一方的なシンパシー
―もしも世界が平だったら―






   
キュンと高い音が鳴ったかと思うと、氷の羽根が降り注ぐ。
鳥のそれのように柔らかくは無く、堅く鋭く、一直線に地へと向かい落下する。
高音を引き連れアクマのメタリックな身体を突き破り、地に刺さってはアクマの瘴気を包み霧散する。
「片付いたな。」
「……ああ。」
転がる残骸を細い刃で斬り付け通路を作り、黒衣を纏う黒髪の女は変わり映えの無い調子で口を動かす。イノセンスが無事で良かったと、風に揺れる長い黒髪を掻き上げながら。
無駄口無いこの女は、金の為に――仕事と割り切ってエクソシストの任に就いているといつかアイツが言っていた、か。だからか、生半可な感情を抱いていない分、他の奴等に比べればなんとなくやりなすい。けど。
「帰るか。」
「……ああ。」
風に長く揺れる黒髪。発動を解かれ大気に溶ける刃。無駄な動き無く仕舞われる彼女のイノセンス。流れるような一連の動作に、時々考える。
この女の中に半分流れる、日本人の血。
世界中で極端に少ない日本人。その美的感覚を本当に理解できる者を。
俺の知らない、知りもしない、日本――

そして、もし―――という世界。
もし、アクマが居なければ――もし、千年伯爵が存在しなければ――
もし、イノセンスが無ければ、もし、エクソシストでなければ
―――――もし、世界が平和で闘う事を義務付けられていなければ、俺達はどうなっていたのか。
きっと、今のように怪我を負う事も無く、明日も亦変わり無く太陽は昇り月は煌き、人々は笑顔に満ちる。
そして日本も健在で、四季折々の花が咲き乱れ、独自の食文化を栄えさせる。
目の前に居る黒衣の戦闘服に身を包んだあまり笑わない女も、笑顔が絶えないのだろうか。
教団に居る変態シスコンは今以上にシスコンで、妹が彼氏を作ろうものなら烈火の如く怒り狂うのか。他のエクソシスト、……アイツはどうだろう。森の中を駆け巡り、狩りをして笑って暮らすのか。その隣に、俺は居るのか――……
俺は、居るのか………………

「…………神田。」
「……ああ。」
「……疲れたか?」
「……ああ。」
目の前で手がヒラヒラしている、その奥には変わらぬ女の顔。
否、少し表情が硬い、か?
「如何かしたか……アクマか!?」
「……それは此方の台詞だ。」
「はあ?」
ほとんど変わる事の無い表情に僅かだが違う色を見つけ、気になって声を掛けてみれば呆れたといったような溜め息をひとつこぼされる。如何いう意味だよ。
「なに笑ってんだ。」
「別に。唯、惚けるとは珍しいと思ってな。」
「な……」
「言葉が続かないのが何よりの証拠だ。」
熱でも出たかと続け、表情を緩める女にそれ以上何も言えなかった。
否、言うには言ったが、言葉にならなかった。

考え事をしていたのは事実だ。
ああ、考え事というよりは、儚い戯事に近いか。あり得はしない世界なんだからな。
けど時々、柄にも無く考えちまう。
今のこの世界とは違う、平和な世界が在るとするならば――と。この女の、日本人らしい仕草を見ていると。
いくら強くても、この女も生身の人間なのだと。傷つけば其処から鮮血が流れ出し、肩で息をする事もあるのだと。
そのクールで氷のような顔の下に、氷を溶かす炎のような熱い感情が確かにあるのだと。
柄にも無く、感傷に浸ってしまう。
俺と同じ、黒髪を持つこの女を見ていると、俺の知らない日本を知りたくなる。


「考え事か?」
「……別に。」
移動の汽車の中、ふと視界に黒髪を捉えれば。
互いに口数が少なく、任務が重なり共に過ごす時間の多くは沈黙。別にそれは嫌いじゃない、寧ろ集中出来て喜ばしい事だ。なのに何故今日に限ってこんなに突っ込んでくるのか。その総てを見透かすような眼を俺に向けてくれるな。
腹が立つ。
「そう、か?」
「ああ。」
視線を窓の外に戻す。山は緑深く、空は緋が燃え、流れる川は子供に笑顔を与えている。
こんな世界のすぐ隣には、アクマがその爪を光らせているというのに。
のどかな風景と窓の隙間からもれ薫る自然の香りに、どちらが本当の姿なのか判らなくなる。
俺と同じ、けれど違う黒い髪を見ると、特に……

「なあ。」
「どうした。」
訳なんて知らねぇよ。あるのかどうかすら判らねぇ。
「……変な事言うけど。」
「言ってみろ。」
だからその、見透かしたような笑い方はやめてくれないか。羞恥心が掻き立てられるだろ。
「もしも……もしもの話だ。」
「ああ。」
その淡いあおいろの瞳は、小さくなるだろうか。それとも、細められるのか。
「もしも世界が平和だったら、この世はどうなってんだろうな。は如何思う?」
「……世界が平和だったら?」
「ああ。」
予想に反して、その淡いあおいろの瞳が優しく微笑むもんだから。
「――っ……やっぱ良い、答えるな。」
居た堪れなくなって再び視線を窓の外へと投げ出した。
「そうか。」
反則だろ、そんな表情。それならいっそ馬鹿にしろよ。そうしたら俺も怒れるだろ。
「……ああ。」

顔が熱いのは夏が近いせいだ。