世間の常識、 女の常識






纏わりつくような熱波。射るような太陽光。熱せられた砂。
見渡す限りそのような光景の中、チョコボをとばして一人の女性がとある建物の中へと駆け込んだ。
厚いフードを被った女性の顔には大粒の玉のような汗が幾つも見られる。彼女が跨るチョコボも亦、新鮮な酸素を求め大きく口を開いている。ぐいと分厚いフードから顔を出し、ふうと大きく息を吐く。手の甲で額の汗を拭いながら、ゆっくりとチョコボを厩舎(きゅうしゃ)へと導き、自身と荷物を降ろしてチョコボに抱きつく。
「 お疲れさま。すぐに冷たいお水をたっぷり持ってくるからね。」
微笑んで両手で大きく撫でれば、気持ち良さそうにクエーと一声上がる。
「 涼んで待ってて。」
水桶を持ち、風に羽を揺らすチョコボに手を振った。

此処は砂漠のど真ん中。
生物が生き抜くにはとても過酷な条件下、しかしながら彼女とチョコボは息苦しそうな表情を見せはしない。
此処は砂漠の要塞、フィガロ城。
機械文明の粋を集め一年中快適が約束された、謂わば一種の楽園にも似た場所。城の中は真夏の茹だるような暑さだろうが真冬の凍えるような寒さだろうが関係無い。


、何処行ってたんだよ!」
「 あーただいまマッシュ。」
チョコボにたっぷり水をやった後、砂埃を叩き落としてからはフィガロ城の扉をくぐった。暫く歩いていると前方から蒼白な顔をしたマッシュに声を掛けられ、返事をする間に目の前にまでその距離を詰められる。慌てるマッシュにどうかしたのと問えば、どうかしたのって……あっけらかんに云うなよと少し怒気を籠められ返される。
けれど怒られるような事に何の心当たりも無く、頭の上にはクエスチョンマークが飛んでしまう。
「 それより、じゃーん見て見て。」
「 なんだよ、それどころじゃな――い―――……」
判らない事よりも判っている事で楽しい事をと思うは、手に持っていた麻袋の口を開けマッシュへと見せる。
怒ったような焦ったようなマッシュは怪訝な顔をしていたが、その袋の中身が何か判るや否や、顔を綻ばせ両手を上げた。
「 どうしたんだよこれ!?」
「 ふふん、私は今までこれを取りに行ってたのだよマッシュ君。」
「 うおおおお!!」
「 そしてこれを今からケーキにします。」
「 おおおお!」
「 マッシュ!おめでとう!」
「 ありがとう!」
傍から見れば訳の判らない遣り取りの後、2人はがしりと強く抱き合う。フィガロの長い廊下に大きく響く雄叫びを上げながら。
「 誕生日おめでとう、マッシュ。すぐ作るから、もう少し待っててね。」
「 おう、楽しみにしてるぜ!……もしかして、それを手に入れる為に5日も城を空けてたのか?」
「 うん。」
笑って答えるに、マッシュは力無く笑いながら馬鹿だろうと加える。
今日はフィガロ国国王の双子の弟、マッシュの誕生日。
張り切って作るよとは笑う。

マッシュの大好物・くるみを取りに行く前に、ケーキを焼く道具の準備と誕生日当日キッチンを少し使わせて欲しいと交渉していたので、それから程なくして有名なくるみをふんだんに使ったナッツケーキは焼き上がった。
周囲ではコック服に身を包んだ男性達が忙しなく作業している。
無理も無い。
今日は国王の双子の弟マッシュの誕生日なのだ。
故に今日は、フィガロ国国王の誕生日でもある。王とその双子の弟の誕生日ともなれば王国フル稼働で祝うお目出度い行事でもある。そんな中我が儘を云い、隅ではあるもののキッチンの一部を使用させてくれた人達の優しさに感謝し、道具を綺麗に片付けては謝礼の言葉を残してキッチンを後にした。
焼きたての香ばしいかおりを振り撒くナッツケーキを片手に、マッシュの部屋の扉をノックする。
「 出来たよ。」
「 すまん、ありがとう!」
