「 リーバー、デートしましょう!」
そう高らかに言ってのけ科学班室のドアを乱暴に開け放ったは満面の笑みを見せているが、盛大に肩で息をしていた。半年前からこの日の為に水面下でコムイと争っていた事は誰も知らない。そう、誘われているリーバー本人でさえ。息せき切らし、ステップを踏むように足取り軽く歩くは目を丸くするリーバーの両手を優しく握る。
「 デート、ね?良いでしょう?」
「 したいのは……山々だが……」
「 仕事も山々なんだよ。」
神田の団服を補修しているジョニーが水を差すように言った。近くではリナリーも困ったように笑っている。六幻の先に分厚い辞書を乗せ(ある物のせいで)狭い科学班室でも鍛錬を怠らぬ神田はそのいつもの仏頂面の下に呆れを浮かべていた。一瞬の静寂の後、ざわざわと音を取り戻した職員達は口々に珍しいと囁きあう。
そう、普段のであれば先のような台詞を人前で口にする事は無かった。例えばリーバーと2人きりの時であれば冗談で言う事はあっても決して本気でなど言いはしない。実現不可能だと識っているから。共に殺人的なスケジュールをこなし自由になる時間など殆ど無い、世界の命運を賭けた戦争の真っ只中に居る当事者だから。
だがしかし、今日のはいつもと違っていた。
「 心配要らないわ、コムイの了承は取得済みよ。」
「 え?」
「 ほら、これ。」
そう言って団服の内ポケットから取り出した、ヨレヨレの三つ折の羊皮紙にはコムイの筆跡で次のように書かれていた。

『      9月8日の0時より翌9日の0時まで
   科学班班長のリーバー・ウェンハムを自由の身とし
        一切の拘束を解く事を誓約します
 
             18XX年09月07日
          黒の教団室長 コムイ・リー           』


朱色の捺印は擦れているが、これは紛れも無くコムイの書いた物だ。そう直感するリーバーはの手から羊皮紙を取りまじまじと、何度も何度も、隅から隅まで見つめる。その後ろではコーヒーを配るリナリーと六幻を握る神田が覗き込んでいる。
「 だから、ね、明日一日デートしましょう。」
明るく微笑むはひょいと羊皮紙をリーバーの手から抜き取ると大事そうに三つ折りコートの内ポケットに仕舞う。
「 ……どうしたんだよソレ。ほ、んもの、か……?」
「 勿論よ。」
「 もしかして脅したの?今までそんな事しなかったのに!?」
「 脅してないわよ。」
「 コムイもの脅しには屈したのか。」
「 だから脅してないってば。」
リーバーを始め、ジョニーや神田にまで(ボロクソに)言われるだが、気にならないのかその女神のような微笑みは崩れない。ついにが本物の実力行使に移ったかと蒼ざめる職員達に向かい、ただ話し合っただけよと眉一つ動かさず微笑むはパチリと大きな静電気を起こし場を鎮圧する。
「 殺ったのか。」
「 やあねユウ、コムイが居なくなるとリーバーの仕事が増えるでしょう。」
ハンと鼻で笑う神田の六幻の先から辞書を取り職員へと返すはウィンクを飛ばし、物事には武力行使よりも有効な術が幾つでもあるのよと続ける。
「 今日は8時には仕事を終わらせて、明日は朝からデートよ。」
「 いや、でも……」
「 心配要らないわ、仕事は総てコムイが引き継いでくれるから。」
「 ええ!?」
「 そういう約定なの。さ、今日の分を早く終わらせるわよ。」
「 でも……!」
反論を続けるリーバーだが、ぴしりと電気が走った。
「 私とデート、したくないの……?」
「 全身全霊で致したく思います!!」
散らした花すら凍らせてしまいそうな程の笑顔にその場に居る全員の心がひとつになる。結局武力制圧じゃないかと。だが、誰一人としてそう言葉に出来ぬ天下布武な空気を作り出しているのは紛れも無く女神のような微笑みを振りまく彼女で、さあ仕事仕事と山積みの書類へと嬉しそうに手を伸ばす姿を見せつけられては手を動かさざるを得ない訳で。静まり返っていた科学班室には紙を捲る音とペンを滑らす音が再び響きだすのだった。

