「♪〜♪」

フローリングに掃除機を掛けていると背中でアラームが鳴った。
ピピピピと#レの音を上げる時計を止めようと振り返ると、開けた窓の外を白い小さな物体が通り過ぎる。
「……雨?……にしては、ゆっくりしてるな……大きいし。」
壁に掃除機を立て掛け、天蚕糸(てぐす)を引かれるように窓へと歩きステンレスの柵に手を掛けるとキシリと小さく音が上がる。
ひらひら、と小さな紙が落ちているようなそれを手で受けると、
「、アレ?」
音も無く、姿を消してしまった。
吃驚して手を引っ込め、それが落ちたところをよく見れば、僅かに水が在った。瞬時に、マスターの言葉が思い出される。
「……これが"雪"?」
少し前にマスターに教えて頂いた言葉。寒い日に空から降ってくる白い物(その原理はメンドーだからって教えては頂けなかったけど)。
「これが"雪"、か……。」
もう一度、外へと手のひらをかざす。
ひらひらと音も無く舞い落ちる白い"雪"が何故だかくすぐったくて、マスターに逢いたくなった。
「――あ、マスター!」
そうだったと弾ける思考。ボクはこんな事をしている暇は無いのだった。
後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、素早く手を引くと静かに窓を閉める。
五月蠅く音を立てるとゴ近所サンに迷惑だからとマスターが渋い顔で教えて下さったから。
それからしっかりと鍵を掛けてカーテンを閉め、止めていなかった時計を止めて、鏡を見る。
あ、そうだエプロン。また着けたまま外に出るところだった。エプロンは部屋の中で着ける物なんだよね。
掃除機のプラグも抜いておかないと。セツデン?の為に。

「電気良し、戸締り良し、と。」
マスターに頂いた青い鈴のついた鍵をポケットにしっかりと入れ、ノブを回して鍵穴を指差し確認。
別に盗られるようなものは特に無いけど這入られたら色々イヤだから、外に出る時は電気と戸締りには特に気を付けなさいと仰ってた。……ボクもパソコン(ボクの家)を勝手に漁られたら気分が悪くなると思うから、マスターの仰った事が大体解る。
ような気がする。
「!コンニチハ!」
「!!こ、こんにちは……。」
人と会ったら笑顔で挨拶。と、会釈。
『KAITOの笑顔は武器だから』って、如何いう意味だろう?武器だったら人に向けちゃダメなんじゃないのかな?
マスターの言葉は時々、理解不能だ。

けど、『雪が降るとなんかテンション上がる』というのは、理解出来る。ボクもなんだか、躯が弾むようだ。




「マスター。」
ひらひらと静かに降る"雪"。
「っか――何してるの!?」
「お迎えに上がりました。」
パチンとボタンを外し、パンと薄いピンクの傘を広げ手を振る。
だけどボクに気付いたマスターは慌てたように顔を強張らせ、小刻みに震えている。……あ、寒い、から?
隣に居らっしゃる方々は、お友達さんだろうか?
「マ」
「あ゛ーっっ!!」
スターと続けようとするとマスターが大声で叫ばれた。
如何したんだろう?
「マ」
「ああっ!!ちゃんと傘の中に入らないと風邪ひくよ?ほらもう、こんなに濡れちゃって!」
「マ」
「マスターって言ったら解雇解雇(アンインストール)だから。……私の名前は?」
駆け寄ってボクの足を踏むマスターの声はとても小さく、とても低く、少し濡れた前髪から覗く瞳は未だかつて見た事の無い鋭さを湛えていて。
「………………、さん……………………。」
「良し。」
反論出来なくて、にこりと微笑むその笑顔を見ても恥ずかしさよりも何故だか恐怖心が芽生えた。
……MEIKO姉さんが重なって見えたなんて、気のせいだよね…………。
マスターへと傘を傾けると押し戻され、髪や肩や胸元をポンポンとはたかれる。
……これは如何いう意味だろう?
「マ」
「ま?」
「…………さん……。」
「うん、ちょっと待ってて。」
そう言うとマスターはお友達さんの所へと小走りに走り寄り、傘を差し出そうとするとイイからと断ってしまわれた。
未だ"雪"は降ってて濡れてしまうのに……。
暫くお友達さん達とお話していたけれど、じゃあねとまた明日ねとごめんねが聞こえると、マスターがボクへと振り返り足を前に出された。慌てて、傘を差し出して走り寄る。
「あの……」
「イイよ、ダイジョブ、帰るよ。」
「え、でも……?」
「か・え・る・の。」
「は、はい!」
マスターのお顔とお友達さんを交互に見てると腕を引かれ、濡れるからもっと引っ付きなさいと言われた。
チラッとお友達さんを見ると笑顔で手を振って下さったので、出来る限り頭を下げた。



「前にも言ったけど、いちいち迎えに来なくてイイから。ちゃんと毎日一人で帰ってるでしょ?」
少し強くなった"雪"が、パサパサとナイロンの傘に当たる音が聞こえる。
大学を出て暫く歩くと、不満そうな口調でマスターが言葉を紡がれた。

