夢でもし逢えたら
遠くには純白。
遠くには漆黒。
白いシャツに黒いパンツを纏った神田は、白と黒が遠くに見える一本の長い廊下を歩いていた。
踏みしめる床は、黒とも白ともとれぬ丁度その中間の灰のような色をしている。
カツーンカツーンと高く足音を響かせ、神田は迷う事無くまるで何かに誘われるかの様に真っ直ぐに、ゆっくりとしかし確かに歩いて行く。
何処まで歩いても前方の遥か遠くは黒く、振り返る後方の遥か遠くは白く。今自分が歩いている床は灰の色で。それが途切れる事無く何処までも続いている。
速める事も遅める事もせず、神田は唯歩く。ひたすらに。黙ったまま、出口も入り口も見えぬ長い単調な廊下を、歩く。
自分の鳴らす足音だけを連れ立って。
どれ程の時間が流れたのか。
判らないままそれでも歩いていると、自分の上げる足音とは違う別のそれが長い廊下に割って入ってきた。
しかし神田は構える事も無く、唯悠然に、在るがままの自然体で足を速める事無く歩いている。若干弛む頬をたしなめる事も忘れ、その自分とは異なる足音へとゆっくり歩を進めていく。
カツーンカツーンと、足音を高く響かせながら。
もう一方の、神田とは異なる足音は神田より幾分小さくそしてその間隔も短かった。
カツンカツンと、それでも急いでいる風では無く、きっと神田と同様に自然体のあるがままで歩いているのだろう。
そんな2人が出会う事は必然で。一本の長い廊下を互いに向き合って進んでいればいつか自然と出会う事になる。
遠くには純白、遠くには漆黒、そして今自分が歩いている場所は、灰の色。
「よう。」
そう云いながら右手を上げて神田へとその歩を進めるのは一人の少女。
神田と同じく、白いシャツに黒いスカートを纏っただ。
「久し振りだな。」
答える神田の顔は何処か嬉しそうで、いつもの鋭さはそこから窺え知れず。優しくそれでも不敵に笑いながら、へと足を進める。
能く見ればお互いに団服を着ていないどころか対アクマ武器のイノセンスすら持っていない。
それでもそんな事を気にする素振りは全く無く、2人は互いの身体が、顔が能く見える所まで足を動かすと、どちらからとも無くそれを止めた。
「亦此処で逢えたって事は、神田も未だ生きてるって事だね。」
「お前の方こそ、しぶとく生きてんじゃねぇか。」
「私の生命力はゴキブリ並だからね。なめないで。」
云って、笑い合う2人は互いの生存を喜び合うようにコツリと右拳を重ね合わせる。いつもこうしているのだと云う様に、言葉にせずとも身体が勝手に動いているみたいだ。
暫く久し振りの再会を喜び合っていた2人は、どちらからともなく傍に置かれている白と黒のベンチへと腰を下ろした。
静かで、恐ろしい程に静か過ぎる空間に何の戸惑いも疑問も持たずに、2人は其々に呼吸をする。
これが、日常だとでも云う様に。
「最近ホンッットに逢ってなかったよねぇ。」
「互いに任務任務で忙しかったからな。」
「コムイに聞いたらさ、すれ違いが多かったんだって。」
「……。」
「いやー、やっぱさぁ、神田に逢わないとなーんか調子狂うんだよね。」
「ハッ!どの口がそんな女女しい事云うんだよ。らしくもねぇ。」
「えーなにそれヒドーイ。」
突き放すように云う神田はそれでも、彼には珍しく優しい表情で柔らかに笑み、満ち足りている様に見受けられる。
は、軽い口を叩きながらも明るく無邪気に、心の底から笑っている様だ。
そんな2人が、よもや世界の命運を文字通り懸けた戦争にその小さな躯を沈めているとは、この光景を見ただけでは判る筈も無く。本当に千年伯爵と彼によって作り出されるアクマと闘っているのだとは、信じられない。