力いっぱい喜びを表現するマッシュはドアを開け優しくをエスコートする。
「 マッシュ?それに今のはもしかして……」
「 エドガー様!」
「 うわっ!?げっ……大臣?」
「 このような所で油を売っている暇は御座いませんよ!」
レッドカーペットの敷かれた長い廊下の一角、ふと目に入った弟マッシュを眺めていたエドガーは大臣の言葉に酷く吃驚しながら、その顔色を驚愕から悲哀、悲愴といったものへと変える。大きく肩を落としては、口煩く次は此処でこれを、その次は此処でこれこれをと指示を出す大臣に大人しく従う。
今日は俺の誕生日なのに……誕生日くらい王を忘れて皆のように祝い祝われたいと心の片隅で思いながら。


陽も傾き始め、エドガーとマッシュを祝う人々も次第にフィガロへと集まり始める頃。
「 さて、と。そろそろ兄貴に五月蝿く云われそうだから俺も行くかな。」
自室にてが焼いたケーキを食べていたマッシュは立ち上がる。
「 そうね、それじゃ私も部屋に帰るよ。」
綺麗に食べ終えられたケーキを片しは微笑む。そろそろ行ってあげないと王様も爆発しそうよね、と加え。
それを聞いて、クローゼットを開けたマッシュは何気無く返す。
「 パーティーには出るんだろ?」
けれどそれに返された言葉は意外にも意外で。
「 うーん、どうだろう。長旅で疲れたし一眠りしてから行くよ。」
多分、と笑って寄越される。
一瞬何をと思ったマッシュだったが、自分の為にわざわざ有名なくるみを産地まで行って買って来てくれた事を考え、掛ける言葉を失う。本来ならば世話になっている国の王――と王子――の生誕祭を祝わずに寝るとは何事だ、と云ってやりたかったのだが。
をちらりと見て、その笑顔の陰に疲労の色を見つけてしまう。
「 しょうがねぇな。ま、最後までには来るんだろ?」
「 うん、行く行く。」
「 ならゆっくり休めよ。ありがとな。」
「 はーい。」
明るい間延びした声で返事をし、静かに部屋を出たを見送り、苦手な正装へと手を伸ばすマッシュの顔はやや沈んでいる。
「 ……兄貴は残念がるだろうけどな。」
クローゼットを閉め、マッシュは来賓客が待つ大広間へとその歩を進めた。


華やかな装飾に煌びやかな演奏。
いつからか始まった生誕祭ももう終焉に差し掛かっていた。けれど約束をしたの姿は何処にも無い。
国民や他国の王族、それに共に旅をした仲間達が代わる代わる祝辞を述べプレゼントを差し出してくれたが、当のエドガーは心此処に非ずといった作り物の笑顔を浮かべ取り繕い、ひとつひとつの事柄を淡々と進行させていた。
進む宴に話も弾む。
終始にこやかな笑顔を絶やさないエドガーが、つんとマッシュの服を引く。何事かと隣を見るも、酒の入った少し紅い笑顔は親友達へと真っ直ぐ向けられており自分を見ない。気のせいだったのかとグラスに手を伸ばすと、聞き取りにくい小さな声がもらされた。
「 式が始まる前、と逢っていなかったか?」
周囲の楽しげな笑い声に掻き消されてしまいそうな程小さな音。もう少し2人の席が離れていれば確実に聞き取れなかっただろう。
その小さな声に、その低い声に一瞬心臓を鷲掴みにされる。
水を飲んだまま、ゆっくりとエドガーの顔を見やれば、その顔はやはり前を見据えて自分を見ていない。それとも、おいロック、あまり暴れるなよと楽しそうに笑いながらもその冷めた瞳の端で俺を捉えているのか。
双子の兄でありながらもその心の内が読めず居心地が悪い。
そう思いながら、マッシュはもう一度グラスに口を付け何食わぬ顔をして正面を向き、ガウの呼びかけに笑顔で応えてグラスを置く。
「 ああ、逢ったよ。」
兄貴がそれを望むなら、それが俺の望みになると。
はいつ帰ってきてたんだ?何処へ行っていた?」
「 今朝帰ってきた。」