の予定の時間から一時間経過した午後9時、喜びの歌を上げる科学班メンバーは久し振りに御前様じゃない、ゆっくり風呂に入れる、ゆっくりベッドで眠れると灯を落とし軽い足取りで職場を後にしていた。
暫くして、こんなに広かったのかと驚く程片付けられた灯の落とされた科学班室を一つの影が訪れる。柔らかに微笑むコムイ。片付いた机を指先で撫で、ふっと小さく息を吐く。
と話し合ったって本当?兄さん。」
「 そうだよりナリー。」
温かな湯気を燻らすコーヒーを淹れたマグを乗せたトレイを持ったリナリーが科学班室のドアをそっと開け、コムイへとゆっくり歩く。振り返るコムイはありがとうと頭を撫で、芳しいコーヒーの香りと妹の優しさを堪能する。心配そうに見上げるリナリーの視線に気付くとにこりと目を細め、心配無いよと穏やかに告げる。だけどと口篭るリナリーの髪を優しく梳かし、飲みかけのマグを机に置く。
くんは無頼者じゃない、それはリナリーもよくわかってるよね。」
「 ええ。……でも、リーバー班長とにお休みを丸一日も、なんて……。」
「 その分の仕事はきちんとくんが請け負ってくれたから。」
「 え?」
くすくすと柔らかな声をもらし口に手を添えるコムイはなんでもないと笑い、もう一度なにも心配は要らないよとと同じ言葉を口にしリナリーの長い髪を梳いた。その優しい笑顔にきゅっと胸が詰まる。
「 さ、ボクらももう寝よう。明日はリーバーくんが居ないからね。」
「 ……ええ、そうね。」
頑張らなくちゃと微笑む兄に精一杯の笑顔を見せ、リナリーは頷く。
灯の落とされた科学班室。賑やかな笑い声が続く談話室。そして眠る各自の個室。
「 それじゃ明日の朝、7時半に食堂で。」
「 ああ。」
「 おやすみ sweetei。」
「 ……おやすみ。」
リーバーの部屋の前でおやすみのキスを頬にするとは団服の裾を翻し靴音を鳴らす。未だに狐に抓まれたような顔をしているリーバーはヨレヨレの白衣から伸びている腕を振り、嬉しげにはしゃぐの背中を見送った。手を振り角を曲がって彼女が見えなくなったところで抱きしめておけば良かったかもとぼんやりと考え、暫くの間誰も居ない廊下を眺めていたが、思い出したかのように自室のドアに向き直りポケットを漁って鍵を取り出す。
「 デートなんて……ホントに出来んのか……?」
呟きは溜め息と共に暗い廊下に消え、ドアを開けたリーバーは白衣を脱ぎ捨て久方振りの長湯の準備を始めた。



ぱちりと目が覚める。
時計を見やれば7時少し前。若干の疲労感はあるものの、体調は良好。こんな爽やかな朝を迎えるのはいつ以来だろうかと苦笑しながらカーテンを開ければ、空には優しい光を落とす太陽が輝いている。腕を伸ばせばパキリと音が鳴り、かなり身体が鈍っているなと笑えた。シャワールームの鏡に映る自分の顔を見つめ、昨日の言葉を思い返す。
『 デートしましょう。』
そう言って聖母のような微笑みを彼女は向けたが、果たして本当に休暇などもらえるのだろうか。昨日は仕事が劇的に早く終わったが、今日の分はどうなる。今日の遅れを取り戻すのは明日以降か、否、遅れを取り戻せるのかと真面目に考え込む。一分一秒、一刹那を惜しむ世界で生きているにも係わらず愛だの恋だのにうつつを抜かしていて良いのだろうか。誰に問わずとも己の中に答えは既に出揃っている。
カミソリに伸ばした手を引っ込めると、椅子に投げ掛けた儘のくしゃくしゃな白衣に袖を通し部屋を出る。

