「 先生、わたし、死ぬの?」


まだ生きたいよ、まだ
わたし、先生に出会って、まだ生きたいって思ったの
先生のお顔を見ていたいって、思ったの……





不治の病 〜ただ、生きたいと願う〜




「 馬鹿を言うな。」

見晴らしの良い岬のテラスで紅茶を飲むが、ソーサーにカップを置いてブラックジャックを見つめた。
コーヒーを啜るブラックジャックは気取られぬ程小さく肩を揺らすと、目を伏せ斬り捨てるように一言告げた。

髪は風になびき、潮騒が2人にぶつかる。

「 ……でも先生、わたし、死ぬんでしょ?」

遠く近くを飛ぶカモメの鳴き声を掻き消すように、は言葉を紡ぐ。
はっきりと、けれど淡白に。

その声が、言葉が、ブラックジャックの胸に影と棘を落とす。

「 馬鹿を言いなさんな。、お前さんは誰に向かって物を言ってるのか分かってるのか?」

一口コーヒーを飲むと、伏せていた目を上げを視界の中央に捉える。
風に綺麗な黒髪を優しくなびかせるの表情は恐怖でも悲哀でも憤怒でも歓喜でも至福でもなく、能面のそれ。
その表情にぞっとすると共に、ブラックジャックの胸の内が知らず熱く燻る。
死に向かう彼女に恐怖心は無いのか。

「 私は不可能な事が無いと言われている天才外科医、ブラックジャックだぞ。」

そう、嫌そうに吐き捨てるブラックジャックの目を見据えた儘、は赤みの薄れた唇を動かす。

「 でも先生にも治せない病気はある。そうでしょ?」

揺れる事の無い瞳はまるでこの世のありとあらゆる総ての事象を見透かしているようで、居心地が悪く感じられた。

「 お前さんは私が助ける!」

潮騒以外静かな岬に怒気を含んだ大声が響き渡る。
小刻みに震えるガラス、柱、ウッドデッキ。
その総てがブラックジャックの心と共鳴するように鳴いている。

「 ……虚勢を張らないで先生。」
「 っ!」
「 先生が毎晩毎晩遅くまで医学書を読み漁っているの、わたし知ってるのよ。お願い先生、本当の事を言って?」
「 っ……!」

ブラックジャックは言葉に詰まった。

それはが事実を知っていたからではなく、能面を貼り付けていた彼女の本心が垣間見えたから。
死を理解していた彼女に恐怖心が無い訳ではなかった。
必死に押し殺して隠していたのだ。ブラックジャックに覚られまいと、必死に。
心配を掛けまいと、迷惑を掛けまいと、独りきりで出口の無い恐怖と戦いながら。

けれどその能面が今、剥がれかけていた。
冷静を装い声を抑え淡々と話してはいるが、能く見ればその所々が綻びかけている。
如何してそれに気付けなかったのか。
気丈に、無感動に振舞う彼女の心の内を如何して見つけてやれなかったのか。
死に向かっているのは自分では無く、彼女だというのに。
彼女の体ばかりに目が行って、肝心のものが何一つとして見えていなかった。

「 ………………。」

手に持っていたマグをテーブルに静かにおろす。

「 先生」
「 強がらなくて良い。良い子で居なくて良い。私の前では本音を隠さないでくれ、。」

ざわりと、一際大きな風が静かに通り過ぎる。
の髪が大きく泳ぎ、ブラックジャックのリボンタイが羽ばたく。

遠く近くでカモメは鳴き、波の音が五月蠅く響く。


くしゃりと、崩れた。

「 ……先生、わたし…………死にたくない……死にたくないよ…………!」

声を殺し涙を流すは擂り潰した声でそう叫ぶと、両手で顔を隠した。
その声に、表情に、ブラックジャックは酷く安堵していた。
ずっと、達観したように無感動な姿しか見せなかったが初めて見せた人間味。
生きたいと強く願う心。

「 死なせない……死なせやしない!誰がお前を死なせるものか!!」

今にも崩れそうなを強く抱きしめ、ブラックジャックは咆哮する。

「 お前は私の患者だ、私が必ず助ける!治してみせる!!」
「 ……先生……先生…………」
「 何年掛かろうとも、何十年掛かろうとも、必ずだ!必ず治療法を見つけ出し完治させてみせる!
 だからそれまで、私を信じて私と共に生きるんだ!!」
「 ……うん……うん…………」

は声を上げて泣き、ブラックジャックに縋りつくように抱きついた。
ブラックジャックは骨が折れる程を抱きしめ、彼女の総てをもらさず受け止める。



遠く近くではカモメが鳴き、海は穏やかに凪いでいる。