ゆっくりで良いだろ




   
「 付き合って3ヶ月も経つのにキッスもなにもしてないなんて、考えられないよ。おかしい!」

の頭の中には、先程、科学班室長であるコムイに云われたこの言葉だけが廻り巡っていた。

はエクソシスト見習い。1年程前からティエドール元帥の下、修行を積んでいる。
そんなの恋人は、同じティエドール元帥の愛弟子、神田ユウ。つまり、兄妹弟子となる。
如何いう経緯で2人が付き合い始めたのかは2人だけが知る処だが、2人が付き合っているという事を知る者は、教団内にも少なからず居て、勿論コムイも何故かそのうちの1人となっている。


本日の修錬を終え、自室へと戻っている道すがら、は先程のコムイの言葉を頭の中で反芻していた。
「 付き合って3ヶ月も、か……。私としては、3ヶ月しか、なんだけどなぁ。
 それに、キ、キッス……だなんて……。」
ブツブツと独り呟いては頬を紅く染め上げていた。
そんな中、ふと足を止め、今日の修錬の終わりを思い出す。
「 そういや明日から師匠達は任務、か。しかも……。」
其処まで云い終え、亦、かあぁと頬を染める。
「 しかも、私と神田は……お、お留守番……2人で……。」
熱を帯びた頬にそっと手を触れ、は瞼を閉じた。

 勿論その間、神田が私の修錬をつけてくれる事になってるんだけど。
 や、やっぱり歯は念入りに洗った方が良いかな……?
 って、わわわ!なに考えてるのよ!!単に修錬するだけじゃない。
 そんな、いくら神田と2人きりだからって、そんな、キッキッスとかそんな……。
 だ、だから私はなにを考えてるのっ!破廉恥な……。
 そもそもコムイ室長がそんな変な事云うから――。

ブツブツと、周りに聞こえるか聞こえないか程度に声を漏らし、ジタバタと動いたりピタリと止まったり。
傍から見れば至極変人丸出しでは顔を紅くしていた。

「 ――疲れた。早くお風呂入って寝よう。うん、そうしよう。」
ポツリと呟いて、は教団の薄暗い廊下へと溶けていった。



「 結局あまり眠れなかった……。」
げっそりとやつれた暗い顔をして、薄暗い廊下を歩く
未だ朝が早い事も手伝い、周りには誰も歩いていない。
「 どうしよう、今日は神田との修錬なのに。途中でヘバッたりしたら、嫌われちゃうかも……。」
暗い表情にフラフラとした足取りで食堂へと入って行く。
食堂内にはポツポツと幾人かが座っていた。
「 兎に角。食事だけでもしっかりとっておかなきゃね。
 と云っても食べ過ぎたら動けないし戻す恐れも……無きにしも非ず。」
そんな事を云いつつオーダーをし、受け取って一人席に着く。

 コムイ室長の言葉一つでこんなに動揺するなんて、私もまだまだなんだなぁ。
 神田なら、きっと一蹴しちゃって終わり。――なんだろうな。

はぁと溜め息をついて紅茶を飲み込む。
ふと、視界が暗くなった。
誰かが眼の前にでも座ったのだろうと思い何気なく顔を上げてみると、其処には長く綺麗な黒髪が揺れていた。
「 かっ神田!?」
思わず叫び声が漏れた。
ギロリと綺麗な顔に一瞬睨まれ、直ぐに我に返ったは俯き、小さくおはようと挨拶をする。
少し顔を上げて盗み見れば――盗み見る必要など何処にも無いけれど――さらしを巻いたその上に団服を纏った神田の身体からは薄く湯気が立っている。
まさか、こんな時間から一人で修練をしていたのだろうか。
未だ陽も昇りかけだと云うのに。

「 ……なんだ。」
しげしげと、食い入る様に見ていると神田と眼が合った。
慌てて目を逸らしてみれば、先の言葉を寄せられた。
「 え?いや……あの……こんな時間から一人で、して、たの……?」
うわぁ、凄いしどろもどろ。
そう自分自身でも感じる様な口調では返す。
「 ……まあな。いつでも任務に出られる様にしておくべきだし。」
ズルズルと蕎麦をすすりつつ神田は答える。
「 そ、そうだよね?」
朝早くからの修練と任務に出る事にどんな繋がりがあるのか、はイマイチ判っていなかったが、取り敢えず相槌を打った。

少しの沈黙。
お互いに何も話さずに朝食を進める。


「 10分後に修錬場に来い。」
パチンと箸を綺麗に並べて置いたかと思うと、神田はおもむろにこう発した。
「 あ、うん。」
そうが返事をしたのを確認すると、ガタリと席を立ち食器を片して食堂を出て行った。
暫く、ポケッとその姿を見ていただったが、直ぐに自分も立ち上がり修練の準備の為食堂を後にする。



「 着たか。」
「 ごめん、待った?」
まるでデートの待ち合わせのような遣り取り。
が修錬場に着くと、既に神田は其処に居た。
壁に寄り掛かる訳でも無く右手に六幻を持ち、唯その場に佇んでいる。
それだけの事なのに、やはり画になるなぁとは思った。
「 行くぞ。」
「 はいっ。」
すたすたと先に入って行く神田の後をは追って行く。
その右手にはやはり対アクマ武器のイノセンス、鉄扇型の戦扇いくさおうぎが握られていた。

