新月が静かに照らす闇夜の獣道。
夜空を彩る星々が(ぬる)い風に吹かれ瞬いている。

なるたけ音を立てぬように細心の注意を払い、内から内から生まれ出殺気を押し留める一人の男が夜の闇に紛れ足早に駆けていた。
雰囲気を盛り立てる厭に温い風が険しい表情の頬を(なぶ)る。
小さく短くこぼれ出る呼気。


曲がる獣道に寄り添うやうに佇む七竈(ナナカマド)の樹。
温い風に揺蕩う葉が先を確かに急ぐ男の呼気を掴んだその時、冷たい音が静寂(しじま)を斬り裂いた。
「 !!」
駆ける男の先を急ぐ足がピタリと止まり、地を擦り滑る音と砂塵が少々舞い上がる。
呼気の荒い男の足先の地面に、 ジジジジ と何かが燻っているような音があった。
「 !これは――――」
言うが早いか、男は両腕で顔を覆うと同時に爪先に有りっ丈の力を籠め飛び退く。と時を同じくしてその場が、爆ぜた。
暗い闇夜を斬り裂く一塊の閃光。
鼻や咽喉、目を執拗に刺激する臭い。
総てを包み隠す灰の煙。
そして耳を劈く爆発音。
それらが男の五感を丸ごと総て奪い去る。
「 ――ックソ!松永か!?」
大きく咳き込みながら腰の刀に手を伸ばすとすぐさま腰を落とし、見えぬ目で辺りを見渡す男の乱れた前髪が温い風に(なび)く。
「 松永アッ!!侍なら侍らしく、正々堂々と姿を現しやがれ!」
包む灰の煙を貫き、男の低い怒号が()く通る。
けれども、しんと静まり返る月の無い夜。
星明りを鈍く反射させる漆黒の塊が二つ、白い紙を引き連れ空を斬り斬り男に突き刺さる。
上がる二つの高い金属音。
続いて男の横後方の地面が二箇所、時を違えて爆ぜた。
「 ……松永、じゃねぇな?誰だ!?さっさと出てきやがれ!!生憎俺にはテメェの相手をしてやる暇はねぇんだよ!!」
「 御屋形様の御上洛の為、独眼竜が右目、片倉小十郎景綱貴様には今此処で喪に服してもらおう。」
滾る男・小十郎の低い轟音とは正反対の鈴の様な声が辺りに響き渡った。
「 貴様自身のな。」
先の鋭い苦無が小十郎に吸い込まれる様に集まり、その(ことごと)くを打ち落とされた。
爆ぜ、音と光と煙が五感を惑わし狂わせ小十郎の足を留め、退がらせる。
歯を食いしばり短い息をこぼし、高速で不規則に不特定方向から次々に迫り来る爆弾を抱えた苦無を刀で打ち落とすが、(きり)が無い。次々に休む暇を与えぬ攻撃は苛烈で、徐々に小十郎の顔が険しいものから焦りや綻びを滲ませたものへと移り変わり往く。
「 独眼竜に遣いを出してやろう。貴様の右目は貴様の野望と共に潰えた、とな。」
爆発音に混じる、場にそぐわぬ鈴の音。
その鈴の音が更に小十郎の五感と感情を揺さぶり刀を握る手の力を惑わす。
『この声――……女、か?』
苦渋に満ちた表情で苦無を弾き癇癪玉を叩き割り、歩を元来た道へと厭々戻す。
「 ……女がそんな物騒な得物を持つべきでは無いな。同じ刃物なら(くりや)で包丁でも振るえば良い。」
「 黙れ!!!!」
眉を下げた刹那、その場を包み込む殺気が生まれ小十郎を飲み込んだ。
増える攻撃の手数。

幾つか取りこぼし肌が斬れた頃、灰の煙に紛れ眼前に音も無く迫り来る気配に寸前で気付き小十郎は刀を握り直した。
「 御屋形様の御上洛の礎と成れる事、光栄に思いながら逝け。」
「 しまっ――――!!?」
「 っ貴方、様、は……!!」
(しろがね)に光る小十郎の刃。
鈍い光も宿さぬ黒色の刃。
その2つが交わることも無く、通り過ぎた――…………








