「梵天丸様」 「!こじゅーろー」 「本日は私の愚妹を紹介させて頂きたく存じます」 「ぐ、まい?」 「妹、に御座います」 「いもーと。……こじゅーろーにはいもーとがいるのか?」 「左様に御座います」 「……なかはよいのか?」 「幾つか齢も離れておりますし、それなりには………」 「どのようなやつじゃ?わしもなかよくなれるか?」 「はい。梵天丸様の御為に」 「いつくるのじゃ?」 「午後に――お昼の御休みの前に少しお会い頂こうかと存じますが、宜しいでしょうか?」 「うむ。……なかよくなれればよいが………」 「……ご安心下さいませ。梵天丸様の御側には、何時でもこの小十郎めが就いております」 「……うむ」 |
「 !」 「 ひぃっ!小十郎兄様、今日は本当に勘弁して下さい!!」 「 お前も片倉の者だろう!」 「 だって、梵の相手す」 「 わしの相手が何じゃ。」 「 ぎゃああっ!?」 「 政宗様!」 ある晴れた朝。 縁側を走る2人は声を荒げていた。一方は帯刀し尚且つその手にも刀と脇差を持ち、前を走る少女を捕まえんと奮起する武将の片倉小十郎だ。そしてもう一方、袴の裾を翻し、後方より伸び迫る小十郎の手から脱兎の如く逃げているは片倉、小十郎の妹だ。日も高くない朝だというのに大きな足音を立て城内を走り回る様子はまるで鬼事だが、すれ違う城の者達はいつもの事だと云った具合に微笑んで朝の挨拶をしていた。 そして縁側に差し掛かったところで、小十郎の刀を握る逆の手がを捕らえ掛ける。 が。 「 ええい、色気の無い声を上げおって!」 角からふっと現れた政宗の姿を捉えたところで、全力疾走をしていたの体躯は停まる筈も無く、その姿と声を確かめ奇声を上げるが盛大な音を引き連れ政宗諸共柵を飛び越え植え込みの中へと転げ落ちてしまった。己が手が空を刈った小十郎はそれを見るや否や慌てて駆け寄り、刀を床へとそっと置き身も軽くひょいと柵を飛び降りて、政宗の上に圧し掛かっているの身体を持ち上げると、ご無事で御座いますか政宗様と半狂乱な声を上げてを放り投げた。すぐに砂利の音とあいたっと云う短い声が上がる。 植え込みから引っ張り出された政宗の身体には、幾つもの小さな傷が出来ており、僅かに出血している箇所もある。 痛い、と少し顔を歪ませてから政宗ははっと息を呑む。 「 違――」 「 政宗様ああぁぁぁ!!!」 大丈夫だと云う前に、耳を劈くような叫び声が上がり、後はもうなす術も無く運ばれてしまうだけだった。 憤怒と悲哀が入り混じる表情で自分を抱え、医務室へと走る小十郎は幼少時より自分に就き尽くしてくれた唯一無二の存在。小十郎が居なければ今の自分は無いだろうとは思うのだが、如何にも過保護だと感じるようになったのは最近の事で。何をするにも口を出され、けれどそれは如何にでもなるので良いのだが問題は自分が負う怪我であった。少し切ったり擦ったりしただけでも小十郎は顔を真っ蒼にし、政宗様ぁと叫んでは医務室へと自分を抱えすっ飛んで行く。戦場等では流石に其処までは無いが、それでも今にも倒れそうな程に顔色を変え、的確に処置を施すのだった。何時だったか、剣の鍛錬にと城の者と竹刀を交えた時も、防ぎきれず一撃を受けてしまいけれど中断する程の手負いでは無かったにもかかわらず小十郎の一声によって鍛錬は中止、すぐさま医務室へと運ばれた。医者の処置が終わる頃小十郎の姿は側には無く、何処へ行ってしまったのかと道場へと戻ってみれば裏手より小十郎の声が聞こえ、其方へと誘われる儘に行ってみるも自分に気付いた小十郎が大丈夫でしたかと尋ねてくるばかりで其処で何をしていたのか聞けやしなかった。けれどちらりと視界の端に見えたのは、自分に一撃を入れた若者だった。その時はそれが何を意味するのか、幼過ぎて判らなかったが今は判る。あれは叱責していたのだ、と。 「 政宗様の御身体に傷をつけるとは何事だ!」 