「 あー……なんでこうなるかなー……。」 暖かな布団の中。 他に誰も居ない部屋で独り呟いた。 額には濡れたタオル。 風邪をひいて熱が39度以上まで上がってしまい、コムイ室長から直々に自室待機を命ぜられた。 「 他の皆にうつしたりしたら大変だからね。 特にリナリーには、完治するまで半径10メートル以内に近寄らない事!!」 なんて。 結局リナリーの事しか考えてねぇじゃん。 「 はぁ……。」 情けなくて溜め息が出る。 「 アイツは今頃、現場の最前線で身体張って命懸けてるってのに。」 それに比べて、教団内に居るのにも関わらず、このザマかよ。 「 はぁ……。 どの面下げて会えっつーんだ。」 なんて云ってみた処で、風邪如きにダウンしちまった身体が動く筈も無く。 熱を吸収してぬるくなったタオルが、余計重く感じる。 ―――同時刻 司令室にて――― 「 はい、お疲れ様でした。 療養所行った後、ちゃんと休むんだよ2人とも!」 ベレー帽を頭に乗せた男性が報告書に眼を通しながら、ボロボロになった青年と女性に向かって優しく笑いかける。 男性の名はコムイ・リー。こう見えて黒の教団の室長である。 ボロボロの青年の名は神田・ユウ。長く綺麗な黒髪を高く一つに結い上げた、端整なお顔の持ち主。 もう一人のボロボロの女性の名は・。肩辺りまでのプラチナブロンドの髪が眩しい、綺麗なお顔の持ち主。 しかしボロボロと云えど、2人の美しさは少しも色褪せてはいなかった。 「 はいはい、判ってますよ室長殿。 きちんとこの子も、首に縄つけてでも引っ張って行きますからご安心めされ。」 その顔に似つかわしくなく、きゃらきゃらと子供の様に無邪気に笑いながら神田の団服の襟を掴む。 「 うるせぇ、子供扱いすんじゃねぇよ。」 そんなに向かって、そっぽを向きながらキツイ言葉を吐く神田。 「 あははは、だからお子ちゃま扱いされちゃうのよ、ユウたん。」 と、悪戯に笑いながらもう片方の手で神田の頭を撫でる。 「 ッ!テメ、撫でんじゃねぇっ!!」 顔を顰めバシッとその手を払いのけ、きっと睨み付ける。 が。 「 相変わらず仲良いねぇ。」 なんて、暢気な調子でコムイが口を挟むものだから。 「 そうなのー。もう、可愛くって可愛くって、弟が出来たみたいで嬉しくて〜!」 は明るくそう笑ってコムイに返す。 神田の言動など、パーフェクト・スルーだ。 いつも通りの事なのか、神田は暫く睨み続けた後でチッと舌打ちをし、諦めた様だ。 「 あ、そうそう。」 暫しの談笑の後、ふと思い出した様にコムイが手を叩く。 「 今、リーバーくん風邪で高熱出してるからむやみに近づかないでね。 キミ達に風邪がうつったら大変だから。」 と、眼鏡を光らせながら。 「 そう、判ったわ。」 にこっと微笑み、は頷く。 対照的に神田は仏頂面だけを寄越している。 「 それじゃ、そろそろ行くわね。 コムイ、リーバーが居ないからってサボらないでちゃんと仕事しなさいよ。」 手をヒラヒラさせ、神田の団服の襟を掴んだまま、は神田と共に司令室から出て行った。 いつもの様に、笑いながらきっちりと釘を刺しつつ。 「 失礼します。 と神田ユウ入りまぁす。」 トントントンと3度ノックしてからガチャリと療養所のドアを開ける。 「 治療お願いします。」 そう云っては、神田の襟を掴んでいる手に力を入れ、思いっ切り神田を投げた。 投げた、と云っても、実際のところは前へと神田を押し出した感じだ。 「 !?」 いきなりの事でバランスを少し崩した神田は、よろけながらも不穏な眼でを見る。 「 それじゃあその子の事、よろしく頼みますね。」 にこっと微笑み、医療班の面々にペコリとこうを垂れる。 そしてそのままくるりと反転し、今さっき入ってきたばかりのドアへと足を伸ばした。 「 何処に行く。」 そんなに神田は至極真っ当な投げかけをした。 その声に進めていた足を止め、神田へと振り返る。 「 ヘブラスカの所行くんだけど。」 それがなにか?と、今回の任務で回収したイノセンスを右手に持ちヒラヒラさせる。 「 治療は?」 差し出された椅子に座り団服を脱ぎながら、神田は続ける。 「 ……。」 ふと一瞬、間が空いた。 「 ユウは受けてて良いよ。 私の方は大した事ないし、大丈夫。」 あはは、とまるで間を繋ぐように笑う。 「 ……。」 