喧嘩するほど






   
神田は私の事が嫌いなんだ。
多分じゃなく、確実に。
会えば必ずと云って良い程に神田の口を吐いて出てくるのは神田のストレートな毒舌で。何度一人枕を濡らした事か覚えてない。
判ってるんだよ、神田がどういう奴かって事くらい。
それでもやっぱり厳しい事を云われれば、酷い事を云われてしまえば、人知れず心が軋んで目頭が熱くなる。
まぁ、悔しいから私も云い返すし罵倒もするけど。あんなやつ嫌いだし。
でもどうしてか勝てない。相手はあのバカンダなのにどうしてか口で負ける。負かされてる。いつも、いつも。
悔しいし恥ずかしいから神田の前では何があっても泣かないけど。それだけは私のプライドが許さないもの。
ついつい堪忍袋の緒が斬れて叩いたり殴ったり蹴ったりしたこともあったっけ。
それでも神田は痛がるどころかそんな素振りも見せず毒舌のマシンガンを喰らわしてくる。これでもか!ってくらい。

悔しい。
勝てないのが悔しい。
負かされるのが悔しい。
泣かされるのが何より悔しい。
神田なのに神田のくせに、バカンダのくせに!
そんな神田に勝てない自分が惨めで情けなくて嫌だ。あんな奴の言葉にイチイチ引っ掛かってる自分が嫌だ。
相手にしなきゃ良いってリナリーは云うけど、負けたまま引き下がるなんてもっと嫌。プライドが許さない。
最近入ってきたアレン君とも仲が悪くて嫌ってるみたいだけど、そんなの私の比じゃないよ。まだまだ甘い。

「 ……んだよ、チビか。」
そんな事考えながら苛苛して歩いてると、食堂の前で神田と鉢合わせた。
お決まりの挨拶宜しく、これでもかという程の盛大な舌打ちと共にこの言い種。私の苛苛に拍車をかけるには充分過ぎる程に充分だ。
「 悪うございましたね私で、男女さん。」
吐き捨てる様に云って私は神田よりも先に食堂へと入る。
するとやっぱり神田はセオリー通りというか、誰が男女だとか低い声で凄みながら追い掛けてきて私を追い越してジェリーちゃんのところへ行こうとする。
だけど。
誰が素直に抜かせてやるかっつーの。
その長い団服の肘の辺りを掴んで後ろへと追いやり前に出る。
なりたくないけど必死だよ。ムキになってるよ。判ってるよガキだって云われるの。でもさ、負けられないじゃん、負けたくないじゃん神田には。

「 ジェリーちゃ――」
「 ガキが。俺に勝とうなんざ100万年早ぇんだよ。」
右手を上げて早足で歩いていると、不意に後ろから声。
聞こえてきたかと思えばそれはすぐに左隣からに移って、どんと私の肩に何かが勢い良くぶつかる。
何かなんて、見なくても判るけどね。
「 なあにすんのよ!」
「 先に仕掛けてきたのは手前だろ、チビ。」
「 此処はイギリスよ、レディーファーストが常ってもんでしょうが。
 あーら、それとも貴方も女性だからそれで良いのかしら、男女さん?」
「 誰が男女だこら。お前の目は節穴か、腐ってんのか。
 それとも俺の美麗さに嫉妬でもしてんのか?女の嫉妬は醜いぜおチビさん。」
お互いの身体をガンガンとぶつけ合って、先に行かせまいとしあう。
と云うか神田の方がリーチ長いんだから有利でしょ。卑怯よ男の癖に綺麗な顔してるなんて。好きでチビやってる訳じゃないわよこのボケめが!
しめる。絞めてやる。いつか必ず仕留めてやるんだから。
「 性別を間違われる様な事には嫉妬しません残念ながら。」
「 おーそうか。お前も能く云われてるもんな、僕幾つ?何処から来たの迷子かな?ってよ。」
「 云われてない!!」
「 ジェリー、天ぷら蕎麦一つだ。」
ぶつかった。
神田にぶつかった。
身体が、じゃなくて顔面が。
ジェリーちゃんが居る窓口へと向かって真っ直ぐ顔を向けて早足で歩いてたのに。
一段と声を大にして否定した次の瞬間、神田はもうジェリーちゃんに注文してた。私より先に、私の前に立って。
勢いがついた身体をすぐに止めるのは至極困難な事で、ほら、どっかの偉いさんも物量なんとかの法則とか声高に主張してるじゃん。
それよろしく、私の顔面は神田の適度に筋肉のついた綺麗な右腕へとダイヴしてた。
慌てて身体を退げると、勝ち誇ったかのような神田の虫唾が走る不敵な笑みを見つけてしまった。
「 ……フン。」
そうして例の如く鼻で笑われる。

そうよ、私はいつだって神田に勝てないでいる。
なによ畜生。神田なんてレンコンの穴に嵌って出られなくなれば良いのよ。そうすれば世界は平和に導かれるのに。そうすれば世界はあんなにも綺麗に光輝くのに。ゴーレムじゃなくて平和のシンボルの鳩が飛び回ってくれるのに。
神田なんてレンコンの穴の海に沈んでしまえ!!



