晴れ、時々ご機嫌斜め。のち水






「 じゃ!日々の戦を忘れ、しっかりと疲れを癒して下さいね?ト・ノ。」
「 ……フン。」


秀吉から少し纏まった暇を貰った石田三成は、偶には友人家臣達から離れ一人静かに過ごそうと考えていた。
お忍びで、との事なのでこっそりと準備をしている時、ふと出くわしたのが側近ので。
別に何を云われた訳でも無いけれど、荷物持ちにと誘ったのは三成の方からだった。
その後2人は風の如く準備をし、駆ける様に城を密かに出て行ったとか。

そうして行き着いた場所が此処、温泉地。
どうせ静かに過ごすならと、が提案していたのだ。湯治でもしましょうと。それに、いつもの様に何処か不貞腐れた顔で三成は頷き馬を走らせていた。
城からそう遠くない温泉地に、2人は世を忍びやって来ていた。一応、何かあると事なので書置きはしてきた様ではあるが……。

じゃあと明るい声では片手を上げ、朗らかに笑み、三成からのそっけない鼻返事を聞いてから暖簾をくぐる。手には、浴衣とその間に隠した得物が見え隠れしている。

「 戦を忘れてと云いながら、貴様のそれは何なのだ。」

暖簾をくぐり脱衣所の扉を閉めた三成は、盛大な溜め息を一つ落としながら呟いた。
つい先刻別れたの手元から覗いた得物を、目聡く見付けていたのだ。――かく云う自分も、戦扇は手離さず持ってきているが。
全くあいつは……などと云うが、その顔はしかし柔らかに笑んでいて。それは決して他人に見せる事の無いそれだ。
珍しくそれを見せる――と云っても周りに人は誰も居ないが――という事は、やはり生き抜きに温泉へとやって来た意味は十二分にあったのだろう。



「 みっちょーん。」
「 ……?」

浴場へと入り身体を洗い始めて暫く。突如、何かが聞こえた。
それは確かに人の発する声で、何処か間の抜けたそれに聞こえた。暫く動きを止め耳を澄ましていた三成だったが、幾ら待てど次の声は聞こえてこないので、少し首を捻りながらも再び身体を洗い始めた。
その時。

「 みっちょーん、居るー?」
「 ……み、みっちょ……ん?」
先程よりも大きくはっきりした声が壁越しに投げ込まれた。

三成は辺りを見渡した。
が、他には誰も居なかった。

しかしみっちょんと呼ぶ声は止む事無く続き、カポーンと効果音がつきそうな浴場の中に響いている。それに能く聞いてみれば、この何処か間の抜けた声には聞き覚えがあった。然るにそこから導き出される答えは、このみっちょんという言葉は多聞に俺の事を指していてこの何処か間の抜けた声はのものだ。
そう、身体を洗いながら三成は思った。

「 みっちょーん。」
「 みっちょーん、とは何だ。」
身体を洗う手を止めず、けれど殿湯と姫湯を隔てる竹板へと向きながら声を上げる。むすっと不貞腐れたその声を。
その声に対して返されたのはのきゃらきゃらという楽しげな笑い声で。
三成の心を逆撫でするには充分過ぎるものである。眉を顰める三成は、その笑い声を睨みつけた。

「 みっちょんっていうのは、三成の事だよ〜。所謂、愛称ってやつ。」
きゃらきゃらと笑う事を止めず、は至極楽しそうにさらりと云ってのける。
身体を震える手で洗いつつ、痙攣るお腹を片手で抑え、更に目にはうっすらと涙らしきものを浮かべながら。
可愛いでしょ?みっちょんって響き。なんて朗らかに付け加え。
その口調からは全くと云って良い程に悪びれた様子は伺えず、まるで悪戯が成功した様を建物の陰から覗き無邪気に喜ぶ子供の様だ。
対する三成は。
「 なにが愛称だ。そんなもの俺には要らぬ。二度とそう呼ぶな。」
ザバー、と湯をかけ流しながら苛立った声音で姫湯へと叫ぶ。2人を隔てる竹板をその鋭い眼で睨みつけながら。

しかしそれでも止まぬ、むしろ高まる笑い声に苛立ちを露にしつつ、湯殿へと歩く三成の手には、桶がしっかりと握られている。

「 やーだなー、三成。嬉しいからってそんな照れなくても良いんだよ?
 み・っ・ち・ょ・ん!」
ザバァ。と水が流れる音がして。
次にギャーと云う女性の絶叫する声が響き上がる。
「 つめたっ!なにすんのよ三成!?」
「 貴様がからかうからだ、。当然の報いだろう?」
憤怒するに対しさらりと冷たくあしらう三成の、手に持つ桶には溢れんばかりに水が張られており、自身はぐっと腰を落とし探る様に壁を睨み付けている。
第二陣の用意、だろう。

酷い、鬼畜、悪魔、冷徹漢!等と口早に叫ぶは突然の事で酷く混乱している様だ。
気持ち良く、一人広い湯殿に浸かりながら薄い竹板を隔てた三成へと愛情と多少のからかいを込めみっちょんと呼んでいたところに、文字通り水を差す様に水が降ってきたのだから。
それは確かに三成からのもので、怒りと悲しみと冷たさに打ち拉がれている。
「 全然当然の報いなんかじゃないわよ!みっちょんのツリ目!」
ザバサ、と水が落ちる音がした。
の言葉に間を置く事無く水は降ってきたのだ。
三成は、壁越しにの声に耳をそばだて位置を探っていたのだろう。二度とも、ドンピシャのタイミングでの頭の上から綺麗に落とされたのだから。
ギャー冷たい!という叫び声は広い浴場にこだましては湯気と共に掻き消えていった。

