「 もー、おじいさまってば戦じゃあ!なんて気合入れてたくせに自分の武器を忘れるなんて何考えてるのよ。 それにお父さまも……持って来てくれって頼まれたのは自分のくせに娘の私に押し付けるなんて。 普通こんな重たい物を娘に持って行かせる!?」 その小さな身体には不釣合いな武器を引き摺るように持ち、ご立腹で歩くは父に云いつけられた場所へと一歩一歩踏みしめるように向かっている。 ザクリザクリと砂利を踏み鳴らし、重たさによる覚束無い足元を充分に気にしながら。 空は高く、さらりとした秋晴れ。 こんな重たく無機質な物を運ぶくらいなら、いっそ肉まんでも持って何処か遠くへ行きたいものだと思いながらも、戦で暫く逢えなくなる祖父・黄忠の事を想うと、その小さな胸がチクリと痛む。 空はこんなにも透明に澄んでいるというのに、どうしてその綺麗な空の下同じ人間同士で争わなければならないのか。何故斯様にも無益な事柄が続くのか。澄んだ空を見上げては、遠い漢王朝の失墜に心をふるわせる。 皆が仕合わせに暮らせる世をと立ち上がった劉備の志に祖父が賛同したように、自身も賛同してはいても、仕方の無い、避けようの無い戦とはいえやはり出来ればと考えてしまう。 「 ―――私にもおじいさまのように闘える力があればこんな思いをせずにすむのかしら……。」 不意にもれた言葉は、溜め息と重なり高い空へと溶けてゆく。 「 私が男児であれば、おじいさまの隣で共に闘い守れたかもしれない。」 戦の度に家を空け、帰ってきたかと思えば知らない傷ばかりが増えている。 そんな祖父に対し何も出来ぬ自身の無力さが恨めしくて、黄忠が戦から帰ってくる度には一人枕を濡らしていた。 泣けど如何にかなる訳でも無い。 けれど、戦から帰還した祖父を初めて見た時に無意識下で泣いてしまった後悔を覚えている。黄忠は傷とは亦異なる痛みに顔を歪めていた。後にそれが自分のせいだと気付き、酷く苛立った事を覚えている。 祖父の前で自分が泣けば無用な悲しみが一つ増えるだけだ。将の家系に生を享けたのであれば、少なからず強くあるべきだと悟ったのはいつだったか。それでも小さ過ぎる胸では堪えきれる訳も無く、は一人夜を越えてきた。 覚束無い足取りを止め、ぼうと手に持つ黄忠の武器を眺める。 もしもこれが、これがおじいさまの手に渡らなければ次の戦には不参加となるのでは。この武器がなくなればおじいさまは闘わなくてすむのではないか。 「 これがなければおじいさまは戦場に赴かなくてすむ……?」 「 それはなりません。」 吐き出した言葉はどのような意味を含むのか。 考える刹那に凛とした声が風に運ばれ耳元へと届けられる。 誰ぞ声、此処には私しか居ない筈と驚き手元から正面へと顔を上げると目の前に見知らぬ鎧が忽然と現れた。 幻聴かと耳を疑い一歩後ろに退ると、僅かに自分のそれでは無い人の呼吸音が耳に届く。 ぐぐぐと、動揺しながらも更に顔を上げてみれば、そこにはやはり見知らぬ男性の怜悧な顔があった。 文官として働きだし、それなりに様々な将の方々との面識もあったは、この人は誰だろう、以前何処かで会った事があっただろうかと目を凝らす。 「 黄将軍殿の」 僅かに思考が止まっていたに、優しく口を開く男性の声が届く。 ああ、先刻の声は幻聴では無くてこの方のものだったのね。 頭のどこかでそう思いながら、真っ直ぐに目の前の男性を見つめ続ける。 「 ご子息殿が御越しになられると伺っておりましたが。」 そう口を動かす男性の表情は、いささか困惑したものに変わっていた。 風が流れる。 雲が動く。 見つめ合う時間はどれ程経っただろうか。 言葉を忘れたかのように黙り込んでいるの顔の前で、男性があのと遠慮がちに声を掛けながら手をひらひらと動かしている。はたと我に返れば、は自分の言動を思い起こしかぁとその白い頬を薄紅色に染め上げる。そして所在無さ気に口を小さく開き、声を振り絞りだすのである。 「 黄漢升の孫娘の、黄と申します……。お―――父に云われ、これをお持ち致しました。」 震える声でそう伝え、きゅ、と黄忠の武器を両手で握りしめる。 なにかが、能く判らないがなにかが恥ずかしくてつい顔を伏せてしまった。 将の血筋に生を享けたにも係わらず、戦を拒むような言葉を聞かれそれを窘められたから。