眩しい太陽が燦燦と輝く澄み渡った青空。

峠の茶屋で団子を頬張るは笑顔だ。
否、だけではなく、この場に居る客も店の者も、誰も彼もが大輪の笑顔の華を咲かせている。

世は戦国乱世。
けれどもそのどの国々も、一つ一つを取り出して見れば笑顔に満ちた穏やかな時が流れている。

それは此処、松永弾正久秀が治める大和も例外ではなかった。
花は優しい風に揺れ、鳥は雄大な空に歌い太陽は総てに分け隔て無く平等にあたたかな光を降り注ぐ。
男にも、女にも、大人にも、子供にも、馬にも猫にも、にも――――小十郎にも。
旅装束に身を包んだ小十郎は笠を少し上げ、遠巻きに茶屋を眺めると目を細め、優しい息を吐くと足を茶屋へと向けた。
「 いらっしゃいませ!」
「 此処は草餅が名物なのか?」
「 へぇ、大和の草餅は日の本一!でございます!旦那もおひとついかがですか?」
「 ……そうだな、頂くか。」
「 毎度おおきに、ありがとうございます!お掛けになって少々お待ち下さいな。」
小十郎は声を掛けた店員に笑顔で頷き、指し示された席へとゆっくり歩く。
と、その確かな足取りが突如傾いた。
「 !? 」
「 え、きゃあっ!?!?」
ブツリと小さく上がった鈍い音の後に派手な音が続いた。
女性の悲鳴、陶器の割れる音、床机(しょうぎ)の倒れる音、男性の声の無い悲鳴。
店員と客のざわめきの中、体勢を崩し一人の客・へと体ごと突っ込んだ小十郎は慌てて起き上がり、下敷きにしていた小さなの体を優しく丁寧に抱き起こした。
「 すまない、怪我は無いか?」
「 え?あ、え?」
砂の着いたは空になった両手を倒れる前の形に保ったまま、目を白黒させている。
その手の奥・向こう側には、何処までも綺麗に晴れ渡り澄んだ青空が続き、目が眩む程明るい太陽が満面の笑顔で手を振っている。
「 ――もし、お嬢さん!?」
「 あ、はい?」
やっと、自分を覗き込む人物に気付いたはぱちぱちと瞬き、眩しい太陽に目を細めて逆光で能く見えぬ人物の目を見つめ返した。
呼吸をする度に揺れる髪が、爽やかに太陽に透ける。
今更ながら、は鼓動が高まっていたのを自覚しハッと我に返った。
「 何処か、怪我は無いか?」
「 え、え。多分無いと……大丈夫だと思います。」
「 本当か?我慢しているなら今すぐ正直に言ってくれ。」
「 私は大丈夫です。お侍様、貴方様は大丈夫ですか?」
「 ああ、俺なら心配無い。すまない、俺のせいで――!」
片膝を地面に着けを横抱きにしたままの小十郎の和らいだ表情が瞬時に険しくなり、の心臓を冷たく握りしめ緊張を生む。
素早く、力強くの細い手を取った。
「 なっ――――!?」
「 切れてるじゃねぇか!」
目を見開き体を強張らせるだが、小十郎はそんなをお構い無しに細い腰に回した腕と細い白魚の様な手を握る手に力を籠める。そして、
「 何処が大丈夫なんだ!」
と、我を忘れて大きな声で怒鳴り、警戒するをきょとんとさせてしまった。
周囲の客も店員も、何事かと息を呑み視線の先を小十郎一点へと向けていたが、なんだそういう事かと安堵すると視線の先をそれぞれにばらけさせ、再び楽しく茶を啜り出した。
そして当のはと言うと、横抱きにされた儘片手を強く掴まれた状態で、一度ゆっくりと瞬きをした。
それから小十郎の視線の先を辿り、強く掴まれた手を見つめ、小さく「 あ 」とこぼした。
「 ……本当だ……。」
「 っ『本当だ』じゃねぇ!普通、痛みにすぐ気付くもんだろ!?」
「 でも……ああ、大丈夫ですお侍様。あ!お手が汚れてしまいますよ!」
「 これは俺の手落ちだ、構うな。」
白い腕に能く映える一筋の紅い鮮血が小十郎の手や衣を染めているのを嫌い手を引こうとするだが、本人はそれを承諾せず頑なに拒否した。けれどもとて、此処で退く訳にはいかない。相手はそれ(・・)と解る侍なのだ。
「 しかしっ!」
「 ……止むを得んな。すまない嬢ちゃん、他意はねぇから勘弁してくれ。」
「 え?――――っはいい!?」
次から次へと静かに滑り落ちる紅い流れを止める為、そう言うと小十郎はの腕を自分の方へと引き寄せ、傷口に唇を寄せた。
周囲では小さな歓声が上がり、の声は裏返る。
「 …………な、な、な、なっなにを――っっ!!?!?」
「 ――――――――化膿止めだ。先にも述べたが他意は全く無い。だが、非礼は詫びる。」
小十郎は血溜まりをプッと吐き出すと紅く染まった唇を動かし、それから顔を上げ、店主らしき人物を見つめると薬箱は有るかと尋ねた。見惚れた様に固まっていた店主だったが、小十郎の言葉を聞くと顔を改めへぇございますと会釈をし、おいと店の者に持って来るよう指示を出す。そしてひっくり返った儘の床机を元に戻し、砂を払ってどうぞと促した。
「 すまねぇな。」
を抱えた儘の小十郎は、傷に障らぬ様ゆっくりと立ち上がるとを床机に座らせ自分もその隣に腰を下ろした。
団子を頬張る女性達が、口々に溜め息や黄色い声を小さく上げている。
2人が座ったのを見届けると、店主は割れた湯飲みと皿を片付けるよう指示をしていた。