「 Good mornin ' Happy birthday , my dear!」
短い音と共に紙吹雪に迎えられ、ツンと立った髪に細い紙が掛かる。
ぐんと近付く穏やかで暖かな微笑みが視界から消えると頬に柔らかい感触が生じ、男には無い女性特有の甘くまろやかで心がほぐされるような香りが鼻をくすぐった。
「 朝っぱらから人前でイチャつくな。目障りだ。」
「 ふふ、おはようユウ。」
長い黒髪を揺らす神田の隣で微笑むは朝だからか団服を着ていない。それどころか、普段はパンツスタイルで居るの素足が露になり、膝の上でシフォンのドレープがの動きに合わせふわりゆらりと優雅に揺れている。大きく開いた胸元にはプラチナのネックレスが灯を反射し優しく光る。ぱちりと、目が合った。
「 ……あ、えっと……」
「 おはようリーバー。」
「 っああ、おはよう、。」
初めて見るだろう着飾った彼女の姿。パルチザンを握り二挺拳銃を乱射する普段の姿からは想像も出来ぬ程の美しさに思わず頬が紅潮し手に汗を握る。彼女は目をみはる美人だと認識してはいたが、服装ひとつでここまで変わるものなのかと息を呑む。普段見慣れている戦闘服を纏う彼女がクールビューティーだとするなら、今目の前で微笑んでいる絵画の中の女神のような彼女はスウィートビューティーとでも表せば良いのだろうかと考えていると神田に声を掛けられた。
「 何か無いのかよ。」
「 な、なにかって……」
「 それに、その恰好で並ぶつもりか?」
面倒臭そうに目を細める神田はいつの間にかその手に任務書類を携え歩き出す。
「 釣り合いが更に取れねぇな。」
「 ユウ!」
窘めるに背を向け手を振り食堂を出た神田の言葉がずんと頭上に落ちてくる。言葉に出来ぬ思いが、幾度も飲み込んだ感情が再び腹の中で渦を生む。木槌で頭を殴られているような感覚の中で手を引かれ、我に返り前を見れば困惑の表情を滲ませたが居る。ドクンと、胸が熱く脈打つ。
「 気にしないでね、ユウの言った事なんて。」
「 あ、ああ……。」
「 でも、白衣は脱いでほしいかしら。」
苦笑するに、神田の言葉を思い出す。繋がっていない自由な右手でガシガシと頭を掻き、言おうか言うまいか悩んだ末にリーバーは恥ずかしそうに口を開いた。
「 と、とても綺麗だ、よく似合ってるよ。」
なんてありふれた定型文(じょうとうく)。そうじゃないだろ、もっと気の利いた台詞が幾らでもあるだろ俺のバカと嘆いたところで、一度口からこぼれ出した言葉は回収出来やしない。此処にコムイ室長やラビが居なくて良かった、クロス元帥が居なくて本当に良かったと別の意味でも背中に汗を掻くリーバーを見つめるの顔色がゆっくりと変化する。
「 ……ありがとう。」
嬉しいと続けるは頬を染め瞳を潤ませる。再び珍しいものを目にしたと驚くリーバーは、のこんな表情を見るのはこれで2度目かと何故か冷静に考える。反面、反則だろと心の中で頭を抱えた。そんな顔をされては、公衆の面前という事を忘れて勢いに任せ抱きしめたくなる。が、ぐっと理性を働かせああと相槌を打つと、普段ポーカーフェイスで総てを煙に撒くが上目遣いではにかんだ。だから反則だろと頭の中で鐘を鳴らすリーバーはひとつ咳払いをし、飯でも食うかとぽつりともらす。
「 ええ。」