「 何故すぐ俺に知らせなかったんだ!?」
「 いや、それはその、兄貴は忙しそうにしてたし、つい、忘れて……。」
笑顔の仮面の下に淡々と腹話術のように進む2人だけの会話。
「 ……まぁ良い。それで、何処へ行ってたって?」
「 ああ、くるみを取りに――」
「 くるみ?」
「 俺の好物だからって。それで、ナッツケーキを焼いてくれたんだ。」
云って、マッシュの顔から笑みが消え、汗が噴出す。
との遣り取りの一部始終を話していて突然止まった会話。どうしたのだろうと何気無くエドガーを見れば、飲んでいたワイングラスは宙に浮いたまま固定され。ギギギと油の切れた機械のような効果音が聞こえてきそうな程ぎこちなくゆっくり動かされる首は此方へと向き、満面の笑顔の下に怒りを見つけてしまう。
全身の毛穴から沸き立つ汗。
「 で、でも終わるまでには顔出すって云ってたし、はは……。」
何故そんな目で見つめられるのか、理由が判っているからこそ辛い。故に笑うしかない。
未だ夢の中に居る彼女を呪ったところで如何こう出来る状況でも無く、寒く痛い時間だけがじっくりと過ぎて往く。
エドガーとマッシュの生誕を祝うパーティーは、夜更けまでつつがなく進行した。



そっとバルコニーの扉を押し開ける。
砂漠とは云え夜風は冷たく、酒に火照った体には気持ちが良い。
長く続いた宴も終わりを告げ、あの賑やかさが嘘だったかのようにフィガロの城は静寂。まるで台風一過のようだ。
ふと息を吐くエドガーは、バルコニーの手すりに手を付き体重を預けた。結局、は宴が終わっても顔を見せる事もせず今に至る。直に日付が変わる時刻――風に揺れる金色の髪の下、エドガーの顔は悲しく歪む。
知り合って長い関係では無い、けれど心を寄せるのに時間など関係無く――――そう思っていたのは俺だけだったのか。
誕生日と謂えど、云ってしまえばなにも特別な日では無く普通の日。確かにエドガーは一国の王ではあるがにしてみれば唯の一人の男であって全くと云って良い程関係無いと、云っていたのは彼女だったか。ふと思い出しては苦笑する。
それでもやはり、ほんの少しでも良いから祝って欲しかった。一言でも良いから、彼女の口からおめでとうを云って欲しかった。他の誰でも無く、他の誰でも駄目で、彼女の口から聞きたかった。
そこで不意に思い出す。
がマッシュにマッシュの大好物のくるみをふんだんに使ったケーキをわざわざ焼いたという事を。そしてそのくるみを得る為に5日も城を空けていたという事実を。
何故マッシュに、何故マッシュだけ、俺には何もしない、何も無いのに。考えて、虚しさと腹立たしさが込み上げる。
「 マッシュが好きなのか?」
「 誰が?」
そんなまさか、ありえないだろうと星を見上げ心の中で否定していると風が後ろに流れた。
そして、聞き覚えのある、聞き間違う筈の無い声が、響く。
思わず振り返る。思わず、目を瞬く。そして思わず、声がもれる。
……。」
そんなエドガーお構いなくはいつも通りに軽く笑いおはようとやって来る。もう既におはようの時間では無い事に突っ込む余裕も無く、エドガーはおはようとどもり返した。妙な緊張が、体に走る。
「 で、誰がマッシュを好きだって?」
隣まで来たはにこりと笑い、バルコニーの手すりに両肘を乗せた。可愛い顔で、ん?と催促され、居た堪れない気持ちになる。まさかがそうなのだと、云える筈も無いとエドガーは必死に笑い返し言葉を濁した。仮にそう云ったとして、がマッシュを好きだとして、そしてあくまで仮定であり得ない予測ではあるがマッシュもが好きだったとして、それがなんだと、だからなんだと返されるに違いない。エドガーには関係無いでしょうと、笑い飛ばされるのがオチだ。見え透いている。
