太陽が西の空に沈む。 煌くオレンジ色に染まる西の空と、インディゴブルー色が深まる東の空。 寝転がるの右目には、バイオレット色の空が映って居た。 「 はぁ……ねぇ、ユウはさ、この戦争が終わったら何したい?」 大の字に広げられた身体から力を抜き、大きく息を吐くの隣にどっかりと腰を下ろし、神田は乱れた息を正そうと深呼吸する。 「 ……いきなり何を言い出すんだ。」 発動を解いた六幻を腰に差した神田は片手を地に着け遠くの山の端を眺める。もうすぐに陽が沈み、長い夜がやってくるなと頭の片隅で考えながら。さらりと髪を揺らし夜の香を運んでくる風に、薄く目を閉じる。 「 ちょっと聞いてみただけ。今までこういう話してなかったでしょ。」 「 ……くだらねぇ。」 仏頂面で一蹴する神田に、左手に握る蒼穹の風の発動を解きは酷いなぁと笑った。 さわりと、髪を揺らし心地の良い風が通り過ぎ、灰色の雲を連れ去る。 胸を上下させ流れる汗も血もそのままにしているを、神田は横目で盗み見る。そして面倒臭そうに、話に乗ってやるのだ。 「 ……そういうお前はどうなんだよ。」 「 えー、わたしー?」 あははと声を出して笑うは少し顔を歪めた。それを目聡く見つけた神田はに気付かれぬ程小さく舌を鳴らす。さっきまでの闘いで意識を飛ばしそうな程負傷したなら、暢気に口を開いていないでさっさと病院に直行しろ、と。言いかけて、が困ったように微笑む姿を見つけてしまい心の中で吐き捨てた。 「 どうなんだろう……。あはは、ユウに質問しといて、自分は考えてなかったや。」 「 バカが。」 「 確かに馬鹿だけどユウにだけは言われたくない。」 「 うるせぇよ。」 けらけらと明るく笑うは笑った後に少し咳き込み、ただ疲れたと一言加えた。 バイオレット色に染まる西の空。インディゴブルー色に変わった天井を見上げ、神田は目を細める。戦争も何も関係無く、あの人に会うまでは死ねないのだと。それだけが俺を突き動かしているのだと。 「 私には、夢なんて無いかな。……夢が失くなったって言った方が正しいのか……。」 右目でインディゴブルー色に染まった空を虚ろに見つめ、蒼穹の風を握る左手を開いた。流れる汗も血も、熱を纏った身体も、心地良い風だけが優しく包んでくれる。こうして大地に寝転び夜空を眺めていれば、あの日々と何も変わらぬ景色なのに。ただ違うのは、隣に居るひとで、私の手の中には闘う為の武器がある事。戦争をする為の、破壊する為の武器がある事。見える景色は変わらずに優しく美しいのに、その裏の悲劇まで目に映るようになってしまった。 「 おじさんと一緒に森の中を歩いて、森を守って、森と共に生きて。おばさんに手料理を教わって。 ずっとずっと、そんな生活が永遠に続くものだと勝手に思い込んでた。 3人で仕合わせに暮らして、いつか私も結婚して――――ずっと、笑って過ごすんだって。」 ごほりと咳き込み、消えた笑顔を苦いものへと変える。 「 それが私の夢だったのになぁ。……他の夢なんて思いつかないよ、ずっと闘いばっかりの戦争漬けの生活の中じゃ。」 くっと声をもらし右目を閉じるは開いた左手をきつく閉じた。 こんなものがあるから私は闘わなくちゃいけないんだと。こんなものがあるから私は逃避する事も叶わないんだと。 こんなものがあるから私は素直に泣けないんだと。こんなものがあるから私は無力に呪わず、憤りを力に換え非力に立ち向かっているんだと。 「 この戦争が終わったら、戦争が終わったら、私、生きていけるのかな……。 私はどうなるんだろう。したい事なんて思いつかないよ。今の私に、戦争以外の物なんて何も無いんだから。」 「 淋しい女だな。」 あふれ出しそうな涙に乾いた声を上げ、インディゴブルー色が深まる空を仰ぎ見ていると、ずっと黙っていた神田が口を開いた。その声に悲哀や同情の音は一切無く、失笑と侮蔑の音だけが練られている。 深いインディゴブルー色の空を見つめるはむっと顔を顰めた。いつもならばそうだねと笑い飛ばす事も出来たのだろうが、今は出来ないようで、涙の代わりに言葉を感情そのままに流す。 