「 ……あれ?いつから其処に居たの?」 驚きを隠せないで居る女性。彼女は今の今まで、一人、部屋でアフタヌーン・ティーを楽しんでいた。 其処へ青天の霹靂の如く現れたのは、赤毛に帽子、仮面、黒のロングコートと不審人物丸出しの男性。 「 物音一つ立てないなんて、まるでドロボウかなにかみたい。」 そう云って困惑しつつも眉を寄せて笑う彼女は、男性に座るよう手で促した。 男性はその様を黙って見、女性の隣へと深く腰掛ける。 3人掛けのソファに、2人寄り添うように。 「 飲むでしょ?今用意させるわ。」 女性は立ち上がり、おもむろに受話器を持ち上げ其れに向かって一人話し始める。 「 ――うん、よろしく。」 チン と鳴らして受話器を下ろす。 「 それにしても久しぶりね。マリアンが此処に来るなんて、珍しい。」 にっこりと微笑み、マリアンと呼ぶ男性の隣に再び座る。 すっと紅茶に手を伸ばし、口を付ける。 「 そうだったか。」 部屋に入ってきてから初めて、男性――マリアン――は口を開いた。 「 。」 そう云って彼女――――の顔を見つめる。 「 どうかした?」 マリアンの呼びかけに少女の様に笑いながらは答える。 ふわりと笑うその笑顔に照明の光が反射して、をより一層綺麗に見せる。 「 ――否、なんでもない。」 ふっと視線を外し、マリアンは運ばれて来た紅茶に手を伸ばす。 隣ではが、可笑しそうに小さく笑っている。 「 そろそろか。」 陽が傾き、一層明るい光が窓から差し込み始めてから暫くして、マリアンが不意に口を開いた。 「 あ、もうそんな時間?」 再開してから数時間、特別何をする訳でも無く2人は仲良く並んで座っていた。 時折思い出したかの様に一言二言交わしたり紅茶を飲んだり。 互いの躯に触れる事は無く。 「 ああ、そうらしい。……面倒臭ェ。」 「 こらこら、何云ってるの。お仕事なんだから仕方ないでしょ。」 は呆れた様に笑い、マリアンは気だるそうに息を吐いた。 会話を聞くに、どうやらマリアンに仕事の時間が迫っている様だ。 マリアンからの次の言葉を待ちながら、はマリアンの顔を見つめている。 その様子に気付いたマリアンは、大きな溜め息を一つ、落とした。 「 行きたくねェ。」 「 何を云いますか、お兄さん。」 は苦笑いをもらし、マリアンの言葉を咎める。 「 大事なお仕事なんだから。ちゃんと、こなしなさい。」 にっこりと笑って、ね?と付け加える。 しかしその笑顔には、どこか影が落ちて見える。 言葉では早く行く様に云っていても、やはり寂しいのだろうか。 「 ……行きたくないな。」 尚もマリアンは、言葉を続けた。 己から時間だと云っておきながら、しかし行きたくないと云うその心中は計り知れない。 「 もう、仕方ないなぁ。 駄々こねてないで、早く行きなさい。」 ほら、と、笑って急かす。 観念したのか、マリアンは深く溜め息をつきながら重い腰を上げた。 それを見届けたは悲しげに、それでも気丈に笑う。 「 次、いつ逢えるんだ……。」 不意にマリアンの口から紡がれた言葉には、酷く哀愁が含まれていた。 今まで『行きたくない』と云っていた時は、それでも声はいつもの調子だった。 それなのに、今紡がれた声にはそのハリも無く、寂しさだけが漂っている。 そんなマリアンの様子に驚いたのか、は目を見開いたまま止まっている。 ほんのりと、頬を紅く染め上げ。 「 ……もう。」 ふっと息を吐き出し、優しく微笑んでは言葉を続ける。 「 仕方ないなぁ。」 そう云うと不意にマリアンの右手を取って、部屋を出た。 