だから早く話題を変えよう、地雷原から抜け出そうとエドガーはそういえばとわざとらしくならぬよう、今思い出したように話を振る。

それが未だ、地雷原の真っ只中だとも気付かずに。
「 いつ帰ってきたんだ?全然気付かなかったが。」
きみが居ない5日間、気が気でなく仕事も手に付かず大臣にこってり絞られてばかりだった、と本当は云いたい。
「 今朝帰ってきたの。」
見れば嬉しそうに顔を綻ばせている。
嗚呼、やはりは愛らしい、この笑顔も俺だけに向けられているのだと斜めな事を考えていると、体を反転させたにグラスを2つ差し出される。驚きながらも両手で受け取れば、グラスを差し出した手とは逆の手にシャンパンが握られている事に気付く。
ああ、と不思議と笑みがこぼれる。
「 俺が開けようか?」
「 いい、私が開けるの。」
栓を抜くのに四苦八苦しているを見て、ついついもれた笑い声と言葉。それに返されるのは少しむくれた声音。そうかと息を吐けばもう少しそのままで待っててと俯く彼女から上がる。
「 きゃあ!」
「 ああ、もう、ほら代わって。」
「 い、いーのいーの、エドガーはそのまま受けてて!」
ポン、と高い音が上がり栓をしていたコルクが弾け飛んだ。次の瞬間、栓を開けようとが四苦八苦していた為揺らされていたビンの中身、シャンパンが細かい泡となり勢いよく溢れ出してきた。それ故、シャンパンを持つの手は泡に濡れてしまい、思わず高い声を出してしまっていた。
レディーファーストを重んじるエドガーは、そんな彼女を見てグラスを差し出しシャンパンと交換しようと申し出るのだが、仕舞ったという顔をするに何故か断られてしまう。
ある程度溢れ出たシャンパンが落ち着いた頃、ああああと落胆の声を上げるがエドガーの持つグラスへと静かに注ぎいれる。
2つのグラスからは小さな気泡が螺旋状に出ている。
「 大丈夫か?」
エドガーが持つグラス、その2つ目に注いでいる途中でシャンパンの勢いが弱まってしまった。可笑しい、と驚くはビンを逆さにするも、シャンパンの雫が一つ二つと落ちるのみ。予定では余裕で2つのグラスを満たす筈だったのにと項垂れ、名残惜しそうに渋々床にビンを置く。それを見て、自然ともれる笑顔と言葉。エドガーは平たい手すりの上にグラスを置き、ポケットから取り出したハンカチをそっとの手に重ねた。
「 大丈夫。ごめんね、ありがとう。」
若干泣きそうになりながらも、はハンカチを受け取り濡れた手を拭く。その顔は申し訳無さ半分、恰好つかない半分に見える。
拭き終わり、濡れたハンカチをどうしようかと悩んでいると隣から手が伸ばされそれを取り上げられる。反射的に、あ……と声を上げれば、優しく微笑まれるだけ。その無言の笑みには掛ける言葉も見つけられず、いつもいつも甘えてしまっている。悪いなぁと思うのだけれど相手には気にする素振りが微塵も見えないので、尚更申し訳無く思うのと同時に、性質が悪いとも思ってしまう。気品高く育てられた家柄であるから納得は出来るのだが、それでも如何にも、くすぐったくある。
ハンカチを仕舞い置いていたグラスを手に持ちへと向き直るエドガー。そして悪戯に微笑みながら、量の多い方のグラスを当然の如くへと差し出した。
「 珍しいな、が酒を買って勧めてくれるなんて。」
「 エドガー!私そっちで良い!」
「 ん?ああ、俺もこっちで良いから。それに折角が買ってきたんだ、存分に飲まないとな。」
「 駄目!」
「 おっと……」
「 ご、ごめんかかった!?」
「 いや、大丈夫だ。」
それが気に食わないのか、量の少ない方のグラスを所望するも笑顔でのらりくらりとかわされてしまう。どう云っても無理だと知っているはエドガーに詰め寄りそのグラスを掴もうとするも寸前でひょいと避けられ、その弾みにグラスの中のシャンパンが大きく揺れた。それに対し申し訳無く顔を歪めるに胸が痛むが、それでも頑なに差し出すグラスは譲らない。
