誰かの為に生きる、という概念が私の中には無い。
だからあの2人が異質に映り、目を惹かれた。








   
「 リー室長。」
「 やあ、くん。お風呂上がりかい?」
「 はい、大きなバスタブ?にすっかり嵌ってしまいまして。」
教団の薄暗い廊下で、湯上りのは片手に資料を持ったコムイと出くわす。
"くん"と名前(ファーストネーム)にくん付けで呼ばれる事に未だ慣れぬは少々困惑気味にはにかむ。
「 うんうん、大きな湯船にみんなで入るのは楽しいよね。」
「 ええ、まぁ……。」
にこりと微笑むコムイに返すは言葉を濁したが笑顔は忘れない。
他人と同じバスタブに一緒に入るのは抵抗があるからこんな時間に入っているのだがと心の中で汗を掻く。
続けられず、自然と会話がしんと止まってしまった。
居心地悪そうに、けれど笑顔を張り付けた儘のは如何しようかとコムイの手を見つめ、夜も深い事だし失礼しようと口を開く。
「 少し話さないかい?」
けれど音を発する前に別の音が耳に届き目を丸くする。ゆっくりと顔を上げてみれば、パチリとウィンク。
揺れる黒髪が、東洋人特有のつるんとした顔が、興味を誘う。――――目を惹かれた彼だからこそ、好奇心が刺激される。黒の教団本部の最高責任者としてではなく、彼とは一度じっくりと話をしてみたかった。
それは嘘では無く、本心。
「 ……ええ。」
頷くは目を細め、長い髪を踊らせる。


それぞれ手に荷物を持ったまま談話室へと移動した。途中、コムイが無線でジェリーにコーヒーを頼んでいた。
しっとりと水分を含んだの髪が少し冷える。
疎らな人影の談話室。
適当なソファーを指し、どうぞと笑顔でエスコートされは柔らかなソファーに腰を落とした。
「 ココの生活には慣れたかい?」
置かれたカフェオレに口付け、ふうと一息吐くと優しく訊ねられる。
視線を薄茶のマグの中からコムイへと移せば、とは言ってもと微笑まれた。
「 ボクの方が在籍歴が短いから、この質問は適切じゃないね。」
「 フフ、どちらかと言えば、私がお聞きする事柄・でしょうか?」
「 だよね。」
「 では、此処の生活にはもう慣れましたか?」
「 うーん、なんとかって感じだけど。」
優しく苦笑して髪を掻くコムイに、小さく声をもらしは返す。

何故コムイがこのような問い掛けをしたのか。当たり障りの無い会話の切欠と言ってしまえばそれまでだが、きっとそれはコムイが大人で、自分が大人と子供の中間に位置する年齢に居るからだろうとは理解する。
中央庁や大元帥達からの、人を使い捨ての駒(ポーン)のように扱われていた自分達(エクソシスト)の扱いが改善されたのは彼が着任してからだと知ったのは、つい最近だった。何故其処までエクソシストに拘るのか、その答えに辿り着くのは意外に早くて、けれどその理由がにはあまり能く解らなかった。彼のたった一人の妹がエクソシスト――けれどそれだけで、本部室長とは言え中央庁や大元帥達に意見出来るものだろうか。反感を買ってしまえば、自分自身の立場が危うくなるというのに。