「 その名で呼ぶなと云ったろう。」
そう云いながら、三成は頭の上に濡れた手拭いを乗せ傍に桶を置きながら、湯の中へと静かに身体を沈めた。
相変わらず騒がしい奴めと口の中で殺しながら。
しかしそれでも薄い壁の向こうからは、自分の事を鬼だのなんだのとのたまう乱暴な言葉が返されるばかりで、まるで会話が成り立っていない。
そんな相手をぼんやりと思いながら、三成は深い息を吐き出す。湯の中に肩まですっかり浸かって。


「 酷いじゃないみっちょん!こんな事されたら私、風邪ひいちゃうわ。」
ばしゃ、と音を鳴らし、は湯を叩きながら声を張る。
――というかお前等。他に入浴客が居なくて良かったな。
しかしその言葉に、三成の返事は無く。待てど暮らせど、イッコウに言葉が返される気配は、無い。

「 ……みっちょーん?」
突然の沈黙に若干の怖れを抱いたのか、先程まで元気いっぱいに口を大きく開けていたは、探りを入れるかの様に恐る恐る口を開き言葉を発する。
しかしそれはやはり三成への自称愛称で。やはり沈黙だけが返される。

「 みっちょーん。」

「 みっちょん。」

「 みーっちょーん?」

等々。少しバラエティーを含ませつつ呼び掛けてみるがまるで反応は無く。
もしかしたら私が暴れていた間に、三成はもう出てしまったのでは――等といった事が頭をもたげる始末。
するとその顔からはみるみる喜色と云った類のものが消えて往き、悲しげな、焦った色が生まれる。

そう、なんだかんだ云ってからかってみても、は三成の事を仕える主人として、否それ以上に慕っているのだ。そんな相手に愛想を尽かされ見放されたとなると、喰いっぱぐれる云々の前に、心に穴が開いてしまう。ぽっかりと大きな、消失感と共に。
それだけは嫌だ。それだけは勘弁願う。それだけは御免被りたい。
そんな焦燥感に駆られ、気付けば泣きだしそうな表情で縋るように願っていた。

「 みっ……三成?」
「 ――――なんだ。」

そうして口をついたのは、いつも呼んでいる呼び慣れた呼び名で。
少しの間を於いて返された言葉は、柔らかにくつろいだ、それでいて何処か刺のある様な声音で。
それは確かに。石田三成その人のものである。

「 三成!?」
「 ……だから、なんだ。」
聞き違いかもしれない。私の空耳かもしれない。
そう思ったは慌てて直ぐ様もう一度名を呼んでみた。
すると、すると、いつもの様に何処か不貞腐れた感じの声が、返される。三成の、独特な間と音色のそれが。
「 みつ……なり………。」
聞いて安心したのか、心も身体も力が抜けた様にぱしゃりと水音を立てながら座り込み、は愛しい人の名を口の中で呟く。
良かったと胸を撫で下ろす顔には、いくばくかの汗と安堵感が色濃く表れていた。

弛む頬を嗜める事無く、は嬉しげに顔を綻ばせ、三成が居るであろう方を向きながら口を開ける。
紡がれる声音は、喜びに満ちたそれだ。
「居る、なら……居るならどうして返事しないのよ!」
しかしそれを悟られたくないのか、怒気で隠した声を出し、は三成へと言葉で詰め寄る。
対する三成はいつの間にか壁に背を預け、湯気がくゆる天井を仰ぎながら、はぁと小さく溜め息を吐いた。

「 俺の名は三成だ。みっちょんなどとふざけた名では無いから返事をしなかったまでだ。
 それに加え。風呂の中で位静かに出来ぬのか?
 今日は2人、湯治にきたのであろう。」

天を仰ぎ見たままの非常にくつろいだ恰好で、三成はへと言葉を送る。
時が止まったかの様に微動だにしていなかったは、三成の言葉をそこまでちゃんと聞き、ああと瞳を閉じた。

幾ら出掛ける時に私と出くわしたからって、それだけで三成が私を誘う筈なんて万に一つも無いんだった。私だから、私だったから三成は声を掛けてくれたんだって、そこは自惚れても良いところだよね。
そう思いながら、ぱしゃんと音を立て頬に光るものを温泉の湯で洗い流し、そうだねと優しく笑った。



「 殿!」
「 三成!」
「 三成殿!それにも!?」

ゆっくりと、まったりとした時間を過ごした2人が温泉から上がり出てみると、其処には左近、兼継、幸村の3人の姿があった。
3人は三成達を見つけるや否や、口々に名を呼び小走りに走り寄ってくる。

「 貴様等……一体此処で何をしている。」
それを見た三成は、眉を顰め一段低い調子でこう話しかける。

その声には、鬱陶しいといった気持ちが充分に含まれていて。折角の湯治を、との2人きりの湯治を邪魔されて迷惑この上ないといった顔をしていた。
しかしそれに気付か無い3人は酷く嬉しそうで。

「 うわぁ、邪魔。」
そう呟いたの声も、彼らには届いていなかった。