冥界の使者





誰も僕を愛さない。      だから僕は誰も愛さない。
誰も僕を愛してくれない。      だから僕は誰も愛してやらない。
誰も僕を観ない。      だから僕は誰も観ない。
誰も僕を観てくれない。      だから僕は誰も観てやらない。
斜め下を見下して、睨みつけて。

だから、彼女の瞳に僕が映る事は決してない。
僕の瞳に、例え彼女が映る事が有っても。
強い憧れは時に、強い嫉妬や憎しみに豹変するのを僕は識っている。
どおん、と大きな音が一つして。
リンゴンと何処かの教会の鐘が鳴り渡る。

リンゴンと鳴り渡る鐘の元に、黒い傘を差した人々が群がる。僕と同じ色の傘を差した人々が。
すすり泣いていたり、声を荒げて泣いていたり、涙を押し殺している人々が居る。
黒っぽい大きな箱の中に小さな彼女の姿を見つけた。
白く綺麗に着飾られた彼女の周りに、色とりどりの花が置かれる。
リンゴンと鳴り渡る鐘の横で、僕は唯それを見つめるだけだ。

僕は何も……何もしてやれない。
不干渉。  唯、見守るだけ。
それが僕の、大切な僕の仕事だから。



                      
どおん、と大きな音が一つして。
その後、あの人は一度だけ私の身体を抱き寄せて。
「それじゃあ、行って来ます。」
一言そう告げて、音のした方向へ歩いて行った。
「行ってらっしゃい。」
あの人の後姿にそう呟くのが精一杯だった。
我が侭を云って私の傍に居てもらっても、あの人を困らせるだけだからしたくない。
『亦今夜。』
そんな、確かではない言葉は口に出来ない。
そんな事したって自己嫌悪の海が広がるだけだ。
泣く事すら今の私には許されないだろうし、泣くなんて無駄なエネルギーを今は使いたくない。
右腕にはめた時計をちらりと見て、私は歩き出す。
音のした方向とは、逆の方へと。独り家路へとつく。
リンゴンと何処かの教会の鐘が鳴り渡るのを耳にしながら。
音のした方向へ飛んでいく一羽の真っ黒な烏を見た。

その晩、あの人は疲れた様子で家に帰ってきた。
でも私の顔を見ると、にっこりと微笑んでくれた。
「ただいま。」
そう云って、倒れこむように私に抱きかかってきた。
「お帰りなさい。」
今度は、きちんとあの人に聞こえるように言葉にする。
「ああ、ただいま。帰ってきたんだね、本当に。」
あの人は、私の身体を少しきつく抱き寄せる。
「キミが待っていてくれるこの家に。今日も帰ってこれた。」
その言葉を聴いたら、何故だか目頭が熱くなった。
涙が零れてくるのが判った。
『嗚呼……あの人も私と同じ事を考えていたんだ。』
そう思えたら、とても仕合せに感じた。
「どうして泣いているの?」
そう問われた。
「今夜も、亦帰ってきてくれたから。」
唯、仕合せな気持ちが襲ってきて、少し怖くなって私もあの人を抱きしめた。
温もりと仕合せを噛み締めるように。



                      
その時の俺の周りには、俺の間違いを指摘してくれる人が居なかった。
彼女が好きだった。彼女を愛していた。
違う。今でも彼女を愛している。彼女の事が好きだ。
だから彼女を、俺のモノにしたかったんだ。俺だけのモノに。
そう……誰か他の男に取られるくらいなら、いっそ永遠に誰にも触れられないようにと考えたんだ。
俺以外、誰にも触れられないように。
唯、その時の俺の周りには、俺の間違いを指摘してくれる人が居なかった。
今なら判るのに。俺の考えは間違っていたと。
でもその時は、その考えが正しいと思っていた。思い込んでいた。
今更悔やんでも彼女はもう、誰にも微笑みかける事はないのに。
リンゴンと何処かの教会の鐘が鳴り渡る。
頭の中に、大きな音で何処かの教会の鐘が鳴り渡る。リンゴンと、まるでカルマの様に。

何時も、毎日、同じ時間に通る同じ場所。
何時も観ていた。それで良かった。
でも、時が経つにつれ、それだけじゃ物足りなくなった。
何時も観ているのに、どうして彼女は俺にも、俺の気持ちにも気付かないのか。
少しずつ苛立ちを覚え始めた。
どうして俺を観ない。どうして俺の気持ちに気付かない。
どうして他の男と楽しそうに話す。俺が居るのにどうして。
どうして、どうして、どうして……――!!!
気付いたら俺は、何時もの様に、何時もと同じ場所へと向かった。
何時もと違ったのは、左手に彼女へのプレゼントを持っていた事。彼女の名前を記して。
何時もと同じ時間に、彼女は其処を通った。
俺からのプレゼントに気付き、それを拾い上げる彼女。
どおん、と大きな音が一つして。
炎が空へと舞い上がる。
少し火薬が多かったかな・と思い、出直そうと家へと帰る。
途中、一羽の真っ黒な烏とすれ違った。
ベッドへ倒れこみ、しばしの間、自分のした行為に酔い痴れていた。
その時の俺の周りには、俺の間違いを指摘してくれる人が居なかった。
俺を含めて。