神田は険しい顔でを見つめた。しかしそれは傍から見れば睨んでいる様に見えただろう。 そして次に、こう一言発した。 「 アイツを捕まえろ。」 その合図を待っていたのか、の周り四方八方から医療班の人達が次々と現れ、タックルを決めた。 押し潰されるをよそに、神田は一人静かに治療を受け始める。 「 大変な目に遭ったわ……。」 一段とげっそりした顔と声で、は肩を落としながら溜め息混じりに呟いた。 「 人には無理やり受けさせといて、自分は受けようとしねぇからだろ。」 ペースを合わせ隣を歩いている神田は、フンと話す。 どうやら、少し怒っている様だ。 「 むー……私はユウが心配だからだねぇ。 放っといたらどうせ治療受けずに修錬に行くつもりだったんでしょ。」 「 俺よりの方が重傷だろ。」 遮る様に、神田が重ねた。 が神田の顔を見上げると、神田もを見ていた。 その顔はいつに無く真剣なもので、逃げられそうに無い。 「 ……ごめん。」 神田の眼を見つめたまま、は謝った。 その声は本当に申し訳なさそうで。綺麗な顔も曇っている。 「 判れば良いんだよ。」 ポン、と頭に手を押し付けて髪を掻き乱した。 言葉には出さないが、神田もの事を心配していたのだ。 その気持ちが伝わったからか、は素直に謝罪をした。 言葉数は少ないが、2人にはきちんと判り合えているようだ。 どちらからとなく、亦再びゆっくりと歩き出す。 「 行くのか?」 不意に神田が口を開いた。 「 え?……何処に?」 は間の抜けた声でそう聞き返すが。 「 ……。」 暫く、歩きながら見詰め合う2人。 「 もうヘブラスカの所にイノセンス届けたし、他に行くべき所なんてある?」 と、。 「 ……。」 コイツは……と、神田は何か云いた気に不服そうな顔を寄越した。 「 な、なによ。」 少したじろぐ。どうやら、神田の云わんとしている事は判っている様だ。 はぁ、と深く溜め息を吐き出し、神田はの髪を再び掻き乱す。 「 なにすんの、ユウ!」 やめなさいと付け加え、神田の手を両手で制止させる。 「 行くんだろ?ちゃんと行けよ。」 ふっと悪戯に笑って、神田は一人歩いて行った。 残されたは神田の背中を、少し赤くなった顔で見送る。 「 ……バカユウ。 変なところ鋭いんだから。」 一言そう云ってから、神田とは別の廊下を走り始めた。 熱さで目が覚めた。 『風邪には充分な休息を』なんて云うが、俺の頭はそれどころじゃない。 アイツや神田やアレン達は最前線で闘っている。 コムイ室長やジョニー達はそれぞれの分野で今も最大限に力を出している。 ……多分、多分室長も仕事してくれてる筈だ。うん、そうだと願ってる。 風邪ひいてダウンしてるのなんて、俺だけだ。 そんなんで、一人大人しく寝てられるかって。 ――コンコンコン 起き上がろうとして布団の中で這いずり回っていると、ドアをノックする音が聞こえた。 「 誰だ?」 重たい頭を支えて、ゆっくりとドアへ視線を送る。 「 です。」 するとそんな綺麗な声が、聞こえた。 おいおい、嘘だろ。任務に出てたんじゃないのかよ。 「 リーバー?入るよ?」 カチャリと。 ゆっくりとドアが開いて、ゆっくりと廊下の光が差し込んできて。 ゆっくりと、アイツが入ってきた。 「 風邪ひいたんですって?」 そう云って部屋の明かりを点ける。 熱のせいか、その総ての動作がいつも以上に綺麗に見えて。 俺は未だ、何も話せないでいた。 「 座ってて大丈夫?寝てた方が良いんじゃない?」 そう云って見せる表情は、どこか泣いている様に見えた。まさかな。 「 大丈夫だよ。 それより、近寄るとうつすぞ。」 前後に手を振って、追い払う。 だけどは、笑ってこちらへ歩み寄ってくるんだ。 「 大丈夫大丈夫。 ほら、ナントカは風邪ひかないって云うじゃない。」 ふっと安心したかの様に笑った気がした。 「 はい。首の後ろに当てると良いわよ。」 そう云って差し出すのは、水で冷たくし直したタオルで。俺が起き上がった時に落ちたのか。 「 ……サンキュ……。」 受け取って、云われた通りに首の後ろに押し当てる。 「 あ……確かに気持ちいい。」 「 でしょ。」 俺がそう云うと、ひときわにっこりと微笑み返してきた。 「 いつ帰ってきたんだ?」 けどその笑顔が綺麗過ぎて、俺は視線を外した。 「 んー……2時間くらい前かな。」 