初めて見る大人の男性の弱った姿。 どうすれば良いのか解らなかった。大人の男性はずっと恐怖の対象だったから。 だから、 この人が私に弱っているところを見せた時、初めて大人の男性も同じ人間なのだと思えた。 私と同じように、涙を流すのだと。 一向に弱まらぬ戦渦。そして比例するように増える死亡報告と棺の数。 司令室に篭る前に横目で見た棺の絨毯。そして室長机に山のように積まれた報告書。 ここのところ、毎日これだ。 いくらイノセンスを見つけようとも、いくら適合者を見つけようとも、いくらアクマを破壊しようとも、無理矢理鉛玉を詰め込まれたような感覚は1ミリたりとも消えはしない。 書類に目を通しサインと判を押し、戦場に人を送り出す。その半数が物言わぬ姿で戻って来ようとも、更に送り出さなければならない現実に、幾度心が折れそうになるか。それに不眠不休が手伝って、この白い部屋の白い書類の山から、志半ばで倒れた彼等の無念が具現化されて出て来る感覚に、何度襲われただろうか。戦場で朽ちた彼らが、戦場へ送り出した人間を恨んでいてもなんら可笑しくは無い。 机に両手をつけ嫌な汗を掻き奥歯を噛み締めるコムイは、山のように積まれた書類を思い切り机から突き落とした。 音を引き連れ宙を舞う白い紙。いくつものモノクロのバストアップの写真には朱色のインクで大きく×がつけられている。 絶望する。 それと同時に酷く感じる、無力感。 戦場で散っていった彼らに、自分は何が出来るだろうか。増える棺に涙を流す優しいリナリーに自分は何をしてあげられるのか。そんなリナリーにも戦場へ往けと、往って闘ってこいと言わざるを得ない自分に、そんな世界に無性に苛立つ。どうして世界は哀しみに満ちているのか、考えずとも答えは目の前に広がっているけれど。 舞い落ちる紙の音が止んだ頃、コムイは机を拳で強く叩いた。ビリビリと揺れる空気が、余計に空しい。奥歯を噛み締め、もう一度机を叩いたコムイは重い身体をズルズルと引き摺り、カウチへと乱暴に沈めた。 暫くして、息苦しげな寝息が静かな部屋に上がる。ふたつ、みっつ、よっつと不規則に上がるそれは、今尚コムイが葛藤や後悔の念と闘っていると見て取れる。もしかすると、浅い眠りの中、夢にかつての仲間達が出てきているのかも知れない。恨み言を上げながら朽ちて原型を留めていない赤黒い肉片の彼らが。 「 コムイー。」 コンコンコンコンと、4度司令室の扉を叩く音と部屋の主を呼ぶ声。 暫くすると、もう一度コムイと呼ぶ声と共に扉が3度叩かれる。けれど呼ばれているコムイはその音にも声にも気付かず、腕で隠した下の眉間に皺を刻み苦しそうに、辛うじて眠っている。起きていれば哀しい報告が、寝ていてもそれを夢に見るコムイに、気の休まる暇などありはしないだろう。 「 こんの色惚けシスコン!」 コンコンコンコンコンコンと強く殴られる扉は怒気を含んだ声を運ぶが、部屋の中からは物音一つ返ってきやしない。 業を煮やしたのか、片手に書類を持つはイノセンスを発動させ扉を殴りつける。も、やはり中からは少しも物音が上がらないのを確かめると発動を解き、ドアノブに手を掛け力を入れる。ギィと油の切れた音を上げる大きな扉を押し開ければ、白い部屋を唯一彩るカウチに人間の足を見つけ、怒りと共に溜め息を盛大に吐き出す。 「 居るなら返事くらいしなさいよね、忙しいのは貴方だけじゃ―― 」 ないんだからねと続けられる筈の言葉は途中で止められる。 暗い部屋の中、近付いて見てしまったから。起きているだろうと思い覗き込んだ顔に、見つけてしまったから。 白い服で隠された肌を伝う、涙の痕を。 息を忘れてしまうくらい凝視していた。 見てはいけない物を見てしまったような、見たくは無い物を見てしまったような。頭を思い切り壁にぶつけたような感覚。 どうしようかと、固唾を呑んで思わず後ずさる。散らばる書類が音を上げ、仕舞ったと心の中で叫んだ。 