自室に戻るなりシャワールームに駆け込んだ。
おとぎの国の姫すらも霞ませる彼女の破壊力(スペック)。そして彼女の全身から感じる『愛されてる感』。愛しい人の期待に応えたいと、科学者や戦争がなんだ、惚れた女一人満足させられなくて何が男だとスイッチが入ったのか、バシッと決めるリーバーが腰にバスタオルを巻きシャワールームから出て来ると女神のように美しい、否、それ以上に美しいが資料だらけで色気も何も無い部屋のベッドの上に腰掛けていた。
「 っっ!?」
「 髭剃ったの?リーバーの無精髭姿も好きだけど。」
「 な、なんで……!?」
「 無理はしないでね。私はリーバーと一緒に居られるだけで満足よ。」
「 とっとりあえず、」
「 あ、下着は此処?」
!!」
にこっと微笑み、上手く資料を避けクローゼットをなんの躊躇いも無く開けるを見て赤面するリーバーは、幾ら外見が変わろうとだと思い直し、資料のタワーを足で崩してしまい声にならない悲鳴を上げた。


「 スゲー美人。」
「 隣の男は誰だ?まさか彼氏とか言わねぇよな。」
もれる色を含んだ溜め息に殺気を籠められた鋭い視線と嘲笑。ロンドンの街に着くまでに、一体幾つ寄越されただろうか。通り過ぎ様に嫌でも耳に届くひそひそとした声に、全部聞こえてんだよと心の中で舌を鳴らすリーバーの腕を取るは、都会の中に悠然と溶け込み、見事なまでに人々の視線と話題を集めていた。だが当の本人は気にしていないのか気にならないのか、珍しくペタリとリーバーに引っ付き、目が合うと嬉しそうに微笑んでいる。
その頬が少し、紅く見えるのはチークのせいだろうか?
「 大丈夫?疲れた?」
「 大丈夫だよ。」
凛とした表情に優しさが顔を覗かせ、インテリは運動不足になりがちだから疲れたらすぐに言ってねと続けるの気遣いが殺伐とした心に沁みると同時に、男としてそれで良いのかとも考えてしまう。腕を組みショーウィンドウを眺める姿は、頬を寄せ甘く愛を囁きあう普通の恋人達と同じように見えるだろうか。遜色無く映っているだろうか。それでも眺めるショーウィンドウが、羽ペンやインク、実験器具、ナイフや斧、果ては狩猟銃などなのはご愛嬌と言ったところか。外見からはおよそ見当もつけられない物を見て瞳を輝かせるを見つめ、くすぐったそうにリーバーは笑う。
「 そういやこういうデートらしいデートって、今までした事無かったよな。」
「 そんな余裕と時間が何処にあるのよ。」
銀メッキを施された銃身の長い美麗な細工銃を見つめ、色を含んだ溜め息を吐く。トランペットを欲しがる少年のように窓に両手をつき口元を綻ばせている。普通、服やバッグ、装飾品を見てそうするものじゃないのかと肩を小さく揺らすリーバーはククッと咽喉を鳴らし、楽しそうだなとの腰をそっと抱き寄せる。
ピカピカに磨かれたショーウィンドウに映る自分と。正装をしていてもとても釣り合いが取れているとは言えないが、それでも肩口にゆるく乗せられる頭に、優越感でも劣等感でも無く、満足感が全身に拡がって往く。仕合わせだ、確かにそう感じる。たとえ仮初の時間だとしても、この気持ちだけは偽物では無い。キラキラと光り輝く銀メッキの細工銃とは違うのだ。
「 そんなに欲しいなら買ってやろうか?」
「 え、いいの?」
髪を撫でればくるりと端整な顔が此方を向き、普段見せる事の無い輝きが瞳に宿っている。本当は宝石のひとつでも買ってやりたいものだが俺の薄給じゃあなぁと小さく笑うリーバーは掛けられている値札を見て顔を崩した。
なんだこれ、俺の見間違いか?余裕で上等な宝石が買えるじゃねぇか。おいおいマジかよ、ローン組めますか?
「 じゃあ2本先の通りのお店に行っても良い?」
「 え?」
「 欲しい物があったの、買って良いでしょう?」
「 え、ああ、良いけど……でも、アレは要らねぇのか!?」
早く早くと子供がねだるように手を引かれ、満面の笑みでご機嫌にヒールを鳴らすに遠ざかるピカピカに磨き上げられたショーウィンドウを指差す。すると無邪気な子供のような笑顔でこう返される。
「 使えもしない物を飾って眺めて楽しむなんて成金の下衆がする事よ。」
手に馴染まない武器は己を傷付ける凶器にしかならないわと続けるは、寂れた通りの小さな店のひとつを訪れ、店内に所狭しと並べられた銃火器と薬莢に囲まれながら嬉々としてその店の店主と話に華を咲かせていた。じゃあどうしてあの細工銃を羨望の眼差しで見つめていたんだと問えば、あの外観に私の持つ銃の中身が伴えば理想にぴったりなのと力説された。理解出来ぬ世界では無いけれど……。程ではないが射撃が好きなリーバーは、何処を見ても銃が目に入る店内に、胸の高鳴りとドーパミンを抑えられないでいた。