何故、自分では無い者の為に其処まで出来るのか。自分には一切メリットの無い事で。
それがには不思議で仕方が無く、コムイと話してみたいと思う要因だった。
「 リー室長の妹さんって、エクソシストなんですよね?」
会話を続かせる為、と言うよりは、本当に聴きたい事を口にする。もう少し雑談を続けるべきだっただろうかと考えてみるが、別に可笑しな流れでもないだろうと心の中で頷く。
「 うん、くんと同じ、エクソシストだよ。」
ふわりと、更に優しくなる笑顔に、の中でやはりとどうしてが同居する。
「 その前に、ボクの事は"リー室長"じゃなくて"コムイ室長"か"コムイさん"、"コムイ"って呼んで欲しいな。
 ボクもくんの事を名前で呼んでいるしね。」
「 ……え?」
突然の無関係な申し出に目を丸くする。
「 し、しかしリー室長」
「 "リー"だとボクの事かリナリーの事か、わからないだろう?」
"室長"とつけているのだからわからないなどという事は無い筈だが、そう思うににこりと微笑み、心の中を読み透かしたかのように、ボクはみんなと・くんとも仲良くなりたいんだと優しく告げた。
その言葉に、嗚呼と悟る。
今までの室長とは違うのだ、と。今までの教団とは違うモノを作ろうとしているのだ、と。
彼の言う仲良くとはつまり信頼して欲しいという意味で。
「 ……急にそう申されましても、少し考えさせて下さい。」
「 考えるような事じゃないと思うんだけどなぁ。」
「 難しいですよ、呼称変更は。」
「 うーん、そうかなぁ?」
心の準備等色々ありますから少し待ってくださいと笑うに、前向きに検討してもらいたいなとコムイも笑う。

この人を信頼しても良いものか。
室長として、黒の教団の一員としては認めている。だが彼の実力や人となりを私は何も知らない。判断材料が不充分だ。結局は彼も黒の教団の一員なのだから、そういう人間かもしれない。――否、そうである可能性の方が遙かに高い。人間とは己の保身を何よりも先ず第一に考える生き物なのだから。自分が在って、初めてその世界が成立するのだから。

