耳障りな程、静寂(しじま)な世界。蝋燭の炎の小さな揺らめきさえ遠く響く。
窓のステンドグラスから差し込む上弦の月の光が煩く蒼い。
ピンと張った糸の上を歩くような厳かな空間に影を落とす男2人。一言二言残すと、うち一人が静かに歩き出す。
音が能く響く空間に靴音を鎔かし、軽い木の扉を開けその先の闇に紛れるように消えて往く。
残された男は悲痛な表情で十字を切ると落ちていた真紅のバラを白いシーツの上に乗せ、扉をそっと押し開け出て行った。
人気の無い静寂の世界。肌寒い空間。
蒼い光の差し込む下に、花の中で静かに眠る少女の姿があった。
白いシーツのベッドの上で静かに眠る少女の頬は新雪のように白く、周りに散らされた花々を強く際立たせる。ピンクのバラを添えられた長く綺麗な白い髪も、高く差し込む月の光に鈍く反射し蒼く染まっていた。押し殺した息遣いさえ聞こえる程の静寂の世界で、炎の揺らめきだけが煩く響いている。
胸の上で手を組み、花に埋もれる少女。





簡素な安宿の一室。
寝返りを打つと、花の飾りのついたくまのぬいぐるみを抱いた少女が隣ですやすやと眠っている。頬に掛かる髪を指先で抓み優しく払えば、仕合わせそうな寝顔が現れる。幼い女の子の、悩み無き無垢な寝顔。流れる髪は絹のように滑らかで指の隙間から滑り落ちる。薄紅色の形の良い艶やかな唇、陶器のように透き通る白い肌。そっと触れれば温もりが移り、くすぐったそうに身じろぐ。
月の無い夜。ふと目覚め、眠れなくなる。
光源の無い暗い部屋の中でベッドから抜け出した男は転がる瓶へと手を伸ばす。




花を散りばめたシーツごと静かに眠る少女を横抱きに抱き上げる。足の踏み場も無い程花を敷き詰めたその上に、バラバラと音を上げ落ちる花。冷えた部屋に一人分の温もりが侵入し、眠る少女を連れそっと出る。黒いコートの裾を翻し、黒い婦人を肩に乗せ。主の居らぬ空のベッドにメモを残し、花の上を静かに歩いて、噎せ返る程の花の香に満ちた部屋を後にする。少し軽くなった白い少女と花を抱いて。




窓から差し込む眩しい朝陽に起こされ、酒を握る逆の腕の中に小さく眠る少女を見つける。花の飾りのついたくまのぬいぐるみを抱きしめ仕合わせそうに寝息を立てている少女を。
「 同じベッドでなど寝られません!!」
と、何時か顔を赤くしていた筈なのに……腕の中にはすやすや夢を見ているような少女の寝顔しかない。くうくうと何の疑いも無く眠り、人並みの温もりを持ち、頬に掛かる髪を耳に掛ければくすぐったそうに微笑む。




月の無い夜、確かな足取りで新雪を掻き分け眠る少女を運ぶ。
白い世界に色をつける男の黒と、花。
総てが雪に隠された白い世界。だが男の足は迷う事無く、ひっそりとやっと立っているような大雪に覆われた東屋へと辿り着く。少女を抱えた儘器用にドアを開け、月の光を受け輝く白銀の世界から暗い闇へと惑わず足を踏み入れる。





頭からかぶる熱いシャワー。
柄にも無く昔を思い出して傷心か?と男の口角が緩く上がる。肌に張り付く赤い髪。身体を流れ伝うシャワーの湯は鈍い音を立てながら排水溝へと流れて往く。ゴボゴボと、嫌に安い音を立て。
バスタオルを腰に巻き頭をガシガシと煩雑にタオルで拭きながらドアを開けると、ベッドの上で眠そうに目を擦る少女が居た。花の飾りのついたくまのぬいぐるみを力無く抱き、気付いたのか男を見つけると「おはようクロス」と大欠伸。ふっと笑うクロスは止まっていた手を再び動かし、頭を拭きながら椅子を引く。
「 欠伸の時は手を添えろ。」
言って、グラスに水を注ぎ一気に飲み干す。ゆらゆらと小さく頭が揺れる少女は寝惚けた声で返事をし、しぱしぱと目をしばたく。
「 よく眠れたか?」