むぅと口を尖らせても、如何にも拒否も回避も出来ない事を悟るのに数分。これでは進まないと先に折れるのはいつもだ。
「 これじゃ意味が無い。」
それが悔しいから、ほんの少しだけ意地悪く云う。
「 そんな事は無い。ご相伴に預かる身だからこれで良いんだ。」
それでもエドガーは上機嫌に微笑むものだから、悔しさが倍増してしまう。
故に素直になれない。
腑に落ちないけど、取り敢えず乾杯とグラスを差し出せば、柔らかな笑みを湛え乾杯とグラスの高い音が上がる。
妙な雰囲気。
シャンパンを一口飲み、目を伏せていれば視線に気付く。厭だなぁと思いながらも顔を上げれば、そこには案の定満足そうな優しい笑顔。
「 美味しいな。流石はだ。」
ゆっくりと、大きな手の平で頭を撫でられる。
けれど、そんな子供扱いが嫌で、恥ずかしくて、それでもどこか嬉しくて、思わず俯く。その頬はほんのりと紅く染まっていた。

直に日付が変わる。
こうして逢っていてもやはりあの言葉は掛けてもらえないのかと肩を落とすが、こうして2人きりでグラスを傾けている事に満足しないといけないのだろうなと思い直す。総てに感謝をと、目を伏せグラスに口付ける。
「 ……エドガーの為に買ってきたの。」
冷たい風に乗って、柔らかな声が聞こえた。
刹那に双眸を括目し音源を見やれば、俯きグラスに浅く口付ける姿。聞き間違いだろうか、はたまた幻聴だったのだろうかと思考を巡らせたまま見つめていると、ちらりと向けられた視線とぶつかる。アルコールのせいか僅かに上気した頬と潤んだ瞳が、上目遣いで所在無さ気に恥ずかしそうに見つめてくる。
今までに見た事の無いの姿だ。胸が高鳴るのは致し方無い、正常な反応だろう。
――」
「 ああ、もうやだ!」
逸る鼓動を押し込め声を掛けるも、顔はすぐさま背けられ、違う嘘だ冗談だ本気にするなと一息に云われる。一体如何したのかと心配になるが、ちらと見えたうなじと耳が、アルコールのそれとは別であろう紅さをもっていたものだから、一気に安堵感を覚えどうしようもない感情が抑え付けられる事無く生まれる。歯痒いような、心地良いような。
「 エド」
「 そうか、ありがとう。」
突然の無言に対し何も云ってこない、いつもならば慰めやフォローの言葉とボディタッチのひとつでも寄越すエドガーの反応を不思議に思い、不本意ながらも冷静さを装って顔をそっと上げてみれば、いつにも無い満面の優しい笑顔に迎えられ、堰を切ったかのように体中が熱を帯びる。自分でも、顔や体が熱くなったのが判ったものだから、余計に羞恥心に火がついてしまう。
ち、違うんだ、だからそうじゃないと云ったところで体は心と違い正直で、顔はこれでもかという程赤面しており最早説得力は皆無。それに加え自分がどんなにしどろもどろになっても相手は冷静に総てを悟ったように受け入れるものだから殊更、居た堪れなくなる。
如何云ったところで既に後の祭り。
素直になる以外の答えを見つけられない。

「 ……だから、意味が無いって……。」
「 そういう意味だったんだな。」
大きな溜め息と共にもらされる。はグラスを持つ逆の手で紅く染まった顔を覆いしゃがみ込んでしまった。
声を漏らして柔らかく笑うエドガーも膝を着き、と目線を同じくする。けれど見えるのは紅く染まった耳と小さく震える姿だけ。それが余計に愛しく映り、思わず我を忘れて抱きしめてしまいそうになるのをぐっと堪え、優しく肩に手を沿える。
びくりと跳ねる肩を数度撫でやれば、次第に震えは小さくなりやがて治まる。そして指の隙間から覗く、愛らしい瞳。その瞳に涙が湛えられている事に気付き、更にと強まる感情。
、嬉しいのだが、このシャンパンの意味はなにかな。」