「 すまねぇな、団子を駄目にしただけじゃなく怪我までさせちまって……。」
「 ……いえ、私こそ、お侍様の手と口を穢してしまいまして……。」
「 それは俺が好きでした事だし、俺がすべき事、だ。気に病まんでくれ。」
「 しかし…………。」
大人しく小十郎の手当てを受けるはそれでも顔を痛みとは別の理由で歪めていた。
それが小十郎の心を更に責め立てるとは知らずに。


すっかり包帯が巻かれ終えた頃、側に置かれた真新しい手拭に手を伸ばしたはそれを広げると小十郎の口元へとそっと持っていった。
「 未だ汚れておいでです。」
「 、そうか。……これで取れたか?」
「 未だもう少し、此方の、右の此の辺りが……。」
「 む、此処か?……どうだ?」
「 はい、総て取れました。」
小十郎はその手拭をから受け取り自分の口を拭うと汚れた面を内側にして畳み、茶と草餅を持って来た店主へと謝罪の言葉と共に渡した。
「 それから、彼女が食していた物を一式。勘定は総て俺につけてくれ。」
先程の分も含めてと続けると、一瞬面喰った顔をした店主はすぐさま笑顔でへぇと応じた。
けれども笑顔で応じられぬ者が一名、矢継ぎ早に異議を唱える。
「 っお侍様!」
「 異議は認めねぇ。
 これ位で償えるモンじゃねぇのは重々承知してるが、せめてもの気休め程度に捉えてくれれば良い。詫びは改めて 」
「 そんな滅相もありません!お手当てをして下さっただけでも充分です!!こんなちょっとした傷なんて 」
「 嫁入り前の娘さんを疵物にしたんだ。落とし前はきっちりつけるのが筋ってもんだろう。」
「 でもっ…… 」
「 親御さんへの謝罪にも行かねぇとな。」
「 お侍様!」
淡々と一方的に話を進める小十郎は其処まで喋りきると茶を啜った。
その小十郎の袖を遠慮がちに引くは困惑した様な怒った様な色を滲ませ小さく叫ぶ。
すると茶を啜る手が止まり、くるりと首が動いた。
「 なんだ、既に嫁いだ後だったか?」
「 っ違います、そうではありません!」
涼しい表情で、なら問題は無いなと付け加える小十郎に、は大有りですと噛み付いた。
が、じっと見つめ返す小十郎も頑として譲らない。

