呼ば れ る 仕合 わ せ





   
「 急げよ。」
「 うーい……。」
強風が吹きぬける中、黒いコートを翻しながら2つの影がすり抜けて行く。

此処はロシアの片田舎。東の東に位置している。

「 ……ちょっと寒い。此処の空気冷た過ぎ。」
走りながらこうもらすのは、真っ黒いコートに身を包んだ少女。
「 無駄口叩いてる暇あるならもっと速く走れ。走ってりゃ寒さなんて感じねぇだろ。」
同じく、こう叱咤するのは、黒と白と銀が同居するロングコートに身を包んだ、髪の長い少年。
走りながらと云うよりは、疾走しながらと云った方が正しいかもしれない。
軽い身のこなしで次々と障害物を避け、進んで行く。
「 あのね、私はこれでも足には自信あるんだけど。なんならもっとアップしようか?
 それにね、神田。
 私は今、リナリーのスペアの団服着てんのよ。コートも着てるけど。
 ヒラヒラして、スースーして、いつも着てる、今神田が着てるヤツより寒いんだから仕方ないでしょ!!」
「 知るか。前の闘いで使い物にならないようにしたお前が悪いんだろ。」
お互いに前を向いたまま、忙しく足と口を動かす。
否、忙しく口を動かしているのは、少女の方だけかもしれない。
「 うるさーい!しょうがないじゃん、レベル2が2体だか3体だったか居たんだから。
 それでも全治一週間の怪我しか負わなかった私を、寧ろ褒め称えよ。
 いや、そんな事よりも。
 前から思ってたんだけど、お前って云うなよ、お前って。貴方何様よ。
 私には って麗しい名前がちゃんとあるんだからね!!」
ガサガサと草を踏み鳴らしながら、森の中を突き進んでいく2人。
「 ハッ、お前が弱いからそんな闘いしか出来ねぇんだろ。そんな奴の名前なんて、いちいち覚えてられるか。」
嘲笑のような笑みをこぼす、神田。
「 チクショウ、自分でもそう思ってるから前半は何も反論出来ねぇぜ。
 でもね、名前を呼んでもらえない気持ち、解る?結構鬱陶しいんだよ。
 畜生……。」
苦虫を潰したような表情をする、

「 良し、決めた。」
しばしの無言の後、おもむろにはこう云い放った。
「 そっちが私の名前をちゃんと呼ぶまで、私も貴様の名前は呼ばない。
 よーし、ケッテーイ。どーだ、悔しいだろう。」
一人、勝ち誇った顔をする。
子供ガキか。フン、好きにしろ。」
神田は眉間に皺を寄せ、面白くないといった表情をするものの、口から出た言葉はウラハラなものだった。

どうやらこの2人、お互いが相当に頑固者のようだ。
そんな遣り取りをしながらも、2人は足を止めない。否、止めないどころか益々速まっていく。


「 ところでさ。これ、道合ってるの?そもそも、私達って何処に向かってるの?」
ふと、思い出したかのようにがとんでもない事を口にした。
次の瞬間。
「 馬鹿か?おい、お前は馬鹿か?
 昨日コムイ……正確にはリーバーに資料渡されたろ。説明も受けただろ。聞いてなかったのか?」
矢継ぎ早に、呆れ果てた嘲笑の声が聞こえてきた。
「 か……貴様にはバカかと罵られたくない……。
 いやー、説明も資料も、なんか昨日は右から左でさ。ロシアの極東にイノセンス発見? ってのは知ってるんだけど。
 それにしても寒いわ。」
は流すように呟いた。

ガサガサと、暗い森を進む。
その先に、一筋の小さな、しかし明るい光が。
「 この森を抜けた先にある川に、光る大魚が居るんだと。
 そいつの姿を見た日は、槍の様な豹が降ったり、炎の様に熱い雪が降ったりするらしい。」
真面目な顔で、神田は前を見据えたままにそう話す。
なんだかんだ云って、神田はには弱い。みたいだ。
所謂惚れた弱みというやつだろう。きっと。
「 ふーん……なるほど。でもちょっと、怪奇現象にしてはショボくない?そんなもんなのかな?
 それに、今回は探索部隊ファインダー居ないの?」
頷きながらも、更なる疑問を神田に投げかける。
「 怪奇現象の大小なんて様々だろ。それに探索部隊の奴等なら……ほら。」
ガサリ と音を立て、2人は光の先へと飛び込んだ。
そこには。
雪に覆われ真っ白な、太陽の光を反射して眩しい一面が広がっていた。