そう、それが恥ずかしいのだと、恥ずべき事なのだと強く目を瞑る。 「 そうでしたか。私は黄将軍殿から其方を受け取るよう仰せつかりました、趙子龍と申します。」 返される言は、優しく柔らかな音色。 それがどこか、祖父に名を呼ばれるような心地の良いものに重なり、恐る恐る強く閉ざしていた目を開けた。 ゆっくりと顔を上げれば、まるで太陽のような優しい微笑みが降りてくる。 趙雲は膝を折り、片膝を地に着け傅き見上げる。 不思議と心地良くて、気が弛んで、涙が溢れそうになった。 「 戦は、出来る事ならばせぬ事に限ります。」 その微笑みに少し影が落ちた事に気付く。 「 誰もが皆、戦を望んでいる訳では御座いません。回避出来るのであればそれが望ましくありましょう。 けれど今の時代、乱世がそれを許しはしませぬ。」 その眸に悲しみが溢れている事に気付く。 「 そのような現状を打破すべく、殿は、劉玄徳殿は立ち上がられ、その志に黄将軍殿も賛同なされたのです。 皆が笑い、仕合わせに暮らせる世を取り戻す為。」 「 はい、心得ております。……けれど、その為に誰かが傷つき悲しみ、天に召されるというのが、私は、私は………。」 言葉に詰まった。 目の前の男性が悲哀に満ちた色の目をするものだから、その色がいつかの黄忠を思い起こさせるから。 言葉に詰まった。 亦私が困らせているのだと、判ったから。 誰も彼もが望んで戦をしているのでは無く、その先に見える明るい未来の為に闘っているのだと判っているのに、それでもと反論してしまう自分の傲慢さに。如何する事も出来ぬ、苛立ちに。 大切な人を守りたい――唯それだけを願い祈るのに自身では何も出来ず傷ついた様を見つめる事しか出来ぬ、共に闘い守る事も叶わぬ自身の無力さに。 言葉が詰まった。 「 貴女はお優しくいらっしゃいます。その御心だけで私達兵は救われます。 皆が仕合わせに暮らせるよう―――貴女の笑顔を守る為、御爺様も私も闘うのです。」 太陽のように眩しく温かで優しく強い笑みが咲く。 唯言葉に詰まっただけでは無かった。 頬を熱いものが伝っている。 それは気付けばいつからか流れていたようで、滲む世界の向こう側に居る男性が困惑していたのはやはり私のせいだったのだと、思い更に溢れ出した。 ごめんなさいと謝る事も出来ず、ただただ溢れ出る涙を止める術を探してみても見つけられず、次々と止め処無く溢れ出してくる感情の波を抑え付けなくて良いからと優しく諭す男性がどこか祖父と重なって、高ぶる感情その儘に泣き付いた。 頭を優しく撫でてくれる掌が、とても大きく感じられた。 波が去り落ち着きだしたのはそれから暫くの後。 初対面の人に対して感情を露にしてしまった事に恥らいつつ、手巾で目頭を押さえつけながら当初の用を今更ながらに思い出す。 「 あ、あの、これ……。」 「 はい。」 ずしりと重い手の中の物を見つめながら思う。 この重さは唯の重量ではなくて、おじいさまの想いが籠められている重さなのだと。 「 おじいさまに、渡して下さい。」 「 はい、確かに承りました。」 見つめる手の中の武器が、立ち上がった趙雲の手の中へひょいと移る。 私が感じた重さは覚悟が無かったから。この方やおじいさまが軽々と持てるのは、その覚悟とそれを支える強い信念があるから。 泣き明かした双眸で、しっかりとそれを見る。 ふと、笑まれた気がして顔を上げると、やはり太陽のような微笑みがあった。 「 どうかもう、御独りで堪えお泣きにはならないで下さいませ。 いつでも感じる儘、それを私達にお伝え下さい。それが励みとなりましょう。」 強く優しい眼差しで射抜かれ、亦溢れ出しそうになる。 けれどそれをそっと呑み込み、今自分に出来る事をと探し始める。 「 有り難きお言葉に御座います。」 出来る限りの、ありったけの笑顔で見送る。そして迎える。 それが私に出来る唯一の事なのだと、教えてくれた方への感謝の念も籠め、は柔らかに笑む。 「 お気をつけて。お――――祖父にもそうお伝えいただけますか?」 「 御意に。」 高く澄んだ空の下。 互いに一礼をし背を向けて歩き出す。 趙雲の手にはから預かった武器、の手にはいつからか趙雲から差し出された手巾が握りしめられている。 |
秋空の誓い