「 問題無い。」
「 有ります!」
「 無い。」
「 有りますっ!!」

互いに折れぬ押し問答を繰り返す横に、小十郎が頼んだの団子と茶が運ばれて来た。それを横目で見ていた小十郎はねぇんだよと言いながら陰でこそっと手を伸ばした。そして次の瞬間、
「 ん゛ぅっ!?」
有りますと力強く主張するべく息を吸い込んだの小さく開かれた口の中に団子を捻じ込んだ。
「 嬢ちゃんが申し訳無く感じる必要なんざ何処にもねぇんだ。頼むから、俺にけじめをつけさせてくれ。この通りだ。」
不意にガバッと、頭を深く下げた。
静かにざわめく峠の茶店。
面喰らい狼狽するを他所に、周囲の空気は和やかに変化する。
顔を上げてくださいと言いたくとも口の中の物が邪魔をして口が動かず、あわあわと手を振っていると何処からとも無く明るい声が割って入ってきた。
「 お嬢ちゃん、そのお侍さんの言う通りだ。これ以上未だお侍さんに恥を掻かせるつもりかい?」
「 !? 」
「 そーだそーだ。」
「 なにも、悪いようにしようって言ってるんやないんやから、笑顔で受けたり。」
「 なんやったら、責任とって嫁にもろてもらいーや。」
「 おっ!そりゃええ案やなぁ。」
「 !!?何を言い出すんですか!!馬鹿を言わないで下さい!!!!」
賑やかに笑い囃し立てる人々を睨みつけ、紅い顔をしたは大袈裟にゴホンと一つ咳払いをする。
それから顔を伏せた儘の小十郎の肩に恐る恐る指先を触れさせ、一度目を閉じると意を決したかの様に強い光を宿した瞳を真っ直ぐに向け、口を開いた。
「 わかりました。」
のその言葉に、わっと沸き起こる歓声。
ピクリと反応する小十郎がやおら顔を上げると、強い面差しのが不意ににこりと微笑んだ。
「 でも一つだけ条件があります。お侍様、今夜のお宿はお決まりですか?もしお決まりでありませんでしたら、うちの旅籠をご利用下さいませ。」




「 宿賃はきっちり支払わせて貰う。」
「 当然です、お客様ですもの。」
「 親御さんへの謝罪もする。」
「 お好きなようにどうぞ。どうせお止めしても、なさるんでしょ?」
ひとつ溜め息を落とすは小さく笑って、隣を並び歩く小十郎の顔をちらりと見上げた。
同じように、を見下ろす形で見つめる小十郎はバツの悪そうな表情を浮かべるが、くすくすと遠慮がちに声をもらして笑うに上手く遣り込められてしまうだけだった。

周囲の後押しもあって小十郎の申し出は総て受け入れられていたが、その交換条件というのがの両親が営む旅籠屋に客として宿泊する事であった。宿代を受け取らぬと言い出すのではないかと危惧した小十郎だったが、それはきっちりと支払ってもらうとの事。更には負い目を感じるのであれば治療費も受け取るとまで言い出したので、小十郎は安堵すると共にただただの態度の変わりように困惑するばかりであった。

「 ……痛むだろう、町に着いたら医者に診て貰おう。」
「 これ位、如何って事ありませんよ。私そそっかしいんで、切ったり打ったりなんて毎日の事ですから。」
「 それは――……そうかもしれんが……。」
「 ふふふ。」
手当てをした時に見えたの指や腕の傷痕を思い出し、小十郎は言葉を濁した。

細くしなやかな指先。
それに似つかわしくないタコは、日頃の書き物や炊事の為だろうか。
治りかけている切り傷らしい痕は、彼女のそそっかしさの表れか。
少々危なっかしいが、其処も愛らしい。こんな女性が家で待っていてくれれば、更に強く生きて帰ろうと思える――

「 お侍様。」
そんな事を頭の片隅でもやもやっと考えているとふと顔を上げたに呼ばれ、心臓が鳴った。
俺は何をと心の中で頭を振る小十郎は平静な表情で答える。
「 なんだ?」
「 お侍様の名前、お伺いしていませんでしたね。私はと、と申します。」
「 ああ、俺は片――加太桐……時綱と言う。」
「 カタギリ様、ですね。」
微笑み頷くが目に入り、ズキリと重く鈍く何処かが痛んだ。それに共鳴するかの様に、小十郎の知らぬうちに表情も険しくなり眉間に薄い皺が刻まれる。
幾ら捕虜となった配下の兵を奪還しに来た敵地とは言え、何の罪も無い町民に嘘を吐くのは気が引ける。
それもこんなに好意的な相手なら、尚更だ。
「 カタギリ様?如何かなさいましたか?」
「 ――――いや。それより、俺の事は小十郎と呼んでくれ。親しい奴にはそう呼ばれてる。
 加太桐様ってのは堅っ苦しくていけねぇ。」
不思議そうな色を浮かべ小首を傾げていたはぱちぱちと大きな目を数度瞬くとふわりと微笑み、明るくはいと返事をした。
「 ではこじゅうろう様、お疲れでしょうけれどもう少々歩いて下さいましね。」
「 ……ああ。」
小十郎の厳めしい表情も、の笑顔に毒気を抜かれ声と共に優しく柔らかなそれに変わった。