「 ―――――そうして穴に沈むのはいつも私……ってね。」

昼食後、調子の悪かった私のゴーレムをコムイに修理してもらう代わりに引き受けた資料庫整理中に。
古くなって腐っていたであろう床板を運悪く踏んでしまい開いた穴に落ちたのは何を隠そうこの私だ。
くっそー、神田め。別に関係ないけど床が腐ってたのもきっとあいつのせいだ。私がその穴に落ちたのも全部あいつのせいだ。
ゴーレムがないから助けを呼べないのも、落ちた拍子に足を挫いたのも、全部全部あいつのせいだ。あいつが悪いんだ。
「 ちくしょー、神田のバカヤローッ!!」
暗く静かな部屋に響くのは私の涙声だけで。
滅多に人が来ない事で有名なこの部屋の穴の中から、私は出られないのだ。誰かが気付くまで。誰かが気付いてくれるまで。
でもそんなすぐに気づいてもらえる程、黒の教団は狭くもなければ暇でもない。
運が良過ぎて今日中、良ければ2〜3日、悪ければ1ヶ月とかザラよね。というか1ヶ月とか腐乱するわ。

でもこんな時に限って、頭の中に浮かんでくるのはあの目つきの悪いバカンダの事ばっかだし。
私、相当、病んでるんだ。心がすさんでるんだ。
今度ちゃんと療養所に行って挫いた足を治してもらうついでに心のケアもしてもらおう。うん、その方が良いって。

こんな失態……。
もし、もし神田に見られたら、見られでもしたら、死ぬまで馬鹿にされる。冥途へ行く淵の頃まで馬鹿にされてしまう。
それだけは駄目だ。それだけは避けねば。それだけは回避せねば私の心とプライドはズタ袋になってしまう!
ぐあぁ、やっぱりなんとしても一人で脱出しなきゃいけない?でもこの穴、思ったよりも深いんだよなぁ。
「 誰か……誰かぁっ!居ないの!?穴に落っこちて出られないんですけどー!」
声を振り絞って叫んでみても、返ってくるのなんて無言よ。
偶にぱらぱらと埃が落ちてくるけど。
「 誰かぁっ!助けてよ、出られないんだってば!!」
心の叫びをそのまま声に出してみたところで、虚しさが増えるだけ。
助けなんて来る訳も無い。
誰か助けに来なさいよ。足もめちゃくちゃ痛くなってきたし。もう踏んだり蹴ったりだ。ぶつかったり落ちたりだわ。
大体、なんでこんな所に資料庫が在るのか、まずそこが判らないわ。どうせなら明るい所に、もっと人通りの多い所に作っとけよな。
資料庫なんだから誰か使うんでしょ!?なんでもっと定期的に掃除とか整理とかしないのよ。汚いし埃っぽいし資料はぐちゃぐちゃだし床は腐ってるわ抜けるわ落ちるわ。
良いの?私にこんな仕打ちしてて良いと思ってるの?私は神に選ばれた使徒なのよこれでも一応。そんな私に対する仕打ちがこんなんで良いと本気で思ってるのか畜生神田め!
なんか訳判んないけど苛苛してきたから亦神田の事思い出しちゃったじゃないのよ。
なんであんな奴の事なんか。


「 誰かー、助けてー!」

「 私は此処よーっ!」

「 助けてー!」

「 ヘルプ、ヘルプミー!!」


幾ら叫べど誰も来ない。
うん、そんなの判ってる。判ってるよ。判ってるけど、何もしないよりは少し位マシじゃない?
「 神田のバカー!ボケー!あんぽんたん、おたんこなすー!」
……あ、ちょっと気持ち良いかも。
どうせ誰も来ないんだし、どれだけ叫んでも大丈夫だよね。日頃のストレスここで吐き出しても良いよね。寧ろ誰も私を止めに来ないよね。止めに来る位だったらさっさと助け出してくれるよね。
これは、もしかして神様が私にくださったチャンス!?欲しくねぇけど仕方が無いから利用してやるわあーっはっは!
「 神田のアホー、バカンダー!
 ユウって名前、全然似合ってなくて可愛いじゃないかチクショーなに褒めてんだ私は、神田の釣り目ー!!」
「 ほぉう。そんな状態になってまで云ってくれるじゃねぇか。。」