「 ……ん……………、ちゃん……?」 のそりと、人が動く気配がした。この部屋には、人なんて2人しか居ないけれど。 「 コ、コムイ…… 」 「 ごめんね、寝てたみたいで気付かなかったよ。どうしたの?」 「 あ――――その……… 」 手に持つ書類を咄嗟に後ろ手に隠した。その理由なんて、はっきりとは解らない。けれどそうしなければと、思ったのだ。 起き上がったコムイはだるそうに腕を動かし眼鏡を掛ける。そして力無くにこりと笑う。 それを見たの心臓が、いつもとは違う躍動を見せる。血の気が引くような、力が抜けるような、寒くも無いのに寒さを感じるような。嫌な汗が少しずつ噴き出してきて、負の感情が暴走しそうになるのを感じ、は首から下げた十字架を服の上から強く握りしめる。 「 ……どうかしたのかい?ボクに用があるんでしょ?」 最前線でその身を賭して闘うエクソシストに気取られまいと、気丈に振る舞い、開けた扉から入る廊下の薄暗い灯りを背に、コムイは立ち上がる。触れなければ今にも崩れ落ちてしまいそうな、触れてしまえば今にも手折れてしまいそうなその姿を、は未だ抱いた事の無い感情に支配されながら見つめる。上手く呼吸が出来ない、誰か助けて、暴走してしまいそう、助けて姉と、その小さな体躯を震わせ、儚く笑うコムイを見つめる。 「 ちゃん……?」 「 っいや――!!」 反応の無いを不審に思いコムイが手を伸ばすと、は脅えた声を出し両手で服の上から十字架を強く握った。そして、コムイの何かに気付いた様子を目にし、慌てて視線をコムイから自分の手元へと移した。 そう、コムイが目覚めて咄嗟に隠した、数種の書類に。 「 ちがっ――これは……!」 「 ……ありがとう。」 「 違うの、それは違うの!!」 今にも消え入りそうに儚く微笑むコムイは書類へと手を伸ばす。そうさせまいと、後ろ手に隠そうとするが身体が上手く動かないは易々と書類をコムイに渡してしまった。焦燥する感情は空回るばかりで、言葉が言葉にならない。 書類の奥から、遣り切れないと言わんばかりの何とも言えぬ怒りとも悲しみとも取れる表情がもれている。 心臓が、ズキリと激しく痛む。 姉なら気付かれず部屋を出ただろう。お姉様ならもっと上手く立ち回っただろう。なのに私は、そのどちらも出来ない、出来なかったと、潮が引くように一気に思考が白くなる。コムイのこんな顔は見たくないのに――…… 「 ごめんね、ちゃんにこんな物運ばせちゃって。」 通り過ぎ様にの頭を軽く撫でるコムイは書類から目を離してもを見ず、真っ直ぐに室長机へと歩く。何故か再び、心臓が動いた。机に書類を広げるコムイはインカムを取り、チャンネルを回す。今この教団に居るエクソシストは誰だろう、と。 「 ……わ、私が行くわ。」 コムイに背を向けた儘、震える声でそう告げた。 「 ……駄目だよ。ちゃんには不向きだ。」 「 で、でも……!」 「 それに今のちゃんは不安定だしね。」 振り向いて見た先のコムイは非常に真剣な眼差しで、思わず気圧されそうになる。誰のせいで不安定になったのか知らないくせに、どうして不安定になっているのは知っているのよと、は精一杯心の中で毒吐く。 「 でも、 」 「 大丈夫。ちゃんにはちゃんの仕事があるから。」 そう言って精一杯明るく笑うコムイが、痛々しく映る。 通信室へと無線を合わせたコムイは、淡々と、どのエクソシストが現在教団内に居るのか訊ね、返事のあった者にすぐ司令室に来るよう命令を下していた。 気丈に振舞う大人 けれどその大人も悲しみや悔しさで涙を流すものだと知ったは、その事実から未だ立ち直れずに居る。 大人は強い。そう信じて疑いもしなかったものがたった今、目の前で崩されたのだ。そのショックは計り知れないだろう。 バタバタと慌ただしく地図や資料を引っ張り出してくるコムイに、呼び出されたスーマン・ダークとチャーカー・ラボンがやって来て、3人が話し始めたのを見届けてからはそっと司令室を後にした。 