或る朝目が覚めて。
ベッドの上でボーっとしてたら。リンゴンと何処かの教会の鐘が鳴り渡る。
教会の近くを一羽の烏が飛んでいるのを見た。
時間が経つにつれ、俺が犯したことの大きさを悟った。
悔しさと、俺自身への憎らしさがどんどんと胸の奥から込み上げる。
溢れ出る血潮の様に。
俺は何て愚かな事をしたんだと。
だけどその時の俺の周りには、俺の間違いを指摘してくれる人が居なかった。
俺を含めて。
無性に泣けてきた。
泣いて済むようなものでもないのに。
もう、自分を呪う気力も無い。




                      
どおん、と大きな音が一つして。
次の瞬間、身体が燃える様に熱くなって来た。
でも本当は、『燃える様に』ではなくて、本当に燃えていたんだ。
どうしてあたしが……と思うも、息もしづらくなってきた。
立っているのも儘ならなくなり、あたしはその場に倒れ込んだ。
痛いとかは不思議と感じなかった。
ああ、そっか。
燃えていたら、他の痛みは感じないのか。
考えるのも億劫になってきた。
コレが所謂『意識が遠退く』ってやつかな?
リンゴンと何処かの教会の鐘が鳴り渡る。
嗚呼……聞き覚えのある鐘の音だな。
なんかもう、暑さも感じないや。
頭上で何かがちらちらしている。
最期の力を振り絞って、見上げてみる。
一羽の真っ黒い綺麗な烏が傍に居た。
「もしかして……キミか?……ありがとう、最期にキミに会えて良かったよ。」
声にならない声でそう伝える。

少し前、髪を束ねていたリボンが風で飛ばされた。
お気に入りのリボンだったので、あたしは必死に追いかけた。
街から少し出た公園で、リボンを見つけた。
というより、拾ってもらっていたのだ。
一羽の真っ黒い綺麗な烏が、あたしのリボンをくわえていた。
不思議と、烏が怖いとも思わず、近づいて手を差し伸べた。
「ありがとうね、それ。あたしのお気に入りのリボンなの。拾ってくれて、ありがとう。」
本当に嬉しくて、にっこり笑いながら会釈をした。
返してもらえる当ても無いのになと、少し思いながら。
しかしその真っ黒い綺麗な烏は、あたしの言葉を理解したのかリボンをあたしの掌に乗せ、返してくれた。
「……ありがとう。」
バサバサと綺麗な翼を広げ、飛び立った。
「バイバイ、亦、会えるといいなぁ。」

薄れ行く意識の中その事を思い出していた。
きっとあの時と同じ烏だろう。
「……ありがとう、最期にキミに会えて良かったよ。それじゃあ、バイバイ……。」
一段と炎は大きく舞い上がり、あたしをそらへと連れて行った。




                      
「こっちへおいでよ。」
と笑いながら手招きする彼女に追いつきたくて僕は羽ばたき始めた筈だ。
その彼女ももうこちら側には居ない。
炎に包まれながら僕が見送った。
それでも彼女は笑っていた。
リンゴンと何処かの教会の鐘が鳴り渡る中。
何も出来ない自分の無力さが厭だった。
だからせめて、彼女の亡骸も最後まで見届けようと思った。
ずっと傍で。誰に邪魔される事もない距離から。
白く着飾られた彼女に、僕は何も渡せないけれど、最後まで見届けようと思った。
黒い傘を差した人々が立ち去った後、僕は彼女の傍の傍まで降りていった。
少し高く盛られている土の上に乗って、彼女の亡骸の最後を看取った。
周りには、彼女が好きだと云っていた花が手向けられていた。
最後に、リンゴンと教会の鐘を鳴らして、僕は其処を後にした。
それが、僕の仕事だから。




                      
一つの善行と、一つの悪行で、総てを判断されちゃたまらんだろ?
だからワタシが、ワタシの部下にお前の総てを見させて、トータルで判断してやるんだよ。
お前が死んだ先の未来は、暗いか明るいのか。
ワタシがその総てを握っているといってもいい。
だから気をつけな?
日頃から、自分の行動には責任持てよ。判ったか?
自分の首を絞めるのは、他人やワタシじゃない。
おまえ自身だよ。
ほらほら、リンゴンと何処かの教会の鐘が鳴り渡ってる。
次は誰だ?