「 結局、何を買ったんだ?」
「 薬莢よ。十字架の細工が施されているけど威力は損なわれない優れものなの。」
長々とごめんなさい、ついテンションが上がっちゃってと微苦笑するの肩に掛けられたハイソなバッグには、それに似つかわしくない厳つい物が入れられているんだなと苦笑を覚えてしまう。けれど、彼女が心底嬉しそうな笑顔を見せるから、そんな事は如何でも良い事なのかもしれないと考える事を放棄する。腕を組んで並び歩き、目が合えば心臓を鷲掴みされる美麗な微笑みを向けられる。これを仕合わせと言わず何をそう言うのかと自問するリーバーは照れ臭そうに頭を掻いた。
「 次は何処行く?」
「 ええと、ああ、此処。」
そう言って歩みを止めるの指差す方を見上げれば、世界中の書物が揃うと有名な老舗書店。古書から新書、ライトな娯楽書からディープな専門書まで総てをカバーしているその書店の名を耳にはしていたが、実際に見るのは初めてだった。重厚な雰囲気にマッチしているブロンズで作られた店名を目で追えば、内からフツフツと何かが沸き起こる。
「 …………。」
「 私も見たいものがあるから、暫く別行動で。良い?」
「 ああ!じゃあまた後でな!!」
がっしりとの両手を握り上下にブンブンと大きく振りまくると、リーバーはうきうきとした軽やかな足取りで店のドアをくぐった。くすりと、声をもらし優しく目を細めるはその背中を見つめ、ゆっくりとドアを押し開ける。