「 なによ、ユウだってしたい事無いじゃない。」 「 と違って俺にはある。」 残念ながらな、と続ける神田は嘲るように笑う。 「 なら言ってみなさいよ。どうせくだらない事なんでしょ。」 「 くだらなくても無いより千倍もマシだろ。教える義務はねぇな。」 「 ……なによ、バカンダのくせに。」 「 咆えてろ愚図が。」 「 〜〜〜!! 」 神田の言葉に、声を失う。それは神田の言い分があながち間違いではなく、寧ろ自分と同じ考えであったから。喩えどんなにくだらない事でも、何か目標や夢があれば、それに向かってモチベーションを上げられる。今が戦争の真っ只中であっても、終わりの見えない戦争であっても、血と涙が流れ止まらぬ悲痛な生活であっても。 それをあの神田にここまではっきりと言われてしまい、信ずるものが揺らいでしまいそうになるのを感じた。 いつもの神田なら、くだらない、馬鹿馬鹿しいといった一言で一蹴し、その後の自分の話を流すようにしっかり聴き、慰めの言葉を掛けずともそのぶっきら棒な態度で包んでくれる。だのに何故今日は違うのだろうか。何故今日は現実を突きつけ、逃避させてくれないのか。何故今日に限って、こんなに辛辣な態度で返されるのだろうか。こんなに、心身共に弱っている今日に限って。 悔しさに、現実の厳しさに、堪えている涙がこぼれてしまう。 「 したい事くらい、すぐに見つかんだろ。」 きつく閉じた右目。耳を掠める風に時が止まれば良いと思った。それでも無情にも時は流れ、隣で遠くを見つめる神田の言葉を止めはせず続けさせる。温かさを含んだ優しい声音を。 「 今は無くても、戦争が終わるまでには見つかんだろうよ。」 右目を開けて、隣に座る神田を見上げる。けれど暗くて能く見えない。そう言葉を紡ぐ神田の表情が、解らない。 ぽけっとして返事をしないをチラリと見下げる神田は、隠すように言葉尻を荒げの前髪を乱暴にかき混ぜた。 「 っや、ちょっと……!?」 「 うるせぇんだよ、泣きたきゃ泣け、声出して泣け。大丈夫だ、何でもないって顔して堪えてんの見るとムカツクんだよ。 助けて、泣かせてって声が耳にうるせぇんだよ。」 「 っ痛!!?いたたたっっ!!!」 じわりと血が滲んでいたの左瞼を親指の腹で圧し、神田の親指が紅く染まる。その痛みに目をきつく瞑り、身体全部で拒絶反応を示すだったが、先のアクマとの戦闘にて負傷した為上手く力が入らず、神田に遣り込められてしまう。否、喩え負傷しておらずとも、男女の力の差は火を見るより明るい。蒼穹の風を手放し、左目を圧し続ける神田の手を退かそうと尽力するが、逆に両手を取られてしまった。 「 いたっ、いってば!ユウッ!」 身体が防衛反応を働かせ、両目から大粒の涙がこぼれ落ちる。けれど痛みに注意が傾倒しているはそれに気付かず、動く足をバタつかせ抵抗を続ける。 ふと、左目の痛みが取り除かれた。 尚も両手は堅く握られ固定されているが、左瞼に感じていた強い痛みと違和感は無くなっている。不思議に思ったはそろそろと右目をゆっくりと開ける。すると何故か、視界が滲んでしまう。 「 強がってんじゃねぇよ。」 そう口を開く神田の顔は近い筈なのに表情が見えない。そこで初めて、泣いた――涙を流したのだと気付いたはかっと顔を赤く染め、怒鳴った。 「 これはそういう涙じゃないでしょ!」 恥ずかしくて今すぐ走って逃げ出したい。けれど両手を取られ押さえつけられていては逃げ出しようが無い。それでもどうにかしたい、何かをしていないと羞恥で頭が回らなくなってしまうと、は神田を蹴り上げる。が、両手を掴んでいる逆の手で、その足すら簡単に取られてしまった。 「 っ放してよこの変態!」 「 っっ誰が変態だ!!」 「 ユウにそんな趣味があったなんて!手負いの乙女を手篭めにして楽しいの!?」 「 ちげえよこのバカッ!!!」 ぐんと近付く神田の顔に思わずぎゅっと目を瞑った次の瞬間、頭に鈍い痛みが走りぬける。反射的にもれた声に、神田がもうひとつバカと付け加えたのが聞こえた。