に引っ張られる形でいるマリアンは、何が起こったのか理解出来ていない様で、目を白黒させている。 黙ったままは、マリアンの右手に自分の左手を重ねたまま、リードしながら屋敷の中を歩く。 広いホールに出ると、左手方向に緩やかなカーブを描いた木の階段が見えた。 は自分がリードしたまま、手すりに手をかけゆっくりとその階段を上る。 途中、何度か振り返り、マリアンと目が合うとにっこりと微笑んだ。 階段を上ると、オレンジ色の眩しい光が目に入り込んできた。 窓の木枠は、オレンジ色の影を落としている。 「 なんか、……片付けられなくてあの時のままなんだ。」 くるりと振り返って手を離し、ぱっと明るく笑っては云う。 階段を上りきったその先には、家具がひっくり返って無造作に置かれていた。 否、置かれていたと云うよりは、積まれて、投げ出されていたと云った方が正しいだろう。所狭しと高く積まれている。 しかし大きな窓の前にだけは不思議と空間が出来ていて、その窓からオレンジ色の夕日が差し込んでいる。 「 ……。」 2人の間には、沈黙だけが寄り添う。 はマリアンに背を向け、おもちゃ箱をひっくり返した様な不思議な空間を見ている。 「 あの日――」 「 。」 何かを云おうとした瞬間、マリアンがの名を呼びその言葉を遮った。 驚いたは振り向きマリアンを見る。 「 ……マリアン?」 見つけた先のマリアンは、ビニールの袋をかぶった白いくまのぬいぐるみを左手に持っていた。 訳が判らず、はマリアンを見つめる。 ビニールの袋をかぶった白いくまのぬいぐるみは、そこらに散乱している家具同様、床に落ちていた物だ。 「 。 これを、抱きしめてくれないか?」 憂いを秘めた声で、マリアンは続ける。 「 これを……。」 切なげに、そう云っての横まで歩き、白いくまのぬいぐるみを差し出す。 何を云われたのか、すぐには判らなかっただが、次第に頬を紅く染めていき、小さく頷いてそれを受け取る。 「 ……うん、判った。」 そう云って、ゆっくりとビニールの袋を外す。 目にはうっすらと、涙が溜まっている。 パサ 軽い音を立てて袋が床に落とされた。 は黙って、じっと白いくまのぬいぐるみを見つめる。 そして瞳を閉じ、両手で力いっぱい抱きしめた。 自分の香りを移し、温もりを移し、自身をも移す様に、ゆっくりと、力強く。 互いに放つ言葉数は少ないが、それでも互いを信じ通じ合っている。言葉など不要だと、そう云っているかの様に。 2人を包む沈黙は、理解のそれなのだろう。 キラリキラリとオレンジ色の光が横から差し込まれる。 「 !?」 が白いくまのぬいぐるみを抱きしめていた時。 不意にマリアンの左腕が伸びての右手首を掴み引き寄せた。 突然の事に驚いたは眼を開けマリアンの顔を見上げる。 「 !!」 ――トン なにかが弾む音がした。 白いくまのぬいぐるみは、の足元に転がっている。 マリアンに腕を引っ張られた弾みに落としてしまったのだろう。 オレンジ色の光に包まれ、2人は唇を重ねていた。 そう、がマリアンの顔を見上げた瞬間に。 右手首と左の二の腕をしっかりとマリアンに掴まれ。の両手は、重力に逆らえずだらりと垂れ下がっている。 「 ――、……」 ゆっくりと、2人の顔が離れていく。 の顔は赤く染め上がっており、涙は頬を伝っていた。 カラン カラン―― 乾いた音が床に響く。 2人は再度近づいて、今度は深く唇を重ねた。 マリアンはきつくを抱きしめ。 も、マリアンを抱きしめて。 オレンジ色の光に包まれ。 2人の足元には白いくまのぬいぐるみと、仮面が落ちていた。 |
オレンジ
色の香り