雨のち、処により一時煙のち、






   
朱色の番傘と藤色の番傘が並んで流れて往く。
色とりどりの傘で溢れかえる中、決して離れず仲睦まじく、朱色と藤色の番傘は並んで進んで行く。
小さな雨粒がバラバラと、番傘の上で激しく踊り、滑る様に地面へと流れ落ちては滲み込む。
三時間程前から降り出した雨は今も止む事無く、その雨足を強めてさえいた。
行き交う人々の顔は其々に差している傘によって、誰かさんが云っていた様に能く見えず、誰も彼もが無言の儘、足早に通り過ぎて往く。
天気は、雨。
「 ほらな、云ったろう。
 誰も彼もが我が事に手一杯で他の事など見えておらん。変装するまでも無かったな。」
「 うんまぁそうだね。
 変装はしてないけど。寧ろさせないけど。」
朱色の番傘からはの、藤色の番傘からは桂の声が落とされる。
気持ち声を潜め、しかし顔を合わせる事は無く。唯、人の波に乗る様に2人は並んで流れて往く。
揃いの髪型を、歩くたびに揺らしながら。

2人が出掛ける少し前。
何の効果も無いかもしれないが、しないよりはマシじゃないかと云うエリザベスの提案を呑み、2人は同じ位の長さの髪を同じ様に一つの三ツ編に結っていた。
元々この2人は共に綺麗で整った中性的な顔立ちをしており、遠目に見ると似ていた。
その事も手伝い、は一人街中を歩いている時ですら真選組に追いかけられた事もあったとか。
しかしは一人の女性であって、身長もそう高い方では無いので近くで見れば当たり前ではあるが判るのだが……というか指名手配犯と善良な一般人を間違えて追いかけるなよと、嘆いているのをエリザベスは何度となく慰めていたらしい。
桂と組みしている時点で善良な一般人ではないのではと云った事はこの際問題ではないのだ。そんな野暮な質問は受け付けません。

兎に角。
そんな綺麗処が2人同じ髪型で並んで歩けば違う意味で目立ちそうではあるが、其処は雨の降る屋外なので先にも述べた様に誰に見られる事も無く、誰に邪魔される事も無く、静かにゆっくり歩けていた。


「 雨足、弱まんないね。傘もボトボトだ。」
「 そうだな。」
大江戸水族館と大きな字で書かれた看板がデカデカと踊るその目的地に、2人は何時しか着いていた。
朱と藤の番傘を其々に閉じ、バサバサと傘に付いた水滴――というか大小の雨粒を落としている。
平日では在るが、周りにはぽつぽつと同様に傘の雨粒を落とし館内へと足を運ぶ人の姿が見受けられた。
桂とも、同じく傘の水気を払い備え付けられているビニール袋に傘を入れ、館内へと向かった。
「 大人1枚とペット1枚。」
「 ……。」
「 ―――――すいません大人2枚でお願いします。」
チケットブースにて、桂はついつい何時もの癖で自分とエリザベスの分のチケットを頼む時の台詞を吐いていた。
が、間髪入れずは右手に持っているビニール袋に入れられた番傘で何の躊躇いも無く桂の後頭部をはたく。まるで自分が持っているのはツッコミ用のハリセンですと云わんばかりの素知らぬ顔の儘。
はたかれ――もとい、殴られた痛みに悶えもせず、若干双眸に水気を溜めつつ桂は言葉を改めチケット販売員のお姉さんに申し出た。
お姉さんは2人のやり取りに引き攣った笑みで対応し、恐る恐る料金を受け取り大人2枚のチケットを差し出す。
「 かたじけない。」
「 ありがとうございます。行ってらっしゃいませ。」
震える身体をなんとか気力で抑え付け、お姉さんは2人を引き攣ったその笑顔で送り出す。
2人の後姿が見えなくなった頃、お姉さんは同じブースの中に居るもう一人のお姉さんにしがみ付いていた。
あの女の人怖い、あの女の人怖い、あの女の人怖いと3度繰り返し。
鈍い音がした、鈍い金属音がした、番傘は木で出来ている筈なのに鈍い金属音がしたよ。
「 すいません、大人3枚お願いします。」
そんなお姉さん達のうわ言は、次のチケットを求める客の声で無情にも終わりを告げられる。
世の中って、なかなかにして無情だよね。