それに、腹の底が沸き上がる。 「 バカバカ言わないでよこのサディスト!」 「 誰がサディストだ誰が、俺は変態じゃねぇ。お前の為だろが。」 「 っ私はマゾヒストじゃないわよ!」 「 俺は変態的性癖なんか持ち合わせちゃいねぇよ!ンなもんコムイとソカロ元帥とクロス元帥だけで充分だ!!」 バシッと足を叩き落され頬を抓られるは、耳はおろか首まで赤く染まっている。暗くともそれが解る位置に居る神田は盛大に舌打ちし、ポケットに手を突っ込むとの左目へと圧し付けた。 「 っいたあっっ!!」 「 黙れ愚図が。あの程度のアクマの攻撃なんか受けてんじゃねぇよ。」 「 ……傷口拡げといて止血するって何のプレイ?」 「 っだから俺は変態じゃねぇっつってんだろ!!」 「 いう゛っ!!」 つい反射的に、止血する手に力を籠めてしまった神田はの反応を見て舌打ちした。心の中で、こんな筈じゃないと呟いて。 からかい飽きたのか、止血され目を覆われたからか、大人しくなった。両腕に掛かる神田の力が弱まった事に気付き、恥ずかしながら恐る恐る右目を開ける。生理的な涙も止まり、視界はクリアだ。神田と目が合うと、ふいに顔を背けられ、両手を解放された。 「 目の前に大事なもんが転がってりゃ、誰だって必死でそれを追いかける。他のもんなんて眼中に入んねぇよ。」 左目の上に添えられていた手も退かされ、本格的に背を向けられる。けれどそんな神田の言葉をきちんと聴きたいと、は左目の上に乗せられたハンカチをそっと押さえ上体を起こした。少々、身体に痛みが走ったが。 その様子を背中で聞いていた神田は髪を掻き揚げる。 「 だから、夢が失くなったとかもう見えないとか言って無いで今の自分も大切にしろ。」 さわりと優しい風が走り、神田の長い髪を揺らした。 降り積もる沈黙の一言一言がの胸をくすぐり、ダークブルー色の空へと舞い上がる。そしてゆっくりと、身体に染み渡る。恥ずかしげに身体を揺らす神田は突然勢い良く振り返り、意を決したかのように口を開いた。 「 おっ、乙女だっつーんなら、恋のひとつでもしてみやがれ。」 面食らうが口を開く前に、のイノセンスを引っ掴むとその儘の腕を取り自分の肩に回した。頭がついていかない本人を他所に、腕を持つ逆の手での腰に腕を回し強く引き寄せ、支えながら立ち上がり大股で歩き始める。 そんな神田の不器用な優しさが、傷口に沁みて苦笑がもれる。 幕が下ろされたような宵闇。月と星だけが肩を重ねる2人を照らし、森の木々が子守歌を奏でる。 引き摺られながら歩くは神田に気付かれぬように小さく笑った。 「 恋、ね……。さんとリーバーちゃんの結婚式見てみたいかも。」 「 リーバーがに愛想尽かさなかったらな。」 「 酷いなぁユウ、2人のキューピッドのくせに。」 「 知らねぇよ。」 「 あー、あと学校行きたいかも。勉強したい!ユウも一緒にどう?」 「 必要ねぇ。」 「 戦争終わったらエクソシストも終わりなのよ。馬鹿はすぐ淘汰されるって。」 「 そうだな、いの一番に淘汰されるのはだな。」 「 失礼な奴ね。」 肩を重ね合わせ、月明かり降る獣道をゆっくりと歩く。 さわりと風が髪を揺らし団服をはためかせ、胸をくすぐる。傷が痛み血は流れ伝うけれど、居心地は悪くない。 「 疲れたー。」 「 それはこっちの台詞だ。」 温かで明るい声がふたつ、ジェットブラック色の空へと溶けて往く。総てを照らし出す明日の太陽を呼ぶように。 そうして今日は終わりを告げ、明日を迎える。眩しい太陽が、また一日の始まりをそっと告げる。 世界の何処かで誰かが涙を流し、世界の何処かで誰かが愛しい者の名を呼び、世界の何処かで誰かが血を流す一日が。昨日を繰り返すように、明日を繰り返す。 その終焉を手にすべく、手に手に武器を取り戦争にその身を投じる者が居る事はあまり知られていない。 その者達の後悔も涙も儚い平穏も、他の者は誰も知らない。他の者達は、誰一人としてその心を理解出来ない。 |
夢を見るには早過ぎて、
夢を捨てるには早過ぎる