素直になれなくて――秋






ティーポットを持ち帰ってきたはトレイにそれを置くと椅子に座りシャーペンを握る。
「 それじゃあ、次は数学で。」
既に机の上に綺麗に広げられている数学のテストの解答用紙。
チラリと盗み見た北見の横顔は実年齢よりも幼く見えるがとても聡明で端整で、常時ほぼ崩れが無い。
耽美な(美しい)ものに目が肥えたの母に"私があと20歳若ければ"と言わしめる程、だ。
それにあのT大医学部にストレートで入学、現在も非常に優秀な成績を修め、折り目正しい品行方正な好青年。
そんな彼が何故、今、この自分の部屋に居るのかと少々怪訝に思いながら、は机の隅に置いていた数学の問題用紙に手を伸ばす。
「 随分手古摺ったみたいだな。」
そう話す北見の声は楽しげでもあり、怒りを含めたようでもあり。
小さな小さな溜め息を一つ吐くは問題用紙を広げると首を軽く振った。
「 夏休みはニースでバカンスだったから。」
「 知ってる。だがテストをすると言っておいたのも知ってるだろう。」
「 学生の本分は遊びだよ北見センセー?」
「 学生の本分は勉学だ。」
「 息抜きしないとそのうち倒れちゃうよ北見センセー。」
「 ここだけど、どうして間違ったか解る?」
眉間に眉を寄せるを切り捨て授業を進める北見は淡々とかわしている。

住んでいる世界が違う

違い過ぎると頭痛の種を見つけるは再び小さな小さな溜め息を一つ吐き、大人の男性の骨張った指先と未だ幼さの残る少年のような青年の横顔を順に見つめた。
続く沈黙に、重なる視線。
「 ……俺の顔に答えは書いてないよ。」
「 ソーデスネ。」
医者になるべく、我武者羅に勉強に勤しむ北見。そこにはきっと明確な夢と目標(ややもすれば目的)があるのだろう。
それに対して、自分は如何か。
北見の真っ直ぐな双眸から机の上に広げられた問題と解答用紙へと視線の先を移すは軽く目を閉じた。
「 ――どうして間違ったか、解る?」
再び問われたものの答えは、問題と間違った解答をじっくり見つめれば解る。
けれど、そんな質問よりももっと大事な問いの答えは幾ら考えても解らない。
生きる上できっと、最も大切な事のうちの一つであろう問いの答えが解らない。解りはしない。
「 ……………………?」
「 ……だってば、北見センセー。これは、ここの――――…………」
シャーペンを握り直し、問題用紙の余白部分に計算式を書き出すの表情は、何時もの彼女の明るいものではない。
これは解答を間違えたからではなく、答えを導き出せずに居るから。

何の為に勉強しているのか?

勉強し、良い成績を取れば将来の選択肢が増えるから。
それは間違ってはいない、正しい答えだ。
けれどその選択肢もその先も、何処にも何も見えなければ意味が無いではないか。