にこりと笑んでグラスを傾ければ、判ってるくせにと噛み付かれる。その見知らぬ反応が新鮮で、楽しい。
「 きみの口から聞きたいんだ。それに、俺とマッシュの生誕祝賀会に出なかった理由も、な。」
「 五月蝿いこのキザ!だから嫌だったんだ!!」
パチとウィンクを飛ばせば潤んだ瞳で鋭く睨まれ凄まれる。そしてもれ聞こえるのは後悔の念。嬉しくて楽しくて、だからこそそんな悲しい事は云わないでくれと悲哀を籠めて云ってみれば、一瞬の隙が生まれ、それを見逃しはしない。こんな態度では失礼なのだろうかとも悩むが、聞きたいという本能に理性が敵う筈も無い。
、頼む、聞かせてくれないか?」
眉根を寄せ懇願するように云えば、は更に怯んでしまう。時には力で押す事も大切だと、数度繰り返せば根負けしたのかが渋々口を開いてくれた。
それは面白く無さそうに、けれど、素直に。
「 だからそれは……その……マッシュと、エドガーの誕生日プレゼントに………。」
「 5日もかけて買いに行ったのか?」
尻すぼみな彼女にフォローを入れれば、恥ずかしそうにそうだと頷いた。何もわざわざ自ら赴かなくても伝書鳩を飛ばせば良かったじゃないかと提案すれば、亦、それじゃ意味が無いと返される。少しは働いているとは云え、殆どタダ同然で置いてもらっておいて更に大切な誕生日プレゼントまでその力を借りてしまっては意味が無い、と。そんな気に病む事では無いと云えど、私が納得出来ないのだと開き直られた。
「 そうか。……それじゃ、このシャンパンはつまり、」
「 ……エドガーへの、誕生日プレゼント。」
「 ………」
「 ………?」
「 他に云う事は?」
せっつけば、顔を赤面させて馬鹿と怒鳴られる。
けれどどうしても、日付が変わる前に聞いておきたいものだから、その馬鹿をもっと馬鹿にしてくれと笑う。すると一瞬言葉に詰まったようだが、暫く目を伏せた後に上目遣いで見つめられ。
「 エド、ガ……誕生日、おめでと……う。」
恥ずかしそうに、屈辱だと云わんばかりの色を滲み出させ小さく口を開いた。
その瞬間、エドガーの頭の中では幸福の鐘が鳴り響き、トランペットンの音色が高らかに吹き上げられる。
「 ありがとう。今まで感じた事が無い程俺は今喜びに満ちているよ。」
「 いちいち大袈裟なのよ。」
の照れた姿も可愛いな。」
微笑んで髪を撫でればボディーを喰らう。なんだかんだ云って、やはりなのだと痛感するが、喜びがそれに勝る。
下を向いたが後ろに手をやり、この際ついでだからと小さな箱を取り出した。照れながらも本当はそれを買いに行く為に5日という長い時間がかかってしまったのだと打ち明ける。
思わず、抱きしめてしまった。
そんな事を聞かされてしまえば、今まで我慢に我慢を重ね抑え付けていた理性など遥か彼方の山の向こうへと吹き飛んでしまう。抱きしめた後にしまったと思い直すが、離してよ変態と叫ぶが否定の行動を何故か取らないものだから、ついつい本能を暴走させてしまう。
「 なにもこんな2人きりの時に渡してくれなくても……いや、俺はその方が勿論嬉しいんだがな。」
「 なによ。」
「 パーティーの時に皆と一緒に渡されれば、俺も(こんなに)深読みしなかったさ。」
「 でもそれじゃ……」
意味が無いと云って、数秒目を見つめ合い、仕舞ったと今更ながらに後悔した。
本気なのか否か判らずとも関係無く、唯その表情が可愛いから、その仕草が愛らしいから、その気持ちが、嬉しいから。目を細め、の顔に掛かる前髪を耳に掛け、ありがとうと微笑む。それはどんな計算でも処世術でも無く、本能がさせる業。
そして、話の流れでそう、どうしてパーティーに出席しなかったのかと再び訊ねる。強制では無いが出てくれれば非常に嬉しかった、と。
はそれに、幾らか落ち着いた口調で答える。