「 ……寒ぅ。」
ポツリと、は溜め息を一つもらし、身体を両手でさすった。
「 ……。」
そんなを、神田は無言で睨み付ける。
「 ……?ねぇ、 探索部隊は?かん――っとと。」
身体をさすり小さくしながら、は神田へと向き直る。
「 ……あそこだ。」
ザクリザクリと雪を踏みしめて神田は前へ進む。
その後を黙って追う
少し前へ進むと、其処は断崖絶壁であった。
一面真っ白で繋がっている様に見えていた世界は、実は二分されていたのだ。
右方向に、小さく吊橋らしきものが見えた。
「 ……これが川、ですか。」
盛大な溜め息と共に、顔を下へと向ける
「 川、だろ。下に水がある。」
ハッと笑う、神田。
「 これは俗に谷と云うのでは……云ってもどうしようもないか。で、探索部隊の方々はっと。」
ザクリザクリと、もう少し前へと詰める
「 うーん……色が同じで見えづら……っ!?」
ガクンッ
「 なにやってんだ馬鹿!気を付けろ!!」
の身体が下へと沈んだ。
と同時に、神田の腕がを支える。
「 ごめ……血の気引いた。」
眼を見開いたまま、はしばらく何も出来なかった。
神田に後ろへ引っ張られ、足場の安定を確認すると、そのまま其処へへたり込んでしまった。
「 ……おい、立て。濡れるぞ。」
そんなの頭を軽く手でこつき、神田は吊橋へと眼をやる。
「 ……うん。」
こついてきたその神田の手を掴み、は立ち上がる。
「 !?」
普段ならばそんな事をせず一人で立ち上がるに、神田は少し驚いた。
片手を神田の手と繋げたまま、はコートについた雪をもう片方の手で払い落とす。
「 ……。」
神田は何も云わず、何もせず、唯黙ってを見つめている。
「 手、あったかいね。」
不意に見上げて視線を合わせたは、唐突な事を云い放つ。
「 そ、そうか……?」
その言動に気圧され気味の神田は、少し顔が赤い気がする。
「 うん、あったかい。
 ……
 で、これからどうするの?」
と、未だ神田の手と自分の手を繋げたまま、は吊橋へと視線を送る。
「 ……。
 あそこから下に降りて行き、その光る大魚とやらを探すしかないだろ。今回の任務は、ソレなんだからな。」
一度 眼を閉じて。
次に開いた時の神田の顔は、いつもの整った綺麗なものだった。
赤みも帯びておらず。戦闘態勢の、ソレに近い。
「 そか。それじゃ、行きますか。」
そう云って歩き出したは、どこか遠くを見ている様な顔で。
歩き出したと同時に、繋いでいた手も、自然と離して。

 ザクリ ザクリ 。
2人の足音と、2人の小さな呼吸音と、遠く下方からの探索部隊の声が聞こえるのみ。
その真っ白い世界は、五月蠅いほど静かだった。
だから、他の物音がすれば直ぐに判る訳で。

 ガサガサ――
草木を揺らす音と共に、森から3人の男が出て来た。
と神田は進めていた足を止め、その男達へ視線を移す。
3人の内2人は、部屋の中に居る時の様な服装をしている。つまり、コート類を羽織っていないのだ。
もう1人の男は、きっちりと、キャメル色のコートを羽織っている。
「 ねぇ……。アレ、可笑しくない?」
は神田にそう云いつつ、コートの内側に仕舞っている自身のイノセンス、対アクマ武器へそっと手を掛ける。
「 ああ。明らかに、だろうな。」
答える神田も、対アクマ武器のイノセンスに手を掛ける。
「 しょうがない、先に片付けるか。」
「 ……。」
云うが早いか、2人はイノセンスを発動させる。
と、同時に森から出て来た3人の男達も、被っていた皮を捨て本来の姿を露にする。
「 はー、やっぱりですか。ボールが2体と……レベル2が1体ね。」
 シャラリ
刃音はおと)を立て、は鞘からレイピア型とマインゴーシュ型のイノセンスを抜き、構える。
「 無駄口叩いてる暇があるなら、さっさとやれ。」
日本刀型のイノセンス、六幻を横一文字に構え、神田は言葉を吐く。
「 はいはい、やれば良いんでしょ。やれば。」
 ドドドドドド
の言葉の最後に被し、ボール型のアクマが弾を打ち出す。
神田とは2方向に散った。