覚束無い足取りでフラフラと廊下を歩く。今すぐ誰かに、に抱きしめて欲しかった。けれど当のは任務で不在、も同様だった。自室に戻りベッドに潜り込もうかとも考えたが、此処からは遠過ぎる。何処でも良いから一人になりたいは近くにある資料室へと転がり倒れるようにその身を隠した。 今までにも元気の無いコムイは何度か見かけた事がある。病気で寝込んだ様だって、見舞いに行ってせせら笑った。 けれど今回は違う。 あんなに落ち込んでいる様を、あんなに悔しそうな様に顔を歪めたコムイを間近で見たのは初めてだ。大人の男性が涙を流しているところを見たのは、生まれて初めてだ。今まで信じてきたものが、音を上げて崩れ往く。自分を支えていたものが、同じように音を上げ崩れる。知らず知らず浅く速くなる呼吸に、無意識という意識下の中で胸元の服を鷲掴む。自分の信じているものが崩れぬように、自分を奮い立たせているものが消えてなくならぬように、強く強く握り締める。 けれど思考はぐるぐると目を廻し、息を詰まらせようとする。 瞼の裏に焼きついて離れない、眠ったコムイの頬を伝う涙。 あれは何だったのか。あれは何を意味するのか。あれは本当に、涙だったのだろうか。 誰かに訊ねたくとも、その相手が今は居ない。 もしあれが本当に涙だったら。もしあれが疲れ果てたコムイが流したものだったら。 もしあれが、大人の弱さを表すものだったら。 そんな筈無い、けれどと相反する2つの意識が激しくぶつかり合う。 チリチリと乾く感覚。髪の毛が逆立つ。 近くにある紙がガサガサと音を上げたところで我に返ったは資料室を飛び出した。 当ても無く力無く教団内を歩く。中央にある広場には、火葬の時間を待つばかりの棺が群れを成している。 胸が痛む。 今も昔も私は死者と死の恐怖、死への恐怖に打ち震え、死者を嘆き涙を流して悲しむ感情に囲まれていると。 棺に縋り声を上げて泣く女性探索部隊を見て、は歯を食いしばった。 「 今はリナリーが任務に出ているから、コムイの様子を見て来てくれない?」 ここ数日録に食事も取ってないのよと、カウンター越しにジェリーに言われた。 それでかと、少し納得したは先程までよりは幾分落ち着いた面持ちで紅茶を淹れている。サラサラと音も無く落ちる砂時計を見つめもれ香る紅茶の芳しい香りをかぐと、不思議と気持ちも和らぐ。出来る事ならば、この気持ちを共有したいと願い、ティーセットを司令室へと運ぶ。 リナリーが居ないから、無防備なコムイにあそこまで近づけたのだ。リナリーが居ないから、無防備なコムイにあそこまで近づけてしまったのだ。リナリーが居ないから、コムイはあそこまで脆弱さを露見させてしまったのだ。 シルバーのトレイに乗せたティーカップがカチャカチャと小さく音を立てる。 しっかりしなければ。私はリナリーではない。私はリナリーの代わりでもない。私ではリナリーの代わりにはなれない。 けれど、でも――――司令室の大きな扉の前で立ち止まり、一度、強く目を瞑った。 救えなかった命、両手から取りこぼした悲哀、憤怒、涙。それでも私は今エクソシストとして、救えるものを救う為、私自身を赦す為に闘っている。悪を打ち払い、人々にあふれる笑顔を見たいと切望している。 喩えそれが恐怖の対象の大人の男性だったとしても。あいつはアイツじゃない、私を護ってくれた人が優しかったように、あいつも私に優しく触れてくれた。 だから今度は、私が心を軽くさせる番なのだ。 「 ……コムイ、居る?」 「 …………居るよ。」 声を上げて、ノックの代わりに呼び掛ける。少し間を置いて返された声は、疲れの色合いが濃く聞こえた。 「 手が塞がってるから開けて頂戴。」 「 ……今ボクも手が塞がってるんだ。後にしてもらえるかな。」 「 今すぐ開けなさい、貴方に渡すものがあるのよ。」 