ところ変わって、水族館内。
雨降りの外と良い勝負と云った少し暗い照明が続く中、ところ狭しに大小様々な水槽が並べられている。
中年男性、若いカップル、老いたカップル、学生、家族連れ。
人々は手に手に傘を持ち、決して混む事無く充分なスペースを確保した状態で疎らに居る。
そんなそれなりにバラエティに富んだ客層の中、桂とも見て廻っていた。
唯、周囲の客の様に綺麗だねや可愛いねなどという会話は無く。
「 これ食べたら美味しいかな?」
「 いや、こっちの方が美味そうな顔をしている。」
これは刺身かな、これは天麩羅だろと、斜めも良いところを行く会話を地で繰り広げていた。
小さなお子様を連れている母親達に、見ちゃいけませんだの近寄っちゃいけませんだの云われているのを知ってか知らずか。
それでも2人は気に留める気配を微塵も醸し出さず、あれは蕎麦に合うだの一匹位取っても――否、捕っても……盗ってもバレないんじゃないのだの、おいおいあんたらそういうキャラでしたっけという会話に華を咲かせ今も交わしている。
あまつさえ。
「 こういう硝子ってどれ位の厚さなんだろ。脆いのかな……?」
「 なんだ、爆破でもするつもりか?
 止めておけ。なんの罪も無い魚達を巻き込むのは。―――……焼き魚も良いな。」
「 いや、単に硝子の強度を知りたかっただけだから。
 あ、ねぇ、マンボウってどうやって食べるの?生はやっぱり一寸エグいから焼く?」
などと、流石テロリストとでも云った様な言葉まで飛び交う始末で。
此処までくるともう、半径数メートル以内には誰一人居らず、他のお客は2人を避け充分過ぎる程の距離を保っていた。

この2人にはカップルの甘いそれといった雰囲気は、皆無である。
今晩のおかずは取り敢えず魚だな、などと云っているのだから。しかも真顔で。
普通、暫くは魚料理を敬遠してもいい筈なのにも関わらず。
せめて笑っていてくれれば、未だ、ああ微笑ましい冗談を云い合っているのだなと云えるのに。そう、誰もが思っているだろう。
しかしそんな事は何処吹く風で。

美味しそうだの不味そうだの、あれ、この魚、幕府の犬の誰かに似てないか?あー、そう云われてみれば似てるかも。
えーっとほら誰だっけ。あの、アレ。鬱陶しい奴だろう。そうそう、あのほら、ヒゲゴリラ。名前なんつったっけ。
「 この魚、近藤さんに似てねぇですか。ほらこのストーキングっぷり。凄過ぎでさぁ。」
「 あーそうそう、近藤だ近藤。」
似てるよね近藤に、と加え、頬を緩めながらは声高らかに云う。
その魚を指し、きゃらきゃらと珍しく笑いながら。
そうだそうだと隣の桂は腕組みをし、大きく頷く。
その逆隣では、近藤に似てると云った少し独特の訛りのある少年が、2人をその大きな瞳で見つめている。
隣に、同じ制服を着た2人を並べ。
少年の名は、沖田総悟。その隣に居るのは土方十四郎、山崎退。
そう、かの有名な幕府の犬―――あ、否、武装警察 真選組の3人である。
斬り込み隊長、鬼の副長、ミントン王子―――ではなく諜報員。真選組の中でも仲が良く、最強タッグだとの呼び声も高い3人である。
その3人が見つめる先は、近藤に似ていると云われる魚ではなく、それを指差し笑い合う桂と、である。
「 ……土方さん、沖田隊長。」
「 ……ああ。」
「 似てまさぁね。」
円陣を組みしゃがみ込んだ3人は、声を落としひそひそと話し始める。
ちらちらと2人の方を偶に見やりながら、あーでもないこーでもないと、隊服の腰に差している刀へと静かに手を移す。

―――そもそも、この3人は隊服姿でこんな所へ来て何をしていたのだろうか。
よもや近藤に似ている魚を見に来た訳ではあるまい。そんな、まさか。
見れば3人の髪や隊服は、色濃く結構に濡れている。という事はつまり、見回り途中の雨宿りというところだろうか。
きちんとチケット代を払う辺り、館内の見回りとは考えられないだろう。
それに気付かぬ2人は無邪気に魚を指差し笑い合っている。

この魚は美味いのか、焼くか、生か、蒸すか、近藤に似てるなぁ、メッタ刺しに、否、爆破させてやりたいなぁ、等々。
綺麗な笑顔でどす黒い会話を朗らかに繰り広げている。
「 口から尻尾に―――否、尻尾から口に棒を差し込んで生きたまま焼きたいな。」
「 俺もそれやりてぇよ。土方さんに。」
ヒュゴッ―――
の前髪が、揺れた。
水槽の分厚い硝子に手をつき、焼きたいと云った桂の言葉に同意したのは他でも無い、沖田であった。
云い終わるが早いか、沖田は抜刀し桂へと斬りかかっている。
の目の前にぎらりと鋭く輝く刃は、桂の腕ギリギリの処で辛うじて止まっている。
「 おいこら総悟。何ぬかしてやがる。」
「 おき、沖田隊長行き成り刀抜かないで下さいよ!周りのお客さんが……!!」
ワンテンポ置いて。
事の成り行きに気付いた周囲の客達が声を割る。
土方と山崎も、沖田に続き刀を抜かんといった体勢で、桂と両名と対峙している。
ぴりぴりと、その場に張り巡らされる緊張の糸。凍てつく空気。
静かに、静かに2人は新選組へと顔を向ける。
「 桂ぁ、ここがテメエの墓場だぜィ。」
「 其処に直れ。」
「 あの、その、貴女、……桂の仲間だったんですか?」
3者3様に。
沖田は刀を構え直し、土方は瞳孔を開かせ抜刀し、山崎はおろおろとした表情で電話に手を掛ける。
すっと静かに鋭くなった眼付きで、2人は息を合わせる。自然の流れの中のそれで。
同時に、刹那の間を置く事無く桂は懐に手を入れ、一つの小さな筒を取り出す。
そして。
「 貴様等腐った幕府の犬なんぞに捕まるか。」
瞬く光と共に爆音と煙が昇り、視界は瞬時に灰色に染まる。
「 煙幕か。逃がすな!」
抜いた刀で煙を振り払い、土方は声を上げる。
ゲホゴホとむせる仲間2人に檄を飛ばし、自身も少しむせながらも瞳孔を更に開かせる。
土方覚悟!とドサクサにまぎれ沖田は土方に斬りかかってみたり、山崎は電話で応援を呼んでいたりと、纏まっているのかいないのか。
兎に角、そんな混乱に乗じ桂は逃げ出していた。