「 うおっ!?この数式って解かれてんのかよ?てかさっきルーン文字も見えたよな!?」
先程の以上に瞳を輝かせ小脇に幾つもの書籍を抱えるリーバーは既に唯の学者馬鹿と化していた。自分の専門分野は勿論、仲間が探していた本を見かけては手に取り、今では両手が塞がってしまっている。だが彼はその歩と品定めを止めはせず、アレもコレもとどうにかして本の上に本を乗せ、人々の驚異の眼差しを集めるバベルの塔を建設していた。その後ろ、数メートル離れた所に立つは苦笑するも、子供のようにはしゃぎ無邪気に喜ぶリーバーの横顔を見つめ安堵の溜め息を優しく吐く。
「 お客様、お持ち致しましょうか?」
「 !助かるよ、ありがとう。っと、この時代のも欲しかったんだよな!」
ヒールを鳴らし近付いても気付かぬリーバーに声を出さず笑うと、はリーバーから重く高くそびえるバベルの塔を受け取り彼の後に付き随った。
スーツ姿の二十代半ば男性が、美麗な細腕プラチナブロンド美女に大量の本を持たせ侍らせているのは何とも妙な画で、否が応でも人々の目を惹いた。だがそれに気付かぬリーバーは次々と本を取りバベルの塔の建設を止めない。細腕に掛かる重量。それは相当なものであると見受けられるのに、の足はふらつく事もせずまっすぐにリーバーの後を付き随う。カツカツと高い音を上げるヒール。本によって周囲からは全く見えないが、は楽しそうに笑っている。次々に本が積み重ねられようと嫌な顔ひとつせず。
「 ……お会計は一括で……?」
「 ああ゛――っと、その、」
レジカウンターに満面の笑みで行くと店員は引き攣った笑顔で迎えてくれた。そこでハッと我に返ったリーバーはバベルの塔と化した書籍へと振り返り、やっちまったかと急いで財布の中身を確かめる。――確実に足りない。如何足掻いても足りる筈が無い。教団の経費で落ちるが、建て替える事すらままならぬ程の買い物をするとは馬鹿丸出しも良いところだと頭を抱え込む。ドンとカウンターに置かれるバベルの塔。ずっと持ち歩いてくれた店員にも悪い事をしたなと眉根を寄せるリーバーは次の瞬間に顔を蒼白く変色させる事となる。
「 ッッ!?」
「 気持ちの良い買い物ね。お会計よろしく。それから頼んでおいたアレも一緒に、よ。」
「 はい、畏まりました。」
にこりとリーバーに笑顔を向けるとカウンターの向こう側にいる店員に向かいバッグへと手を伸ばす。蒼白い顔で驚いたままのリーバーは言葉にならぬ言葉を発し、プルプルと震えている。
「 お代は此処に請求して頂戴。それから――配達も頼めるかしら?」
「 !黒の教団様……はい、承りまして御座います。」
「 よろしくね。」
「 あの、お取り寄せ頂いた此方の物は……?」
「 一緒で良いわ。」
サラサラと必要事項を記入するに差し出された分厚いハードカバーの本には、ヒエログリフの文字が見えた。
ペンを置いたがくるりと向き直り目が合うと、にこりと微笑まれ流れるように腕を取られる。深々と頭を下げる店員一同に軽く会釈をし、引かれるままにリーバーは店を出る。その道中で、じろじろと刺さる人々の視線に初めて気付き、何故か耳まで熱くなった。