「 災厄招来。」
六幻を横一文字に構えたまま、神田は高く飛び、こう言葉を発す。
  界蟲 「一幻」
「 ……あんまり好きじゃないんだけどなぁ、技に名前付けてそれ云うのって。」
両手をアクマへと向けイノセンスを構え、神田より低く飛んだ
「 よろしく、鎌鼬かまいたち)。」
其々のイノセンスから、神田はアクマ、はアクマの弾目掛け打ち出された。
  ドン ドドン
  ドドド ドン

ボール型のアクマ2体、そしてそれから出された弾も総てが壊されて。
残ったのはエクソシスト2人と、レベル2のアクマが、 1体。
「 ぶっ殺す!!」
そう叫びアクマは、目掛けて突進した。
「 壊してあげるよ、迷える子羊。」
今一度は、構える。

ぐんぐんと間を詰めるアクマ。
それに対し、神田もも再び放つ。
「 よろしく、鎌……ッ!?」
「 界蟲『一幻』」
 ドスッ
鈍い音が響いた。
次の瞬間。
ドン  、と音を立て、神田の一幻がアクマを貫き壊した。
が。
先の鈍い音。
を見れば、イノセンスの発動は解かれ雪の上に落ちている。
真っ白だった筈の世界は、所々に紅い斑点を飛ばしている。
左肩に、アクマの手が刺さっている。
「 !おいっ……!!」
神田は地面を蹴り、の元へと走り寄る。
能く見れば、の眼は閉じられており、手も傷口を塞ぐどころかだらりと垂れ下がっているだけだ。
「 !?おい、っっ!!」
の躯が、谷底へと呑まれた。



  寒い。
  寒い、冷たい。
  まるで、氷水の中を歩いているみたい。
  何も見えない。
  黒か白かすら、判らない。

  ……怖い。

  あ……。
  少し、手があったかくなってきたような。

  ん、何か聞こえる?
  遠くで、何かが。誰かが、叫んでる?
  なに、聞こえないよ。
  もう少し、大きな声で――
!」

そう、怒鳴りに近い声で叫んだのは、神田だった。
はゆっくりと眼を開け、物事を捉え始める。
「 あ………かん……だ――」
の眼には、神田の顔だけが映った。
が、直ぐに消え、黒いモノだけが視界に入る。
「 え……?」
次に感じたのは、何かが身体に触れる感覚。しかも力強く、抱き起こされるものであった。
少し横に首を動かすと、神田の綺麗な黒髪が見えて。
は何がなんだか判らずに居た。
「 ……神田?」
たまらず、名前を呼んでみる。
すると、一際強く、抱きしめられた。
「 かん――」
「 うるせぇ、少しは黙ってろ。朝からずっと、ピーチクパーチク云いやがって。
 そうかと思えばいきなり黙って倒れるし。眼を開けたかと思えば、人の名前連呼かよ。」
抱きしめたまま、神田は震えた声で言葉を紡ぐ。
「 お前はっ……。その中間が出来ねぇのか。五月蠅くもなく、静寂でもない。」
ばっと身体を離し、神田は真っ直ぐにの眼を見つめる。
状況が能く判らないも、されるがままに神田を見つめ返す。
両肩を神田に掴まれ支えられたまま。
「 不安にさせんなよ。お前はずっと、五月蠅くしてろ。俺がそれを黙って聞くから。」
そう、の眼を見ながら云う神田の眼は、顔は、不安で押し潰されそうというものだった。
「 頼む……。」
消え入りそうな声で一言そう云うと、神田は亦を強く抱きしめる。