唯此処に拡がるのは、純白から漆黒へと流れるように変わるグラデーションが何処までも続く、長い長い一本の廊下があるのみで。
一陣の風すらも吹かず、他の何者の存在も許さない様なピリピリと何かが張り詰めたそんな空間に、神田との2人は居る。
唯其処に在るが如く。互いの存在を疑う事も無く。
他愛も無い会話に、華を咲かせている。
「だからさ、神田はもう少し人付き合いってものをだね。」
「必要ねぇ。」
「あのね……。」
云って目を伏せる神田には苦笑いを寄せる。
この穏やかで暖かで、緩やかな心地の良い時間が永久に続けばと、どこかで祈っているのかもしれない。
けれどこの世に不変のものなど無常にも在りはせず、泡沫の如く、儚い花の命の如く終わりはやってくるものなのだ。
は嗚呼と眉を寄せて肩をすくめ、神田は誰に遠慮する事無く舌打ちを繰り出す。
それでも2人は未だベンチに腰を下ろしたままで立ち上がる気配は無かった。
しかし何かが2人をせっつく様に、囃し立てる様に、ときを告げる様に引き裂こうとする。
2人だけを包んでいた唯一の穏やかな雰囲気もいつしかその姿を消し、替わるかの如くまるで廃墟にでも居る様な暗く重い張り詰めた空気がその顔を徐々に覗かせていた。
「……時間、か。」
呟く様に溜め息と共に吐き出したのはで、未だもう少し此処でこうしていたかったよと続け立ち上がる。んっと伸びをして、神田へと向き。
対する神田は何も云わず、唯短い溜め息をひとつ落とすとすっと立ち上がった。
どんな時でも、誰とでも、離れの瞬間は平等にも不平等にも訪れるものなのだ。
艶やかな花弁が泡沫の様に、めくるめく日々が儚い時の様に。
「すぐ逢える。」
肩を落とすに、凛と通った強い声で神田は云う。その怜悧で柔和な鋭い眼差しで。
その言葉に驚いたのか、目を丸くしたは神田のその鋭い目を見つめた。
力強い眼差しは眩しい程の光を宿しており、導かれる様に、誘われる様に、その光に吸い込まれてしまいそうだ。
神田を見上げるは、それもそうだねとふわりと笑い力を込める。
「こっちでも現実でも構わないけど、亦すぐ逢えるよね。」
「……こっちのが良い。」
ぽつりと呟く様にもらした神田にどうしてと尋ねると、暫くの沈黙の後に他に誰も居なくて静かだからなと返された。
神田らしいねと笑うの頭を軽くこつきながら、神田も小さく笑う。
「でもやっぱり私は、現実の方が良いかな。」
「なんでだよ。」
「んー?んー、なんとなく、かな。」
「お前らしいよ。」
笑い合う顔も声も、何処と無く少し儚げで。
戦争に身を沈める者達と云えど、やはり離れとは寂しいものなのだろうか。
純白と漆黒のグラデーションが何処までも続く長い廊下で、2人は今一時最後の挨拶を交わす。
「それじゃ、亦ね神田。」
「ああ。……亦な。」
「次に私と逢うまで、死ぬんじゃないぞー!」
「そっくりそのままテメェにくれてやるよ、。」
白とも黒ともとれない色が、2人の身体を飲み込んでゆく。
「……またね。」
「……またな。」
それはさながら生死を分けるボーダーラインの様でもあって。
白とも黒ともとれない色が、2人の身体を完全に飲み込んだ。
は病院のベッドの上、神田は宿のベッドの上。それぞれに、それぞれの目を覚ました。
隣に置かれている団服とイノセンスを掴み、それぞれに立ち上がる。
「よし、それじゃ今日も行きますか。」
「……行くか。」
明日へ進む為に、戦争を終わりに導く為に。
交わした約束を守る為に、今日も歩き出す。