仕事中毒者(ワーカホリック)。」
「 わ、わりぃ……。」
今更ねと小さく声を出して笑う。人通りの少ない路地裏でくすくすとリーバーの腕に抱きつく。ホントにゴメンと謝るリーバーは狭い空を仰ぎ手で目を覆う。お互い様よ気にしないでとリーバーの肩口にもたれた時、フッと影が視界に割り込んできた。
見るからに品行とガラが悪い大男が5名。
無視してイチャついていても良かったのだが、リーバーがそれを許しはしなかった。抱きつくから腕を抜き取り、護るように自身の後ろへとを隠す。目を丸くするだが、ふっと微笑みリーバーの後ろ手に指先を触れさせる。ずっと護る側だっただ、誰かに護られるなんていつ以来だろうかと照れ臭そうにはにかむ。いつもはヨレヨレで頼りなく見える背中が、今は広く逞しく見える。今すぐ抱きつきたいなんて思うのは不謹慎だろうか。今だけは綺麗なバラで居られる、そう思うと頬がゆるんで仕方無い。
「 ズイブン綺麗な女を連れてんな、兄ちゃん。」
「 めかし込んだところで釣り合い取れてねぇけどな。」
「 俺等が代わってやるから、ありがたく思ってとっとと失せな。」
ギャハハと下品に笑う男達は腕っ節に自信があるのだろう、袖を捲くり指をパキポキと鳴らしている。だが、幾ら無法者だからといって素手の相手に銃を出すのも躊躇われる。何より、無用な流血は誰であれ避けたいと願うのが本音だ。
この体格差と人数相手に、たかだかリボルバー一丁で何が出来るだろうか。逆に奪われてに危害を加えられてはたまったものじゃない。ゴクリと咽喉を鳴らすリーバーはじりじりと後退り、何とか事無きを得ようと思考を巡らせる。
「 うちの旦那がその女を気に入ってな。」
「 バカヤロウッ!余計な事は言わなくて良いんだよ!」
「 ともかく、痛い目見たくなかったら女を置いて逃げるんだな。」
だが遠慮無く詰め寄る男達。黒幕が居るのかと小さく舌打ちするリーバーの後ろで悦に浸っているは何かに気付いた。背後に壁が迫っている。リーバーの指を握り視線でそれを知らせると強く握り返され、胸がキュンと甘く詰まる。袋の中の鼠だが、はここ最近で一番の仕合わせを感じていた。
愛する人に護られる――女性なら誰もが夢見るシチュエーションだ。
「 お前等、こんな事してただで済むと思ってんのか!?」
立ち止まり声を荒げるリーバーに、寄越されるのは卑下た馬鹿笑い。(と、の言葉にしない喜悦。)腕を大きく振る男達はひとしきり笑い終えると鋭い視線を突き刺した。
「 俺等のバックには素晴らしい人が居てね。」
「 そのお方の欲望を満たせばどんな事だって無かった事にして頂けるのさ。」
「 お前を殺したところで、明日のゴシップ新聞にだって何も載らねぇぜ。」
ニマニマとするの前が急に広くなり、繋がっていた指先が離れた。視線を地面から上へとゆっくり移せば、苦しげな背中が揺れ、足も宙に浮いている。ピシリと走る雷電。の表情が途端に怜悧なものへと変えられる。
「 グッ……俺はどうなっても良い、だが彼女には指一本触れさせねぇ!」
「 実力が伴ってねぇ王子様は惨めだな。」
「 王子っつーか、捨て駒の門兵じゃね?」
「 騎士でもねぇのかよ、カワイソウに。」
バシンと乾いた音が路地に響く。
殴ろうかと引かれた拳は宙で止まり、下品な笑い声さえ止んだ路地は静けさを取り戻す。なんだとざわめく男達の後ろで白煙が細く昇り、静かな殺気が徐々に熱を帯び鋭く突きつけられる。嫌に乾燥する空気が息苦しく、何故だかビリビリと痺れるように感じ、ゆっくりとリーバーの足が地を掴む。ゴゴゴと、何処からか地響きが聞こえるようだ。
「 ……貴様等。」
ざわめく場に突如として侵入する、刺すように研ぎ澄まされた鋭利な声音。
「 私のリーバーに手を出した事、今すぐ詫びてあの世で後悔しろ。」
「 …………………。」
やばいと、リーバーは蒼くなる。今日は雷斬も二挺拳銃も持っていないから血を見る事は無いだろうと考えるが、こうなったはなかなか元には戻らないと経験済みだ。
「 ハッハッハッ!何を言い出すかと思えば、とんだ強気なお姫様だ――」
「 先ずはその汚い手を退けろ。今すぐにだ。」
嘲るように大笑いする男達に音も無く歩み寄ると、リーバーの胸倉を掴む男の手首を握りその腕を下ろさせる。目を見開く男達。自分の意志では指先ひとつ動かせない現実を、受け入れられない男の顔色が変わる。ゲホゴホと咳き込み生理的な涙を浮かべたリーバーがの細い腕を掴みその顔を見上げれば目が合い、ざわざわとのプラチナブロンドの綺麗な髪の毛が揺れ動く。
ッ!」
「 流血沙汰だけは勘弁してやろう。」
ゴゴゴゴと不気味で恐怖心を嫌な程煽情するオーラを纏うの目が鈍く光り、あちらこちらで突然の落雷が生じる。晴れてるくせに何事だと慌てる大男に、スカートを捲くったかと思うとその両手に銃を装備したがロックオンする。
「 この世にさよならはしたか?神への祈りは済ませたか?」
般若か修羅か。スウィートビューティーなの奥に得体の知れないものが見えた気がする。事の重大さに気付いた男達は滝汗を流しリーバーへと視線の先を移し、テレパシーでごめんなさいと謝った。それを察知したリーバーは気にするなと頷き、早く逃げろと顎で合図する。
「 すみませんでしたあああああっっ!!!」
脱兎の如く背中を向ける大男達だがその声は空しくも乾いた銃声に掻き消されてしまった。

