死が二人を分かつても






   
例えばオシドリの(つがい)は、仲の良い夫婦を表す言葉として使用され、鴛鴦(えんおう)の契りという慣用句すら存在するがその実、毎年違う相手と番になる。
例えばツルは、伴侶を一度決めるとどちらか一方が死ぬるまで生涯相手を変えないそうだ。
では、例えばツルに於いて、死が二人を分かつと、残された一方は如何するのだろうか?
死して尚相手に操を立てるのか、それとも次の相手を探すのか。




エクソシストには己の誕生日もクリスマスも関係無いとは良く言ったものだ。ハロウィンもイースター祭りも関係無ければ、女王陛下の誕生日もローマ法王の誕生日すら関係無かったりする、365日24時間(24hours/7days)フル稼働の年中無休で頗る激しい肉体労働を強いられている。


故に時々、命の洗濯を無理矢理にでもしなきゃやってらんねぇぜと、現在教団と丸三ヶ月も連絡を絶っている全世界緊急指名手配中のクロス=マリアンは、葉巻を銜え鞄に酒瓶を詰め込んで汽車に飛び乗った。
ポケットに手を突っ込み、皺くちゃの小さな羊皮紙を広げると幾つかの走り書きを目で攫い、グシャリと握り潰して再びポケットへと捻じ込んだ。


――――逢える確証は何処にも無い――――


アクマが現れれば何処にだって駆けつけ破壊し、イノセンス発見かとなればやはり何処だろうとすっ飛んで行かねばならない。早朝でも、深夜でも。風呂に入っていようがトイレに居ようが寝ていようが食べていようが関係無い。命令とあらば、命すら差し出さねばならない立場に居るのだ。黒の教団に属するエクソシストは。


――――教団に寄り付かない上、特にアイツは――――


アクマを破壊しイノセンスを保護出来るなら自らの命は顧みない。何かに取り憑かれたかのようにそんなスタンスを保ち続けるエクソシストを一人、クロスは知っていた。9年程前にクロスが保持していたイノセンスの適合者だと判明した女性で、名は何と言ったか……確かシュナイダーだかシュミットだか、シュヴァイガーだかいう苗字で
「 …………。」
「 …………貴様か。その名は捨てたと何度言えばその酒樽頭は理解し記憶するのだ。
 我が名はZerstoerer(ツェアシュテーラー)。それ以外の何者でも無い。」
頭の先から足の先まで、全身黒一色で固めた一際異彩を放っている人物がある町の人混みの中を悠然と歩いていた。
その後ろ姿だけで、その人物が誰だかクロスには一瞬で理解出来ていた。思わず漏れた言葉に全身黒一色の人物はその歩みを止め、ゆっくりと振り返ると確かめる為に涼やかな眼で顔を見詰め、迷惑げに顔を少々歪め口を開いた。

――――逢えた……逢えた――――

その姿が、その顔が、その声が、その仕草が以前と何ら変わらぬもので安堵と喜びの笑みを色濃く浮かべるクロスが近付くと、全身黒一色の人物・ツェアシュテーラーと名乗る者は踵を返し再び歩き出した。慌てて、クロスは小走りに駆け寄りその肩を抱いた。
「 久し振りじゃねぇか。こんな広い世界でエクソシストが二人、つまりオレと・お前が亦出逢うなんて運命だな。」
「 気安く触れるな。その名で呼ぶな、首を薙ぐぞ。」
これで何度目だろうなハハハと笑うクロスは払われた手を今度は腰へと回す。
「 それになんと今日はオレの誕生日ときている。」
「 ……そうか。」
「 これは最早抗う事の出来ぬ運命だな。二人は結ばれる結末にある。世界はオレ達二人を祝福する為に回っている。」
仰々しく芝居がかった口調で言葉を連ねるクロスだが、腰に回された手を払い除けるツェアシュテーラーは唯一言、無感動に告げただけだ。何時もながら苛烈な温度差だと感じていると、不意にツェアシュテーラーが首を横に動かしクロスへと向き口角を上げた。
「 今日一日位は神に感謝してやれ。」
喜びの笑顔では無い。ましてや自分の誕生日を祝う笑顔でも無い。けれどそんな何気無い不敬な笑顔も、会話も、髪を揺する風の感触さえも無性に愛おしいとクロスは思い全身で感じていた。
ツェアシュテーラーの不敬な笑顔が、徐々に曇る。
「 神がオレに感謝し五体倒置で平伏す日だっつーの。」
ツェアシュテーラーの曇り始めた表情を見て我に返ったクロスは傲岸に笑って返した。するとツェアシュテーラーは再び口角を上げ、貴様の辞書から謙虚と言った類の言葉は転がり落ちてしまったのかと告げた。



ギラギラと熱い太陽光の降り注ぐ小さな修道院の中庭で、大きなモミの木の陰に置かれたベンチに腰を下ろすツェアシュテーラーとクロス。道中、何度か『ついて来るな』といった峻厳な眼差しを向けられたクロスだったが、お構い無しにツェアシュテーラーの隣に居座り離れなかった。『ついて来るな』と眼で訴えるツェアシュテーラーだったが、心の中では亦かと溜め息を吐き諦めている。何時も何時も、こうだったからだ。

――――どうせ明日の夜には独りになる――――

閉じていた団服の胸元のボタンを外し、ツェアシュテーラーは伝う汗をハンカチで拭き取る。
その指先や手の甲、平、果ては首筋にまで見える複数のペンタクル。以前逢った時より確実に数が増え心臓に近付いているのが見て取れる。それが意味する事とはつまり、肉体の消滅――即ち、死、だ。