修錬場に入ったのその顔は、どこか少し複雑そうなそれをしている。
一緒に居る相手が恋人の神田とは云え、これから行うは修錬。
色々な邪心など捨ててそれに集中しなければならない。
しかし、である。
昨夜コムイに云われた言葉が、やはり頭の片隅から離れないのだ。
眼の前には、恋人である神田が、居る。
ついつい、視線が神田の口元に行ってしまっても、それは人間の性と云うものだろう。


「 ……ぃ、おい、聞いてるのか?」
「 え……?あっああ、ごごごめん、何?ちょっとボケッとしてた。」
神田が少し声を立てると、ボーっと神田の唇を見つめていたは慌てて返事をする。
心此処に在らず、と云った雰囲気だ。
「 ――はぁ。」
そんなを見かねたのか、神田は小さく溜め息をついた。
呆れられてしまったかと、少し焦る

「 あのな。」
ポリポリと頭を掻きつつ、神田は口を開く。
「 今回師匠がを置いて行ったのは、別に足手まといだとかそういう事からじゃねぇから。」
と。
突然の事には目を白黒させる。
「 今までずっと、師匠の気まぐれと任務で世界中歩き廻ってたんだ。
 少しくらい、休んでも良いだろうって事で今回は外されたんだよ。
 だから、別にが弱いからとかそういう事じゃねぇから。そんなに落ち込むなよ。」
少し顔を紅くさせて、少し小さめの声で、確かにそう云った。
しかし云われた当の本人・は、何の事だか全く判っていない。頭の上にクエスチョンマークを幾つも飛ばしている。

当然、沈黙が続く。
変に思った神田が顔を上げを見つめる。

「 え?……あ、うん、うん、判って………る、よ。な、なに、どうしたの急に?」
突然の話についていけず、は神田に聞き返した。
「 なにって……だから、がボーっとしてるから……。
 置いていかれた事に対して落ち込んでんのかと思って、だな。」
違うのか?
と、まさかそんな返しが来るとは微塵も思っていなかった神田は、目をパチクリとさせ、必死に言葉を続けた。
が。
「 まさか。久しぶりにゆっくりベッドで眠れるから喜んでるくらいだよ。」
などという言葉が更に返ってきた。
自分の読みが外れた事も含め、色々と考えてフォローの言葉を伝えたのを思い出した神田は、顔を紅く染め上げる。
「 バッ……!?ならどうしてボーっとしてたんだよ?」
紅い顔をしながら神田は尤もな事を聞く。
「 どうしてって、それは……。」

その言葉を聞いたは、亦、昨夜のコムイの言葉を思い出し、神田の顔を見つめながら顔を真っ赤に染める。
そんな様子の意味が判らず、ますます神田は問い詰める。
「 それは、なんだよ?」
いつの間にか紅潮していた顔も元に戻り、いつもの綺麗な顔が少し近い位置にある。
は神田の口元を見ては亦一人顔を紅く染め上げる。
?」
近く、神田が更に追い詰める。
ドキドキと胸が鳴り始め、は一段と顔を紅く染め俯いてしまった。
不審に思った神田は眉間に皺を寄せる。
「 ……おい、好い加減にしろ。こんな状態じゃ満足に修錬も出来やしねぇ。」
チキリ、と六幻を鳴らし更にへと近づく。
その神田の圧力に負けたのか、暫くの沈黙の後、は観念した様でポツリポツリと口を開いた。

「 昨日の夜、ね。コムイ室長と談話室で少しお話してたの。」
「 コムイと……?」
"コムイ"と云う言葉に神田は少し眉を動かした。
が、はそんな神田の様子を確かめる余裕も無く、続ける。
「 それで……私と、神田の話になって……。」
云い辛そうに歯切れ悪く、俯いたまま。

此処まできて、鋭い神田は大体の事が判った様で、深く眉間に皺を刻みに気付かれない程小さな舌打ちをした。
尚もは、恥ずかしそうに口を小さく開け続ける。
「 あの、それで、ね?コムイ室長が……その……。さ、3ヶ月も付き合っ―――」
「 判った。」
「 て………え?」
勇気を振り絞り、恥ずかしさを我慢して云おうと決めその直前の言葉までを云った処で、神田の声が割り込んできた。
当然、は驚き神田の顔を見上げる。
見上げた先の顔には、深く皺が刻まれており、そう、つまり。
「 あ、えっと、判っ……た?」

苛苛している証拠だ。
しかし本人に『怒ってる?』などと聞くよりも先に、何が判ったのか、そちらの方が気になった。
だから口をついて出てきた言葉は、これだったのだ。

「 ああ、大体・な。」
ふうと息を吐き、ちらりとを見る。
紅い顔をした恋人が、どうしたのかと云う顔で自分を見上げている。
その姿が可愛く映り、気付くと神田はの頭の上に自分の手をそっと置いていた。
「 コムイにロクでもねぇ事吹き込まれたんだろ。
 良いんだよ、別に。他人は他人。俺達は俺達のペースで進んでいきゃ良いんだから。
 変に色気づいて意識するなんて、愚の骨頂だ。」
わしわしと力強く、けれども優しく繊細に撫でる。
ゆるゆると、神田の言葉をかみしめる様に理解したは、自然とその明るい笑顔を咲かせていた。

「 ……うん、ありがとう、神田。――ごめん、ね。」
「 気にするな。おら、そろそろ修錬始めるぜ。」

珍しく神田も笑って、2人は修錬場の奥へと消えて行った。




後日。
コムイに神田の殺意が形として送られたのは云うまでもないだろう。