ブスブスと白煙を上げる大男達は五体倒置で涙と失禁の海に沈んでいる。憐れむリーバーはもう二度とこんな事すんなよと優しい言葉を掛け、地面にめり込んだコルク弾をチラリと見ては涙をそっと呑む。どこまで準備が良いんだと、流れ出した涙は喜びのものか。
それから辺りを見渡し、そういえば何処へ行ったのだろうかと立ち上がる。手を出してきた男達は全員土下座以上の事をし、全身全霊で詫びて改心している。なのにその姿を見ようともせず、一体何処で何をしているのか。そう思った時に、角から一人の品位の良い男性が肩を竦ませ歩いて来た。それは能く見ればビクビクと肩を震わせている。
一体全体、何事だ。
「 黒幕よ、其処の角からずっと私達の事を見てたの。悪者なら悪者らしく気配を消しなさいよね。」
笑顔でなんて事を言うんだ、一般人は気配を消す術も必要性も持ち合わせちゃいねぇとリーバーは項垂れる。
明らかにやり過ぎだ、愛らしさを演出するシフォンのドレープも意義を失くしてしまっている、そのヒールは陸上競技には不向きな筈だろと血涙が流れ出る。
ドサリと膝から崩れ落ちる男性は地に手を付け、勢いよく頭を下げた。
「 申し訳御座いませんでした!!」


「 そこそこのお家柄の人間だったわ。今後は道楽につぎ込んでいた分を教団に寄付してくれるって。」
カフェテリアでダージリンのセカンドフラッシュ・ストレートティーを飲むはすっきりとした笑顔でそう話す。とその男性の間に何があったのか、聞かずとも大体想像がつくリーバーは引き攣った愛想笑いを浮かべ、はははそうかと棒読みな台詞を吐き出した。
明るく笑っていたが、くすりと表情を曇らせる。
「 ごめんなさいリーバー。私にはやっぱりバラの花は荷が重過ぎるみたい。」
似合ってユリの花ねと眉をハの字にするの言っている意味が解らず、聞き返そうと口を開きかけるが音は発せられなかった。
「 もっとロマンティックに――とまでは言わないけど、もっとスマートな流れで渡したかったわ。」
そう伏し目がちに唇を哀しく動かすと、コトリと小さな箱を2つテーブルの上に置く。
「 色気が無くてごめんなさい。でも、誕生日おめでとうリーバー。」
そっと手を握られ、距離が縮まる。
「 生まれてきてくれて、ありがとう。」
囁かれた言葉はダイレクトに唇に伝わり、頬を染めはにかんだが、いつもと違って見える。
世界さえ平伏せてしまえそうな彼女が、今はただとても愛しく、女神よりも麗しく見えた。ああ、俺は世界で一番仕合わせな男だ。生きてて良かった。金にならないハードな残業がある仕事に就いて良かった。あの時、熱を出して寝込んで良かった。
「 ……ありがとう、。」
指先で触れた唇に、未だ甘く柔らかな感触が残っている。




アイリスの葉

ユリの花




   
(羽ペンとリボルバー……?)(両方能く手に馴染むと思うわ。あ、仕事をしろって意味じゃなくて……!)
(わかってるよ、サンキュ。で、こっちは?)(銃身が少し長くて今使ってるのより当たり易いわよ)(……詳しいよな)
(…………銃器に詳しい女は嫌?)(なんつーか、と一緒に居ると情けなくなってくるよ……)
(私は根っからのアイリスの葉とユリの花が似合うみたいだから)(なんだそれ?)(なんでもないわ、my princess)(っはあ!?)