ビリビリと障子戸が揺れる。 床の上に直に正座をしているのはで、側には小十郎が手に持っていた刀と脇差が一揃えある。如何やらこれは小十郎の物では無く、の物のようだ。 此処は小十郎の部屋。の、押入れ。 兄の小十郎が政宗を抱きかかえ走り去った後。玉砂利の上に転がる身体をのっそりと持ち上げたは小十郎が置いて行った自分の刀を暫く見つ、溜め息を一つこぼしては其れを手に取り身体に付いている小枝や埃を叩き落とし、床を踏みしめ足早に自分の部屋では無く小十郎の部屋へと逃げ込んでいた。事故とは云え、己と兄も含め家が仕える城主に怪我を負わせて仕舞った事実は消えない。政宗の手当てが終われば兄が阿修羅の如き表情で自分を捜しに来るのは目に見えている。しかし遠く逃げ出す時間は無く、かと云ってむざむざ捕まるのも腑に落ちない。元を辿れば、嫌がる自分を追い掛け回した兄が悪いのではないか。 「 一体何を考えている、何処に眼をつけているのだ!それとも其の眼は唯の飾り物か!?」 とは口が裂けても云える筈も無く小十郎の部屋の押入れに息を殺して隠れていたのだが、如何いった訳か小十郎は迷う事無く自分を見つけ、鬼の形相で睨みつけてくるものだから条件反射で姿勢を正した。 すると小十郎の口が勢い良く開かれ、先の言葉、政宗に怪我を負わせた者誰彼問わず浴びせられる言葉を頂戴した。城の者や自身も何度か聞かされた事のある言葉だが、この言葉だけは何度聞いても胆を握りしめられるような感覚に襲われるのだった。それ程兄が政宗を慕い、忠誠を誓い護るべく存在なのだと識り解っていても、この時ばかりは震えてしまう。他の事で叱られる時とは気迫も何もかもが段違いなのだ。 「 それに謝意を表すどころか逃げ隠れするとは何事だ、恥を知れ!」 小枝が刺さり少し出血している指先を揃え頭を沈めるの正面で、小十郎も正座をし声を張り上げる。その声は荒々しくあるが、小十郎がこの時手を出した例は無かった。相手が誰であろうと言葉のみで叱責する、それは実妹であろうと変わりない。故に小十郎にこっ酷く叱られた者達は、一言二言影でぼやきはするものの、裏切りや報復行為はせず、それどころかより一層政宗の為、小十郎の為と尽力するのであった。 額を床につけて伏し無言の儘小十郎の叱責を受けるも、何だかんだ云って実はその中の一人であった。 「 お前は伊達の重臣、片倉の家の者だろうが!そのお前が他の者の手本とならずして如何する!!」 何時までたっても震える以外無反応なに、小十郎は拳で畳をバンと叩いた。瞬間、の肩はびくりと大きく跳ねる。 少しの沈黙が続いたが、小十郎兄様とが口にし、名を呼ばれた小十郎は面を上げよと、幾分柔和に云う。 ゆっくりと顔を上げたは、出血している指先を握り膝の上にそっと置き、恐る恐る兄の顔を見ては小さく口を開く。 「 ……どうして判ったの?」 揺れる瞳にはうっすらと涙が湛えられている。その眼を表情を見て、小十郎は小さく溜め息をこぼした。 「 お前の考えている事位総てお見通しだ。何年お前の兄をしていると思っているのだ。」 「 ……でも、迷わなさ過ぎ……。」 「 私の部屋に居れば私は来ないと思ったのだろう?考えが甘い。」 でもと反論するの言葉を遮り、そんな事だから政宗様のお姿を確認しても避ける事が出来ないのだと、優しくの頭を撫でた。不意に、の瞳に湛えられている涙の量が、増える。 「 だって、あれは小十郎兄様が追いかけるから……。」 「 お前が逃げるからだろう。」 正論を突きつけられ、思わず口籠もる。 「 私が留守の間、政宗様の御側に居ろと云うだけだ。難しい事では無いだろう。」 「 ……だって梵の相手するの、疲れるもん……。」 「 …………政宗様が嫌いなのか?」 予期せぬ兄の言葉に伏せていた顔を上げる。見上げる先の兄の表情は真面目で、辛そうなものだった。 「 合わぬ、苦手、嫌いなのだと云うのであれば考えるが――」 「 嫌いじゃない!」 