マスターの許へ来た当初、長時間マスターと離れているのが不安だったから毎日大学の終わる時間に門の前で待っていたボクに、体面があるからやめてイヤガラセかと、マスターは良い顔をされなかったのは確かだ。
だけど今日は、理由が違う。

「聞いて下さいマスター。」
「マスター?」
「………………聞いて下さい、えと、……さん……。」
睨まれてしまった。
そもそもマスターとお呼びするようプログラミングされているのだから、マスターの事をお名前でお呼びするのにはかなりの抵抗がある。第一、呼び慣れないし申し訳無くさえ思えてしまう。
けれどお仕えするマスターがそう望むのであればそれに応えるのがボーカロイドの責務、なのだろうか?
「ハチ公の言い訳?」
「……ハチコウ……?いえ、違います。今日お迎えに上がったのは、"雪"が降っていたからです。」
じっとりとした視線を送られるマスターに、誠心誠意真意をお伝えする。
嫌がらせでも無く、不安からでも無く、と。
だけどマスターは渋い顔を崩されない。
「……これくらいの雪、どってことないわよ。」
「でも濡れます!雨の日は傘が必要ですよね?マスターは今日傘を」
「マスター?」
「ッ…………さんは今日、傘をお持ちにならなかったので大変だと思いまして……!」
誠心誠意、言葉を尽くしても伝わらない事がままあると教えて下さったのは、マスターでした。
これがそうなのでしょうか。ボクの気持ちはマスターに、伝わらないのでしょうか?
マスターの足が止まり、ボクの足もそれにあわせて止まる。
パサパサと、"雪"の降る音だけが耳に響いて、それがとても、不快で、苦しくて……。
出過ぎた真似、だったのだろうか?

「大変だと思うなら、自分もちゃんと傘に入って来なさい。」
ペチン――
そっと外した視線が不意にマスターを捉えた。
「雪に濡れて故障――なんて、ドコにドーユー風に修理に出せばイイのかわかんないでしょ。」
ね、と続けるマスターの頬はぷくりと脹れている。
けれど怒りを伝える言葉が迎えに来た事では無く別の事に向けられているのに気付いて、頭の中にファンファーレが鳴り響いた。
「マス」
。」
「……はい、さん!」
力強く返事をすると、やっと笑って下さって。ボクはそれがまた嬉しくて、締まりの無い笑顔になっていたようだ。

でも次からは勝手に来ないで来る前にメールしなさいと怒られてしまった。帰ったらメールの練習をするそうだ。
同じパソコンのソフトだからすぐ覚えられるでしょ、なんて無責任ですマスター。
マスターのお手を煩わせないよう、頑張らないと。
……でも如何して、ボクがお迎えに上がると迷惑?なのだろう?

「あ、マスター!?」
、と声を上げながら傘の中から出て行ったマスターはくるりと回転して、楽しそうに微笑む。
雨の日に傘を差さないと風邪をひくとか、ボクには濡れるから傘を差せと仰るのに、マスターの言動は時々、
理解に苦しむ。
「濡れますよ!」
「ダーイジョーウブ!それにほら、今日は初雪だから!」
「ハツ"雪"だと如何大丈夫なのですか!?」
「初雪だとテンション上がるじゃない?」
聞かれても困ります、ボクは今日生まれて初めて"雪"を見たのですからと口から零れ出す瞬間、初めて
"雪"に触れた十数分前の事を思い出した。
確かに、ボクも笑ってた。筈。今のマスターのように。

アイボリーのロングコートを翻してはしゃぐマスターが、随分と幼く映る。
"雪"はそんな不思議な力を持っているのか。
「あまりはしゃいで、転ばないで下さいね。」
「KAITOに幼児扱いされるとは……悔しい。」
「?何か仰いましたか?」
「んーん、なにも。KAITOはちゃんと傘差しててねー。」
壊れても修理なんて出来ないからー、と雪の向こうで背中を見せるマスターの声に少し、違和感を覚えた。
数歩足を動かせば手の届く距離。冷たいと笑うマスターの声。
なのにこのまま、永遠に手が届かないような、泣いているように聞こえるような。
その声すら掻き消してしまうような"雪"が酷く、疎ましく感じられた。

「マスターッ!」
「――え?」
頭の中に五月蠅く早く響く、警鐘の音。
「……どしたのKAITO…………?」
ボクを見上げる黒い双眸が瞬く。驚いたように、何度も。
「…………そんな、抱きすくめなくてもコケないって。」
くすっと笑うマスターに頭を撫でられ、言葉に詰まった。
視界を白いマーブル模様に染める"雪"は未だ止まない。チラチラと、ひらひらと、ふわふわとヒトの視界の邪魔をする。
マスターの背中が消えてしまいそうで、無我夢中で伸ばした腕の中にマスターは居るけれど。
「……帰ろっか?」
「………………はい…………。」
確かに、触れているのだけど。
「傘、拾って来てくれる?」
「……はい!」

今、離れたこの手はまた掴めるのだろうか?

雪の舞う中、消えてしまいそうな背中を――




雪の舞う中、消えそうな背中






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For Song for youさま and you
再び素敵な企画に参加させていただきまして、ありがとうございました!!
余り甘くなくてゴメンナサイ!


タイトル
r e w r i t e
君と過ごす一年で十二題(内、一部)