小さな勇気を振り絞って
昨日からリナリーの様子が変だ。 エクソシストとして、そして室長助手として忙しいのは判る。けれど明らかにそれらとは違う事をしている ――そう目に映る。 本人に面と向かって聞くのも癪だ。 そう思っている時にと出逢った。 「 姉!」 「 今日も元気そうだな。」 敬愛して止まない。 その姿を見かければ沈んだ気持ちも幾らか明るくなる。だからそう、今のモヤモヤした気持ちも少し薄らいだ気がする。 小走りに近付き腰に抱きつけば、その細く綺麗な手で頭を優しく撫でてくれる。 自分の正体を知っても恐怖せず、それまでと同様に接してくれ、そればかりか修錬や感情のコントロールの仕方といった事を飽きる事無く見ていてくれる稀有で大切な存在。 大好きな人。この人が本当の姉だったらと、何度も何度も思った人。 「 そういえば明日はリーの誕生日らしいな。」 食堂で紅茶を淹れていると、不意にそうが呟いた。 「 え……?」 反射的に声がもれる。 「 妹のリナリーがそう云っていた。なんだ、忘れていたのか?」 「 わ、忘れたとかそんな……いちいちあんな奴の誕生日なんか覚えないわよ。」 物好きじゃないんだから、記憶するのも勿体無いと加え、カップを持ち上げる。 そういえば先週は神田の誕生日だった。その丁度一週間後がコムイの誕生日なのだと記憶していたのに、連日の激務のおかげで綺麗サッパリ抜け落ちてしまっていた。 どうしよう――――そんな表情で俯くは紅茶を飲む事も忘れ固まっている。 小さく、そうかと聞こえた。 顔を上げると優しく微笑んだの手が、頭の上へと伸びてくる。 「 リナリーは今仕事中だ。じゃあ亦な、。」 紅茶美味しかった、ごちそうさまと云っては食堂を後にした。 彼女の言葉の意味が判らない程馬鹿では無い。 流れるような漆黒の長髪を暫く見つめていたが、それが食堂から消えると視線をカップの中の紅茶に戻し、一気に飲み干した。 トレイの上にカップを戻し、カウンターへと持っていくとジェリーの顔が見える。 何故かドキドキする胸の高鳴りを抑え、ジェリーにトレイを手渡す。 「 あら、今日は此処に居るの?」 「 あ、うん。……あの、あのね、ジェリー――」 夜の明けぬ暗闇。 普段静かな教団がより一層静かになる時。 人も草木も眠る時間、教団内の灯りはほぼ総て落とされている。 日付が変わった直後に盛大に祝っていたリナリーや科学班室の面々も、今は静かに各々の小さな城の中で無防備に眠っている。 月明かりだけが薄っすらと照らす教団の長い廊下。 歩く者は誰一人として居ない。 小さなバスケットを両手で持つ、以外は。 長い廊下に足音が響かないようにと細心の注意を払い、迷う事無く進む足。 コツリコツリと、その小さな足を懸命に動かし向かう目的地。 月の薄い光に目を細め、何故か高鳴る胸に顔まで染まる。紅く燃える、自身の髪のように。 一つの大きな扉の前でその足は止まった。 三つ大きく深呼吸をして、その大きな扉をそっと押し開ける。 暗い部屋。 当たり前のように灯は落とされ、山積みの資料や書類も今は深い眠りに落ちている。 もっと整理して足の踏み場くらい作りなさいよねと毒づいて一つの机へとその歩を進める。 暗い闇夜に唯一明るく光るその机に。 「 これでも整理してる方なんだよ?」 白い山の向こうから現れたのは、コムイ。 他の皆が寝静まった中、未だ科学班室に残っていた。それは仕事の為なのかどうなのか、コムイは室長である証の白い団服を着てはいない。 「 こんな時間までご苦労なことね。」 「 いやぁ、ちゃんにそう云ってもらえると嬉しいなぁ。」 「 ま、能無しだから徹夜でもしないと間に合わないんでしょうけど。」 「 ……酷いよちゃん。」 微妙な距離を空け毒づいてみても、胸が変に脈打っている。 部屋が薄暗くて良かったと思う反面、どうしてそんな事を思うのだと自分で自分を叱責する。 そんな事をしていれば、不意に出来てしまう沈黙。 ふと目が合う。 するとコムイはにこりと微笑み、片付けられたスペースに椅子を引きどうぞと促す。仕方が無いわねと盛大に溜め息を吐き、それでも椅子に座ればありがとうと小さな声で呟いた。それが聞こえているのかいないのか、コムイはにこにことしながら自身も椅子に座る。 その距離、僅か数十センチ。 優しく揺れる灯りの中で、意を決したのかがコムイに向き直る。 そして思い切り、両手を前へと突き出した。 けれどコムイは驚かず、優しく笑ってからの言葉を、待つ。 それが気に障るのか、ムッとなった顔をコムイから盛大に背けた。 「 これ、貴方にあげるわよ仕方が無いから。 明日の朝食べようと思ってたんだけど、こんな時間まで仕事してるコ―――貴方に哀れんであげるわ。」 ツンとした声音で、そう伝える。 暫くそのままだったが、ふと腕が軽くなった。 恐る恐るコムイを見れば、バスケットを両手で持ち口を開いた。 「 ありがとう、ちゃん。」 子供のように無邪気に微笑んで。紳士のように優しい声音で。 思わず、顔が熱くなる。 「 じゃ、じゃあ私はもう帰るわ。いつまでもこんな所に居られないもの。」 美容にも悪いしと云って立ち上がろうとすると、腕を掴まれ止められた。 なんなのよと少し鬱陶しそうに返せば、やはり微笑まれて再び火がつきそうになる。 慌てて気を鎮めれば、そんな人の気も知らずといった風にのほほんとした口調で、あのねと続けられる。 「 紅茶、淹れてるんだ。一人で飲むには多過ぎるから一緒に飲んでくれないかな?」 そう云って、にっこりと微笑む。 ああ、この人は――――それを聞いて、なんだか嬉しくなっている自分に気付く。 「 し、しょうがないわね、紅茶に罪は無いし飲んであげるわ。感謝しなさいよね。」 「 ありがとう、そう云ってくれると思ってちゃんの好きなディンブラにしたんだ。」 嬉しそうに立ち上がって紅茶を取りに行くコムイの背中に、紅く染まった頬に目が点になっている表情のは、すぐさま我に返り叫ぶ。 「 なっなによそれ!?私が今日来たのは偶々なんだからね!?」 「 うん、判ってるよ。昨年の今日も偶々来てくれたんだよね。」 「 なっっ」 「 一昨年も、その前の年も、その前の年も。だよね?」 「 ――――――っ」 「 ちゃん?」 「 い、いちいちそんな事覚えてないわよ!もう帰るわ気分悪い!!」 「 ちゃん!?ごごごめん、ボクが悪かったよ!だから紅茶を――」 「 知らないっ、コムイのバカ!!」 静かな教団の中。 唯一賑やかな声を上げる科学班室の扉の外。 少し開いた扉に背を預けていたは小さく微笑みをもらす。 そして静かに、教団の暗闇へと溶けていく。 |