少しずつ働き出した頭で、は思った。
自分の服や身体は濡れていないが、神田は濡れている事。
神田が団服を、着ていない事。
その神田の団服が、自分の身体に掛けられている事。
左肩に、応急処置が施されている事。
今、神田に抱きしめられているという事。
神田の身体が触れている部分が、温かいという事。
遠くに聞こえる、水の流れる音。
そして、先程の神田の言葉。

「 ――ごめん。
 ありがとう、助けてくれて。」
自分が、涙を流しているという事。
「 別に、助けた訳じゃねぇ。俺が、必要だと思っただけだ。」

そして神田が、必要としていてくれているという事。
は、はっきりとした頭で、判った。
自分が求めていたモノが。
安息、平穏、温もり。
手を伸ばせばいつも触れられる距離に居てくれる大切な人。
今此処に、それら総てが有るという事が、判ったのだ。

「 うん、ありがとう。
 私……。
 私も、ずっと求めてたのかもしれない。それがやっと、判った気がする。
 ありがとう、ありがとう神田。」
神田の胸に顔を埋め、神田の服を握り締めては云う。
流れる涙は、喜びの涙だろう。


「 そうだな。」
ふと、神田が云う。
「 名前を呼んでもらえない気持ち、か。なんとなく判った気がする。」
ふっと、抱きしめていた力を解き、再び顔を見合わせる。
の頬には涙が伝っているが、仕合わせそうな顔をしている。
神田も、仕合わせに満ちた、優しい笑みをたたえている。
「 そう。で、どんな感じ?」
は握っていた神田の服から手を離し、神田の足の上へと置く。
「 寂しい。と、哀しい。
 そんな感じか。」
神田は自身の手を、一方をの腰に、もう一方を髪へと触れさす。
「 良く出来ました。」
にっこりと、満面の笑みで返す
「 云ってろ。」
髪に触れていた手で、の額を弾く。
「 ねぇ、神田。だからこれからはちゃんと、名前で呼んでよね?」
と、自分の額をさすりつつ、神田に願う。
「 ……考えといてやる。」
自分の髪を掻き揚げ、から眼を逸らす。
「 ちょっと、神田!!」
「 冗談だ、。」




――――おまけ――――

「そういや私、なんでこんなトコに?そもそも此処何処?」
「……見てた川の直ぐ横にあった、洞窟。か。」(つまり、断崖絶壁の中にある、洞窟みたいなところ)
「え?なんでそんなトコに!?」
「覚えてないのか?」
「んー……。レベル2のアクマと対峙したとこまでは記憶にあるけど、その先は。
 でも、鎌鼬を出そうと思った時に、なんか、こう、後ろに引っ張られるような感覚に堕ちて。」
「……。」
「な、なによ。まさか、私アクマの攻撃受けてそれで意識失ったとか!?そうなの神田!!?」
「……泣くなよ。」
「泣いてないよ、泣きそうになってるだけ!そんな、情けない……。」
「――はぁ。」
「なに、その溜め息。やっぱりそうな――」
「違うから。取り敢えず落ち着け、泣くな。」
「……!」
「アクマの攻撃を受ける前に、お前のイノセンスの発動は解かれてた。」
「……お前?」
「あ、いや………………の。」
「うん、それで?」
「で、だな。多分だが、鎌鼬を放つ直前で、意識が途切れたんだろ。その後アクマに左肩突かれて、その勢いで谷底に。」
「え……本当?」
「なにがだよ。」
「いや、意識が途切れたとか。」
「……鎌鼬出した記憶無いんだろ?事実出してねぇし。」
「あ、いや、はい、うん。」
「多分、だけど。……気付いてないのか?」
「なに?」
「お前、熱出てんだよ。やたら寒いとか云ってたのもそのせいだろ。」
「お前?」
「っ……昨日の説明も右から左とか云ってたけど、それも多分そのせいだな。風邪でも引いたんじゃねぇか?」
「……お前?」
「……」(顔を逸らす)
「かーんーだー?名前呼んでくれないの?」
「……」
「じゃあ私も、名前呼ばないよ?」
「!?」(勢い良くを見る)
「か・ん・だ。」

「……。」