「 ………………解ったよ。」 やんわりと断られただが、怯む事無く、寧ろ語気を強めて対応する。暫く考えていたようなコムイだが、渋々了解し扉へと歩み寄る。泣き出しそうな感情を堪え眉を顰めているだろう表情を想像し、はトレイを持つ手に力を入れた。 「 どうし――」 「 ジェリーから貴方の様子を見て来いって頼まれたの。室長のくせに職員に心配を掛けるなんて、なってないわね。」 ゆっくりと扉を開けたコムイの言葉を遮り、ティーセットをずいと差し出す。面喰ったコムイは口を開け立ち尽くすが、さっさと入れなさいよとトレイで身体を押すに流され、ごめんと慌てて謝り中へと招き入れる。 ギイと油の切れたような音が、遠くの喧騒に掻き消された。 「 あ、えっと、ありがとうちゃん……。」 「 暇だから、暇潰しよ。ジェリーと私にありがたがってさっさと食べなさい。」 司令室内へと入ると、コムイを気にせずずんずんと進むはカウチにトレイを置き、仁王立ちでコムイへと振り返るとサイドボードの上くらい片付けなさいよとツンケンと声を掛ける。が、その内心は膝がガクガクと震えていた――決して見せはしないが――。 そんなを見て、ふっと目を細めるコムイ。良い意味で力が抜けたようで、柔らかに微笑む。 「 叱咤激励までしてもらっちゃって、痛み入ります。」 「 別に励ましてないわ。事実を述べたまでよ。」 「 そうだね。後でジェリーにもお礼を言っておくよ。」 「 当然ね。」 カウチにゆっくり腰を沈めるコムイを見ると、はティーポットを手に取りカップへ紅茶を注ぐ。 「 ありがとう。……ちゃんも飲むんだよね?」 2つあるカップを見つめ、コムイが訊ねる。 「 悪い?食堂も談話室も息苦しくて満足にくつろげないのよ。」 「 ……ごめんね。」 暖かな湯気がくゆるカップを手に取るコムイの表情が曇る。内心ドキドキと震えるだが、強く拳を握り、声が震えぬようにと懸命に努める。 「 貴方が謝る事じゃないでしょ。貴方は貴方の仕事を全うしたまで。皆も皆の仕事を全うしたまでよ。 恨むならアクマと千年伯爵に対抗し得る武器を全人類に与えなかった神様を恨みなさい。」 「 ……神を恨むだなんて……。」 ボクらの立場でその言葉はとでも続きそうなニュアンスでコムイは力無く苦笑する。 その表情に、ズキリと心臓が痛む。 「 神様は卑怯よ。闘える人と抗う術を持たぬ人を作るんですもの。」 そう言って、今にも倒れそうな程に積まれた白い書類の山を見つめながら紅茶を飲む。言葉の意味を探るように隣に座る赤毛の少女を見つめるコムイは、言葉を閉じた。闘える人と抗う術を持たぬ人、それは誰を指すのだろうかと。何故、闘える人と闘えない人ではないのだろうかと。言葉発さずゆっくりと紅茶を味わうを見つめる。 抗う術を持たぬ人とは以前の彼女自身だろうか、それとも――と思考を巡らせたところで澄み渡った夜空のような双眸とぶつかる。ツウと、背中を伝う一筋の冷や汗。 「 アップルパイもちゃんと食べなさいよ。」 鋭い物言いと共に、睨まれる。あははと苦笑をもらし、コムイは首を横にゆるく振る。 「 ありがとう。でも今は、食欲が無いんだ。」 「 貴方の食欲なんてどうでも良いの、関係無いわ。食べるのよ。」 「 ……ごめんねちゃん、後で食べるから。」 「 貴方が食べ終わるまで私は此処に居るわよ。だから今すぐ食べなさい。」 下げられないでしょうと加え、外された澄み渡った夜空のような双眸は再び正面の白い世界を見つめている。 独りになって考えたい、否、考える事すら放棄して深い眠りに就きたいコムイは少し苛立った。いつもなら可愛らしいと目を細められるのツンケンとした態度も、今は唯胃に重く圧し掛かる要因の一つでしかない。ここでと言い合っても平行線を辿るばかりだろうと、そう導き出したコムイはひとつ溜め息を吐いてカップを置く。 「 解ったよ、食べれば出て行ってくれるんだね。」 