噎せ返る花の香。ひやりと冷たい鋼鉄の部屋。およそ外観からは想像もつかない内装の小屋。
花を引く男は部屋の真ん中にある鈍い光を放つ銀色の冷えたベッドに少女を寝かせ、シーツを綺麗に広げては空いたスペースへ花を添える。白いシーツが見えぬよう、少女の黒い服が見えぬよう、隙間無く丁寧に添える。部屋一面、壁や床に花が敷き詰められているのと同様に、色とりどりで様々な種類の花を添える。愛おしそうに少女を見つめ、白い髪に優しく櫛を通して整え、一輪の青い花をそっと髪に差し。





黒い団服を身に纏った少女がベッドに腰掛け、にこりと微笑み足をブラブラと動かす。何も言わず、ただにこにことクロスへと微笑み掛けている。白いシャツを着たクロスが小さく苦笑し短い息をひとつ吐くと、少女は手に持っていた櫛をクロスへと嬉しそうに差し出した。
長く綺麗な白い髪。
クロスはゆっくりと少女の後ろに腰を沈め、慈しむように髪を一束掬い櫛を通せばさらりと清流のように流れる。
優しく窓から差し込む朝陽に反射し、キラリと眩しく輝く白い髪。まるで絹のように滑らかな白い髪。それが嬉しそうに右へ左へ揺れている。
衝動的に、クロスは白い髪の少女を抱きしめていた。




花の中で静かに眠る少女。色を失い乾いた唇。静寂の響く部屋、口の割れた瓶の中の紅い液体にピンクのバラの花弁を一枚静かに浸し、その雫を一粒、色を失い乾いた唇に落とす。拒絶されるかのように弾かれる紅。男は顔を哀しげに顰め、もう一粒落とし指先でルージュを引くようにゆっくりと繊細になぞる。
『LACRYMA CHRISTI DEL VE』の文字があるエチケットの貼られた口の割れた瓶の中にピンクのバラの花弁を落とし、
瓶の中身と同じ紅を、色の無い少女に与える。





軋みを上げる安ベッド。
誰にも盗られぬよう強く大胆に、壊してしまわぬよう優しく丁寧に、温もりを感じ取れるように激しく、抱きしめた。
「 クロス、どうかしたの?」
暫くして、少女からノーテンキな声が上がった。相変わらずゆっくりとゆらゆら右へ左へ揺れている。グッと力と共に想いも言葉も飲み込んだクロスはか細い声でなんでもないと返す。んー、と考えた風の少女はモソモソと動き、クロスの腕の中から己の右腕を引っこ抜くとポンポンとクロスの手を撫でた。
「 まだねむいの?」
細くかすれた声を"眠い"と捉えたのか、クロスの悲痛な顔とは真逆の心境を問う。咽喉を鳴らして大丈夫だと応え櫛を少女の手の中に返せば、今日はどこに行くの?と屈託無い笑顔を見せる。その笑顔に背を向け黒い団服に袖を通すクロスは窓の外の燃え始めた太陽に目を細め、当ても無くそうだなと呟く。