「 ……。」
「 では小十郎様、ごゆるり御寛ぎ下さいませ。」
「 これは一体如何いう料簡(りょうけん)だ?」
「 あら、お客様を御持て成しするのが旅籠屋ですよ。」
くすくすと声をもらし遠慮無く笑うに、それはそうだがと片眉を上げた小十郎は続ける。
「 料金と釣り合いが取れてねぇだろ。」
「 いえ、そんな事はありません。どの方にも同様の事をしておりますよ。」
「 ……嘘だったら承知しねぇぞ?」
「 まぁ、そんな怖いお顔、お止め下さいな。大和は良い所です、ごゆるりと養生なさいませ。
 それではおやすみなさいませ、小十郎様。」
「 …………ああ、おやすみ。」
部屋を出てが頭を下げ襖を閉める間際、小十郎はふっと表情を緩め返した。
とん、と閉められる襖。
その外では名残惜し気にゆるりと立ち上がるが。
その内では閉ざされた襖を恨めし気に見つめる小十郎が。
穏やかな表情で口元を綻ばせ共に一つ小さな息を吐いた。
「 小十郎様のような殿方が私の…………」
「 ……、か。」
階段を下りるは小さく首を横に振り、困惑した様に哀しく嗤った。
「 ――――ふふ、ふ…………私は何を馬鹿な事を……。」
キシ、キシ、と上がる軋みは床かはたまたそれとも。

薄寒い厨まで戻って来たは提燈の灯を指先で握り潰すとその儘拳を握り、丁寧に巻かれた白い包帯を冷めて虚ろな表情で力無く見つめる。
それからぽつりと、誰にとも無く語りかけるように呟く。
「 ……貴様は滅私奉公に生きる日陰者。弾正様に己の総てを捧げた忍、そうだろう?」
言い終わり、束の間の静寂に包まれた厨の中に布の擦れる音が大きく響いた。
しゅるる、しゅるる、と外された白い包帯は握り潰され、未だ微かに赤く色付く竈へと放り込まれ、次第に黒く赤くその色と姿を変える。
開いた手をもう一度握りしめ、滲む紅い筋を冷ややかに眺めるは勝手口から暗い永久(とこしえ)に似た闇へと消える様に身を沈めた。

「 総ては弾正様の御為………………御屋形様の御上洛の為……」








逢うは別れの始め









新月が静かに照らす闇夜の獣道。
夜空を彩る星々だけが温い風に吹かれ瞬いている。

一本の獣道の途中一箇所を覆う灰の煙。
「 ――ックソ!松永か!?」
咳き込む小十郎が涙で滲む目を薄く開け、腰に差した刀へと手を伸ばす。
「 松永アッ!侍なら侍らしく、正々堂々と姿を現しやがれ!」
後に訪れる一瞬の静寂。
それを破る高い金属音、続く二つの爆発。
「 ……松永、じゃねぇな?誰だ!?さっさと出てきやがれ!!生憎俺にはテメェの相手をしてやる暇はねぇんだよ!!」
「 御屋形様の御上洛の為、独眼竜が右目、片倉小十郎景綱貴様には今此処で喪に服してもらおう。貴様自身のな。」
響く鈴の様な音色。
弾く刀の音が辺りに遠くまで響き、火花が生まれ一瞬の閃光の後に周囲を包囲する轟音と灰煙。
「 独眼竜に遣いを出してやろう。貴様の右目は貴様の野望と共に潰えた、とな。」
爆ぜる場に混じる、異質な鈴の音。
まるで岸壁で歌う西洋の魔女の様に不思議な力が小十郎の邪魔をする。
歯噛み、後退する己の不甲斐なさに苛立つ。
「 ……女がそんな物騒な得物を持つべきでは無いな。同じ刃物なら厨で包丁でも振るえば良い。」
「 黙れ!!!!」
闇夜を斬り裂く烈火の如く響き渡る鈴の音に、凛冽な殺気が追随し小十郎を飲み込み苛烈な攻撃が始まる。

