で昼寝をしている姿が、本当に似合うと思う。

初めて会ったあの日、シゲさんはいつの間にか居なくなっていた。
私はいつの間にか眠ってしまっていたようで、時計を見ればお昼休みも半分を過ぎようとしていて。
あの人は幻だったのか、ああそうだお弁当食べなきゃと立ち上がったら何かが落ちた。
それは私のハンカチじゃなくて、lottoと書かれた知らないブランドのハンカチで。
なんだろうと思いながらも持ってなきゃいけないと酷く感じた。

猫は、エサを取れない者にエサを与えてくれる。
それはノラネコでもカイネコでも。


ちゃん美術で何描いてる?」
「 心の風景、ですか?」
「 そう、それ。」
仰向けに寝転がりながら、シゲさんは私に声を掛ける。
それに私は体育座りのまま、ボーっと遠くを見ながら答える。
これが、私達のスタンス。

次に会ったのは初めて会った日の丁度1週間後。時間も同じ。
屋上に続く階段を重い足取りでのぼった私は扉を開けた。
「 天気のエエ日は太陽の下で寝るモンやんな。」
その声も口調も一週間前と同じで、シゲさんは笑って亦会うたなって云った。
私なんかの事覚えててくれたんだって思えたら、何故だか胸が苦しくなって泣きそうになった。けど恥ずかしいからぐっと堪えて、小さくどうもと呟いて一週間前と同じ場所に座った。
その後はやっぱり何も聞かれなくて。
ポツポツと、取り留めの無い事を、天気が良いだとか昼寝は最高だとかそんな事を云ってた気がする。
私の中には未だ授業をサボった事への罪悪感があって、気持ちいいとは思えなかったけど、横目で見たシゲさんは安心しきった子猫のようにとても気持ち良さそうに寝てて、それを見てたら段々と視界が滲んでた。
結局、この日も私は泣いた。
四限目終了のチャイムと同時に私は、居た堪れない気持ちを隠すかのように足早に屋上を後にした。

猫は、敏感だ。
特に鋭く優れた聴覚で総てを把握する。


「 強く印象に残った風景を描けって、どんだけアバウトやねんな。別に想像したもんでもええとかぬかしよるし。」
「 ぬかすって……。シゲさんは未だ描いてないんですか?」
「 ごっつ印象に残ってるモンなんて無いしなぁ。何描いたらええか判らんねーん。
 せやから参考の為にもさぁ、ちゃん何描いてんのか教えてよ。」
衣擦れの音が隣からしたかと思うと、シゲさんは寝転がりながら私を見上げている。
金糸の髪をさらさらと風に揺らしながら。

三回目に会ったのは雨の日。確か、二回目に会った四日後だ。
放課後の昇降口で、傘も持たず如何したものかと悩んでいた私の隣に、いつの間にかシゲさんは立ってた。
吃驚しておののいていると、亦会うたなぁとにっかし笑われた。
どう返して良いのか判んなくて目をぱちくりさせてると、傘無いんやったら入ってきと腕を掴まれて無理矢理シゲさんの傘に入れられて、何故かそのままシゲさんが下宿してるお寺まで連れて行かれた。
どうしてお寺に一人で下宿してるのか、聞きたかったけど聞いちゃいけない気がして聞けなくて。そういや今も未だ聞けてないっけ。
お茶とお菓子を出してくれたシゲさんにお礼を云ったけど、それ以上口を開けなかった。
何故だか気まずくて。
「 そういや未だお互い名前云うてへんかったよな。」
不意にそう云ったのはシゲさんで。
「 俺はシゲ。シゲって呼んでくれてええよ。キミは?」
それが本名かどうかなんて疑う余地もなくて、そんな事どうでも良くて。
。」
気付いたらそう自分の名前を、苗字じゃなくて名前を云ったものだから、云った後で自分で吃驚した。
ちゃんかぁ。可愛い名前やな。」
でもシゲさんが笑ってそう云ってくれたから、妙に嬉しくて少しくすぐったかった。
他愛の無い話をして、雨も上がってたから私はそれから暫くして家へと帰った。
ああそうだ、と、ずっと持ち歩いていたlottoとロゴの入ったハンカチをこれシゲさんのですかと聞いて、返してから。
せや、どっかで落として探しててん、おおきにと云ってシゲさんは笑いながらそれを受け取った。
渡した後の帰り道、ああこれでシゲさんとの繋がりは消えたななんて漠然と考えたら、少し息が詰まった。

猫は、闇夜でも自分の行く道を惑いはしない。
鋭いその眼力で、エモノと道を見つける。


「 私は……暖かな陽の下で眠る猫を描いてます。」
「 えー、ちゃん猫飼ってんの?意外やわぁ。」
「 飼ってないです、飼いたいとは思うけど。
 それにシゲさん。こういうのは他人のモノを参考になんか出来ませんよ。
 なんでも良いんだから、力まずに描けば良いんですよ。」
「 そんなん云われてもなぁ。
 じゃあ俺もちゃんと同じのにしとこかな。」
「 駄目です。それは駄目。」
「 ええやん、ケチー。ちゃんのイケズー。」
そう云ってシゲさんはゴロリと寝返りを打って背中を向けてしまう。
そんな姿も、叱られて申し訳無く思い一人こっそりと反省している猫みたいに見える。
金糸の髪は尚も眩しく輝いている。

今日でシゲさんと会うのは八回目。
もう会う事も無いと、会っても話す事は無いと思っていたのにそれでもこうして会って話してる。
他愛の無い事ばかりだけど、それがとても心地良くて。

猫は、それでも情の深い生き物だ。

「 じゃあさ、じゃあさシゲさん。
 空。空なんてどう?晴れた日の空。シゲさんにぴったりだと思う。」
空を翔る事は出来ないけれど、能く晴れた青空は猫のものだと、勝手に思っている。
空は誰にも侵されない。
ちゃーん。空なんて子供のお絵かきやん。」
猫も、誰にも侵されない。
自由気ままでそれでいて情に厚くて。
いつまで見てても飽きる事は無く、寧ろどんどん惹かれていく。魅せられていく。
「 シゲさん、私達未だ子供だよ?」
ちゃん!」

そんな猫が、私は好きだ。