耳が割れそうな程静まり返った暗い部屋の中。男は白い少女に幾つもの管を繋げる。プツリ、プツリと、針が肌を破る繊細な音だけが五月蠅く反響している。冷たい銀色の針が少女の白く美しい肌を突き破り、細い管と線が少女と大きな機械を繋ぐ。小屋の外観に似つかわしくない不釣合いな機械と。
男の唇が小さく歪む。白く、冷たい少女の肌にそっと触れ、目を細め、永遠に握り返される事の無い手を握る。
「 ……オレも、お前を愛している………」
咽喉を引き裂かれたように辛苦にこぼされる言葉。
「 もう二度とお前に逢えなくとも、触れられずとも、言葉を交わせずとも――その唇から好きだと紡がれずとも、
 隣に居て欲しいんだ。」
そこまで言うと男は一度言葉を閉じ、白い手の甲にも鋭い針を刺す。
「 お前は死んだのに……お前に未だ隣に居て欲しくてその亡骸に縋り付いてんだぜ?
 お前はオレに相当惚れられてんだよ。」
ありがたく思えとクッと笑い、小さな白い手の甲を指の腹で撫でる。
「 ……お前はこんなオレを見てどう思う?何て言うんだ?案外女女しいんですねと笑うか?」
指先で頬を撫で、血の気の引いた色の無い顔を見つめる。今にも倒れてしまいそうな程蒼白で痩せた顔で。愛おしく、切なく、苦しげに、瞬きすら忘れ。
「 狂愛でしかねェよな、アクマを殲滅すンのが生業のこのオレがこんなコトするなンてよ。」
ポタリと白い少女の頬に落ちた水滴を指先で拭い、男は握り返される事の無い少女の小さな白い手から手を放し、冷たい装置を頭にセットし、花を踏みしめ静かに離れる。
「 死んだら、もう二度と逢えねェって知ってるハズなのにな…………」
花を蹴り、花を踏み、男の背丈よりも大きな機械へと歩み寄り、硬いボタンを幾つも押しジョグダイアルを回す。するとそれまで水を打ったように静かだった部屋の中に異質な、低く高い音が生まれる。地を這う獣の唸り声のような、天を駆ける雷鳴のような、胸が逸る心地の悪い音が。
「 ……なぁ、…………」
ガコン、と、冷たく一際大きなレバーを引く男の頬から乾いた物が剥がれ落ちる。





澄んだ空気を湛える朝の町を歩く2人。
前方に色の坩堝(るつぼ)の花屋を見つけ、顔を明るくしてクロスを見上げる少女の紅い瞳は太陽の光を受けガーネットのようにキラキラと輝いている。如何解釈しても寄る事になるだろうと面倒臭そうに溜め息を吐くクロスが見るだけだと伝えるや否や、少女はクロスの腕を引っ張り足早に花屋へと駆けて行く。
「 お父さんと買い物かい?」
「 クロスはお父さんじゃなくてこいびと!!」
いらっしゃいと愛想良く笑う花屋の主人に怒って抗議すれば、そいつぁー悪かったなとガハハと笑われる。少女がぷっくりと頬を膨らませれば、主人はもう一度悪かったと謝り、クロスに可愛い恋人ですねと告げる。自嘲気味に鼻で嗤うクロスだが、主人の"恋人"という言葉に気を良くしたのか少女は満足そうに頬を染め微笑む。
「 キレイなお花。」
クロスの腕を放し、右へ左へチョコチョコと歩いて花を見つめ鼻を近づける少女の瞳は更にとキラキラ煌く。血の通ったような桜色の頬は緩みバラ色の唇は仕合わせそうに大きく弧を描いている。何時か見たクロスの記憶が暗く鮮明にフラッシュバックする。
「 ……ひとつだけ買ってやる。」
ぽつりと呟いたクロスの言葉を聞き逃さない少女はぐるりと振り返り、ありがとうと喜びはしゃぎ抱きつく。白く長い髪に指を通せばするりと抜け、どれにしようかなと花の飾りのついたくまのぬいぐるみを大事そうに抱え指をあっちへこっちへ移す。