「 私は、エドガーとマッシュを一人の人間として、一人の好意を寄せる相手として誕生日を祝うの。
 それはフィガロの国の王様とか王子様だとか関係無くて、唯エドガーという人間とマッシュという人間を。
 勿論2人が王族である事を否定してる訳でも忘れてる訳でも無い。つまり、だから――」
何と云うか、つまりそういう事。ニュアンスで読み取ってよと云うはさも当然といった顔をしている。王族だろうが貴族だろうが、はたまたギャンブラーだろうがトレジャーハンターだろうが変わり無く、それが彼女のスタンダードなのだと、幾つか思い当たる節を振り返りながら改めて知る、彼女の深さと厚さを。
「 嬉しいな、俺を一人の人間として見てくれるのは。」
忘れかけていた感情を、再び強く思い知る。
笑う事でかわしてきたもの、彼女の前では取り繕う必要も笑う必要も無く、そんな気がねもせずに済むのだと思って浸る仕合わせ。改めてありがたい存在だと、大切な存在だと思い直す。


「 開けても良いか?」
「 え?あ、うん……。」
グラスの中のシャンパンを飲み干した後、受け取った小さな箱を両手で持って見せた。
部屋に戻り落ち着いた後に開けようかとも思ったが、選んだ理由や反応を知りたくて駄目元で聞いてみれば、歯切れは悪いも了承を得る。
ありがとうと、恥ずかしそうに俯き目を背けるに言葉を掛けてからそっと箱を開けた。
「 これは……」
目に飛び込んできたのは、艶やかな光沢のある青いリボン。
恐る恐る触れてみれば、なんとも上品で手触りの良い生地。一目見て、触れて、その色にその質感に上質な物だとすぐ判る。
そしてそれと同時にもうひとつ。
を見れば所在無さ気に、頬を染め上げ歯切れ悪く言葉を綴る。
「 その、何をあげれば良いか、喜んでくれるか判らなくて……。
 それで、私が、その、……贈りたい物をって考えた時に、それだったら毎日、身につけて、くれる、かな、って。」
思って、と小さな声が続く。
その様子が意地らしく、庇護欲が掻き立てられるような加虐欲が掻き立てられるような感覚に陥る。
「 毎日?俺に毎日肌身離さずつけていて欲しいのか?」
「 ――っ!ばか!!」
「 ははは、冗談だよ冗談。」
「 信じられない。」
「 見ていて可愛くて、つい意地悪をしたくなってな。」
にこりと笑いさらりと吐く。気障な台詞も悪意も無く相手を少し追い詰める台詞も。しかしそれが妙に合っていて、尚且つ予測出来る範囲内の言葉だったから、同じ思考回路なのかと首から上が火矢を放ったように熱くなる。
逃げ出したい、今すぐこの場を後にしたい。そう思うけれど今を逃せば次はいつなのか、亦次に遭った時気恥ずかしく今以上に弄られるのではないかという悪寒がを襲い、その思考を鈍らせ留まらせていた。
「 変態。」
「 なんとでも云ってくれ。俺はきみに惚れて可笑しくなったんだ。」
「 ――!」
せめてもの悪あがきと、悪態をつけばすんなり受け入れられ、更に先をゆく言葉を貰い受けた。耳を疑い、思わず顔を上げる。
見上げるすぐ先の顔はやはりいつものように穏やかに曇りなく微笑んでいて、心臓が壊れそうなほどに音を増す。恥ずかしい、悔しい、みっともないという羞恥が入り乱れ更に体は熱を帯びるが、そんなの胸中はお構いなしにエドガーの目は弓のように細くなる。
「 ありがとう。大切にするよ。」
「 ………」
恥ずかしくて、悔しくて。それでも心の底では喜んでいて。初めてのシャンパンに神経が可笑しくなってしまったのか、無意識下で涙が一粒零れ落ちていた。
そしてそれは二つ三つと伝い、視界が霞む。
滲む世界の向こう側では、困ったように笑うエドガーが頭を優しく撫でた。
「 笑ってほしいな。」
「 ばか、だったら涙を拭いなさいよ。」
「 ああ、そうするよ。」