余程心に余裕が無いのだろう、普段なら決して向けることは無い辛辣な態度を露にし、コムイはアップルパイを乱暴に手で掴んだ。しまったと、その言葉を聞いては後悔したが、震える心を外には出さず、涼しい顔で次の言葉を探す。私は姉のように冷静に分析出来ないけど、お姉様のように茶化す事も出来ないけど、リナリーのように母性で慈しみ包み込む事も出来ないけれど。私にだって、私にしか出来ない事がある筈だ、と。 「 子供相手に本音をもらすなんて、しかも荒げた声で。」 「 ――!」 「 貴方も子供ね。」 「 何を―― 」 「 子供だったら我慢しないで喚き散らしなさいよっ!」 ツンとした顔で白い書類の山を眺めていただったが、アップルパイを半分程食べ終えたコムイが声を張り上げるのを遮り、先手を打った。コムイと向き直ったその青い瞳は不安げに揺れ彼女自身も気付かぬ内に少量の涙を溜めている。大声を出した事による反動か、は肩で息をし、その手の中のカップの紅茶も大きく波打っている。 空気の震えも止まり、しんと静まり返る室内。 の言わんとする意を理解したコムイは動揺を隠せず、けれど奥歯を噛み締め感情を殺す。 「 ……ボクは大人だ、そんな事出来ないよ。」 「 !でも今私にそうしようとしたでしょ!?」 「 …………気のせいだよ。」 「 っこの、意気地無し!!」 押し殺した感情ごとアップルパイを呑み込むコムイに、は激怒する。先程よりも強く振動する空気に驚きを見るコムイはごくりと、手に持っていたアップルパイの最後の欠片を飲み込んだ。怒りに打ち震えるの瞳には、それでも涙が湛えられている。 「 大人だからってどうして感情を殺すのよ!?誰かにぶつければ良いでしょ! リナリーには見せられなくても他の誰かには見せられるでしょ!? 誰にも見せられないんだったらそれなりに演じきりなさいよ、他人に見られる危険性のある所で、 弱った姿なんか見せないでよ!!」 一息に捲くし立て、肩で息をする。瞳からぽろとこぼれ落ちた大粒の涙を指で拭う。カップを持つ手が、小刻みに震える。 面と向かって怒鳴られたコムイの眼鏡の奥の瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちた。 「 弱った、姿なんて…… 」 「 ほら、それよ!さっき寝てる時もそれが落ちてたわ一筋!!」 ぽろぽろと涙をこぼすに頬を指され、自分の頬を指で触り初めて気付いた。自分が涙を流している事を。 「 ――っこれは…… 」 「 泣きたいんでしょ?悲しいんでしょう?だったら堪えずに流しなさいよ。神様だって見て見ぬ振りするわよ。」 次から次へとあふれ出る自身の涙を指で拭いながら、鼻声でそう力説する。カタカタと震えているのは、手に持つカップばかりではない。 「 ここには貴方の妹は居ないのよ。私と貴方しか居ないんだから。」 「 ……ありがとうちゃん。」 「 笑わなくて良いのよ、コムイのバカ!」 「 ありがとう。……ごめんね、ありがとう。」 ずずと鼻を啜るにハンケチを差し出すコムイ。だがはそれを突っ撥ね、自分の為に使いなさいと言う。微笑んでの頭を撫でやれば、子供じゃないわよバカと寄越される。その見知った反応が嬉しくて、そっとの頬にハンケチを宛がう。 大人びた行動を取った彼女に、痛い程感謝した。それと同時に、自分の小ささも痛感した。 「 コムイは、もっと泣きなさいよ!」 そう言って涙に濡れる目で見上げられ、頬に触れる細い指。それはそっと優しく輪郭をなぞり、涙を払ってくれる。 愛しくて、目を細めたら涙がふたつこぼれ落ちるのを感じた。 「 っなっ――!?」 「 ありがとう、ちゃん。」 カチャンと、カップが倒れる音がする。 「 ……ば、ばか。気が済んだら、さっさと離れなさいよね。」 「 ………ありがとう。」 そう言って強く抱きしめられるは、おずおずとコムイの背に腕を回した。 |