……はい?
あーえっと、今、なんか聞こえた?それともそれは私の気のせいか気のせいか気のせいだろう。
うん、そうだよ気のせいだよ。だってあいつがこんな所に来る筈ないじゃん。資料庫と神田って、どうやっても結びつかないナンバーワンな組み合わせじゃん。
ははは、気のせい気のせい、空耳空耳。
いつもの調子で、唯あいつの暴言が聞こえてきた気がしただけだよありえないって。

「 神田の、神田のバカー!鬼!悪魔!根性悪!ドS、ドSかこのやギャアッ!!」
ゴッとかいって鈍い音がした。ゴッとかいって鈍い音がした。
痛い痛い、頭が痛い。何だ、何か降ってきたぞこれ。頭に直撃したっつーの。何か硬いものが頭に直撃したって。
人が折角気持ち良く日頃の鬱憤吐き出してたのになんだよ、資料までもが私の事を馬鹿にするのかよ。チクショウ資料の分際で生意気だ。
燃す、燃してやる。ここから出たら資料庫に火を点けて燃やしてくれるわふはははは私はヒサヒデ・マツナガの生まれ変わりよ全て滅してくれるわ。
「 ……世界の植物図鑑、入門編?」
なんだこれ。資料庫にはこんなものまであるのか。っつーか入門編ってなんだよ入門編って。応用編とかもあるのか?
うわ、凄い、意外。
入門編とかいうからチャラいのかと思ってたら随分しっかりしてるよ。
そりゃこんなのが上から落ちてきて頭に直撃すれば痛いって。ハードカバーだし分厚いし。これ何キロくらいあるんだろ。
へー。あ、日本の花も載ってるじゃん。
あー、このサクラっての綺麗。実際に見たらもっと綺麗なんだろうなぁ。

「 ―――フジだ。フジって……なんか神田に似合うよね。」

落ちてきた世界の植物図鑑入門編を暇だからペラペラと捲ってみると、日本の植物のところにきた。
サクラとかウメとかモモとかって、バラ科だったんだ。へー。
とか思ってたら次のページにフジが載ってて。
何故だか神田を思い出した。酷く似合うなって、ただそれだけ。
「 フジ……は神田と違って好きかも。この淡い色とか。」
眺めてるだけで優しい気持ちになれる。好きな花だ。
なのにどうして神田なんて浮かんだんだろう。でも考えれば考える程、フジは神田が酷く似合うって、思えてくる。
不思議。

「 おい。」
「 あ?って、うわ!」
びびびびっくりした。心臓バクバクいってる。っつーか心臓止まるかと思ったよ怖ぇよ。
何か上から聞こえたから顔上げたら、神田の顔が。神田が覗き込んでるよ本気でびびった。
何やってんだよこの人。こんな所でなにやってんだよこの人。こんな、こんな―――いつ来たんだこいつ。いつから此処に居たんだこの男はうわー!
まっずいって。まずいってばこれは。
何がまずいって神田への嫌味を聞かれたとかそんな事じゃなくてそれはどうでも良くて寧ろ聞かせてやりたいけど、フジの件は聞かれてたらまずいって。
顔に似合わず何乙女チックな事ほざいてんだとか云われるじゃんうわーそれは非常にまずいまず過ぎる。
ダブルラブショックじゃなくてダブルピンチ、だ。

「 ……なにやってんだそんなとこで。」
「 いつからそこに居たのよ!?」
―――あ、しまったやっちゃった。
「 質問に質問で返すとは、ハッ、流石だな。」
うわー、いーやーみー。
というかこの状況見たら何してるとか如何なってるとか大体判るだろがよ。こいつ楽しんでるよこの状況。愉快犯だよチクショー助けてリナリー!
「 五月蝿いなぁ。見れば判るでしょ、資料整理してたら穴に落ちたのよ床が腐ってたらしくて。」
チッ。……似合いだな穴の中なんてよ。」
「 うるせーよこのハゲ!」
なんだよ今のその小さな舌打ちは。聞いたぞ、ちゃんと聞こえたぞ私には。何に対する舌打ちなんだよ。
さっさとどっか行ってよ。神田にだけは助け出されたくないんだから。
「 ……誰がハゲだその目は節穴か、そうかこの床と同じで腐ってんだな。」
「うるさっ!もう用が済んだならさっさと帰んなさいよハゲ!バカンダ!」
ぅわおう。
盛大にカンダサマの眉が動いてるわぁ。米神に青筋も立ててるし。本当にもう、さっさと帰ってくれよ頼むから。帰れ。
「 そうか。お前は未だ当てられ足りねぇんだな。」
「 はぁ?何云ってんのよ。」
「 次は世界の植物図鑑コア編でもいってみるか?」
「 ……はぁ?」
って、云いながらその手に持ってるのは何だよ。そもそもコア編って。そんな物あるのか本当に。