鋭く明るい光が納まり、再び暗くなった冷たい部屋。未だ続く地を這うような轟音が鳴り止むのを待ちレバーを元の位置に戻すと、消えた蝋燭に火を灯し少女の頭を覆う装置を外す。さらりと、白い髪が音も無く落ちる。
噎せ返る花の香が肺いっぱいに入り込み、何かがこぼれ落ちそうになる。
落ちていた花を少女の胸の上に乗せるとギ、と小さく軋む音が上がった。聞き間違いかと耳を澄ませば微かに衣擦れの音が聞こえる。目の前に静かに横たわる白い少女。その躯がぎこちなく動きを見せ、白く長い睫毛がゆっくりと上げられる。ギシと軋む冷たいベッドから花が落ち、少女の上からも転がり落ちてその下の黒衣が現れる。ゆっくりゆっくりと起き上がる上体。定まらず踊る焦点を本能的に合わせようとする少女の顎に優しく手を沿え、男はそっと視線を合わせる。パサリと落ちる花の音に紛れ、少し口を開く少女。其処から音が紡がれる前に、赤い髪を小さく揺らす男が口を開いた。
「 ……やっと起きたか、。」





飛沫が飛び散り、花弁と白い綿がねっとりと紅く染まり宙を舞う。
イノセンスの発動を解いた少女が無機物のように乾いた顔をぱっと変え、あーっと叫ぶ。
「 クロスに買ってもらったフラワー・ベアがー!!」
どうしようどうしようと両手を頭に置いて喚く少女の足元には、中の綿の飛び出た薄茶に紅いマーブル模様のついた物体が元の半分程の大きさで転がっていた。せっかくクロスが買ってくれたのにぃと哀しそうにその場に蹲る黒衣を纏う少女が粘着質な液体の付着した薄茶色の物体にそおっと手を伸ばした瞬間、強い力で首根っこを掴まれて立たされ、紅いコーティングを施された薄茶色の物体を店の奥へと蹴飛ばされた。
「 ああ〜!!」
「 気が向いたらそのうちまた買ってやる。」
両手を前に突き出し前進しようとする少女の首根っこを掴んだ儘諭すその口調はまるで『汚い物に触れるな』と言っているように聞こえる。凄惨な現場を気にする素振りも見せず銜えた葉巻に火を点けるクロスは、ぐずる少女に早く選べと吐き捨て、転がってきたアクマのボディの一部をノミを潰すように踏み付ける。叱られた仔犬のようにしゅんと肩を大きく落としていた少女だが、早くしろとのクロスの声に顔と目を力無く上げ、大きな溜め息をひとつ吐いてはどれにしようかな〜と元気も無く選び始める。掴んだ手を放せばフラフラと重い足取りで歩き出し、これにしようかそれともあれにしようかと、右へ左へとステップを踏むように移動する。
ゆらゆらくゆる、紫の煙。
「 これにするー!」
次第に明るくなった顔を輝かせ、小さな青い花を手にした少女は頭蓋を踏み潰し満面の笑顔でクロスへと振り返る。
。」
その手と頬に返り血が付いているのに気付いたクロスは名を呼ぶ。なぁに?と疑問符を飛ばす白い少女に手と頬を見てみろと告げると、小さな青い花を持った手を見てポケットからハンカチを取り出し手を拭い、壁に掛かった鏡に己の姿を映して頬を拭き、手櫛で髪を整えるとにっこりと嗤ってハンカチを仕舞う。
「 クロス、これ!これにする!」
「 わかった。」
嬉しそうに小走りで駆け寄る少女の頭をぽんぽんとたたくとその儘片腕で抱き上げ、頬に音を立ててキスをすると花屋に背を向け歩き始め、ポケットからコインを一枚取り出してピンと花屋へと弾く。小さな青い花を手に持つ少女は頬を真紅のバラのように染め、きゃあきゃあと小さな悲鳴を上げてクロスの首にきゅっと抱きつき赤い髪に顔を埋める。



「 お前はいつも良い花を選ぶな、。」
「 そう?クロスはこのお花の名前知ってる?」
「 Forget-me-notだ。」




玩人形にを添えて






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For 闇色ナイトメア様 and you
素敵な企画に参加させて頂いて有り難う御座いました!
マリアン元帥がネクロマンサーか!というツッコミを頂きそうなハチャメチャな内容ですが
2人(片一方死体ですけど)の歪な心のチグハグさが届くといいな!