間違えた問題を一つずつ丁寧に解説している北見の声が、酷く遠くに響く。

こんな人生に意味はあるのか

「 解った?」
思春期になればきっと誰もが一度は通る道。
世界中の問題を独りで抱え込んだかのような、出口の見えない苦痛。
「 …………?起きてるか?」
「 ………………え?あ、ああうん、解ったよ北見センセー。ダイジョブダイジョブ。」
我に返り冷や汗を掻くはパッと明るく笑うといそいそと数学のテストを机の端に置き、代わりに英語のテストを眼の前に広げた。
まさかそんな疑問の答えを北見に聞く訳にもいかないだろう。
明確な目標を持った者に対してはその疑問は疑問では無く、何よりの愚問と成り下がる。
たとえ自分にとって何よりも難しい問題であっても。
「 紅茶のおかわりは北見センセー?」
「 ……貰おうかな。」
「 オッケー。」
覚られまいと、必死に"らしさ"を取り繕いは笑う。
そしてふと、先の事を思い出す。
「 そういえばさ、北見センセー。」
「 …………何?」
紅茶を足したマグを持ち上げるは、カップに口付け優雅に紅茶を飲む北見に体ごと向き直る。
「 北見センセーって今日、お誕生日だったんだね?」
ゴクン、と咽喉を鳴らし紅茶が胃袋へと落ちる。
傾けていたカップを水平に戻した北見は見開いた眼でをしっかりと捉え、瞬きすら忘れて探るように凝視する。
そのリアクションが可笑しいのか嬉しいのか、普段は決して見せる事の無い北見の表情を真正面から見つめるは殊更にっこりと笑うと静かに紅茶を二口飲んだ。
「 自分のお誕生日にまでバイトしてて哀しくないの?
 学生なんだから、お誕生日くらい遊んだり、彼女さんとデートしたりするでしょフツーは。」
「 ……学生の本分は勉学だ。」
正論を返す北見はそれでも驚愕と不快の色を見せている。
だが悪戯に笑うはもう一口紅茶を飲むと、ここぞとばかりに攻めに転じる。
「 あれ、否定しないの北見センセー?――あ、もしかしてこの後、彼女さんとデート・とか?」
「 キミには関係無いだろう。そもそも何処からそんな話が出てきたのか……。」
「 ん?ああ、そうそう。これ拾ったんだった。はい、北見センセー。」
そう言ってはスカートのポケットから白い定期入れを取り出すとすっかり忘れてたと笑い北見へと差し出した。
開かれたホワイトレザーの定期入れには定期と共に学生証が入っている。
それを見た瞬間、立ち上がり自身の体を服の上から叩いた北見の顔からは血の気が引いていた。
「 …………何処に……落ちて……?」
「 階段の下に。やだなぁ北見センセー、鬼か何かを見たようなリアクション取らないでよ。私は取って食べたりしないよ。」
「 ……………………中は見るんだな。」
「 誰のか解んなかったんだもん!はく兄達のかと思って、確認しただけです!!」
「 ………………………………取り敢えず感謝の意は表しておこう。」
「 全然感謝の気持ちが伝わってこないんですが?」
「 さあ、続きをしようか。」
の手の中から定期入れを持ち上げると急くようにしっかりとポケットに捻じ込んだ北見は引いた椅子に座りテスト用紙へと視線の先を戻した。
けれどもは少々頬を膨らますとマグを置き、北見の肘をツンツンと指先で突く。
「 勉強以外の質問に答える気は無い。」
「 でも今日は北見センセーのお誕生日なのよね?」
「 ………………」
ぐっと身を乗り出し顔を覗き込むが、北見は眼を合わせようとしない。
にじりにじりと、角度を変え迫る
「 定期に書いてあったよ?だからお祝いしないとね!?」
「 真面目に授業を受けてくれるのが何よりの祝いだ。」
ペン、と嫌そうな顔での額を赤ペンで軽く叩いた。
不満と喜色。
その両方を併せた表情を浮かべるや否や、はこれまでにない程の笑顔を見せ北見に詰め寄る。
ガタリと、北見は机から離れた。
防衛本能が正しく機能したのだろう。
「 ダメダメ!ちゃんとお祝いしなくちゃダメだよ北見センセー!」
「 …………その気持ちだけ頂いておこう。」
「 何言ってるの!……あ、そうだ、そう言えば北見センセーって今、大学2年だよね?」
「 ………………」
「 それもストレート入学?」
「 ………………………………」
「 無言は肯定と受け取ります。と、言う事は。」
キラキラと無駄に輝くの瞳。
対照的に、北見の瞳は焦りと恐怖からか震えているように見える。
「 もしかしなくとも、二十歳!?きゃあ、おめでとう北見センセー!!盛大にお祝いしなくちゃだね!」
「 ――少し早いが今日の授業はこれまでにしよう。」
「 やー待って待って!今帰ったらお母さんに今日北見センセーのお誕生日だって言いつけるよ!?」
「 勝手にしてくれ。」
「 そしたらきっとお母さんは暴走して、ワインとかケーキとか豪華なディナーとか用意しちゃうよ良いの!?」
「 その前に失礼するから問題無い。それじゃあな。」
「 わあ待って!ごめんなさい北見センセーごめんなさい!!」
帰り支度を手早く済ます北見に縋りつくようには叫ぶ。
これではもう、どちらが主導権を握っているのか判断がつかない。
良い子にするから最後まで帰らないでと願うは、当初の勢いは何処へやら、だ。
それでも本気で嫌がっているだろう北見はチラリとを一瞥すると部屋のドアへと突き進む。
「 それじゃあ、また来週。」
「 おっ誕生日おめでとうございます北見センセーッッ!!」
の叫びに近い声が部屋に響き、驚愕の色がその場を支配した。






Happy birthday
dear Kitami sense!