ヒュッ

灰色の煙を割って出てきたのは、朱色の番傘で。
その朱い色は、まるで血塗られているのかと錯覚してしまう様な、そんな色で。
「 ……まぁ、未だ捕まる訳にはいかないんでね。」
鮮やかな朱色の番傘がキインと高い金属音を上げる。
カラカラと床を這う軽い音は、が仕留めた沖田の刀。
刃の部分が柄から数センチ上の辺りで見事なまでに折られていた。
驚く暇も無く、ヒュッと音が鳴ったかと思うと続いて土方の刀が折られる。同じく、高い金属の悲鳴を上げながら。
ひらひらと舞っている傘の入っていたビニール袋を裂き、折られた刀は床へと突き刺さる。
視界を邪魔する煙は、未だ昇っている。
「 ……奴に味方するならアンタも同罪――捕まえる。それでも良いのか?」
声を上げ、土方は纏わり付く煙を振り払う。
「 番傘とは、どっかのチャイナ娘みたいでさぁ。桂なんかに組して、得することなんてあるんですかィ?」
折れた刀を見つめながら、舌打ちをする沖田。
「 貴女を……貴女は優しい人の筈です!こちらに来て下さい!」
電話を握り締め、山崎は声を荒げる。
しかし煙の向こうの相手の顔は見える事も無く。がどんな表情で居るのか3人には知る術が無かった。

暫くの沈黙。暫くの静寂。
それを破ったのは、やはり朱色の番傘で。
鋭い音と共に灰色の煙を裂き、山崎の電話を弾き飛ばし貫いた。
「 捕まえたければ捕まえなよ。
 私のは唯の傘よ。弾なんか仕込まれてない。―――まぁ、木じゃなくて鉄製だけど。
 優しい人間だって、信じるものはそれぞれでしょ。」
律儀にも3人の問いに其々答え、は笑う。
「 それに、楽しくなくなるじゃない?アレが捕まると。」
煙が収まった頃、にっこりと無邪気に笑いは朱色の番傘を開き、柄を肩に乗せる。
3人はその綺麗な笑顔に魅せられでもしたのか、微動だに出来ないで居た。
刹那、は筒を床へと滑らせる。
再び煙が漏れ出し、その小さな筒は爆ぜる。眩いばかりの光と轟音を引き連れて。
土方、沖田、山崎の3名はそれぞれに声を上げるが、鮮やかな朱色の番傘は灰色の煙に閉ざされてゆく。
「 人生、楽しくないとね。」
一言こう残し、はその場を後にする。


「 遅い。」
「 ごめんごめん。ちょっと。」
が非常口の扉をくぐると、桂は壁に寄り掛かり待ち構えていた。
右手には、藤色の番傘が握られている。
軽い笑みを湛え、は桂の隣へと戻る。滑るようにするりと、揃いの三ツ編を揺らして。
「 行くぞ。追って来られても迷惑だ。」
「 結局、亦真選組に遭っちゃったじゃん。雨降ってるとか関係無いし。流石桂小太郎様。」
「 五月蝿いぞ。過ぎた事は気にするな。」
何時の間にか雨は上がっており、2人は水溜りを蹴って走り出す。
軽い言葉を交わしつつ、人の波を縫う様にすり抜けて往く。
朱と藤の番傘を、手に手にしっかりと持ち、駆け抜けて往く。

「 あーあ、折角楽しんでたのに。
 ……ねぇ、コタ。今夜は何食べる?」
追いかけてくる真選組を難なく交わしながら、は桂の顔を見る。
とんだ邪魔がはいったわと云いつつも、その顔は明るい色で。唯並んで走っている。それだけで満足なのかもしれない。
対する桂も満更でもないらしく、ついつい頬の筋肉が弛んでいる。
追われているにも関わらず。
「 そうだな。
 蕎麦と……キスの天麩羅でもどうだ。」
いや、やはり焼き魚も捨てがたい。
などと笑いながら、2人は駆けて往く。真選組の追撃から逃れ。    






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