怖いんだ。 「 今回はユウと一緒にソ連のウラジオストクまで行って来たのよ。」 怖いんだ。 「 しかも落ちたり転がったりで、2人共ボロボロ。 ほら、団服もアチコチ破れてるでしょ?」 こんな状態だからこそ、余計怖いんだ。 「 今回は結構、骨折れたわ〜。 って、本当に折れた訳じゃないわよ?疲れたって意味で……!!」 俺は、お前と一緒に居ちゃいけないんじゃないか。 俺は、お前には相応しくないんじゃないか。 「 ユウはいつにも増してイライラしちゃうしさぁ。」 ほら、そうやって笑いながら神田の話とかして。 お前はやっぱり、神田の事が好きなのか? 「 アクマも居たし。――今回も。」 俺だけ、置いていかれるんじゃないかって、考えちまう。 お前はいつもいつも、俺の手が届かないところに居て、更にその先に行ってしまいそうで。 怖いんだ。 「 ―――リーバー、人の話聞いちょるか?」 あ……。 俺の眼の前での手がヒラヒラしてる。 手をのばせば果たして届くのだろうか。俺の手は。 俺の、想いは。 「 大丈夫?やっぱり寝てた方が良いんじゃない?」 すぐ傍から、お前の愛しい声が聞こえてくる。 「 リーバー?」 熱い。頭が、熱い。 「 !?」 身体がビクンと動いた。 が俺の肩に手を触れたから。 「 大丈夫?無理しないで寝て良いんだよ。」 やめろ、触れてくれるな。 心配してくれるな、優しい言葉をかけてくれるな。 しちまうだろうが、期待を。してはいけない期待を。 「 リーバ―――」 「 ッ!」 お前を、欲してしまうだろうが。 「 ……帰れ。風邪がうつったら、大事だろ。お前は俺と違って大切な身体なんだから。 俺なら大丈夫だから、な? だから、早く帰れ。」 俺の理性が利くうちに。熱にやられる前に、早く。 「 来てくれて、ありがとな。」 本当に、ありがとう。 「 寝りゃ、治るよ。」 風邪も、この気持ちもきっと。 だから。 「 ――」 「 ヤだ。」 だか、ら……え? 「 ?」 どうしたんだよ? 「 どうして、そんなさっさと帰そうとするの?リーバーは、私が此処に居ると迷惑なの?」 まさか。嬉しいに決まってるだろ。 「 そんな事ないよ。 けど、な、風邪がうつったら……」 「 大丈夫よ、うつらないから。 私、リーバーと違ってバカだから、風邪なんてひかないもの。」 ……泣いてるのか? 「 何云ってんだよ。は莫迦じゃねぇだろ。 俺と同じくらい頭良――」 「 それに、風邪って他人にうつすと早く治るって云うし。」 ……? 「 私、リーバーの風邪だったら、喜んで引き受けるよ。」 嗚呼、熱のせいか? 熱のせいで、とうとう耳まで可笑しくなっちまったのか。 「 莫迦云うなよ。」 お前が俺の事、そんな。 「 そうだよ、私は莫迦だもの。莫迦だから、リーバーみたく頭使えないから……。」 「 違えよ! 俺なんか、エクソシストじゃねぇし、身体動かせる訳でもねぇから科学班な訳で。 なのに、風邪ひいてダウンしてて……俺の方が莫迦だよ。情けねぇ。」 本当に、情けねぇ。 「 それこそ違うじゃない。それぞれ、向き不向き、得手不得手があるんだから! だから、それを皆で補っていけば良いんじゃない。 『俺なんか』とか云わないでよ。リーバーのしてる仕事も、立派な救済者の一つの仕事よ。 私達エクソシストは直接闘うけど、それだけが闘いじゃないでしょ。 みんなが居てこそ、私達は動けるのよ。」 ……。 「 だから、私の足りない部分はリーバーが補ってよ。 リーバーの足りない部分は私が、補うから。」 見つけた先のの顔は、涙をためてそして、真っ赤だった。 此処まで崩れたの顔なんて、今まで見たことなかった。 「 なんとか云ってよ。」 それを見たら、なんだか安心できて。 もう、アレコレ考えなくて良いんだと判った。 「 真っ赤だな。」 やっと笑えた。 「 リーバーだって赤いじゃない!」 そう云って手を握ってくれるが、今まで以上に愛おしく思えて。 「 俺は熱出てるから。」 握ってくれた手を、きつく握り返す。 ああ、なんだ。 手をのばせばいつだってすぐに、触れられたんだな。 「 そんなのずるい!!」 少し怒った顔も、声も。 こんなにも近くに、吐息が聞こえる程こんなにも近くに感じられて。 「 良いんだよ。 俺もが好きだから。」 恐れる事なんて、なにも無かったんだ。 |
手
をのばせば