――――ん?ちょっと待て今なんつった?
当てられ足りねぇとか云ったか?私の聞き間違いじゃないよね記憶違いじゃないよね。
という事はつまりそういう事で如何いう事で。
「 まさか先刻落ちてきたのって、落ちてきたんじゃなくて神田が落としたの!?」
「 今頃気づいたのか間抜け。」
笑いながら本を投げつけるなよ当ったら如何するんだ当ったら、当てるつもりかこの野郎。
畜生ぶった斬る。此処から出たらいの一番にぶった斬ってやる。そしてすりつぶしてくれるわこの性悪女め!
しかも本当に世界の植物図鑑コア編とか書いてあるし。コレの著者って誰だ会ってみたいわ。
「 危ないじゃない!」
「 さっさと出て来いようるせぇな。」
「 出られたらとっくの昔に出てるわよ。」

おおーっとしまったなんだこの沈黙は。
売り言葉に買い言葉でいつも通り宜しくのテンションに身を任せていたら余計な事を云ってしまった。
恥態失態醜態もいいところだ。
神田の顔が、神田の顔が。マヂかよって云ってる。めちゃくちゃそう云ってる。信じらんねぇって云ってる助けてリナリー!!

「 マヌケもここまでくるといっそ清々しいな。」
「 五月蝿い、私もドジッたって思ってるんだから。さっさと誰か呼んできてよ。」
「 なんで俺が。」
きたよ正論ー。
確かにそうだけど。確かに神田にそんな義務はないけども。こんな事神田に頼むのは私だって癪だけど。
足が限界なんだよ足の痛みがイノセンス発動しそうなんだよリミットブレイクしそうなんだよ。頼むから帰って誰か呼んできてくれ。背に腹は代えられないじゃん。
なんかもう正論過ぎる正論を云われて返す言葉も無いわ。どうしよう、なんか泣きそうだ。
悔しい。
「 ……お、願い、します……。」
悔しい、神田に頭下げるなんて。一生の不覚だ、恥だ、汚点だ生き地獄だ。
からかわれる。この先ずっと、からかわれ続けるに決まってる。悔しい。

「 面倒臭ぇ。」
「 ……っあんたねぇ!人が下手に出て頼んでんだからそれくらい聞いてって居ねぇ!?」
図鑑を投げつけてやろうかと両手に装備して見上げたら姿が無い。
まさか神田がここまで薄情者だったとは、誰が予想しうるか!ノストラダムスだって出来っこないよ無理。
音も無く消えるなんて、忍者かあいつは。
そういや神田がいつ入ってきたのかも判んなかったし……。何これ。ダブルピンチどころかトリプルピンチ?
「 うわぁあ!!?あれ、へ?なに、や、ええ?ちょっ、と……ええ?」
「 人語を喋れ人語を。馬鹿丸出しじゃねぇか。」
なにこれなにこれどうなってますかなにこれ。
なんで神田が私の隣に、だからいつの間に降り立ったんだってばねぇこれは何の真似ですか神田さん。
そりゃ私も言葉にならぬ言葉を発しちゃいますよ。本当にびっくりしたんだから。危うく両手から図鑑が落ちるところだったじゃない。
亦心臓が不整脈打ってるよ。
神田に云い返すのも忘れてるし。

「 な、なん、なん……!?」
「 大人しくしてろ。暴れたら叩き落すからな。」
口が金魚の様にぱくぱくする。胸倉掴まれても何も云い返せないし何も出来ない。
なんだこれ。
どうして私は足を挫いて両手に世界の植物図鑑入門編とコア編を持ったまま神田の肩に米俵の様に担がれてますか。
なんですかこのとてつもなくシュールな画は。
「 かっ、神田?」
たまらず聞いてしまうのは人の性ってものでしょうよ。ねぇ?
「 黙ってろ。俺がを運んだ方が早いだろ。それに………他の奴にもその恥を晒したい訳じゃねぇだろ?」
「 御尤もで御座います。」

でも、うわあ。
神田様のご乱心だ。御狂乱だ。御謀反だ。    






なんとやら