無茶な闘い方をし、如何してそんなに死に急ぐのか。解りたくとも解らない。
死は絶対であるが、……神父のクロスがこんな事を言うのも可笑しな話だが、死後の世界はその存在自体が怪しいものだ。死んだところで天国に逝けると、ましてや旦那や抱く事の叶わなかった子供に逢えるという訳でも無い。死後の世界などは所詮生きている人間の空想・絵空事に過ぎないと、思えどもクロスは決して口に出さない。出したところで死人に勝てる筈も無く、唯一言『解っている』と真面目な表情で返されるのがオチだ。火を見るより明らかだろう。
そんな彼女(・・)、そう、彼女(・・)を如何すれば救えるのか。
こんな腐りきった世界に引き摺り込んだ自分に一体何が出来ると言うのか。
初めて彼女(・・)の涙を見た時からうっすらと、彼女(・・)の体にペンタクルを見つけた時から本格的に考えてきたが、一向に答えは見つけられない儘だ。

「 ――なあ。」
「 黙れ。」
時折心地の良い風が吹き抜ける中庭のベンチで、少しでも多くその声を記憶しようと話しかけたクロスだが、バッサリと一言で斬り捨てられてしまった。ピーヒョロロと鳶が大空を旋回している。此処で心が折れたら負けると、膝の上で拳を握るクロスは諦めない。
「 今日オレの誕生日だって知ってるだろ?」
「 …………」
「 何でも好きな物、オレに貢いでイイんだぜ?」
「 二酸化炭素でも吸ってろ。」
手を伸ばし髪に触れるも即座に叩かれ、冷たく一言であしらわれる。
澄んだアズライトブルーの大空を鳶は気持ち良さげに翼を大きく広げ旋回し、ピ〜ヒョロロロと鳴いている。
心が折れそうだ。あの鳶が鬱陶しい。何故オレがこんな目に。
掛ける言葉も発する言葉も見つけられず、クロスは明後日の方向に視線を泳がせ雲を数え始めた。
対するツェアシュテーラーは、修道士が持って来てくれた熱いハーブティーを優雅に味わっている。


どれ程雲が流れただろうか。
起死回生をとポケットというポケットを弄り始めたクロスの表情が、ピンと明るくなった。何を隣でゴソゴソとしているのだろうと鬱陶しく思いながら見やれば、ポケットから引き抜かれたクロスの手には不釣合いに上品なパールピンクのリボンが一本あった。訝しがるツェアシュテーラーを他所に、クロスは喜色を浮かべリボンの両端を両手で持つと、ふわりとツェアシュテーラーの双肩に掛け、その儘首に一巻きすると頭の上で器用に蝶々結びを始めた。
「 …………おい?貴様、何をしている……?」
出来た、と満足気に大きく頷くクロスはにっこりと微笑む。その微笑みは世の女性が次々と卒倒するだろうものだ。
「 何もくれねぇなら、せめて今日一日位オレにお前の時間を寄越せ。」
「 ………………………………は?」
面喰うツェアシュテーラーだが、クロスは構わず笑みを消し、厳粛な表情と声で続けた。
「 キスしろとか体を寄越せとかは言わねぇよ、言っても断ンだろ。だから今日位はオレの為に女で居ろ。」
せめて今日だけはオレの為に女で居てくれと本音を籠め、クロスは告げる。
サラサラと風は流れ、太陽は尚もギラギラと輝き続けている。
予想だにしなかったクロスの言葉に目を見開いていたツェアシュテーラーだが、暫くするとふっと表情を緩め、仕方無いと観念した様子で徐に口を開いた。
「 貴様には煙管(キセル)の借りがあるからな。死ぬ前に返しておかねば、マリアの様にされてもかなわん。」
ペンタクルの浮かび上がった指で上品なパールピンクのリボンに触れ、目を細める。
「 死して尚、黒の教団とイノセンスに縛られるのは御免蒙る。」
クツクツと笑うツェアシュテーラーが煙管を口に銜えれば、真面目な顔をしたクロスに吸い込む前に取り上げられた。
「 今日は女で居ろ。」
「 ……そうだったな。」
何をとクロスの眼を見上げれば、夕陽色の瞳が眼鏡の奥で切なく濡れていた。ずるいと、失くした筈の感情が叫ぶのを聞かなかった振りをしてツェアシュテーラーは笑った。笑った本人は不敵に笑ったつもりだったが、クロスの眼には困惑の色が濃く映っていた。

――――卑怯だ……だが、嬉しい――――

複雑な感情がクロスの中で生まれる。
人間としての感情を失くしていなくて良かったという安堵感、随分昔に天に召された旦那に尚も操を立て強く心を寄せている事に関する嫉妬。こんなにも近くに居るのに触れられず、抱きしめる事も叶わぬ相手。近付けば近付く程にその存在を遠くに感じてしまう。

煙管から手を離したツェアシュテーラーの手を握りしめ、クロスはググッと距離を詰めると不潔な笑みを浮かべた。
「 キスしろ。否、キスさせろ。」
「 首薙ぐぞ。」
笑顔で応じるツェアシュテーラーは更に続けた。首を斬り落とされる痛みよりも強い痛みをクロスに与える言葉を。

「 我が身は、心は、永遠にアルバートだけのものだ。」






――――それでも人としての感情を殺さずに居てくれるなら、微笑んでくれるなら
       顔にペイントを施し赤い鼻を付けてピエロにもなろう。己の心など幾らでも殺して――――