「 ねぇねぇシュウはさ、新婚旅行ってどこに行きたい?」
フットライトが仄かな明かりを落とす暗いベッドルーム。キングサイズの広いダブルベッドの中で、ころりと横を向き北見のパジャマの袖をツンツンと引っ張るは唐突に話題を振る。振られた側の北見は独特の間合いを取り(単に考えているだけだが)、首を少しだけ動かし腹の中を探ろうとへと目を向けるが、暗い故に彼女の表情が能く見えない。
「 …………それは如何いう意味だ。」
「 どうって、だから、新婚旅行で行きたい国とか。無いの?」
が何を意図して何の脈絡も無くこんな突拍子も無い質問をするのか、北見には皆目検討もつかなかった。
2人が付き合い始めて季節は二度巡った。知り合ってからはもう、六度も巡っている。ともなれば、此れは遠回しな求婚かそれを求めた合図だろうか。天井を仰ぎ独り思考を巡らす北見は、けれど今までのにそんな素振りは微塵も無かった筈だと着地する。今日のように互いの自宅に泊まり合う事もあれば小旅行に出た事もある。無論、いい歳をした大人だ、プラトニックを貫いた関係でも無ければマンネリしている訳でも無い。――――筈。
では何故、今、この話題を出してくるのか。其の真意は、何だ。
探るように、腕を伸ばしての頭を抱きかかえようとすれば、拒まれる事無く頭は持ち上げられそっと腕の上に納まる。そして暖を取るかのように擦り寄り、その細い腕を胸の上に回し緩く抱きついてくる。
その質問と行動に、やはり結婚を求めているのか?と北見は考える。
「 ……旅行に行きたいのか?」
「 違うよ、新婚旅行。私はね、やっぱり南の島が良いかなぁって思うの。」
「 ………… 」
けれど自分は今、結婚を考える程の余裕が無い。無論を慕ってはいるし隣に居ると安心する、下世話な話をすれば唯一劣情を催す相手だ。けれど、『=結婚』とはなれない。結婚をしてしまえば仕事も夫婦関係も両方共に中途半端になってしまい、結果を深く傷つけてしまうのが目に見えているから。今は未だその時期ではない、神の頂に辿り着くまでは家庭を築くべきではないと、北見は考えていた。だからこのの質問に対し、どのように答えれば良いか、答えるべきかをに覚られぬよう考えている。下手に答え、仕事を中途半端にしたりを失ってしまってはどうしようもない、それだけは避けるべきだと本能が警鐘を鳴らしている。相手の真意がはっきりするまで、断言するのは危険だと。
故に探りを入れてみた。
けれど返されたのは、掴み処の無い回答で、ますますもって解らなくなる。
「 でもね、今話題のドバイも良いかなって最近思うようになってきたの。」
「 ……そうか。」
「 ドバイの高級ホテルで贅の限りを尽くすのよ、素敵!」
「 ……………………… 」
自分の胸に頬を擦り付け、嬉しそうな声音ではしゃぐ。普段、女性らしい話題を持ち出さぬ彼女しか見ていなかった北見にとって、このギャップは新鮮にそして不可解に映る。彼女は今まで俺に合わせて自分を抑えつけていたのではないか、それが結婚によって解放されるのではないだろうか。そんな不安が急速に胸の中渦巻き始める。
「 だけどね、ヨーロッパで古城巡りとかもしてみたいのよね。」
「 ……行けば良いだろう。」
「 んもう、新婚旅行は一生に一度あるかどうかなんだから!」
少々怒った声音で北見の脇腹を軽く抓るは、少し間を空けてから複数回行く人も居るけど私は一回で良いともごもごと付け加えた。そんな姿が年齢よりもずっと幼く見え、まるで少女のようでいじらしく思える。
その一度の相手は他の誰でも無くこの俺なのかと、咽喉まで出掛かって北見はぐっと呑み込む。結婚の意思が無い自分が、彼女を縛り付けるような事を言ってしまっても良いものなのだろうかと刹那に考えたからだ。ずっとこうして隣に居て微笑んでいて欲しい、仕事の疲れを吹き飛ばして欲しい、そう願う反面、何処までも仕事に打ち込みたいと、余計な事は何も考えずに至高の頂に登り詰めたいと願い尽力している。せめてある程度、自分が納得のいくレベルにまでは余計な物を抱え込まず登り詰めたい。非道だと思われようと、それが俺の信念であり生きる道なのだと、の細く暖かな肩を抱いて北見は頭を痛める。どちらも自分にとって、なくてはならない存在になっているのだと再確認したからだ。
「 ……行く予定は、あるのか?」
肩をグッと抱き寄せ、けれど天井を見つめたまま北見は問う。例えば此処で、違う男の名が挙がろうとも致し方無い事やも知れぬと独り胸を締め付けて。致し方無いやも知れぬが、やはり別れ話を切り出されるのは――怖い。逆に、あっけらかんにシュウと行くに決まってるじゃないと微笑まれても心苦しいのだが。
「 今のところ無いよ。」
「 !?」
しかしの口から聞かされた言葉はそのどちらでも無く、北見の胆を冷やす。
今のところ無いとは如何いう意味だろうか。他に良い人が居るが未だ結婚の約束はしていないのか、それともそんな人物は居ないが俺と結婚する意思が無いだけなのか、はたまた、俺と別れて新しい出会いに向かおうとしているのか。
揺れ動く瞳で暗い天井を見つめる北見は気が気じゃない。愛している女性を信じていない訳じゃない、けれどもし、彼女が結婚を望んでいても自分には応える事が出来ない、故に彼女を束縛してしまっても良いものかと、年頃の彼女の今後を考えては頭と胃を痛めてしまう。