きっぱりと大きな声で云うと、小十郎はふっと息を吐いて苦く微笑み、の頭を何度も撫でる。兄のその優しい行動に思わず涙がこぼれ落ちそうになる。 「 ……嫌いなんかじゃ、ないよ………。」 「 ……誠、か?」 「 ……当たり、前、じゃん。梵の事、嫌いじゃない。嫌える訳無いよ。」 ずっと鼻をすすり目を強く瞑ると、ついに涙がこぼれてしまい頬を伝った。遠慮する事無くポロポロと両の瞳からこぼれ落ちる涙。それでもの指先はきつく握りしめられ、膝の上で小さく震えている。 懐から手巾を取り出し、小さな妹の涙をそっと拭う小十郎。 「 ありがとう、。」 「 こっこっこじゅっ……こじゅうっっにいさま、がっ………おれ、いっ――」 「 私と政宗様は運命共同体だからな。」 微笑んで、小十郎はくしゃくしゃな顔のの鼻を優しく拭った。 「 ……けれど、お前は女児だ。其処まで強要される事は無いだろう。」 「 や、やっ!!わた、しはっ……こじゅっにいさっまっ……!」 「 ……ありがとう、。」 折角綺麗に拭った顔だが、更に崩れ涙と鼻水でぐしゃぐしゃになってしまう。小十郎は愛おしそうに目を細め、そっと頭を撫でてからを抱きしめた。刹那、壊れた絡繰人形のように大声を上げは泣く。それを優しく抱きとめ、兄は妹の背中をさする。ややこをなだめるよう、ゆっくりゆっくりと。 泣き声が段々と小さくなり、嗚咽も収まってきた頃、の額に自身の額をそっと触れさせ身体をゆっくりと離す。涙で濡れた目元を指で優しく拭い、それから涙と血で汚れたの小さな手を握る。 「 っ小十郎兄様……!」 「 お前の気持ちを考えた事など、あるようでなかったのだな。」 「 ……」 「 何故、政宗様の御側に居ると疲れるのだ?」 「 だって…………梵てば無理な事ばかり云うんだもん……。」 「 其れを受け止め窘めるのが我々の務めだ。」 「 でも――」 「 政宗様と齢が近い為、お前には私にすら云えぬ事を仰るのかも知れぬな。」 羨ましい限りだよと苦笑する小十郎に、私は嬉しくないと頬を膨らます。 「 政宗様にとって、それだけ必要な存在になっているのだろう。喜ばしい事じゃないか。」 「 ……辛い。」 「 。」 「 ………解ってます。」 小十郎から離れ、再び床に正座するの手を、小十郎は放しはしなかった。それを見つめ、手が汚れますと云うが構うものかと少し声を出して笑われた。泣いた時、血のついた手で縋りついてしまったのだから今更汚れるも何も無いかと、小十郎の羽織を見て心が痛んだ。大切な兄の仕事着を自分の血で汚してしまった。それもくだらない事故で出た血で。 「 小十郎兄様、こんな所に居て良いのですか?梵は」 「 政宗様の事ならば心配無い。医師にお任せしたからな。」 梵は大丈夫なのですかと聞く前に言葉を被せられた。やはりこうは云っても心配なのだろう。それは自分自身に云い聞かせているようにも聞こえる。 「 ……珍しいですね、小十郎兄様が梵を放置するなんて。」 「 政宗様は無論大切な御方だ。だが、お前は私の妹だ、そうだろう?」 「 え?あ……え?」 そうですけどと目を丸くしてこぼすはまじまじと小十郎の顔を見る。何を当たり前の事を、と。 「 大切な妹の傷を無視出来る程、私は心を失ってなどいないさ。」 「 ――っ」 「 手当てに行こう。」 きゅ、と小さな手を握り微笑むと、の瞳から再び涙がこぼれ落ちた。 は意外と泣き虫だなと頭を撫でやれば、小十郎兄様が優し過ぎるからだと返される。 さあ行こうと2人が立ち上がる前に、ぎ、と小さく床が鳴った。 「 だが、明日から3日間、政宗様の御側は任せるぞ。」 「 え……?こ、小十郎兄様……?」 「 其れと此れとは別の話だ。剣術の鍛錬も怠るな。」 「 ――っ!!」 「 逃がさぬぞ。」 がっしりと肩を掴み廊下を歩く小十郎は朗らかに笑み、いやだぁと叫ぶは肩を落として連行されて往く。 |