きっと私の考えている事などお見通しなのだろう、信頼するに値するか如何か量られていると理解していると考えるの瞳に、苦笑するコムイが映る。
会話が止まる前に、聞ける事を聞き出してしまおう。カフェオレを一口飲み、こくりと咽喉を鳴らすとはゆっくりと口を開く。
「 リー室長は如何して黒の教団に来られたのですか?」
飾る事も隠す事もせぬのストレートな言葉に、一刹那目を見開いたコムイはクッと咽喉を詰まらせ、苦しげに笑った。
「 ――妹が………妹に、逢いたくて。」
試されている、量られていると解っている筈のコムイは言葉を選ぶ。それはの信頼を得る為、と言うよりは、如何すれば自分の言葉が、自分が伝わるのかを考えて。
そのコムイの答えに、は小さく眉を顰めた。量られていると知りながら綺麗事を並べるのは愚者のする事だと、それでは誰の信頼も勝ち取れないと。
「 科学者として成功したいから、とかでは無くて、ですか?」
「 そんなもの、隣に妹が居なくちゃ意味が無いよ。」
「 如何してですか?」
コムイの眼鏡の奥をまっすぐ見つめ、は笑顔を作るのも忘れ続ける。唯純粋に、己の中の疑問を解く為に。自分の理解を超えた言動をする2人のリーを理解する為に。
「 どうしてって、リナリーはたった一人の妹で、たった一人の大切な家族だから。」
「 それは知っています。」
の応えにコムイは目を点にする。
此処まで言えば大抵解るものだろう。大切なたった一人の家族に逢いたい、そう思うのは普通の感覚だ。無理矢理に引き裂かれ、したくも無い事を強要されている妹を助けたいと強く願うのは、兄ならば家族ならば当然だ。それくらい、彼女も解っている筈。
「 ……それは知ってるって、兄妹だという事を……?」
「 ええ、他の家族をアクマに殺された事も。」
其処まで知っていて、何故、疑問を持つのか。其方の方が解らない。
「 それじゃあ、わかるだろう?」
「 いいえ、まったく。」
綺麗事を並べるなと彼女は言いたいのか、コムイはまっすぐに見つめてくるの灰銀色の双眸に薄ら寒いものを感じると同時に、あわれみを抱いた。彼女は人間として大切な感情が欠落している――そう悟った。
口を開くコムイの音を遮り、が紡ぐ。
「 如何して妹の為にこんな所に来られるのですか?」
「 ……たった一人の大切な家族だから。それに、年が離れてるから、リナリーは未だ幼いから…………。」
「 今は、ね。けれど家族ならこの先幾らでも増やせるでしょう?」
「 っそれはそうだけど!」
「 如何して妹の為なんかにこんな所にこられるの?人生を棒に振ってしまえるの?
 貴方の仕合わせは他にある筈なのに如何してその仕合わせを追わないの?」
「 ボクの仕合わせはリナリーと共にあるものだ!リナリーが居なければ意味が無いっ!」
談話室内の空気が震え、しんと静まり返る。円を描いていたコーヒーの表面も落ち着き、コムイはハッと我に返る。
じっと見つめ返すから右へ左へと視線を動かし、他に誰もい無い事に内心安堵し小さく息を吐く。
「 ………ごめん、大きな声を出したりして――――」
「 貴方の目の前から教団は貴方の大切なものを奪ったのよ、無理矢理に。
 此処が、黒の教団が如何いう組織か、解らない訳無いわよね?」
バツが悪そうに目を伏せるコムイには淡々と口を動かす。コムイが顔を上げと視線を合わせると、少女と女性が同居する美麗な顔が色を変えず、まるで能面のような表情で更に端整な唇を動かす。
「 妹に逢えたとして、此処から連れて逃げ出す事なんて限りなく不可能だと、貴方なら解っていた筈でしょう?
 この教団が在る限り、妹と共に仕合わせになるなんて無理な事だと。
 此処から生きて帰る事なんて、出来やしないのに。それなのに如何して貴方は此処へ来られたの?
 悪魔の住み家のようなこんな所へ。」
能面のような表情のが、何故だか泣いているようにコムイの瞳に映る。
黒の教団の実態は、の言うように来る以前から多少なりとも知っていた。そもそもその出会いの時点で理解していた。妹と逢え、連れ出せるなど考えた事も無かった。唯逢いたくて、そばに居たくて、その姿を、笑顔をもう一度見たくて。ただそれだけだった。
「 2人で逃げるなんて無理よ。でも彼女だけなら、いずれ逃げ出せたかも知れない。」
のその言葉にビクリと体が反応する。
「 貴方が来る事で彼女は教団に縛り付けられてしまった。
 仕合わせを奪われてしまった、逃げ出すチャンスを失ってしまった。
 貴方なら、貴方が此処に来る事で妹さんの未来を一つに決定付けてしまう事も解っていたでしょう?
 なのに、何故ノコノコとこんな所にやって来られたの?」
訊ねるように蔑むに、心の中で隠し抱いていたものが明るみに出てしまった。はっきりと、自覚する。
妹を教団に縛り付けているものがなんなのかを。
もう言い訳も誤魔化しもきかない。
「 ……そうだね、その通りだ。……ボクはココに来て何をしたかったのか。
 ボクがココに来て、あの子をココに縛り付けただけだというのに…………。」
自嘲するコムイは自虐的に笑う事もせず、苦い顔を作る。
「 ――ただそれでも逢いたくて、虚構の仕合わせでも笑顔が見たくて。」
コムイは俯き拳を苛立たしげに握った。

『 私が兄さんをここに閉じ込めてしまったの。だから私は兄さんのために闘うの。 』
いつかのリナリーの言葉がの頭の中に響き渡る。
互いに存在する事で互いを縛りつけ苦しめる。けれどそれでも互いに相手を深く想うが故に生きている。
相手の為に生きている。
どちらかが死ねば、どちらかがこの教団から消えれば互いに苦しまずに済むのだろう。
それでもこのリー兄妹2人は、それぞれに互いの為にと教団で生きている。それが互いに傷つけ合う形であっても。


やはり理解出来ない。
人間は己の私利私欲の為だけに生きる生き物だ。誰かの為に生きるなど考えられない。
「 …………それでも彼女はきっと、仕合わせに満ちているのでしょう……。」
泣くよりも辛い表情のコムイの頬にそっと口付け、は立ち上がる。
「 変な事を聴いてしまいました。今日の事は忘れて下さい、すみませんでした。……おやすみなさい。」
呆気にとられたコムイが顔を上げるとの姿はもう無く、冷め切ったカフェオレだけが残されていた。





理解不能