「 でもさ、旅行って行く前にあれこれ色々と考えるのが一番楽しいんだって。」
天を仰ぎ見ていた北見の頬にそっと手を置き、少し力を籠め自分の方へと顔を向けさせるは楽しげに笑っている。
それは何時か見た、そう、小旅行に出る前の、旅行を計画している段階のの表情に他ならない。だからこれは、は唯単に新婚旅行に何処へ行こうか考えているだけなのだと北見は理解して、入れっ放しにしていた肩の力を抜き気付かれぬ様にふと小さく息を吐き出した。相手を特定せず、自分が行ってみたい場所をあれこれピックアップしているだけなのだと、思えば純粋に可愛く感じる。こんな女性らしい一面も持っていたのだな、と。
「 ならば、世界一周でもすれば良いだろう。」
「 うーん……でもそうするともの凄く時間掛かるよ?数ヶ月とか。」
「 ……良いんじゃないのか?」
「 現実的じゃないなぁシュウは。数ヶ月も会社を休んだら干されるでしょ。」
仮定話をしている割に豪くシビアに考えているのだなと可笑しく思うも、そこがらしいとも思った。どこか他人とは少しずれていて、けれどそれが魅力的で惹き付けられ、放っておけないと思ってしまう不思議さ。
「 ……まぁ、日本ではそうだな。」
先程までのモヤモヤとした感情が嘘のように、穏やかに微笑んで頬に触れるの手をそっと握る。2人の未来に対して答えが出た訳では無い、先送りになっただけだが、北見の表情に不安や葛藤といった色は見受けられない。
「 あ……そうか、アメリカとかの国の人と行けば……… 」
が、自分の発言からこんな発想をするに再び胆を冷やされる事となる。目から鱗が落ちるようだと言わんばかりの表情のは先程までの少々ふくれた声音を明るいそれへと、変えた。刹那に、北見の中に再び沸き起こる不安と葛藤。やはりこれは遠回しな求婚か別れを切り出す為のフリなのか、ドツボに嵌ってしまう。
「 ……国際結婚、か……?」
「 今時珍しくも無いでしょ?」
「 ……そうだな…………。」
矢も立ても居られず、視線を天井へと移す北見の胸中は火事どころの騒ぎではなかった。右往左往、上へ下へ、やはり自分の信念を曲げてでも繋ぎ留めておくべきか、それとも自分の気持ちを素直に曝け出し解ってもらうべきか、もし解ってもらえなかったら、解ってもらえても受け入れてもらえなければ意味が無い!?
「 で、シュウはどこ行きたいの?」
オーバーヒートしそうな頭に突如として割り込むの声。それはこの話題が出た時から聞かれている内容だが、この状況では更に混乱を呼ぶ材料でしかない。単純に俺の行きたい国を聞いているだけなのか、それとも他意があるのか。
「 …………俺の行きたい国を聞いて如何するつもりだ。一緒に行くのか?」
そんな事を考えていると、ふと口から出てしまった。言った後で事の重大さに気付いた北見は息を呑むが、一度口からこぼれ落ちた言葉は器からあふれ出した水と同様に元に戻りはしない。これではまるで、『結婚するか?』と聞いているも同じではないか。心臓が壊れそうな程脈打つ北見は、如何答えられても逃げ道が無いと恐怖から目を瞑る。
「 えー、シュウと行くの〜?」
軽い口調では答える。その言葉に、北見は目を見開きへと大きく顔を動かす。
暗い中見えるの顔は、軽く嫌がっているもので――北見の感情に火を点けるには充分だ。
「 如何いう意味だ。」
けれどそう問い返す前に、苦笑するの口が開かれる。
「 旅行になりそうにないからやだなぁー。」
「 ……如何いう意味だ。」
それは俺と一緒だと楽しい旅行にならないと言いたいのか?では今までの旅行も楽しくなかった、と?ならば如何して今お前はそこに居るんだ。無防備な寝姿で俺に腕枕をされ手を握られ、抱きついているんだ!?
「 だって行く先々で仕事しそうなんだもん。新婚旅行なんて甘い雰囲気作れそうにないじゃない。」
やっぱり新婚旅行くらい甘いひとときを味わいたいじゃないと明るく言うは夏の太陽のようにけらけらと笑う。
その態度に、表情に、言葉に奥行きを探す北見の混乱は治まるどころかますます酷くなる一方で。
けれどそんな北見の胸中なぞ考える事も無いは、シュウは真面目だからねと笑い頬を抓る。
「 で、どこ行きたいの?」
「 ……………………… 」
声にならない声を出し、が眠りに就いたその後も北見はぐるぐると思考を巡らす事となる。
言葉を解し発するが故に、その裏を探してしまう哀しい人間の性に抗えず。






言葉の裏




(おはようシュウ)(……)(どうかした?)(……別に……)(……寝不足?)
(………)(ん?)(昨夜の話だが)(昨日?)(…………新婚旅行が如何と――)
(ああ、友達がね、新婚旅行でプーケットに行くって言うから色々考えちゃって)
(……色々……)(一生に一度、愛する人との蜜月デートでしょ、最高に楽しみたいじゃない)
(……)(どうかした?)(………別に)(そう?)
(……………)(ん?)(……旅行、行くか……)(本当!?お休み取れるの?)
(――ああ)(嬉しい!どこ行く?草津?別府?下呂?登別?)(…………海外、とか……)
(どうしちゃったのシュウ、大丈夫!?病院行く!?)