ざらざらと厭に纏わりつく温い風が音も無く冷たく斬り裂かれ、幾筋も鮮血を流す小十郎へと音も無く迫り来る気配。
眼前で気付いた小十郎は刀を握り直した。
「 御屋形様の御上洛の礎と成れる事、光栄に思いながら逝け。」
「 しまっ――――!!?」
「 っ貴方、様、は……!!」
銀に光る小十郎の刃。
鈍い光も宿さぬ黒色の刃。
その2つが交わることも無く、通り過ぎる。

如何程の時が流れたか。
夜空に煌く星の位置は変わらず、ただ七竈の枝葉だけが厭に温い風に吹かれ音を立てる。
ぽたり
紅い雫が砂埃を上げる地面に着地する。
ぽたり、ぽたり
銀の刃を紅く染める粘着質な筋が滑り落ちる。
ぱたたった、
振り下ろされた漆黒の刃から紅い滴が飛び散り、重力に従い流れ落ちる。
ばたたた、ばたた、ばた
闇色の衣から燃える様な緋色の熱い血潮が噴き出し、灰の煙を紅く染め上げ陸地に海を作り出す。
紅く染まった刀を、小十郎は流れる血を斬り捨てる様に振り払った。
そして斬られた腕を一瞥するとチッと舌を鳴らし、ちを踏みしめ振り返る。
巻かれた煙の中に佇む、一つの影。
確かな手応えはあったが、事は確実でなければならない。そう考える事も無く間合いを詰めながら音を立て刀を握り直すと大きく振り上げ、その儘一直線に影の背中へと稲妻の如く素早く振り下ろした。
「 ……小十郎様……。」
同時に、胸に走る衝撃。
紅く飛び散る熱い血潮の向こう側で、哀し気に顔を歪め涙を湛えた女の顔が見えた。
「 ………………?」
グッと縮まる、2人の距離。
紅く染まった顔は、確かに昼間出逢ったのそれである。
ゴボリと、口をつく紅い泡。
小十郎の顎を、首を伝う熱。
「 ……小十郎、さ、ま………… 」
「 お前は………………なの、か…………?」
「 …………まさ、か、こじゅ……さま、が………… 」
紅く染まったの頬を、一筋の涙が伝い落ちた。
じわじわと、鈍くなる頭の中で必死に違うと叫ぶ小十郎だが、現実は哀しくも残酷で、苦しい。
熱くなる胸が、心因的なもので無いと気付いたのはそれから少し後の事だった。
音の途切れたの唇が綴る言葉が、力の抜けて往く体が、目を瞑りたい現実をまざまざと突きつけてくる。
「 申し訳ありません。」
そう音も無く聞こえたの言葉は自分に向けられた言葉だったのか、小十郎には確かめる術が無かった。
ただを斬った刀を落とし、彼女を抱き支える事で精一杯だった。

自分の声が最早正しい音を発していない事も、小十郎は知らない。
崩れ行く体と心が、暗くなる視界がそれでも必死にを探し求め、決して離すまいと抱きしめる。
「 如何してこんな…………すまん…… 」
ぐずりと、胸が痛み燃える様に熱くなる。


「 ――弾正様―― 」


世界が闇に飲み込まれる間際、微笑んだの最期の言葉は確かにそう、小十郎に届いた。




title:ロメア様


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For BASARA Harvest Festival 2009様 and you!

……なんだかすみません、救いの無いオチで
一応補足させて頂きますと、2人は刺し違えてますはい
折角の素敵企画サイト様なのに、死亡ネタってどーなのよって感じですが、タイトルから連想した結果、こうなりました
一応別ver.で生まれ変わりネタも考えたのですが、何故か此方に、ええ、はい
原作無視も良いところですが、参加させて頂きまして本当にありがとうございました!
さんは主である弾正様を最期までおもっていますが、小十郎がアレなのは如何ですか
あと草餅が有名なのは長谷寺の方で信貴山近辺では無いのですが許して下さい
あ、弾正様とは爆死する松永久秀さんの事です
円月輪    22/09/2009